お菓子の家の見習い魔女
ほんのり人食表現アリ
むかしむかし――森の中の家に、老いた魔女と、ヤコという見習い魔女が暮らしていました。
魔女は人間を罠にかけるため、お菓子で作った家に住んでいましたが、ある日、サバトで家をあける事になりました。
「私のかわいい弟子や。もし森に子どもでも迷い込んできたら、物置に閉じ込めて、毎日たらふくご馳走しておやり。そしたら、帰ってきた頃にはごちそうだからね」
「はい、師匠。迷子は肥えさせてメインディッシュですね」
「ただし、女の子はちゃんと素質を見て、いい魔女になりそうだったら弟子にするから、きちんともてなすんだよ」
「いい魔女になりそうな女の子は、きちんとおもてなしですね」
ヤコは元々どこから町から攫われた女の子で、まだ人間臭さが抜けきらず、すっとぼけたところはあるものの優秀な魔女でした。
ただしその赤い目はひどい近眼で、しかも夜目はまったくききません。ヤコはもう覚えてはいませんが、攫われた後に逃げ出せなかったのは、この家の周りの森が暗いからでした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ」
こうしてヤコは、三週間のあいだ、家にひとりきりで留守番をすることになったのです。
◆
ひとりきりで過ごして一週間が経った頃、ヤコは森に子どもがふたりも迷い込んできたことに気づき、使い魔の鳥を飛ばしました。
鳥の視界を借りてみると、この家に向かって歩いてくるのは、蜂蜜色の髪の毛に、きらきら輝くエメラルドの瞳を持つ兄妹でした。
「迷い子は肥えさせて、メインディッシュ。いい魔女になりそうな女の子は、きちんとおもてなし……でも、どうしましょう」
12、3歳ほどに見える兄と、それより少し下の年頃に見える妹は、どちらもとてもかわいらしい顔をしておりました。
ヤコは可愛いものは好きですし、そもそも進んで人間を食べたいと思うほど魔女になりきれていません。だから使い魔に命じて、帰れと伝えてもらう事にしたのです。
ところが数時間経って、何故か兄妹はお菓子の家をばりばりと齧っておりました。
首をかしげ、帰ってきた使い魔を見てみれば、困ったように首をかしげています。
「どうしたの?」
『ご主人様、言葉が通じなかったよ』
「……あっ」
使い魔は、魔女としか会話することができないのです。とてつもなく初歩的なミスに頬を染め、それからヤコは溜息を吐きました。
ここまできたら、もう師匠に言う通りにするほかありません。
師匠のローブを着て、年老いた魔女に見える魔法の粉をふりかけると、ヤコは喉が枯れるしわがれ草をかじりながら声をかけました。
「……坊やたち、わたしの家を食べるのはやめておくれ……入っておいで、かわりにたんとご馳走してあげるからね」
振り向いた兄妹は、近くで見るとますますかわいらしく、人形にして飾ってしまいたいほどです。
「ありがとう、お婆さん。家を食べてごめんなさい」
「かまわんよ、おなかが空かせた子どもを叱るほど、わたしは鬼じゃないからねぇ……」
ふぇっふぇっふぇ、と師匠の真似をして笑ってみせます。
ヤコは少し悲しく思いましたが、せめてもの償いに、とっておきの羊の腸詰も出しましたし、めったに食べないコンソメのスープまで作りました。
ところがその夜、ふと目が覚めると、ヤコは真っ暗な中に居て、思わず悲鳴が漏れました。
いつ眠ったのかも思い出せませんし、暗闇が大の苦手であるヤコは、眠る時も魔法の灯りで煌々と部屋を照らさないと気がすまないのです。
「ひぃっ……いやっ、いやっ、誰か!」
「お兄ちゃん、目を覚ましたわ」
「早かったね。……やあ、魔女さん」
ぎいい、と古ぼけた扉が開く音を聞いて、ヤコは光の差し込んできた方にとんでいきました。しかしそこには格子があって、外に出ることはできません。
「ど、どうして……」
「こんな森に住んでるのは、魔女だって決まってるもの! 魔女は子どもを食べちゃうのよ。だから先に、捕まえて閉じ込めたの」
無邪気な顔で言うのは、花の精のような可愛らしい妹です。昨日聞いたところによると、名前はグレーテルといいました。
「そういう訳だから、ごめんね」
「えっ、ま、待って、わたし暗いところは――」
これまた天使のような少年――ヘンゼルが微笑むと共に、無情にもばたんと扉は閉められ、そして朝が来るまで開くことはなかったのでした。
あくる日の朝、ヘンゼルが様子を見に来ると、そこには年老いた魔女ではなく汚れた格好をした年上の女の子がうずくまっておりました。
昨日は確かに白髪の老婆に見えたのですが、物置の中にいるのは、黒い髪の女の子です。
「魔女さん?」
不思議に思って声をかけると、女の子……ヤコはばっと勢いよく顔を上げました。
泣きはらした顔をしたヤコに、ヘンゼルは思いがけずうっと息を詰まらせます。
「だしてよぉぉぉ……おねがいぃ……あ、謝り、ますから……」
赤い瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、僅かに残っていた魔法の粉を全て洗い流します。
ヘンゼルはその泣き顔に胸がぎゅうと締め付けられるのを感じ、あわてて格子を上げてヤコを出してやりました。
「ふぇ、ふぇぇぇ……うぇっ……ひぐっ……」
泣きながらしがみついて来るヤコを、怖いとは思いません。魔女であるかもしれませんが、閉じ込めてしまう程ではなかったかもしれないと思うと、罪悪感に胸が痛みました。
もっともヤコの方は、ヘンゼルを閉じ込めて太らせて食べるつもりだったので、彼らにはまったく非が無いのですが。
「ごめんね」
ヘンゼルは自分よりもまだ一回り大きいヤコの背中をぽんと叩き、そういって謝るのでした。
ひとしきり泣くと、ヤコは恥ずかしさのあまりにか、ふるふると震えながら自分の部屋に戻っていきました。
それを見送ったヘンゼルは、家を物色していたグレーテルに「思ったより悪い人ではないみたいだ」と伝え、これからの事を話し合うことにしました。
「とりあえず、暫くはここに居させてもらおう」
「……でも、魔女のおうちでしょ? 危ないわ」
「昨日の感じからすると、結構間が抜けてるみたいだから、大丈夫だよ」
「それもそうね。あっ、そうだわ、暖炉の上の箱に宝石がたくさん入ってたの! 帰る時はもらって帰りましょう」
ちなみに昨日のことですが、食事の時に出されたワインをさりげなくヤコに勧めて、酔わせて眠らせたというのが真相です。
このヘンゼル、町では神童として名高く、飢きんで食うに困った母親に商家に売られそうになったのを逃げてきたのでした。妹のグレーテルは歌が上手で、兄とは別々に売られそうになったので、一緒に逃げてきたのです。
「あれだけあれば、わたしたちを売らずに済むくらいにはなるわ」
「それはよかった」
「……よくないです」
笑顔で盗む算段をしている兄妹に声をかけたのは、ようやく部屋から出てきたらしいヤコです。
ふるふると震えながら片手に箒を持って、唇を噛み締めておりました。
「は、はやく、出て行きなさい」
「それは困るんだよね」
「今戻ったら、人買いに捕まっちゃうわ」
「知りません! で、出て行かないと、こうです!」
箒をヘンゼルに向かって振り下ろしますが、あっさりと避けられます。
毎日野山を駆けまわって過ごしていたヘンゼルと、毎日すりこぎや鍋とにらめっこをして過ごしていたヤコとではそもそも運動能力が違うのです。
ちゃんばらごっこなどしたこともありませんし、目の悪いヤコに向いているとは言えません。
「まあまあ、いる間は家事も手伝うから」
「あ、でも代わりにお母さんをいい人にする薬とか教えてくれない?」
「ず、図々しい!」
箒を掴まれ、ずい、と迫られて思わず手を離してしまいます。
あっという間に丸腰になったヤコは、ひい、と小さな悲鳴を上げて後ずさりしました。
「こうして箒で攻撃してくるってことは、すぐに攻撃できるような魔法は使えないんだね」
「そ、そんなことは……」
「それに、さっきの攻撃もへなちょこだったし、力も強くない」
「……」
「お兄ちゃん、この人ほんとうに魔女?」
「失礼な! 魔女に腕っ節なんかいらないんです! それに、私は薬師寄りの魔女ってだけで――あ」
ヤコは自分の口を手で多い、目の前に近づいてきたヘンゼルの笑顔を見て口元を引き攣らせました。
「……いえその、薬師寄りってだけで、ふつうの魔法もちゃんと……」
「うん、わかった。今日からよろしくね」
「じゃ、お母さんをいい人にする薬、よろしくね!」
「うううぅ……」
再び口をへの字にして目をうるませ、ヤコは自分の敗北を悟ったのでした。
◆
ふたりが家に居座って、数日が経ちました。
家事や雑用はしてもらっているものの、何故か薬の調合や魔法を教えるはめになり、ヤコはふんだり蹴ったりだと思いながら過ごしました。
グレーテルが欲しがった“お母さんをいい人にする薬”は、“周りの人の言う事を聞くようになる薬”で代用することにして、作り方を教えています。
「匂いが甘く変わったら、クコギの芽を刻んだのを入れて……」
「え、ちょっと待って、匂い? 色とかじゃなくて?」
「温度の変化でも構いませんが……」
「わ、わかんないわよそんなの!」
ただし、感覚の差でいろいろと困ったこともあります。
小さなころから目の悪いヤコは、必然的に匂いや音、温度や触感が鋭く育っているため、薬を作るときもそれらの感覚に頼ることが多いのです。なので元々視覚に頼りがちなグレーテルとはどうしても噛み合わない所が出てくるのです。
「じゃあ、魔女さんが一度自分で作ってみて、時間を測っておいたら?」
そういう時は、ヘンゼルの助言でほとんどが解決しました。
頭のよいヘンゼルは、薬を作るより魔導書を読んで何やらいろいろとしているようでしたが、なんとなく怖いのでヤコは口を出さないようにしていました。
「なるほど。お兄ちゃん、あったまいー」
「……あ、あと、そこに温度計もありますから。時計もそこに」
「じゃ、魔女さん、お手本お願いねっ」
「…………はぁ」
遠い目をしつつ、慣れた手つきで材料を用意し、流れるような動きで作業を進めていきます。
そうしてグレーテルは、順調に薬の作り方を覚えていきました。
夕方になると、作業をやめて、三人でいっしょに食卓を囲みます。
食べ物はたくさんあるので、グレーテルは見ていて胸焼けがするほどおかわりをしましたし、ヘンゼルはにこにこと楽しげに食事をしていました。
ヤコも、そんな二人を見ていると、いつもより少し食が進むようです。
何より、朝晩と挨拶してもらえるのは、思いがけずうれしいことでした。
ほんとうの魔女は眠りませんから、ヤコはほとんど“おはよう”と“おやすみ”を言った覚えも言われた覚えもないのです。
ヘンゼルとグレーテルは少しずつ、若い見習い魔女の心に住み着いて、離れなくなっていきました。
こんなに忙しい日々は、ヤコにとって人生で始めてで、気づけば日々は矢のように過ぎ去っていました。
グレーテルが薬の作り方を覚えたのは、ふたりが家にやって来てから十日ほど経った日のことです。ヤコのお墨付きを得て、グレーテルはいつにもましてにこにこと嬉しげな笑顔を浮かべ、ぼんやりとした視界の中ですらその喜びはヤコに伝わってきたものです。
「……あ」
その夜、ヤコは気づきました。
もうすぐ、師匠である魔女が帰ってくることに。
魔女はヤコと違い、攻撃するための魔法も使うことができます。ヤコがそういった魔法を使えないのは、まだ若く、魔法の力が少ないからなのです。
きっと魔女は、ヘンゼルとグレーテルを簡単に捕まえて、出かける前に言ったとおりにしてしまうことでしょう。
ヤコはそれを想像すると、胸が苦しくなりました。
きっとヘンゼルは格子の中からヤコを睨みつけるでしょうし、気の強いグレーテルがどんなにヤコを怒鳴るかわかりません。
明日、家に帰るように言おう、とヤコは決めました。
嫌われるくらいなら、離れる方がまだましです。きっと師匠には家に子どもがいたことなど分かってしまうでしょうし、怒られるでしょうが、それでも彼らに嫌われるのは嫌でした。
灯りで煌々と照らされた部屋で目を閉じて、ヤコは薄い胸をぐっと手で押さえるのでした。
次の朝、起きてきた兄妹に告げられた言葉に、ヤコは少なからず驚きました。
「……帰る?」
「うん、そろそろ帰って、父さんに無事を知らせたいからね」
「ついでに母さんに薬を飲ませるのよ!」
やる気満々の言葉に、決意の強さを知って、ヤコはスカートをぎゅっと握りしめました。
――そして、なぜか引きとめようとしていた自分に気づいて、更に力を強めます。
「そうですか。……では、これを差し上げます。どうせ、必要ないものですし」
宝石の詰まった箱を暖炉の上から下ろしてくると、ヘンゼルに手渡します。
元は魔女が食べた人間の持ち物でしたが、特に用途もなく放って置かれていたので、餞別代わりにしようと決めていたのです。
「ほんと!? も、もらっちゃうわよ」
「かまいません」
「ありがとう! また遊びに来るからっ」
「来ないでください」
師匠がいる時に来られたら困ると思ったので、わざと冷たい声音で言ったのですが、グレーテルは少しも堪えていないようでした。
ともあれヘンゼルとグレーテルは、迷子にならないまじないをかけたお守りを持って、ヤコには絶対に入ることのできない薄暗い森の中を帰って行きました。
「……」
残されたヤコは、暫くふたりの消えていった方を眺め、そして家に戻って行きました。
◆
「ただいま、ヤコ」
魔女が無事に戻ってきたのを、ヤコは笑顔で出迎えました。
家中を綺麗に掃除して、出来る限りヘンゼルとグレーテルの痕跡は消してあります。バレないとは思っていませんが、やらないよりはましです。
「変わった事はなかったかい?」
「いいえ、特にはありません」
「そうかいそうかい。そりゃよかったよ……ああ、あと、これはおみやげだからね。好きに食べなさい」
ごとん、と袋から出されたのは人間の子どもの体の一部に見えるものでした。
事実そうなのでしょうが、ヘンゼルとグレーテルと過ごした日々を思い出すと、とても食べる気にはなれません。
あいまいな笑顔を浮かべてお礼を言ったヤコを、魔女は大きな鉤鼻をぴくぴくとさせながらじっと見ていました。
魔女が戻ってきて数日も経つと、ヤコもいつもの調子に戻りました。
食事の要らない魔女とは食卓を囲むこともありませんし、睡眠の要らない魔女に“おはよう”と“おやすみ”は必要ありません。
これが“当たり前”なのだと自覚し直した頃、逆に魔女はヤコの変化をはっきりと感じ取っていたのです。
「……ヤコ、あんた、変わったね」
「何がですか?」
首をこてんと傾げると、部屋の隅にいた使い魔も同じ動きをします。どこか間の抜けた、愛嬌のあるしぐさは元々のものです。
けれど、魔女はにんまりと口を三日月形に曲げて笑いました。
「“何が”なんて聞くってことは、自分でもわかってるんだろう? ――やっと合点がいったよ。どうも妙なにおいがすると思った」
ちょうどそう言い終わった時、森の方から、子どもがふたり近づいてくるのが分かりました。
ヤコが気づいたということは、魔女はもっと早くに気づいていた、ということです。
目を見開き、そして口元を抑えて声なき声で叫びますが、もう何もかもが手遅れでした。
「ヤコ、前のおまえはそんな顔はしなかったよ」
魔女はそう言って部屋を出て行き、そして扉の向こうへ消えていったのです。
ヘンゼルとグレーテルを、出迎えるために。
「……っあ」
がしゃんと音を立てて、高価なガラスの器が手から滑り落ちました。
床に破片が散らばり、呆然としたまま床にしゃがみ込みます。
そして拾っても拾っても手からこぼれ落ちていく破片を、ヤコは、延々と拾い続けていました。
夕暮れ時になって、魔女が呼びに来て始めて、ヤコは随分と長い時間をかけて破片を拾い集めていた事に気が付きました。
「何してるんだい? ……ああ、割ったんだね。魔法で片付けりゃあいいのに」
杖をくるりと回して、風の魔法で破片をちりとりに纏めてしまいます。
冷静に考えてみれば、これくらいなら少し時間をかければ自分にもできる魔法です。ヤコは自分がひどく動揺していたことに気づいて、はぁ、と溜息を吐きました。
「ああ、そうだ。ヘンゼルとグレーテルっていう子どもがのこのこやって来たから、男の方は閉じ込めてあとで食べることにしたよ。グレーテルは、おまえの妹弟子になるからねぇ」
ひひひ、と気味の悪い笑い声を上げながら、魔女はヤコの手を引きます。彼らと知り合いだと分かって言っているのだと、ヤコは唇を噛みました。
グレーテルが自分に向ける視線を想像すると泣きそうになりましたが、なんとか足を動かして辿り着いた先には、予想とは違う光景がありました。
「お姉さま! やっといらっしゃったのね」
何故かふんわりと上品に微笑むグレーテルが、料理の乗った皿をテーブルに運んでいます。
あの気が強く元気なグレーテルとは全く結びつかない姿に、思わず数秒間固まってしまったものの、ヤコは怒鳴られなかったことについほっとしてしまいました。
「何だい、その顔は。……グレーテルや、準備はできたかい?」
「もうすぐですわ、お師匠様」
「ほら、ヤコ、何してるんだい。あんたも手伝うんだよ」
グレーテルの背を追うようにして台所に押しやられ、改めてグレーテルの顔を見ます。
彼女は前と同じ、悪戯っぽい笑顔を浮かべ、ヤコに向かってウィンクをしました。
「――お姉さま?」
「えっ、あ、なんでしょう」
「うふふ、相変わらずぼうっとしてらっしゃるのね。今日から姉弟子なんですから、もっとしゃきっとしていただかないと。ね?」
可愛らしく言いながら、彼女が袖口から何か瓶の口のようなものを覗かせたのを思い切り見てしまい、ヤコはびくりと肩を震わせました。
「そう、ですね……」
「お姉さま、あとはこれを運んでくださるかしら。お師匠様の前にね」
言われるがままに運びましたが、胸はどきどきと高鳴っています。
食事の必要ない魔女ですが、今日ばかりはグレーテルの歓迎会のつもりなのか、食事をとるようです。というか、恐らくはグレーテルがそう誘導したのでしょう。
三人で食卓を囲み、食事を初めます。
暫くは穏やかな空気が流れていましたが、最後に運んだ料理に魔女が手を付けたのを見て、ヤコはほんの僅かに息を吐き出します。
それから、もう後戻りはできないと、覚悟を決めました。
そして程なくして、魔女が顔色を変えました。
「グレーテル……!」
グレーテルが猫をかぶったような笑顔をやめて、いつもの笑顔を浮かべます。
ヤコは疲れたような溜息を吐いて、グレーテルに視線をやりました。
「……グレーテル」
「見てたじゃない。同罪よ」
「…………うう、師匠、ごめんなさい。恩知らずですいません」
薬の効果に抗うように、魔女が苦しみながら杖を手に取りました。
ヤコは魔法を使われてはたまらないと思って手を伸ばしますが、魔女の後ろに現れた人影がありました。
「おっと、これは没収」
「あ、お兄ちゃん」
そこに居たのは、何故かヤコと同じ年頃に成長した姿のヘンゼルでした。
彼はあっさりと魔女の手から杖をむしり取り、どこからか出した縄でその手首を縛ります。
あまりの手際の良さに、ヤコも少し驚きました。
「やあ、魔女さん……じゃなくて、ヤコ」
「改めて、久しぶりね。ちなみに飲ませたのは例の薬の改良版で、効果は4日しかないから、安心してね!」
「……色々と突っ込みたいですが、とりあえず、どうも」
グレーテルが勢いよくヤコに抱きつき、ヘンゼルもどさくさに紛れてグレーテルを抱きしめます。
ふたりを抱きしめ返してから、ヤコはちらりと床に転がっている魔女を見ました。
件の薬は、飲ませてしばらくは気を失うのです。今なら、何を話しても大丈夫でしょう。
「どうして来たんですか?」
「会いに来たのよ」
「あと、お礼を言いにね。君のおかげで売られずにすむよ、ありがとう」
「……そう。で、何でこんなことに」
「それはね――」
――ヘンゼルは実のところ、この家を出る前に魔女の存在に気づいていました。
壁に貼ってあった暦についた印や、家にあったヤコとはサイズの違う服など、気付くだけの材料は家中に散りばめられていたのです。
彼は、自らの問題を解決してからここに戻ろうと、あの日すでに決めていたのでした。
「なるほど、あらかじめ対策は取っていたんですね」
「多分、あの物置はそういう用途なんだと思って、帰る前に鍵の開け方も調べておいたんだ。わざと閉じ込められたのは、グレーテルが薬を盛る隙を作るためだけど」
「……うわあ……ところで、その格好はなんです? まさか、時の魔法ですか?」
「そのまさかだよ」
成長した姿は、時の魔法、という魔法によるものです。
この家に居た間に読んでいた魔導書から、ヘンゼルはいくつかの魔法を覚えていたのです。
元々才能があったのか、それとも頭の良さで補ったのか、杖もなしに平然と魔法を使う姿にヤコは今更ながら驚きました。
「一応聞きますけど、何のために?」
「せめて同じ目線に立ちたいから。あと、せめて体格くらい良くないと魔女に勝てないかなと思って」
「……えっと? ……はあ」
生返事を返したヤコを見て、グレーテルが小声で「伝わってないわ!」とヘンゼルに言います。
その声もばっちりヤコに聞こえているのですが、本人は声を潜めているつもりです。
「ええと、つまりね」
「がんばれ、お兄ちゃん!」
「……僕は、本当は、君を迎えに来たんだ」
流石のヤコも、これには驚いた顔をしました。
幼い子どもの姿なら可愛らしかったヘンゼルですが、成長してみるとこれがまた涼やかな美青年です。ボーイソプラノだった声も低く、そして甘い声音に変わっており、思わず頬を染めてしまうほどでした。
「そ、それは、どういう意図で……」
「好きだってことだよ」
そして今度こそ真っ赤になったヤコに、グレーテルが会心の笑みを浮かべます。
「だから、一緒に来てくれる? ……魔女にはなれなくなるけど、また一緒に暮らしたいんだ」
差し伸べられた手は、ヤコの手よりも大きく――頼もしく見えました。
ヤコは、その手とヘンゼルの顔を交互に見て――
◆
「……それで、どうしたの?」
「その時は、断りました」
「ええー!? 完全に頷くとこだよ、そこ。もー、おばさん、ほんとに空気読まないよね」
「余計なお世話です。あと、おばさん言うな」
むかしむかし、森の奥のお菓子の家に、見習い魔女がおりました。
「でも、結婚したんでしょ?」
「ええ。それにしても師匠には悪い事をしました――何せ、二度も盛りましたからね」
「何を?」
「あなたのお母さんがまず心を操る薬を、それから私が記憶を操る薬を。まったく、忘れたい過去です……まあ、おかげでふたりが家に来るのが楽になりましたが」
お菓子の家を訪れたヘンゼルとグレーテルは、見習い魔女と仲良くなりました。
「ちなみに、六年ですかね」
「何が?」
「その時から、結婚するまでです。ちなみに付き合うまでも二年」
「ええー!?」
見習い魔女ははじめての友達を守るために、尊敬する師匠を裏切りましたが、
「という訳で、私の娘を落とすなら相応の覚悟をしておくように」
「……うん、肝に銘じとく」
「ああ、本当に思い出したくない過去です。師匠の記憶を弄って、そのまま自分どころかグレーテルの教育までさせるなんて…………まあ、今年も贈り物を弾みますかね」
「おばさんってやっぱ変。脳天気っつーか」
「お黙りなさい。――おや、そろそろ帰ってきたようですね」
何はともあれ、幸せになったのは確かなようです。
後で加筆予定です……(
ヘンゼルとグレーテルをベースに、だいぶいじくり回しました。
惜しむらくは変態分とヤンデレ分が足りなかったことです。
●ヤコについて
・名前の元ネタは某少女漫画から、やっこちゃん。ほんとに名前だけだなー
・目が悪いのはヘンゼルとグレーテルの魔女から
・あと夜盲症のような何か
・17~18歳くらい 胸は微 黒髪・赤い目
・後にヘンゼルからメガネを贈られて世界が変わった
・かなり間の抜けた性格。メガネを贈られた後はまず間違いなく数日に一度は古典的ボケ(頭に乗っけてメガネメガネ)をやらかすに違いない。
・魔女としては、年の割に優秀、という評価。ただし若いので魔力は少ない
・基本的に魔導書は読み聞かせで修得