強がり
「坂井!」
自販機からパックのジュースが落ちたゴトンという音に、やや離れた所から放たれた呼び声が重なった。数秒後、身を屈めてジュースを手に取った雄大の前に少し息の上がった守田の姿が有った。
其処に立ち尽くす守田をチラリと見遣った雄大は、ゆっくりと身体を起こして未だ息の荒い彼に気怠そうに「何」と声を発した。
その問いに直ぐに応えず、雄大の数人の連れに一瞬視線を移して躊躇した守田を見た雄大は、何事かと固まった彼らに「悪い、先帰ってて」と明るい声で言って微笑んだ。
顔を見合わせた後、談笑しながら去った彼らを見送った雄大は、守田に視線を戻して改めて「何?」と尋ねた。その視線に促される様に、少し言い難そうに口篭もった守田がやがてゆっくりと口を開いた。
「……本当なのか」
「何が」
「転校するって」
あと数分で昼休みが終了する所為で他に人影のない食堂に、守田の重い声が響く。彼を見据えたまま一瞬黙った雄大は、僅かに笑みを浮かべて軽い調子で「本当だよ」と告げた。それに対して「なんで……?!」と声を張り上げた守田には答えず、視線を僅かに逸らして「アキラに聞いた?」と問い返した。
「……小耳に挟んだんだよ」
「盗み聞きかよ」
棘の有る言い方をした雄大に怒るでも無く、黙り込んだ守田に苦笑を漏らして「なんでって」と言葉を繋いだ。
「親父の転勤だよ。よく有る話だろ」
「…………高橋さんはどうなるんだよ」
「どうって何が。どうもならないだろ」
ぐっと言葉に詰まった守田に、尚も雄大の台詞が続く。
「転校するのはアキラじゃないし、親も友達も居るんだからさ」
「でもお前が」
「……まあ、おれは居なくなるけど」
自嘲気味の笑いを零した雄大に、守田が唇を引き結んで俯いた。拳を握りしめて何かを堪えるかの様に俯いた守田は、傍目から見ても明らかに沈んでいる。そんな彼に苦笑した雄大は深々と息を吐き出した。
「何でお前が沈むんだよ。チャンスだろ、喜べば?」
笑って告げる雄大を睨み付けた守田の口から再度「なんで」が飛び出した。
「何が」
「なんで笑ってられるんだよ!」
守田が声を張り上げたとほぼ同時に予鈴が鳴り出した。お互いに無言で相手を見据えたまま、ただ辺りに響く音を聞いていた。
「…………だってさ」
チャイムの終わりに重なった、雄大の小さな声に「え?」と聞き返すと、僅かに笑みを浮かべた雄大が地面へと視線を落とした。
「おれが泣くとあいつ頑張るから」
「え?」
「しっかりしなきゃ、とか思って泣けないから」
あいつ、が晶の事だと悟って口を噤んだ守田に、哀しい色を含んだ瞳を向けた雄大が微笑んでゆっくりと口を開く。
「……アキラは強がるけど泣き虫だから」
「そっ……!」
そう思うならちゃんとフォローしろ、と言い掛けた守田に雄大の次の台詞が刺さった。
「だから、傍に居てやってくれよな」
一瞬、何を言われたのか分からず目を見開いて固まった守田を置いて、教室へと足を向けた雄大の後を慌てて追い掛けて肩を掴む。
「何だよそれ!」
「何って、言葉のままだよ」
「別れるって言うのか?!」
語気を強めた守田に「落ち着け」と答えて深い溜息を吐き出した。
「そんな事言ってない」
「だったら」
「大学はこっちに帰ってくるつもりだし」
「そ……っか」
「でも、それまで傍に居てやれないのは事実だから」
言葉に詰まった守田を哀しげに見つめた雄大が、口の端を僅かに弛めて目を伏せた。
「もしお前と付き合う事になったら教えろよ」
「なっ」
「…………そしたらもう帰って来ない」
切ない声で呟いた雄大がくるりと背を向けて立ち去る様を、暫し呆然と眺めた守田が悲痛な声を絞り出した。
「高橋さんはお前じゃないと駄目なんだよ!!」
その叫びに反応を示さない雄大の背中を見つめて唇をぎゅっと引き結ぶ。そして力一杯拳を握りしめる守田を鳴り響く本鈴の音が包み込んだ。
***
「なーアキラ。今日部活いつも通り?」
「うん、そうだけど?」
「じゃあ帰りにデートしよ」
放課後、珍しくべったりと私の机の前に屈んでくっ付いた雄大が、にっこりと笑みを浮かべて放った一言に、苦笑と共に男子の声が飛んだ。
「坂井、見せつけんなよ嫌みかっ」
「僻むなよ」
「うわ刺さるー。だいたいお前ら幼馴染だろ。いつでも会えるんだから家帰ってベタベタしろよ」
その他愛無い台詞に私と梅香が固まった次の瞬間、彼に話し掛けたのは守田くんだった。
「なあ、今朝職員室来いとか言われてなかった?」
「あっそーだった、やべ」
鞄を抱えてバタバタと教室を出て行った彼を見送ってホッと溜息を吐いた後、ふと守田くんを見遣ると、確かに一瞬絡んだ視線をフイと逸らされた。
(今、こっちを見てた……よね?)
図書委員の仕事を最後に、守田くんと話す事も教室で目が合う事も殆ど無くなっていただけに少し違和感を覚えたけれど、よく考えてみたら私たちと会話していた彼に話し掛けたのだから、こちらを向いていて当然と言える。
そっと守田くんに視線を移したけれど、彼はもう荷物を纏めて教室から出て行く所だった。
(やっぱり気のせいかな?)
首を傾げつつ机の前へと視線を戻すと、真顔の雄大と一瞬目が合って再度ふわりと微笑まれた。立ち上がった雄大につられて席を立つと、和やかな笑顔のまま頭を撫でられて其処に熱が集まっていく。通過点である頬をそっと包むと、予想通り既に熱かった。
「じゃあ後で」
昇降口で待ち合わせる事を決めて、手を振って出て行った雄大を見送って鞄を抱える。クラスメイトから特に何を言われる訳ではないけれど、自分に刺さる興味本位の視線を感じて足早に教室を後にした。
廊下を歩きつつ胸にそっと手を当てると、鼓動が弾んでいるのが分かる。雄大に触れられたドキドキと、注目を浴びたという緊張。クラスメイトの視線はもう既に何度も浴びているけれど、やっぱりどうにも慣れない。でも、それもあと僅かかと思うと、ドキドキと踊っていた胸は潰れそうにギュッと締め付けられた。
***
部活が終わって体育館横を通ると、バスケ部は既に終わったらしく、中からドリブルの音はしなかった。まっすぐ昇降口へと向かおうと思ったけれど、何だか少し中が見たくなって入り口からそっと覗き込む。静かな館内を見渡していると、真剣な眼差しで練習していた雄大が脳裏に浮かんで体温が上がった。あの姿はもう見れないかもと思うと、その熱が胸を焦がす様にジリジリと痛んで、込み上げてきたものを慌てて呑み込んだ。
この後デートだというのに、泣き顔なんて向けられない。にっこりと笑って行かなくちゃ。
じんわりと熱くなってしまった目頭を指で押さえながら、入り口にヘタリと座り込んで空を見上げて深呼吸していると、ふと背後から名字を呼ばれて驚いて振り向いた。
「どーしたのー? 坂井くんなら、もう行っちゃったよー?」
「藤咲さん……」
涙の名残を慌てて擦った私に彼女は目を見開いて「坂井くんに何か言われたの?」と驚きの滲んだ声を発した。その台詞に少し引っ掛かりを覚えて「何かって?」と聞き返すと、彼女は慌てて「何でもない」と取り繕った様な笑顔を浮かべて顔の前で手を振って否定した。
その態度にざわざわと嫌な感情を覚えて、どうしてそう思ったのか教えて欲しいと詰め寄ると彼女は、困った顔で眉根を寄せた。
「うーん……昼休みに坂井くんと守田くんがー、ケンカっていうか、言い争ってるのをちょっと聞いちゃってー……」
雄大と守田くんが? 初デートが潰れた時は、確かに何だか空気が悪い感じだったけど、ここの所はそんな事なかったと思うのに、いきなり喧嘩?
「どうして……」
私の呟きに言い難そうに口篭もった藤咲さんをじっと見つめていると、やがてふーっと溜息を吐いた彼女が「聞き間違いかもだけど、」と前置きをして口を開いた。
「…………別れる、って言った坂井くんに怒ってた……かも」




