想いの陰で 2(日曜日)
守田くん視点其の二です。
「もしもし? 坂井?」
『ちょっ……どういうことだよ?』
「どうも何も、高橋さんが言った通りだよ」
『……』
「暴走自転車から彼女を助けた時、ちょっと手を怪我したんだ。だから荷物持ってきてくれただけだよ」
黙り込んだ電話の相手に向かって、ハーッと体内の空気を吐き出した。
「ちゃんと断ったよ? 坂井とデートなんだろって」
『な……なんで、それ……』
「金曜の昼休みに小谷さんに相談してたのを小耳に挟んだんだよ」
『は? 相談?』
「……何でもない」
此奴とのデートの為に何を着て行くか悩んでいたなんて、口が裂けても言いたくない。昨日も偶然見かけた、ラフなものとは余りに違う今日の服。悩んだ末の格好があんなに可愛らしい服装だというなら尚更だ。
ふと、自分の手を両手でそっと包み込む様に触れた、彼女を思い出して体温が上昇する。
勿論、そんな事が有ったなんて坂井には言わないけれど、これ位の役得が有ってもいいだろう。何せ、二人っきりでソファーで隣に座っても、俺に向けられる感情なんて1ミリも無いのだ。そう思うと、どうしようもなく胸が疼いた。
『………何もしてないだろうな?』
「するわけないだろ」
更に深々と溜息を吐いた俺に無言が返る。『何も』がどの程度の事を指しているのか知らないが、するわけない。無防備にも家まで上がり込んだ彼女に、強引に手を出す事は可能だが、彼女を傷つけたい訳ではないのだ。
暫くの沈黙の後、『家どこ?』と苦々しげに尋ねた彼に道順を説明して通話を終えると、一際大きな溜息を零してリビングへと戻った。
「守田くん……あの、ユータ何て?」
「今から此処に来るらしいよ」
「えっ」
驚きの声を上げて頬を染めた彼女にズキリと痛む胸を感じつつ、平静を装って「おかわりどう?」と勧めたが断られ、何とも言えない重い空気に包まれた。
もっとも、そう感じているのは自分だけで、彼女はそんな事は露程も思っていないだろうけど。
ソファーに掛ける彼女の隣に座る事も出来ず、ダイニングチェアーの向きを変えて腰を下ろす。彼女との距離は3mといったところか。無論、手も脚も届かないし、仮にジャンプしたところで届くかは怪しいものだ。
……これが、現実に彼女との距離なのだと思う。そこに見えるけれど、決して触れる事は出来ない。
同じクラスになれた事で、少しずつ会話を増やして、友達から始められればいいと思っていた。しかし、近くなればなる程、それ以上まるで望みが無い事を痛感させられる。
もう一度想いを告げたところでバッサリと切られるのは明白で、そこに突っ込んでいく勇気は生憎持ち合わせていない。かといってすっぱり諦める事も出来ず、進む事も退く事も出来ずにすっかり泥沼に嵌まっている。
密かに溜息を落としてふと顔を上げると、此方を見ていた彼女と正面から視線が絡んで目が游いだ。
「……守田くん、痛いの?」
「え?」
「さっきから、溜息吐いてるから」
まるで隠せていない自分を呪いつつ、苦笑に近い笑みを僅かに浮かべて痛みを否定したが、彼女は心配そうな表情を浮かべたままだ。
「大丈夫」
「……ホントに、ごめんね?」
「本当、気にしないで? こんなの、何でもないから」
そう言って精一杯ニコリと笑顔を見せた。
そうだ。本当に手の痛みなど何でもない。……胸の痛みに比べたら。
「……高橋さんは大丈夫? 怪我してない?」
「うん、私は全然平気」
「そう、良かった」
少しでも役に立てたのなら、身体を張った甲斐があるというものだ。
ホッと安堵の息を吐いた俺に、彼女が微笑んで言った。
「守田くんて、ホントにいい人だよね」
「……そんな事無いよ」
「ううん。だって、優しいし、紳士的だし」
彼女の褒め言葉を擽ったい心持ちで聞いていたら、次の言葉に固まった。
「彼女さんとか、すごい大事にしそうだよね」
「……え?」
「守田くんと付き合う人はきっと幸せだよね」
……なんだ、それ。厭味なのか。
それとも、中学の時の俺の告白は綺麗さっぱり無かった事になってるのか。
もしくは、今の俺の気持ちが気付かれていて、予防線が張られているのか。
ぎゅっと唇を噛んだ俺の前で、壁掛けの時計を見遣ってソワソワする彼女に、胸を抉られる様な痛みを覚えて、ごくりと唾を呑んだ。それすらも、まるで錠剤を飲み損なったかの様にチクチクと痛みが残されていく。
「……いい人なんかじゃない」
「え?」
「何で、俺が高橋さんを助けたと思ってるの?」
「何でって……自転車に轢かれそうだったから……?」
キョトンと問い返されて苦笑が溢れる。
誰にでも親切な訳じゃない。誰にでも身体を張る訳じゃない。そもそも、君を見てたから自転車が突っ込んできた事に気付いたんだ。
そんな事など微塵も考えていなさそうな彼女に、どうしようもなく溜息が落ちる。彼女の気持ちがこちらに向いていない事は重々承知だが、これは余りに酷い仕打ちではないか。
こんな事なら、いっそ自分の想いをぶちまけようかと息を思いきり吸い込んだ時、室内にピンポーンとチャイムの音が響いた。
リビングを出たところで新たな溜息を撒き散らしつつ、苦虫を噛み潰した表情を隠しもせずにドアを開けると、俺以上に不機嫌な坂井がそこに居た。無理矢理連れ込んだ訳でもないのに、そんな顔をされるのは納得がいかない。
「アキラは?」
「中に居るよ」
親指でクイとリビングの方を指すと、俺を睨み付けた坂井がボソリと呟いた。
「……呼んで」
「自分で連れてけば?」
「は?」
「悪いけど、笑って引き渡せる心境じゃないんだ」
「………まさか告ったのか」
意外な返しに思わず目を見開いた。ある意味、鋭い。まさにそれを行動に移そうとした矢先じゃないか。此奴さえ来なければ。
「だったら?」
やっかみも混じって、無駄に挑発的な口調で聞き返すと彼は、益々険しい顔で俺を睨み付けた。
「おれのだからな!!」
そんな事、でっかい声でわざわざ主張しなくても知っている。知らなければ未だアプローチの仕様も有るのに、この間見せつけてくれたお陰でそれもパアだ。
「大声出すなよ」
「……ッ」
坂井がぐっと押し黙ったところで、彼女がリビングからひょこっと顔を出した。
「ど……どうしたの?」
当然、彼の怒鳴り声は室内に丸聞こえだったであろう。怖ず怖ずと尋ねた彼女に僅かに微笑んで「何でもないよ」と伝えると、こちらを見ていた彼が不機嫌面のままフイッと視線を逸らした。
「高橋さん、忘れ物無い?」
「うん。今日はホントにごめんね? また痛む様だったら言ってね?」
真剣に俺の手を心配してくれる彼女は素直に嬉しいが、反対側から発されるどす黒いオーラに辟易する。しかし、余りにもあからさまな苛立ちに煩わしいを通り越して若干噴き出してしまいそうだ。……分かり易すぎだろ、坂井。
視界の端に捉えていた、不機嫌満載の此奴にチラリと視線を移すと、これでもかと睨み付けてくれた。
「……アキラ、先に出てて」
「え? うん……」
彼女を外に出して、殴りかかる気かと身構えていたら、大分躊躇した後にボソリと「サンキュ」と呟いた。
「はあ?」
「……だからっ、アキラ助けてくれたんだろ? 悪かったな」
「あ、ああ……」
まさか礼を述べられるとは。完全に意表を突かれて呆然となっている間に、玄関ドアはパタンと閉じられて、後には静寂が訪れた。




