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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『きみの家まで』
51/56

花火

「こんなもんかな。うんバッチリ」

 時は流れて夏祭り当日、まだ陽も高い内から浴衣を着込んで四苦八苦しながら帯を締める。自分で締めるなんて絶対無理だと思っていたけれど、梅香の指導が良いのかそんなに不格好にもならず、背中にリボンの様に帯が盛られて乗っている。

「やっぱりこの色で正解だったよね」

 梅香と一緒に買いにいった浴衣は、落ち着いた紺地の裾に色とりどりの蝶が舞っていて、控えめに小花の散らされた臙脂色の帯がセットで付いていた。

「髪も上げよっか」

「え?」

 ものすごく張り切った梅香に反論する余地は無く、言われるまま鏡の前に座って髪の毛をアップにしてもらった。後頭部の上の方で和柄のシュシュとピンによって纏められた髪の毛先が一筋垂れてうなじくすぐっている。それで終わりかと思ったら、更に化粧ポーチも出てきて幾つかの色が肌に乗せられた。

 慣れない事の連続にふーっと息を吐き出した私に「うんバッチリ」と再び口にした梅香にハイと鏡を向けられて中をまじまじと覗き込む。

「なんか目蓋がキラキラしてるけど」

「うん、ちょっとラメ入ってるから」

「……派手じゃない?」

「ええー、こんなに控えめにしたのに」

 控えめなのか。普段メイクとかほとんどしないから、鏡の中の自分が何だか別人の様に思える。浴衣も化粧もどうにも落ち着かなくてそわそわしている私とは対照的に梅香はとても満足そうだ。

「晶って和服似合うよね。オトナっぽくていいなー」

「老けてる?」

「違う違う、何て言うのアデヤカ?」

 艶やかなんて初めて言われた。梅香の言う事だし多分に盛ってあると思うけど、褒められて悪い気はしない。

「ユータくんもきっと気に入ってくれるよ!」

 そうだったらいいな。小さい頃ならともかく、浴衣姿なんて初めて見せるから緊張してしまう。時計に視線を移すと、午後4時半を少し回った所だった。

「5時半に鳥居の前で待ち合わせだっけ?」

「うん」

 夏祭りが行われる神社の前で待ち合わせの約束をしたのだ。駅からは家に来るよりそちらの方が近いから。今は未だ列車の中だろうか。

「けどユータくんすごいね」

「うん?」

「これの為に朝から電車乗ってるんでしょ?」

 そうなのだ。交通費を削る為に青春18きっぷを利用して9時間程掛けて来てくれるらしい。何だか申し訳ない気もするけれど、そこまでして夏祭りに来ようとしてくれる事はとても嬉しい。思わず口の端を弛めた私はニヤリと笑った梅香に突つかれて、熱かった頬に益々熱を昇らせた。

 再度時計を見遣って、膝の上で軽く握った両手にふーっと息を吐き出す。もうすぐ雄大に逢えるかと思うと知らず鼓動が駆け足を始めた。

「梅ちゃんも彼氏と待ち合わせだよね?」

「うん、そろそろ行こうかな。晶も一緒に行く?」

「うーん……」

 梅香は5時に鳥居の前で待ち合わせらしいから、そこから30分は1人で待たないといけない。しかし此処から神社まで1人で歩いて行くのも淋しい。少し悩んだけれど、家でそわそわと時計とにらめっこをするのも何だか落ち着かないので、梅香と一緒に出る事に決めた。

 恐る恐る初めての下駄を履いて一歩踏み出すと、足元でカランコロンと軽やかな音が響いた。その音につられて鼓動もドキドキと踊る。「いってきます」と告げると、母にも浴衣姿を褒められて上機嫌で家を出た。

 神社が近付くにつれて益々高鳴る動悸を浴衣の上からぎゅっと押さえると、手のひらに伝わる速いそれを感じて、落ち着くどころか益々緊張が高まった。


 5時少し前に鳥居に到着すると梅香の彼氏は既に其処で待っていて、私の隣に居る親友に和やかに手を振った。彼に軽く会釈をして辺りを見渡したけれど、雄大の姿は見えなかった。5時過ぎに駅に到着する予定なのだから当然と言える。

「ユータくんが来るまで一緒に居ようか?」という申し出を丁重に断って、梅香とその彼氏に手を振って別れを告げた。此方こちらを何度か振り返りつつも彼と楽しげに談笑しながら去っていく様を羨ましく眺めて巾着から携帯を取り出した。そっと開いたそこに表示された時刻は17時02分。

 もうすぐ着くかとそわそわしながらメール画面を開いて[着いたよ]と短い文面を打ち込んで送信した。返信が有るかと携帯を開いたまま画面を見つめていたけれど、それが着信を告げる気配は無い。

 車内はマナーモードだろうし、気付かなかったという事は充分有り得る。他の事をしていて返信出来ないのかも。まさか、寝てる?

 普段なら返信が少し遅れたからと言って特に気にしないのだけれど、ひたすら待っている今は些細な事が気になって仕方が無い。こんな小さな事で息が詰まって、胸がぎゅっと圧迫された様に感じる。

 携帯を握り締めたまま辺りをキョロキョロする私に時折刺さる視線を感じる。そんなに落ち着いてないだろうかと恥ずかしくはあるが、どうにも無意識にそわそわしてしまって止められない。

(早く来ないかなあ……)

 再度確認した時間は5時25分頃になっていた。駅から10分程度の距離だからそろそろ来てもおかしくない筈だけれど、未だ姿は見えない。そして、メールの返信も来ないままで深々と溜息を吐き出した。

 先程から何度も確認した、駅へと続く道をもう一度見渡して手元に視線を落とす。約束の時間を数分過ぎてしまった携帯の画面を眺めてきゅっと口を引き結んだ。体内を嫌な鼓動が速い速度で廻る。[今どこ?]痺れを切らして送信したメールにはやはり何の反応も無くて泣きそうになった。震える手で掛けた電話には、電波が届かないか電源が入っていないと無情なメッセージが返って来ただけだった。

「……どこに居るのよー……」

 すっかり沈んで立ち尽くす私の周りを楽しそうな人達が沢山通り過ぎていく。不安な面持ちで重い溜息を吐き出した後、下唇をきゅっと噛んで携帯を強く握り締めた。


 同じ所に立ち尽くして一体どれぐらいの時間が流れたのだろうか。辺りはすっかり暗くなっていて露天の軒先に吊られた提灯ちょうちんが眩しい。

 遠くから花火の奏でる音と歓声が風に乗って運ばれて来た。あの花火を2人で見る予定だったのに。去年は緊張して喋れなかった雄大と色んな話を笑ってする筈だったのに。

 どうして此処に居ないの? どうして何の連絡も無いの?

 相変わらず繋がらない携帯がぎゅっと胸を締め付ける。目映まばゆい数々の光がじんわりと滲んで鼻腔が熱いものに満たされた。

 込み上げるそれを必死で堪えて俯くと、ふと人影が近付いてくるのを感じて再び顔を上げた。

「ねえ君ひとり?」

「ひとりだよね。ずっと立ってるの見てたよー」

「カレシ来ないの? 俺たちと花火行こうよ」

 其処に居たのは雄大ではなかった。全く見知らぬ大学生ぐらいの男性が3人。鳥居を背にして自分より背の高い人達に囲まれた事で滲んだ光が遮られて、紺地の浴衣に濃い影が幾重にも落ちた。

「や、あの……」

 おろおろする私の手首は彼らの内の1人に無造作に掴まれて、鈍い痛みと嫌な感覚がぞくりと背筋を駆け上がる。

「は、放してくださいッ」

 懸命に絞り出した声は男たちの嘲笑に掻き消された。

「わー可愛い声ー」

「向こう行ってさ、一緒に遊ぼうよ。ヨーヨー釣りでもする?」

(嫌。嫌だ。放して。助けてユータ……!)

 声に成らない悲鳴を上げて固く目蓋をつむった時、掴まれていた手首が解放されたのを感じてそっと瞳を開く。目の前には私を庇う様に立った大きな背中が有って、その向こうから先程の彼らの語気の荒い声が放たれた。

「誰だお前!」

「そっちこそ誰?」

 乱暴な問いかけに対して静かに怒りを込めた声が耳に響いた。聞き間違える筈の無いその声に涙腺が弛む。目前にあるTシャツを両手できゅうっと握り締めると、より一層背中にすっぽりと収まる様に腕を拡げて後ろに隠してくれた。

 暫く睨み合っていた様だけど、「おれの彼女になんか用?」と低い声で重ねて訊いた雄大に苦々しい表情で舌打ちをして去っていった。

 彼らが居なくなっても固まったまま雄大の服の背中を握り締めていると、振り返った彼から「アキラ」とずっと聴きたかった声が降って来た。その声に益々泣きそうになって服を掴んだまま背中に額を埋めると困惑した様に「……遅れてごめん」と呟いた。

「バカ」

「あー……ごめん」

 そんなに優しく言われたら弛む涙腺を止められない。泣いたら目元や頬が真っ黒になるんじゃないか、という思いだけが辛うじて号泣を踏み留まらせている。

 背中にぴったりとくっ付いたまま立ち尽くしていると、不意に雄大が慌てた様に手を振った。シッシッと何かを追い払う様なその仕草にキョトンとして後頭部を見上げる。

「どうしたの……?」

「あ、いや何でも」

 慌てる雄大の声が『何でもない』を明らかに否定している。更に「なに?」と突っ込むとばつが悪そうに頭を掻いて「ちょっと」と口篭もった。

「……クラスの奴らが其処に居てさ」

「え?」

「アキラの顔は見えてないと思うけど……」

 此処に居るという事は雄大の今のクラスメイトではないだろう。以前のクラスメイトだとすると、それは現段階での私の級友だ。その彼らに、雄大の背中にべったりくっ付いているところを目撃されたのか。

 顔に熱が昇るのを感じて慌てて腕の分だけ身体を離した。花火のお蔭で多少はまばらになっているが、結構な人の前でほとんど抱き着く様にしていたなんて。認識した途端、恥ずかしさに湯気を噴いた。片手の甲で口元を覆う様にしてクルリと雄大に背を向けると、暫く黙って立っていた雄大がもう一方の手をそっと取った。

「こっち、みて」

 頭の直ぐ後ろでボソリと言われた言葉に益々体温が上がる。きっと真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて後ろを向いたまま固まっていると、僅かに喉を鳴らした雄大が「……会いたかった」と呟いた。

 私も。私もすごくすごく会いたかった。雄大にも梅香にも言えなかったけど、本当は胸にぽっかりと穴が開いた様な、不意に締め付けられる様な不安な気持ちで毎日を遣り過ごしていた。

 思いが溢れ過ぎて一言も発せないまま立ち尽くしていたら、後ろから伸びた雄大の腕に抱きすくめられた。思わず息を呑んだ私のうなじに吐息が掛かって何かが背中を駆け上がる。

「ちょっ……ユータっ」

「んー?」

「はっ放っ……!」

「ヤダ」

 誰が見ても抱き締められているこの状況は先程の何倍も恥ずかしく、本気で顔から火を噴いた。暴れると浴衣が着崩れてしまいそうで硬直したまま動けない。

「こっち向く?」

「向く! 向くからっ」

 考える間もなく答えると漸く解放されて、口にした通り怖ず怖ずと雄大の方を振り向いた。同時に、雄大の背後から向けられる好奇な視線が刺さって何とも居たたまれない。

「お……おかえり」

「ただいま」

 見つめる雄大の瞳から僅かに逸らして告げた言葉に、にっこり笑って返されて胸がキュンと締まった。

「あ、あの……花火でも観に行かない?」

 見惚れてしまった事を誤摩化す様に早口で提案すると「うん」と微笑んだ雄大に手を繋がれた。ふわりと絡んだ指から速い鼓動が全身を廻って再び視線を落とした。

「もう半分ぐらい終わった?」

 言われて携帯を開くと8時20分近い。確かに大分終わってしまったかも。そう言うと雄大が申し訳無さそうに何度目かの「ごめん」を口にした。

「…………ううん」

 無事に来てくれたのだから、それでいい。それは勿論本心だけど、正直言うとすごく心細かったし何故来てくれないのかと内心ではなじってしまった。雄大の身を心配するよりもそんな事を考えてしまった自分が嫌で密かに唇を噛みしめる。

 黙って俯いた私を覗き込む様に見た雄大が暫く無言で花火会場に向かって歩いた後、ふと歩みを止めて元居た神社へと引き返し始めた。

「え、ユータ?」

 びっくりして呼び掛けたけれど雄大の足は止まる気配が無く、私は引っ張られる様にカラコロと忙しなく下駄の音を響かせる。何処に行くのかと思ったら、着いた所は境内の裏手にある丘だった。まさかこれを登る気だろうか。一応道は有るとは言え、舗装もされていない山を履き慣れない下駄で登るなんて無理だ。若干血の気が退いた顔で坂の上を見上げていると不意に身体が浮いた。

「きゃッ」

「しっかり……掴まってろよ」

 両膝裏と背中をそれぞれの腕に抱えられて雄大の横顔が直ぐ傍に迫る。これは所謂いわゆるお姫様抱っこって言うものなのでは……?! 頭が真っ白になった状態でひたすら雄大の首にしがみ付いていると、1分程登ったところの大きな岩にそっと下ろされた。身体は地に着いたけれど緊張の余りに未だ首元に抱き着いたままでいると、黙って立っていた雄大の手が、やがてゆっくりと背中に回ってきゅうっと抱き締められた。

 跳ね上がった鼓動は、木立の間から覗いた大輪の花の音に混じって体内で大きく響き渡り、照らされた横顔に新たなドキドキが胸で踊った。

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