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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『きみの家まで』
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ざわめき

「えっと、今までお世話になりました」


 金曜日の授業後のHRにて、壇上で突然放たれた言葉に教室中が目を丸くした。別れの言葉を口にしたのは、言わずもがな雄大だ。笑顔で「引っ越すんで」と告げた彼に辺りが騒然となる。

 そのざわめきに参加していないのは、私と梅香、それに守田くん。

 覚悟はしていたけれど、遂に来てしまった。ズキンズキンと嫌な鼓動に体内が支配されて鼻腔が熱い。雄大の顔は見られなくて、机の下で握り締めた両手を只々見つめて唇を噛んだ。


「……晶、行くでしょ?」

 ざわめきが徐々に少なくなる中、俯いたままずっと固まって座っていた私に遠慮がちに梅香が話し掛けてくれた。急遽決まった雄大のお別れ会の話だ。

「……ダメかな」

「え?」

「やっぱり……行かなきゃダメ?」

 さっきの挨拶の時も雄大はずっと笑顔だった。お別れ会でもそれは継続するに違いなく、強がりだと知っているだけに泣いてしまいそうだ。雄大は彼なりに考えて明るくしているのに、私が泣いたらそれをぶち壊してしまいそうで、怖い。とてもじゃないけど、同じ様にニコニコ笑っているなんて無理だ。

 独り言の様に呟いた私に、梅香が黙って眉根を寄せた。私以上に泣きそうなその顔を見て慌てて立ち上がる。

「うそうそ、ごめん。行くよ」

 笑って言った途端、梅香にきゅうっと抱き着かれた。声を詰まらせた梅香が必死で泣くのを堪えているのを悟って、り上がった熱が鼻の奥をジンと刺激した。

 自分の事の様に真剣に泣いてくれる友人を抱き締めてくうを見上げると、瞳に映った天井が僅かに滲んだ。


 暫くそうして教室で佇んだ後、梅香に「あとでね」と告げて部室へと向かった。お別れ会は午後6時からだ。部活を休もうかとも思ったけれど、家に居ても落ち着かない。まだ、楽器に向かっていた方が幾分マシに思えた。

 うっかりすると弛みそうになる涙腺を必死で引き締めて個人練習に没頭していたら、いつの間にやら終わりの時間になっていた。軽い溜息を吐きつつ帰り支度をして部室を後にする。いつも通り体育館横を抜けると、中からドリブルの音が響いていた。

 練習を覗こうかどうしようか悩んでいたのが昨日の事の様に思える。

 躊躇ためらわずにもっと見ておけば良かった。もう、あの練習風景は見られないのに。この中から響くドリブル音の中に雄大は居ないのに。

 ずっと堪えていたものが溢れそうになってグッと奥歯を噛み締めつつ、早足でその場を後にした。


 一度帰宅して着替えてから外に出る。隣家の様子を少し窺ってみたけれど、ひっそりとしていて誰も居ない様だった。

(ユータ……帰ってないんだ?)

 お別れ会の会場に指定されたカラオケ店まで一緒に行きたいと思ったけれど、家に居ないのではどうしようもない。地面へと一つ溜息を零して会場に足を向ける。とぼとぼと歩き出したけれど、一人で歩く事が無性に淋しくなって知らず知らず歩みが速くなった。

 店の前に着いて梅香に電話を入れると、もう皆集まっているという返事だった。教えてもらった部屋番号の重い扉を押し開けると、既に何曲か歌っていて思い思いに盛り上がっている様だ。

 雄大は一番奥で仲の良い男子と固まっていて、そこに入る隙間は無い。しかし、仮に隣に座ったとしても皆が居る処では何の話も出来ない。少し淋しいけれど、冷やかしを受けるのも好きではないしこれで良かったのだと思える。

 軽い溜息を吐いて入り口近くの席に腰を下ろす。梅香は中程の所に座っていたので、隣に居た子と時々会話を交わしつつ、盛り上がる皆をぼんやりと眺めた。


 雄大がクラスの皆と楽しげに笑い合っている光景はこれが見納めなのだと思うと、遠くに居る彼が僅かに滲んだ。こんな時間がいつまでも続くとは思っていなかったけれど、高校卒業まではこのままだと心の何処かで思っていた。2年になってまだ間もない頃に突然終わるなんて想像もしていなかった。

 胸の内を浸食する思いが痛みを伴って、体内がズキズキと悲鳴を上げる。場の空気を壊さない為に必死で涙を堪えながら俯いてグラスを握り締めて、お別れ会が早く終われば良いのにと願っていた。


「じゃあ坂井、一言!」

 一通り食べたり歌ったりした後、司会に抜擢されたらしい男子が雄大にマイクを向けた。

 それまで、ぬるくなったドリンクを片手に俯いて佇んでいた私の頭が覚醒して声の方へと視線を向けると、一瞬固まった雄大がマイクを持って立ち上がったところだった。

「あー……えーっと、本日はわたくしの為に…………」

「固いぞ坂井!」

「あ、やっぱり? だってさ、急に挨拶とか言うから」

 野次やじを飛ばした男子と、それに笑って答えた雄大を真っ直ぐ見られなくて再び視線を落とした。

 どうしてあんなに笑顔で居られるのだろう。平気な訳が無いのに。

 雄大が笑う度に胸がギュッと締め付けられる。ますます泣きそうになってテーブルの端をじっと見つめていたらふと肩がトントンと叩かれて顔を上げると其処に花束が有った。

(何……?)

 意味が分からず、その花束と持ってきた男子の顔を見比べていると、辺りに司会の声が響いた。

「では最後に、彼女から花束贈呈!」

(は……?)

 一瞬キョトンとした後、冗談じゃないという気持ちがり上がる。雄大に花を渡すなんて考えても無かった。それ自体は嫌ではないけど、こんなところで見世物みたいになりたくない。

 困惑した視線を雄大に向けると、今日初めて彼の瞳に動揺が見られた。雄大は進行を知らないらしく、花を渡される事も今しがた知った様だ。

 ここは空気を読んで渡すべき? でも雄大だってそんな事は望んでいない様に見える。どうしようかと悩んで固まっていると、ふと雄大が動いてこちらへと進んできた。クラスの3分の2程の人数が詰まった部屋はぎゅう詰めで狭く、容易には進めない様だけど此方こちらへ来るという事はこの花を受け取るつもりなのだろう。

 大丈夫、「元気でね」と渡せば済む事だ。緊張がまさって泣くどころではないしきっとそつなく出来る筈。思考を纏めつつ鈍々と立ち上がると、雄大が目の前に立っていてコクリとつばきを呑んだ。

 花束をギュッと握り締めて深く息を吸い込んだ瞬間、雄大が「サンキュ」と言って声を出す機会を失った。改めて口を開いた私の腕が不意に掴まれる。

「じゃあ有難く貰って帰る」

 何事かと目を丸くして金魚の様に口をパクパクする私の腕はクイと引かれて、そのまま出口の方へと引っ張られた。

「皆、今日はありがと。またメールとかするから」

 私を引っ張ったままにこやかにクラスメイトに手を振って退出する雄大を、みんな呆気にとられて見ていた様だけれど、やがて苦笑気味に「元気で」「またな」と声が飛んできた。


 ドアがパタンと閉まってそれらの声が聞こえなくなった頃、通路を歩きながら雄大の溜息が降ってきた。

「……ごめん」

「え?」

「ああいうの、何か苦手でさ」

 呟いた雄大がこちらをチラリと見遣って耳の後ろを軽く掻いた。

「いかにも泣けっていう演出だろ。人が必死でえてるってのに」

えてる?)

 キョトンとした私に苦笑が漏れた。

「アキラ見てたら貰い泣きしそうでさ」

 見てたんだ? 友達とずっと喋っていると思ってたのに。雄大はいつだって、私の知らない所で気に掛けてくれている。

「ごめんな」

 何がだろうかと見上げると「もう、泣いていいから」と切なげに微笑んだ。

 そんなこと優しい声で言われたら本当に泣けてくる。じんわりと瞳を潤ませた私は、再びそっと手を引かれてカラオケ店を後にした。雄大の為に用意された花束が、目の前で色とりどりに滲んで揺れた。

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