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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『きみの家まで』
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夏祭り

「ごちそうさま」

「あら、晶ちゃんもういいの?」

「うん、美味しかった」

 母に笑って告げながら食器を浸けて自室へと階段を上る。部屋に入ってひとつ大きな伸びをしたあと椅子に掛けて、机に置いたままの教科書とノートを開いた。

 雄大が転校して一週間が経つ。時々感傷に浸っていたけれど、目前に期末テストが迫ってそれどころではなくなった。大学はまた一緒に行こうと約束したのだから、まずこのテストをクリアしないとどうにもならない。

 良く分からない問題を悩みつつ解いていて教科書を数ページ捲った頃、着信を告げた携帯に手を伸ばす。

[テストもうすぐ?]

 雄大から送られた短いメールに小さく笑みを零して[そうだよ、3日後]と返信すると、直ぐに[一緒だ]と返事があった。

[頑張ってる?]

[勿論]

 嘘だ。こんな風にメールを送ってくるのだから雄大もきっと暫く勉強して飽きたのだろう。机に向かって1時間半程経った今、私もちょっと疲れて息を吐いていたところだから人の事は言えないけれど。そんな中入った雄大のメールはいい気分転換になった。もう一踏ん張り頑張ろうかな、と思ったら新たにメールが舞い込んだ。

[来月の夏祭り、行く?]

 雄大の指した夏祭りとは毎年8月下旬に行われる地元のお祭りで、小規模だけれど花火も上がるそれは子どもの頃からの夏の楽しみだった。小さい頃は良く雄大の家族と一緒に出掛けたものだ。去年は雄大に初めて誘われて嬉しかったけど、緊張してろくに顔を見る事も出来なかった。もちろん手を繋ぐ事も無く、何となく花火を見て口数少ないまま帰ってきた様な気がする。折角行ったのに、今にして思えばあれは初デートだったかも知れないのに、緊張の余りほとんど覚えていない自分が悲しい。

 そんな事を思い返して若干沈みつつ[行かないよ]と返信して深々と溜息を吐いた時、静かな部屋に電話の着信音が大きく鳴り響いて身体がビクッと跳ねる。慌てて通話ボタンを押すと、そこには掛けてきたくせに無言の雄大が居た。

「ユータ……?」

 怖ず怖ず呼び掛けると、沈んだ声の『なんで?』が返ってきた。

「え?」

 なんでって……祭りに行かないと言った事に対する質問だろうか。

(だってユータと行きたいのに)

 心の中で思わず即答して勢い良く湯気を噴いた。口にするにはちょっと勇気が居る言葉だ。

「だって…………行ってもつまんないし」

 自分としては精一杯の気持ちを伝えてみたのだけど、電話の向こうの雄大は益々押し黙ってしまった。暫くの沈黙の後、派手に溜息を吐かれて胸がざわつく。言い方が悪かったかな。やっぱり電話越しじゃ、はっきり言わないとうまく伝わらないのだろうか。

 ドキドキと速まる鼓動をぎゅっと握り締めて、改めて最初に浮かんだ気持ちを口にしようとしたら『今年は頑張るから!』と張り上げられた声が耳に飛び込んだ。

「へ?」

『だから、去年は一杯一杯でアキラに嫌な思いさせたかも知んないけど……』

「え、あの」

『それは悪かったけど、でも一緒に行きたいんだよ』

(一緒に? 一緒にって……)

「誰と?」

『はあ?』

 思わず聞き返した台詞に素っ頓狂な声が返ってきた。数秒の沈黙の後で軽い溜息と呆れ声が耳に響く。

『……アキラに言ってんのに、他に誰と行くって言うんだよ』

 ふて腐れた様に告げられて心拍数が上がる。

(私と、夏祭りに? それって、帰って来るって事? 来月? 本当に?)

 思いも掛けない台詞に頭の中が溢れ帰って何の言葉も出せず金魚のように口をパクパクと開閉していたら、電話の向こうで雄大が不安げな声を発した。

『…………もしかして他に約束とか、ある?』

「ううん、無いよ」

 答えると、雄大がホッと安堵の息を漏らした。そして『じゃあまた……考えといて』と言い残して電話を切ろうとした雄大に焦って「行く!!」と叫んだ。

『え? いいのか……?』

 良いも何も、まさかのお誘いに断る理由などある筈も無い。弾んだ声で「勿論」と応えた私に『じゃあ』と前置きして『今年は、つまんなくない様にするから』と言った雄大に、ようやく話が食い違っている事に気が付いて慌てて「違うの」と否定した。言葉の続きを待っている雰囲気にゴクリと唾を呑んで深く息を吸い込んだ。

「ユータと行きたかったの」

『え?』

「だから他の人と行ってもつまんないって」

 懸命に説明したけれど、自分でも意味がよく分からないと思った。気持ちを伝えるって難しい。

「去年はユータと並んで歩くだけで何て言うか緊張しちゃってあんまり喋れなくてごめんなさいっていうか……!」

 説明すればする程何が言いたいのか分からなくなって、顔の温度だけがどうしようもなく上がっていく。携帯を握り締めたまま熱い頬に手を当てて固まった私に『あー……』と口篭もった雄大が『おれも』と呟いた。

「え?」

『去年、相当緊張しててさ』

 雄大が? そんな風には見えなかったけれど。思わず「ウソ」と言った私に苦笑が漏れた。

『本当だって、何回手ぇ握り損ねたか』

 手……を握ろうとしてくれた? 今初めて知った事実に更に顔が火照って止まらない。電話で良かった。こんな顔を見られたら益々火を噴きそうだ。返答に詰まってアワアワしていたら『またメールする』という言葉を残して通話が終了された。耳元に響くツーツーという音を聞きながら、未だ治まらない動悸をぎゅっと握り締めた。


***


「えっユータくんと夏祭り!?」

「わー梅ちゃん!」

 次の日の昼休み、梅香に報告したら結構な声を張り上げられて大慌てで制したけれど、既に注目を浴びた後でどうしようもなく身体を小っちゃくして俯いた。

「あーゴメンゴメン」

 口では謝りながらも顔は嬉しそうに綻ばせた彼女は私の頭をよしよしと撫でて改めて微笑んだ。その仕草に電話口で慰めてくれた雄大を思い出して顔の熱が上がる。

「なにほっぺ赤らめてんのよぅ」

「なっ何でもない」

「あっその反応は何かあったな? ユータくんに頭なでなでされた?」

 絶句した私ににまりと笑った梅香はお祈りの様に両手を組んで宙を見上げた。

「イイよねー夏祭り。浴衣着て彼とデート」

 すっかり何処かに行ってしまった彼女に苦笑して「浴衣無い」と告げると、目を丸くして此方こちらを向いた。

「無いの?」

「うん。正確にはちっちゃくて入らない」

「いつのよ」

「小学校低学年ぐらいかな」

 暫く口を開けて固まった梅香が「よし」と言った。何となく嫌な予感。

「今度の日曜日、買いにいくよ!」

「え、お祭り来月だけど」

「早く買わないと可愛いの無くなっちゃうじゃない」

「そうなの?」

「そうだよ。だから今度の日曜日」

「……いや、テスト中だけど」

 怖ず怖ずと反論した私に数秒置いて「じゃあテスト最終日」と言った彼女は続けて「決まりね」と決定を下して立ち上がった。

「や、待って」

 小さく挙手をした私に「ハイ晶さん」と発言を促した梅香を見上げて「別に、浴衣じゃなくても……」と小さな声で異議を唱えると即座に「どうして?」と疑問が降ってきた。

「なんか、歩き難いし」

「そこがいいんじゃない」

「なんで?」

 首を傾げた私の目の前に再び座り込んだ梅香は、人差し指をピッと立てて「いーい?」と声を潜めつつも言い聞かせる様に私の瞳を捉えた。

「裾を気にしながら小股でちょこちょこ歩くのが女の子っぽくていいのよ!」

 断言した梅香を苦笑して眺め遣ると「それに」と言葉が付け加えられた。

「よろめいた処に彼が手を貸してくれたら腕にピッタリくっつくチャンスじゃない」

 そううまく行くものだろうか。うっかりつまずいて転んだらこの上なく恥ずかしいんだけど……それに、

「私、着られないよ」

「大丈夫、一緒に着よ」

「梅ちゃん着付け出来るの?」

「雑誌見て練習した」

 目一杯Vサインを決める彼女にこれ以上反論の余地は無く、テスト最終日に浴衣を買いに行く事が決まった。

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