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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『窓辺のやくそく』
37/56

しあわせ(火曜日)

「おはよ」

「お、はよ……」


 翌朝、いつも通り壁に軽くもたれて私に微笑みかけた雄大に鼓動が跳ねる。何となく顔を直視する事は出来ずに視線を泳がせて地面に落とした。


「何だよ」


 笑われると益々ドギマギしてしまって朝から顔が熱い。正確に言うと、昨日の夜からずっと熱い。

 ごはんを食べていてもお風呂に入っていても、ふとした拍子に雄大の声や視線や手の感触を思い出してしまって、とても平静では居られなかった。

 おかげですっかり寝不足だけれども、それを差し引いても、とても幸せだ。

 自らの意思には関係なく熱が昇って頬を染める私に、ふっと笑った雄大が手を差し出した。

 当たり前の様に差し出されたその手を怖ず怖ずと握ると、私の手は柔らかく包まれて、やがてゆっくりと指を絡められた。たった数日空いただけなのに、随分久し振りの様なその繋ぎ方が何だか擽ったくてとても照れ臭い。

 雄大の体温を目一杯感じて、そこから生じた速い鼓動が全身を廻る。

 結局、『嫌い』を取り消しただけで肝心な事は何も言えなかったけれど、今こうして隣で微笑んでくれているという事は、私の気持ちが伝わったと思っていいんだよね……?


 チラリと雄大を見上げると、まともに目が合ってしまって湯気を噴いた。

 慌てて俯いた私の頭上から、溜息と共に「……お前なあ」と呆れ声が降って来て胸がチクリと痛む。

 その声を再び見上げると、頬を染めた雄大の横顔が目に入った。思わずまじまじと見つめると、手で口元を覆った雄大が僅かに視線を逸らしてボソッと呟いた。


「朝からドキドキさせんなよ、もー……」


 小さいけれど、しっかりと届いたその言葉にカーッと熱が駆け上って体温が急上昇。

 朝からドキドキさせるのは雄大だよ!

 決して気温が高い訳じゃないのに、掌でパタパタと顔をあおぐ雄大のうなじ辺りを見つめて繋いだ手に少し力を込めた。



 全身に廻る幸せを噛み締めながら、いつもよりほんの少しゆっくり歩いての登校。

 でも、楽しい時間はいつもよりも過ぎるのが早く感じて物足りない。

 もっとこうしていたいのに。

 僅かに沈んだ私の頭にポンポンと軽く乗った大きな手を感じて視線を上げると、そこにはハニカんだ雄大の顔があった。

 その笑顔にキュンと締まった胸を抱えて、引き寄せられる様に見惚れていると、雄大が頬を弛めて「照れるな」と言った。


「え?」

「そんな残念そうにされるとさ」

「へ?」


 そんな顔してない! してないよ!


 慌てて否定したけれど、「ハイハイ」とあっさり流されて益々顔が熱くなる。

 幾ら言葉で否定しようとも、心の中ではやっぱりもっと一緒に居たいと思っているので、説得力も何も無い。


「取り敢えず教室まで一緒に行くかー」

「なに、とりあえずって!」


 恥ずかしいあまりに、ついついケンカ腰になってしまう私を全く気にする様子は無く、手は柔らかく握られたままだ。そして、笑顔の崩れない雄大と軽く言い合いながら昇降口へと入ると、目の前に人が立っていて脚が止まった。


「……おはよう」

「あ、おっおはよう、守田くん」


 こちらをじっと見据えながら発された挨拶にどもりながらも答えると彼は、ニコリともしないまま其処に立っている。

 何だか雰囲気が怖い様に思えるのは気の所為せいだろうか。

 そして雄大も不機嫌なオーラを醸し出している。こちらは長年の経験からして、まず間違いなく不機嫌だ。どうして? さっきまであんなににこやかだったのに。

 まさか、ヤキモチ? 挨拶をしただけで?

 ピリピリした空気が肌に刺さる。何とも居心地が悪い中、困った顔で雄大と守田くんを見比べていたら、ふと「高橋さん」と呼び掛けられた。


「は、はい?」

「図書便りの打ち合わせしたいんだけど、昼休み時間取れる?」


 淡々と告げられたその言葉に頷こうと思うけど、雄大の機嫌が益々悪くなった様に感じて思わず隣を見上げた。

 見上げた先で雄大は真っ直ぐ守田くんを見ていて……否、睨み付けていて、雄大に掛けようとした声を呑み込んだ。


「アキラ」

「は……え?」


 不意に呼ばれて半分裏返りかけの声で返事をすると、一瞬の間があって重い声が響いた。


「………今日、日直だったんじゃねえの」

「あっ」


 そうだった。慌てて腕の時計を見ると、ゆっくりめに歩いて来たおかげで既に予鈴10分前を切っている。大変だ。職員室にノート取りに行かなきゃいけないのに!


「ゴメン、先行くね!」


 一言謝ってバタバタとその場を後にした。少し離れてチラリと振り返ると、彼らはまだそこで相対あいたいしていて、何だか胃の辺りがチクンと痛んだ。


***


 睨み合ったまま動かない彼らの重い空気を破ったのは、守田の放った深い溜息だった。


「坂井お前さ、なんでそんな余裕無い訳?」

「……うるさいな」

「仲直りしたんだろ。俺なんか眼中に無いだろ」


 自嘲気味に呟いた守田を睨んだまま暫く固まった雄大が、下唇をきゅっと噛んで小さな声を発した。


「……眼中に無い訳が」

「は?」

「アキラの話に唯一出て来る男が気にならない訳ないだろ」

「え」


 思いもかけない嬉しい情報に思わず頬を弛めかけた守田に、改めて雄大の鋭い視線が刺さる。


「でも譲らないから」

「……」

「絶対に譲らないから」


 きっぱりと口にした雄大に、新たな溜息を吐き出した。


「……なら、何で泣かせるんだよ」

「……ッ」

「中学の時からずっと、お前を見てる高橋さんを見てた。折角彼女の気持ちがお前に向いてるのに何でもっと大事にしない!!」


 思わず語気を強めた守田の声は、響き渡る予鈴と、勢い余って殴られた下駄箱が発した音に紛れて教室の方までは届かなかった。

 叩き付けた拳を何度か額に当てて、必死で込み上げるものを堪える様子が見て取れた雄大の顔に複雑な感情が浮かぶ。


「……守田」

「言っとくけど、同情すんなよ。余計惨めになる」


 晶を譲る事が出来ない以上、苦々しい声を絞り出した守田に掛けられる言葉など存在しなかった。


「……笑ってる顔が見たいんだよ俺は」


 誰に言うとも無く告げられたその台詞は雄大の胸にサクリと刺さった。理由は何であれ、晶を泣かせたのは事実だ。反論の仕様が無く、何も言えず俯いて固く口を引き結んだ。

 重苦しい空気に包まれた彼らを現実に引き戻したのは、静かな校舎に響く本鈴の音だった。

 そのチャイムが鳴り終わるまでにと急ぎ足で教室へと向かいながら、守田がフーッと息を吐いて「とりあえず」と言った。


「え?」

「今日の昼休みの高橋さんの時間は貰うから」

「な!」

「委員活動だよ。文句有るのか」

「有るに決まってんだろ」

「何だよ。一日中見張る気か? ウザい彼氏だな」

「〜〜ッ」


 ハッと蔑んだ笑いを零した守田に絶句しているうちに教室に着いて、ドアを開けようとした守田を暫く睨んでいた雄大が溜息と共に口を開いた。


「……守田お前、そんな性格だったっけ?」

「どんな性格だよ」

「何かもっとこう……温和おんわっつーか」

「……どうせ俺はもうこれ以上落ちないからな。何でもやらせて貰うよ」

「………」


 苦い顔で黙った雄大をチラリと振り返った守田がドアの方に向き直って呟いた。


——手放したくなきゃ、ちゃんと繋ぎ止めとけ。


 聞き取れない程の微かな声に「え?」と聞き返す間もなく、教室のドアがガラリと開けられて守田は中に入って行った。廊下にぽつんと残された雄大は、十数秒後にやってきた教師に声を掛けられるまで、暫く呆けて立っていた。


***


 昼休み、守田くんに指定された図書室に行った。テスト前でもないそこは閑散としていて、作業をするには打って付けの場所の様だ。

 淡々とした一通りの打ち合わせが終わって一息ついた時、机上のものを片付けながら守田くんがゆっくりと口を開いた。


「……高橋さん、坂井と仲直りしたの?」

「えっ。う、うん、まあ……」


 名前が出るだけでドキンと鼓動が跳ねる。雄大とケンカしてた事、ずっと気にしてくれていたのかな。やっぱり、いい人。顔が赤くなっていないか気にしながら頷いた私に彼は、口篭もりながら「なんで坂井なの?」と訊いた。

 突然の質問に目を丸くしつつ、暫くうーんと考えて言葉を紡ぎだす。


「何で……とか考えた事無いな」

「え?」

「ホントに、生まれた時から一緒だったから。ケンカもいっぱいしたけど、そこに居るのが当たり前っていうか。安心するんだ」

「………」


 私を見ていた瞳が僅かに泳いで、視線が机に落ちた。沈んだ彼に声を掛ける事を躊躇ためらって黙って見つめていると、ふと顔を上げた彼の口がゆっくりと動いた。


「……高橋さん、しあわせ?」

「……うん」

「………そっか」


 ふ、と笑った守田くんは何だか淋しそうに見えて胸がチクリと痛む。悩み事かな。でもそれを訊ける程親しい間柄ではない。


「もうすぐ予鈴鳴るね」


 言われて時計を見ると確かに、あと10分足らずで昼休みが終わる。


「ホントだ。教室帰る?」

「いや、俺はもうちょっと」

「そう?」


 じゃあね、と軽く手を振って図書室のドアをガラリと開けた。


「………バイバイ、高橋さん」


 守田くんが呟いた、小さな小さな声は、ドアの音に紛れて私の耳には届かなかった。


***


 図書室の外に出たら、廊下の壁にもたれて雄大が立っていた。


「ど……どしたの?」

「迎えに来たんだよ」

「え」

「……何だよ。嫌なのか」


 少し不機嫌な雄大にフルフルと首を振ると、「ほら」と手を差し出されて怖ず怖ずと握った。


彼奴あいつは?」

「守田くん?」

「ああ」

「何か、もうちょっと残るって」

「……へえ」


 それっきり会話が途絶えて、黙って廊下を歩く。静かな中、微かに響く足音と繋がれた手から生じた鼓動の音だけが主張している。


「……なあ」

「うん?」

「何話したの」

「え? えーと……心配してくれた」

「へ?」

「ユータと仲直りしたかって」


 雄大の何処が好きか訊かれたなんて言えなくてそう答えると、「へー……」と呟いたっきり再び沈黙が訪れた。


「なあ」

「うん?」

「図書委員会の活動って、あと何回ぐらい有る訳?」

「うーん……もうレイアウト決めたし、各自で担当部分の原稿書くだけだから、守田くんと一緒にするのは終わりかな?」

「そっか」


 ホッと溜息を吐いた雄大に指を絡めて手を繋ぎ直されて、そこから廻るドキドキが大きくなる。

 この反応って、やっぱりアレかな。訊いても、いいのかな。


「嬉しい……の?」

「ばっ……!」


 だよね。やっぱり「バカ」って言われると思ってた。苦笑しつつ言った事を取り消そうと思ったら、息を思いきり吸い込んだ雄大から「そーだよ」という言葉が降って来た。

 吃驚びっくりして見つめると、雄大の耳が赤く染まってプイと顔を逸らされた。


「あーもう、見るな」

「ご、ごめん」


 慌てて俯いたけれど、鼓動は加速するばかりで止まる気配がない。ひたすらドキドキを数えていると、雄大の手の力が少し強くなった。


「嫌なんだよ」

「へ?」


 何が? 突然発された言葉の意味を訊こうと顔を上げたら、そこに私を真っ直ぐに見つめる瞳が有った。


「アキラが他の男と二人で居るのは嫌なんだよ!」

「あ、あの……でも委員」

「そんな事分かってる」

「……えっと」

「……ずっと独り占め出来たらいいのに」


 ストレートに告げられた台詞に勢いよく血が昇って顔が熱い。言うだけ言って向こうを向いてしまった雄大のうなじを見つめて逆上のぼせていたら、ばつが悪そうな表情の雄大がちらっと振り向いてボソリと呟いた。


「………退いた?」

「え?」

「こんな事考えるなんて、やっぱ痛い?」


 不安げに訊ねられて慌てて首を横に振った。


「ううん、わっ私だってユータを独り占めしたいし……!」

「……そーなの?」


 慌てた所為せいでうっかり本音を漏らしてしまって益々体温が高くなる。

 しかも期待に満ちた瞳で聞き返されて今更取り消す事も出来ず、渋々頷いて言葉を繋げた。


「ユータが梅ちゃんと楽しそうに話してるの……何か、すごいヤだった……」


 口にしてから内心頭を抱えた。しまった。よりによって梅香を例に出すなんて。

 こんな事を考えているなんて、こっちこそ退かれてしまう。

 どうしようかと思いながら視線を彷徨さまよわせて、怖ず怖ずと見上げると真っ赤になった雄大が手で口元を覆っていた。


「あー……もー……」


 意味の無い言葉をモゴモゴと発して、赤い顔を掌でパタパタと扇ぐ雄大に胸の奥がキュンと締まる。

 吸い寄せられる様に見つめていたら、雄大が一瞬こっちを見てハーッと息を吐いた。


「早く家帰りたい」

「どうして?」

「だって学校でキスしたらアキラ怒るし」

「なっ」


 新たにカーッと熱が駆け上る私の手をきゅっと繋ぎ直した雄大がふと「……週末さ、」と呟いた。


「うん?」

「水族館……行こう」

「え」

「忙しい?」

「う、ううん」

「……こないだの服、着て来いよ」

「え?」

「すげー可愛かったから絶対着て来いよな」


 告げられた台詞に思いきり湯気を噴いたら、雄大の顔も真っ赤になっていて。

 お互い頬を染めて見つめ合ったまま絶句する中、予鈴のチャイムが鳴り響いていた。

これで『窓辺のやくそく』は終わりです。次回から新章入ります。

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