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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『きみの家まで』
54/56

繋がらない

 学校まで早足で登校して、軽く息を切らしつつ昇降口に飛び込んだ。上靴に履き替えるのもそこそこに隅っこで携帯を開く。画面には雄大からのメールも着信も表示されておらず、走った所為で速いリズムを刻んでいた胸が思いきり締め付けられて息が詰まった。

(おはようも無いなんて……!)

 今どこで何をしているのだろうか。震える手でメール画面を開いて、[おはよう]や[何してる?]などの短い文面を幾つも書いては消してを繰り返して携帯を握り締めた。隣家を売ってしまうかもしれない事の真相が知りたくて書き込もうとしたけれど、何をどう書いていいのか分からず唇をきゅっと噛み締める。

 メールではどうにもならない気がして、思いきって通話ボタンを押した。しかし、電話の向こうでは規則正しい呼び出し音が鳴るだけで、優しい声で名前を呼ばれる事は叶わなかった。はやる気持ちと戸惑いが体中を渦巻いてじわりと涙が浮かぶ。

(どうして出てくれないの?)

 呼び出し音が鳴っているのだから、先日の様に電池切れではないだろう。鞄に入れっ放しで気付いていない? それとも何か他に理由があるの?

 辺りのざわめきに埋もれて電話の音が遠くに感じる。込み上げる熱いものを必死で堪えたけれど止める事は出来ず、鼻腔にツンとした痛みが刺さった。


「晶?」

 立ち尽くす私の背後から聞き慣れた声に呼び掛けられて振り向くと、其処に居た梅香が目を丸くして私を見つめた。

「え、ど、どしたの?」

「梅ちゃん……」

 何事かと心配げなその顔を見た途端、懸命に引き締めていた涙腺が弛んで大粒の雫が数滴、頬を伝った。

「ちょっ、え?」

 慌てた梅香が私の手を引いて、教室とは反対の方向に足を向けた。引かれるまま廊下を進んで、誰も居ない処で立ち止まる。

「どうしたの……?」

 怖ず怖ずと尋ねた梅香に直ぐには答えられず、溢れた涙を制服の袖でぐいと拭う。それを見た彼女がわたわたとポケットから綺麗に畳まれたハンカチを出した。受け取れずに立ち尽くしていると、その赤いチェックの柔らかい布で濡れた頬をそっと拭ってくれた。

 そのまま私が落ち着くのを待ってくれた梅香を前に深呼吸をして、隣家に新しい人が来るらしい事をたどたどしく伝えた。

「え……あの家売っちゃうの?」

 やっぱりそう思うよね。もう帰って来ないから売却する、それは当たり前かもしれないけれど、胸が潰れそうに痛くて堪らない。

「ユータくんに確認した?」

「……メールも無いし、電話も繋がらない」

「そっか……」

 訪れた沈黙が重い。再び溢れそうな涙を必死で堪えて唇を噛み締めた私の名を心配そうに呟いた梅香の声に、鳴り始めた予鈴の音が重なった。


***


 授業中はずっと上の空で、終わった瞬間鞄を抱えて教室を飛び出した。部活は休むと昼休みの間に同じクラスの子に言付けておいた。

 休み時間の度に開いていた携帯にはユータからの着信を知らせるものは何も無く、念の為問い合わせをしてみても、新規メールは0件という無情な表示が出ただけだった。

 帰路を辿りながら電話したけれど、やはり規則正しい呼び出し音が聞こえるだけで、ズキズキと疼く胸が更にその痛みを増した。

「ユータっ……」

 乱れた息の合間に無意識に名前を呼んだけれど、当然ながら応えてくれるものは何も無い。此処に居ない彼の存在の大きさを改めて感じて、反応の無い通信機器を胸元でぎゅっと握り締めた。

 呼び掛けたら答えてくれる。手を伸ばしたら触れられる。当たり前だったそんな日常は、この上なく幸せだったと思い知った。

 逢いたい。せめて声が聴きたい。今どこで何をしているの?

 そんな事ばかり考えていたら、いてもたっても居られなくなって家へと飛び込んだ。自室へと駆け上がって引き出しの奥から有りっ丈の小遣いを引っ張り出す。そして着替えるのもそこそこに、ダイニングテーブルに『ユータに逢ってきます』というメモを残して家を出た。


 一人で知らない土地に行くのは勿論抵抗が有る。しかも、行き先の住所を知っている訳でもない。分かるのは学校名と、引っ越し先の最寄り駅だけだ。大分前に教えてもらったその駅名を懸命に思い出しながら切符を購入した。

 数駅先で新幹線に乗り換えて一息吐くと、今更ながらに怖さに襲われた。でももう後戻りは出来ない。雄大に逢いたい、その気持ちだけが今の私を支えている。

 デッキでもう一度携帯を鳴らしてみたけれど、やはり雄大が出る事は無かった。窓の外に拡がる薄いオレンジ色に身体が包まれて、綺麗だと思うよりも不安がつのって落ち着かなく姿勢を変える。不意に手の中の携帯が着信を告げてビクリと身体が跳ねた。しまった、マナーモードにするのを忘れていた。

 携帯を取り落としそうになりながら慌てて開いた其処には、雄大ではなく自宅からの着信が表示されていて思わず溜息を吐き出した。いくら明日が休日だからと言って、今までした事が無いこんな突飛な行動は叱られるに決まっている。再び重い溜息を吐き出しつつ、通話ボタンを押した。

「もしも……」

『晶ちゃん?! 今どこ?!』

 もしもしすらも言う暇は無く、耳元で発された大きな声に思わず眉をしかめて電話を耳から離した。

「いま……新幹線の車内」

『ええっ一人で?!』

「……うん」

『行き先分かるの?』

「……多分、近くまでは」

 小さな声で告げた私に、返事の代わりに溜息が返ってきた。

『お金有るの?』

「まあ……ギリギリかな……」

 一応、帰りの電車賃ぐらいは残っている筈だ。隠しても仕様がないので正直に打ち明けると、またしても溜息を零された。どんなお小言が飛んでくるかと身構えた私に、再度の溜息と共に『電話は出なさいよ』と一言告げられた。

「え……うん」

『気をつけてね。坂井さんによろしくね』

 怒られる事も無く、呆気なく終了した電話を暫し呆然と眺めて、ふと気が付いて慌ててマナーモードにした。そしてそっと鞄に戻して窓の外に視線を移す。オレンジだった景色は深い茜色に染まって窓越しに私の身体を包み込んだ。


***


(ここ……だよね?)

 新幹線から在来線に乗り継いで数十分後、静かな駅に降り立った。辺りはすっかり夕闇に覆われていて人気ひとけもあまり無い。看板には確かに教えてもらった駅名が表記されているけれども、本当に此処で合っているのだろうか。不安になる。

 辺りをきょろきょろと見渡して駅のベンチにそっと腰を下ろす。そして携帯を開いて、履歴から雄大の番号を選択した。ドキドキしながら暫く待ってみたけれど、やはり繋がる事は無く、繰り返される呼び出し音を聞いただけだった。

「ど……して?」

 もう既に辺りは真っ暗だ。こんな時間なのに、どうしてまだ電話に出てくれないの?

 とてつもない不安に襲われてぎゅっと携帯を握り締める。気温は高いのに手の震えが治まらない。どうしよう。家知らないし、何も無しで辿り着ける訳が無い。何よりも、今朝から一度も電話に出ないのが私に対する拒否だったりしたら……

 悪い考えばかりが頭の中を渦巻いて、どうしようもなく熱いものが込み上げた。

 堪えきれずに一筋流れた雫を指でくいと拭って、とりあえず自宅に電話しようと再び携帯を開いた時、不意に遠くから「アキラ!」と叫ばれて呆然と顔を上げた。

 線路を挟んだ向かいのホームの更に奥に有る、改札の向こうに逢いたかった顔を見つけて思わず立ち上がると、膝の上に置いていた鞄が落ちて中身がバラバラと散らばった。

 慌ててそれを掻き集めていると「待ってろ!」と声が飛んできて、「え?」と顔を上げた時には既に雄大の姿は其処には無かった。

 何処に行ってしまったのかとキョロキョロしていると、こちら側のホームの隅に有る階段から息を切らした雄大が現れた。

 逢えた事に安堵した途端、涙腺が弛んでボロボロと雫が落ちる。

「え、ちょっ……」

 慌てて近寄ってきた雄大の背中に腕を回してきゅうっと抱き着くと、一瞬硬直した雄大がやがて怖ず怖ずと抱き締め返してくれた。

 その温もりに安心して身を委ねていると、不意に「馬鹿」と険しい声が降ってきた。唐突に言われたそれを頭の中で処理出来ずに、「え?」と聞き返すと大きな溜息と語気の荒い台詞が吐き出された。

「え? じゃねーよ。行き先も分かんないのに飛び出してきて」

 正論だ。逢えたから良かったものの、もう少しで知らない土地で野宿になるところだった。雄大が怒るのも無理はない。

 身体を離しつつ、しゅんとして「ごめんなさい」と俯くと、再度大きな溜息を吐き出した雄大に「馬鹿」と力一杯掻きいだかれた。

「ごめんー……」

 雄大の胸に額を埋めて、込み上げる嗚咽に身体をヒクヒクと震わせていると、暫くしてそっと頭を撫でてくれた。髪を滑るその手に心底安堵して、我慢していた分の涙を一気に溢れさせた。


***


 散々泣いて漸く落ち着いた頃、ベンチに座る様に促されて腰を下ろす。

「どした? 急に」

 優しく問われたそれに「…………逢いたくて」とぽつりと告げた。

 色々言いたい事や訊きたい事は有ったけれど、何よりも先に出た気持ちを告げると、雄大の頬が一気に赤く染まった。

「あー……うん、おれも」

 その頬を軽く掻きながらモゴモゴと言われた様が少し可笑しくてふっと笑いを零すと、「なんだよ」と口を尖らせた雄大がふと「行くぞ」と立ち上がった。

「え……何処に?」

「おれん家」

 手を引かれて改札を出て、歩くのかと思ったら無言で歩み寄ったのは券売機の前。ポケットから千円札を取り出して其処に入れる雄大をぱちくりと瞬きをしつつ見つめていたら、ちらりとこちらを見遣った彼が小さく溜息を零してボタンを押した。

「……でも本当、逢えて良かったよ」

 改めてはーっと吐き出された溜息の後、先程よりも強く手が繋がれた。

「アキラの母ちゃんからうちに電話掛かってきてさ」

 そうか……さっきの電話の後、母が坂井家に連絡してくれたのか。私は知らなかったけれど、母には自宅の電話番号が伝えてあったんだな。

 雄大が迎えにきてくれた理由に成る程、と内心頷いて顔を上げると、険しい顔をした雄大が居た。

「すっげー心配したんだからな」

「……ごめん」

「アキラは時々無茶するよな」

 溜息を吐かれたけれど其処に反論の余地は無く、口をつぐむしかない。

 程無く出て来た切符の一枚をハイと渡されて思わず受け取ると、元来た駅の構内へと戻っていく。

「え?」

 どうして戻るのだろう。此処が最寄り駅の筈だけど。

 動揺した私の心の内を読んだかの様に、振り返った雄大が再び小さく溜息を零した。

「駅っつったら此処しか教えてない様な気がしてさ」

「うん……この近くなんでしょ?」

「学校がな」

「……へ?」

(え、家じゃなくて学校? 私の勘違い?)

 目を丸くして頓狂な声を出した私に何度目かの溜息が降ってきた。

「ごめん」

 軽いパニックになっているところに突然謝られて呆然と顔を上げると、申し訳無さそうに眉根を寄せた雄大の顔が有った。

「おれの所為せいだよな、アキラがこっち来たの」

「あ……えと」

「今朝から携帯見当たらないんだよ」

「へ?」

 ぱちくりと瞬きをすると、再度「ごめん」と呟きが降ってきた。

「昨日、バイトから帰ったらすげー眠くて」

 バイトしてるんだ? 初耳の情報に吃驚びっくりして雄大を見上げると、ポリポリと頭を掻いた彼の視線が前方に移った。

「それで、バタッと寝ちゃって、朝起きたら無いんだよ」

「ええっ……バイト先に忘れてきたとか?」

「……マズいな」

 携帯失くすと色々と困るよね。忘れただけでも何となく不安なのに。そう思いながら眉をしかめて頭をガシガシ掻く雄大を見ていると、ふと目が合った彼の頬が僅かに染まって、視線が向こうに逸らされた。

 その反応が少し気になったけれど、程無く入ってきた電車に乗り込んで揺られる内に、気が抜けたからか猛烈な眠気に襲われて意識が遠退いた。

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