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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『きみの家まで』
43/56

心の内

「———でございます」


 タキシードを着た上品そうな給仕さんがメニューの説明をしてくれる。そして目の前にコトリと置かれた料理を眺めて感嘆の溜息を吐いた。えーっと……カレイ? って言った? 何だかよく分からないけれど、白いお魚に赤いソースが掛かっていて緑の葉っぱが添えてある、綺麗な色のすごくお洒落な料理。

 慣れないフォークとナイフで恐る恐る口に運ぶと、魚が舌の上でとろりと溶けた。


「美味しい!」

「そ? 良かった」


 微笑む雄大に胸がキュンと締まった。その笑顔も、こんな素敵な所に連れてきてくれた事もとても嬉しくて、熱いものがじわりと体内に拡がる。

 その後出て来たポタージュスープもお肉もとても美味しかった。

 珈琲のカップが運ばれてきたのでこれで終わりかなと思ったら、直ぐ後から何やら大きな物がワゴンに乗って運ばれてきた。

(…………何?)

 キョトンと数回瞬きをしてテーブル上の物を見つめたら、給仕さんがシルバーに輝くドーム状の蓋をふわりと持ち上げた。そこには様々なフルーツに彩られた小さなホールケーキが有って、楕円形のホワイトチョコのプレートが乗っている。


「『誕生日……おめでとう、アキラ』……」


 プレートに書かれた文字を読み上げた声は、語尾が涙で滲んだ。

 感激の余り両手で口元を覆って声を詰まらせた私と雄大に微笑んだ給仕さんが一礼してテーブルから離れて行った。


「泣くなよー……」


 困惑気味に言った雄大の声からは少し嬉しさも感じられて、何とも言えず気恥ずかしくて視線を泳がせる。

 一度下げられたケーキが切り分けられて目の前に置かれる頃には、涙は退いて感動だけが残った。僅かに潤みの残った瞳で黙って雄大を見つめると、ふっと微笑まれて新たな鼓動が跳ねる。ドキドキしながら微笑み返して、そろりとフォークを入れて頬張ったケーキは、今まで食べた中で一番美味しかった。


「……すっごい美味しかった」


 暫くして運ばれてきた珈琲をクルクルと掻き混ぜながら声を潜めて話し掛けると、雄大が満足げに「気に入った?」と微笑んだ。


「うん。私こういうとこ初めて」


 少し興奮気味に頷いた私に雄大が指先で軽く頬を掻いて「……実は、おれも」と言った。

 何だか慣れている風だったから意外な答え。


「雑誌か何かで調べてくれたの?」


 珈琲を一口啜りつつキョトンと瞬きをしながら訊ねると、「いやー……」と口篭もった雄大が苦笑を漏らした。


「元家庭教に訊いた」

「え?」

「アキラも一回会っただろ」


 言われて記憶の糸を手繰る。雄大の家庭教師? うーん……

 暫く考えて、ああ、と膝を打った。


「あの、何かすごい格好良い……」


 ぼんやりと思い出しながら口にして雄大に視線を戻すと、ちょっとムッとした顔がそこに有った。


「悪かったな、あんなイケメンじゃなくて」

「へ?」


 そんな事一言も言ってないのに、と思って苦笑が漏れる。少しご機嫌斜めになった雄大を前に無言で珈琲を飲み終えた。どうフォローしようか悩んでいたけれど、緊張していた所為せいかお手洗いに行きたくなってきた。


「ごめん、ちょっと………お化粧室」


 勿論、直す程の化粧を施した訳じゃないんだけど、ストレートに言うのははばかられて小声で告げると、ふっと表情を弛めた雄大が「どーぞ」と掌でテーブルの外を指した。その笑顔に安堵しつつ立ち上がって、近くに居た人にお手洗いの場所を訊ねる。

 数歩進んで何気なく振り返ると、雄大の顔から先程の笑顔は消えていて何だか沈んでいる様に見えた。

(さっきの話、気にしてるのかな?)

 雄大が容姿をそんな風に考えているとは思っていなかった。特に好意が有って口にした言葉ではないのだけど。ふと、もしかしてヤキモチだろうかと思って心持ち心拍数が増えた。

 少し速まった鼓動を感じながら席に戻ると、雄大に「おかえり」と笑顔を向けられて胸がキュンと締まる。

 暫くの沈黙の後、「……あの、」と小さく発した声が雄大のそれと重なった。先を譲ろうとしたら「いいよ、アキラから」と言われてドキドキしながら息を吸い込んだ。


「あの、今日は本当に有難う」

「どういたしまして」

「それで、その……さっきの話だけど」

「うん?」


 口篭もった私に小首を傾げられて、モジモジと指先を弄びつつ再び「あの、」と口にした。緊張で何だか口の中が乾く。じっと私を見つめる雄大に頬を火照らせながら「悪くないよ」と呟いた。


「え?」


 キョトンとした雄大に瞳を泳がせて「ユータは充分カッコいいし……」と小声で告げて俯いた。

 本当は他の誰より格好良いと思ってるけど、そこまで手放しに褒めるのは流石に気恥ずかしくて出来なかった。怖ず怖ずと顔を上げると、目を丸くして此方こちらを見ている雄大と視線が絡んで耳が熱い。


「……初めて言われたな」

「え? 言われ慣れてるんじゃないの?」

「アキラにだよ。それに、別に言われないから。そんな事」


 ぼそりと口にして横を向いた雄大の頬が染まっているのが見えて、私の体温も上昇した。

 それっきり沈黙して暫し座っていたけれど、他のお客さんの姿が見えなくなったので苦笑して立ち上がる。食べきれなかったケーキを箱に入れてもらって店を後にした。


「これから、何処か行きたい所ある?」


 問われてうーんと首を捻ったら、雄大が軽く頭を掻いた。


「おれ、ちょっと寄りたい所あるんだけど」

「いいよ。……あ、待って、ケーキが」


 保冷剤を入れてもらったとは言え、こう暖かい中を持ち歩くのは心配だ。折角雄大が用意してくれた大事なケーキなのに。


「じゃあ、一回帰ろっか」

「いいの?」

「良いよ、おれの行きたいのも其方そっちだから」


 何処に行くのだろうか。疑問符の飛んだ私の手を取った雄大に引かれるまま自宅に帰って冷蔵庫にそっと仕舞った。


***


「え、ここ?」


 玄関で待っていた雄大に再び手を引かれて、着いた所は小学校。雄大と2人、6年間通った母校だった。


「そう、ここ」


 言ったかと思うと躊躇せずに校門を潜って校舎へと向かって行く雄大を慌てて静止した。


「ちょっ……勝手に入ったら怒られるんじゃないの?」

「別に大丈夫なんじゃね?」

「ええー……駄目でしょ」


 尻込みする私に軽く溜息を吐いた雄大が「本当アキラは心配性だなー」と苦笑した。そして止まる気配がまるで無い彼は、堂々と来賓用のスリッパを履いて校舎内へと入って行った。


「ユータっ」

「分かったよ、許可取りゃ良いんだろ?」

「え?」


 慌てて追い掛けた私にそう言ったかと思うと、直ぐ傍にある職員室のドアをガラリと開けた。


「すみませーん」


 雄大が声を掛けると、一人で何やら作業していた人が振り向いた。


「はい?」

「ちょっと校舎内見学したいんですけど……って、あれっ山野センセー?」

「え? ………おお、坂井か?」

「ハイ、坂井です」

「何だ、久し振りだな! どうした?」


 彼は6年生の時に担任だった先生だった。当時、20代後半だったと思う。


「ちょっと懐かしくなって。見てっても良い?」

「いいよ。しかしでかくなったな」

「成長期っすよ」


 雄大の台詞に破顔した山野先生の視線がこちらに向いた。


「……っと……、もしかして高橋か?」

「はい」

「なんだ、えらく綺麗になったな! 分かんなかったよ」


 豪快に笑った先生に雄大が口の端を弛めて、これ見よがしに私の手を柔らかく握った。ぎょっとした私に構わず先生に向かって笑顔で告げる。


「駄ー目だよーセンセ、おれのだから」

「そうか、お前のか。大事にしろよ」

「分かってる」

「相変わらず生意気だなお前は」

「センセーは相変わらず声がでっかいね」

「うるさいよ」


 うるさいと言いつつ楽しげに笑った先生は、「帰る時は声掛けてくれよな」と快く校舎内見学を許可してくれた。


「な、大丈夫だったろ」


 たまたま顔見知りの先生が居たからではないかと思うが、雄大の言う様に問題無かった事には違いない。私が小心者なんだろうか。


「どうして急に小学校?」


 廊下にペタペタと響くスリッパの音に紛れて訊ねると、数秒の沈黙の後に「何かふと来たくなったんだよ」と返ってきた。……まあ、雄大の唐突な行動には慣れているのでそう驚きはしないけれど。

 それっきり黙って歩く雄大に包まれた掌がトクトクと脈を刻んでいる。自らの鼓動の音がハッキリと耳に響く程に静かだ。いつもならもっとはしゃぐと思うんだけど、どうしたのだろうかと顔をそっと窺うと、一瞬目が合った雄大がその視線をフイと教室に向けてガラリとドアを開けた。

 1年1組……同じクラスだったな、そう言えば。


「うわ、見てアキラすっげー小っちゃい!」

「うん」


 椅子に座って弾んだ声を上げた雄大に頷く。本当に、よくこんな小さな机で勉強していたなとしみじみ思いつつ、その表面をそっと撫でた私に雄大は、当時の思い出を楽しそうに語りだした。

 普通……だよね。さっき沈んでいる様に見えたのは気のせいだったのだろうか。


「……そんでアキラがさ、その辺でバケツの水をぶちまけて泣き出しちゃってさ」

「よくそんな細かい事を覚えてるよね」


 昔の恥を掘り返されて苦笑した私に「おう、任しとけ」と意味不明な自慢をした雄大は軽やかに立ち上がって「じゃあ次」と言った。

 ………次? 瞬きをした私を引っ張って次に向かった場所は2年3組の教室だった。

 もしかして、全学年回る気だろうか。

 その予想に違わず、雄大の思い出ツアーは見事に全学年の教室を制覇した。他にも、音楽室や図書室まで。

 止まらない思い出話に花を咲かせつつ1階へと階段を下りていると、下で待ち構えていた山野先生が仁王立ちで「おい」と言った。


「あれっセンセー。待っててくれたの?」

「くれたのじゃないだろ。いい加減にしろよお前ら」


 呆れ声で言った先生は深々と溜息を吐いた。


「何時間遊んでるんだよ。もう閉めるぞ」

「ごめんごめん」


 そう言った雄大にはまるで反省の色は見えなかったけれど、邪気の無い笑顔に怒る気は失せたのか、やれやれと苦笑して「楽しかったか?」と訊いた。


「うん。センセーさようなら!」

「ああ。また来いよ」


 微笑んだ先生にペコリとお辞儀をして懐かしい校舎を後にした。外に出ると、辺りはうっすらとオレンジ色に染まりかけていて、本当に何時間遊んでいたのだろうかと我ながら呆れてしまう。


「じゃあ、締めにもういっこ」


 学校の裏手の山を指差した雄大にふっと笑みが溢れる。

 うん。小学校の時の思い出って言ったら、やっぱり其処かな。


 学校の裏に回って山を見上げた。「山」というより寧ろ「丘」と言った方がぴったり来るであろう、その丘陵を少し歩き難いミュールで昇る。足元を気にしながらゆっくりと歩く私に雄大が腕を貸してくれて、殆ど抱き着く様な格好で10分足らずの道を登り終えた。

 そこに有ったのは、あの頃と変わらない小さな公園。ぞうをかたどった滑り台と、雲梯うんていとベンチ位しか無い簡素な所で、ほとんど誰も来なかった。

 他に人気ひとけの無いそれはまるで秘密基地の様に思えて、私たちの一番のお気に入りだったんだ。


「変わってないな」

「うん。すごい、懐かしー……」


 自然に顔を綻ばせながら辺りを見渡す。あの頃の記憶のまま、本当に変わってない。


「ぞうさんって、こんなに小っちゃかったんだね」

「だよなあ。よくこんな穴に2人で入れたよな」


 滑り台の下のトンネルを覗きつつ雄大が漏らした台詞に頷く。当時は何がそんなに楽しかったのか、この滑り台に住む勢いで暗くなるまで遊んでいた。


「……座る?」


 暫くの無言の後、雄大が手でパタパタと払ってくれたベンチに並んで座った。眼下には町並みが拡がっていて、顔を上げると視界一杯に夕焼けが映る。

 郷愁に浸っている間に辺りはすっかり茜色に染まっていた。空には臙脂えんじから紺碧まで見事なグラデーションが描かれている。


「……綺麗」


 呟いた私の手がそっと握られてドキンと鼓動が跳ねた。さっきよりも心持ち雄大との距離が近い気がする。

 滑り台のトンネルで遊んでいた頃は、こんなもの比較にならない程べったりとくっ付いていた筈だけど、今はその何倍も心臓がうるさい。


「アキラ」


 呼ばれて隣に目を遣ると、雄大と視線が絡んだ。茜色を映した綺麗な瞳は、私を捉えたまま僅かに揺れた。


「あの……おれ」


 何か言い掛けた雄大は、語尾を濁して口を噤んだ。俯いた彼に何だか話し掛けられなくて黙って見つめていると、ふと顔を上げた彼は此方こちらを見てにっこりと笑みを浮かべた。


「おれ、誕生日ちゃんと祝えたかな?」


 少し不安げに笑った雄大に、即座に「勿論」と答えた。

 本当に素敵な誕生日だった。初めての事にも、大切な思い出にも色々出逢えたし。


「……何か、記憶に残る事したかったんだよね」


 そんな事を考えて私を懐かしい学び舎に連れて行ってくれたのか。ジーンと胸一杯に感動が拡がって弾んだ声で答えた。


「ユータの誕生日は私がいっぱいお祝いするね」


 微笑んで告げた途端、雄大の腕に包まれた。其処にすっぽりと収まった私の中で物凄い速さのドキドキが駆け巡っている。

 鼓動に呑まれて只々息を詰めていたけれど、やがてそろりと腕を伸ばして雄大の背中に触れた。直後、ピクリと跳ねたその身体に益々ぎゅっと抱き締められた。


***


「今日はホントに有難う」


 すっかり夕闇に包まれた自宅前で名残惜しく指に触れる熱を放せずにいたら、雄大がふっと微笑んで鞄から細長い箱を取り出した。


「はい」

「えっ」


 目の前の箱をまじまじと見つめていると、再び「はい」と受け取る様に促されて、怖ず怖ずとそれを両手で受け取る。やがて箱から雄大の顔へと視線を移した私に「誕生日おめでとう」と微笑んだ。

 もう充分嬉しかったのに、プレゼントまで用意してくれるなんて。

 思わず涙が滲んだ私の頭をくしゃくしゃと撫でた雄大が、一拍置いて「……またな」と笑顔の横でひらひらと手を振った。


「うん、あの……またね」


 また月曜、かも知れないけれど、出来ればまた夜に逢いたい。

(欲張りかな)

 私が家に入るまで見送ってくれている雄大を何度か振り返りつつ、そんな事を思って玄関ドアの内で僅かに苦笑を漏らした。


 夕食のあと自室に上がって、はやる気持ちを押さえつつ雄大に貰った包みを開けてみると、中からはキラリと輝くチェーンが出て来た。少し赤みがかった金色のそれにはU字型のペンダントトップに小さな石もきらめいている。

(ピンクゴールドと……ムーンストーン?)

 アルファベットのUかと思ったら、どうやら馬の蹄を象ったらしい。添えられた説明書とペンダントを見比べて頬が緩む。すごく、綺麗。雄大がこれを選んでくれたかと思うと嬉しくて、またしても涙腺が弛みそうになった。

 身に付けて鏡の前でうっとりと眺めていたら、窓をコンコンと叩かれて思わず姿勢を正す。『また』が今日だった事が嬉しくて、ドキドキしながらカーテンを開くと、正面に居た雄大が私を見て軽く手を挙げた。


「良かった、似合う」


 窓を開けて開口一番、ペンダントを指差しながらニッコリと微笑んで言われた台詞に頬が熱くなる。


「あの、ありがとう」

「気に入った?」

「うん、すっごく」


 興奮気味に答えた私に「良かった」と呟いた雄大は、ふ、と笑みを消して俯いた。どうしたのだろう。声を掛けようとした途端、顔を上げた彼の視線に真っ直ぐ捉えられた。その瞳から目を逸らせずに段々早くなる鼓動を数えていたら、彼がゆっくりと口を開いた。


「…………昼間、言えなかったんだけど」

「うん……?」

「アキラが、すきだよ」


 重い空気に身構えて聞いていた私は、余りの不意打ちに顔から勢いよく湯気を噴いた。


「顔赤いって」

「だ、だって! ユータが急にっ」

「うん。だってさ、今言わないと」


 熱い頬を両手で覆って慌てる私にハハッと軽く笑った雄大は、今にも泣きそうな笑顔を此方こちらに向けた。


「……おれ、転校するんだ」

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