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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『窓辺のやくそく』
28/56

約束(木曜日)

 私の手首をぐっと掴んで、やや早足で歩く雄大の横顔をそっと窺うと、間違いなく機嫌は悪そうだけど、同時に何だか罰が悪そうな印象も受ける。

 こんな顔、前にも見た。

 暫く記憶を辿って思い出した。そうだ、保健室で『昨日の事は忘れろ』と言った雄大が、確かこんな表情で……

 色々と思いを巡らせていると、ふと梅香が言った『ユータくんって意外と妬くんだね』という言葉が脳裏に浮かんだ。

 え。もしかして、そういう事なの? たったあれだけの事で?

 そう思った次の瞬間、梅香に嫉妬してしまった自分を振り返って口をつぐむ。

 他人ひとの事は言えない。私だって、梅香と雄大が楽しそうに話してただけで物凄くモヤモヤしてた。

 でも、私が感じた様なマイナスの感情と同じ様な思いを雄大が抱いているなんて、未だに信じられない。

 だって、きっと雄大は知らないだろうけど、今こうして手首を掴まれて歩いているだけで、壊れそうにバクバクしてるんだよ?

 目が合っただけで顔から湯気を噴きそうなんだよ?

 そんな私と、雄大の『すき』が同じだとは、何だかやっぱり思えなくて……


「なんだよ」


 そんな事を考えながら横顔を見つめていたら、前を向いたままの雄大が不意にボソリと言葉を発した。


「あ、いやその、別に……」


 何が「別に」なんだか分からないけれど、慌てて掴まれていない方の手を顔の前で振って否定すると、雄大がふーっと息を吐いた。


「分かってるよ、悪かったな」

「え?」

「自分でも呆れてるから」


 益々疑問符が飛んだ私に再び落とされた深い溜息。


「……こんなに独占欲強かったなんてさ」


 一瞬、自分の事かと思ってドキリと心臓が跳ねた。でも会話の流れからして、それはどうやら雄大の事らしい。

 私の手首を放してポケットに突っ込まれた左手と、フイと逸らされた顔の鼻から口元の辺りをすっぽりと被った右手。

 触れていた、というか鷲掴まれていた手首の熱が無くなって、なんだか淋しさが押し寄せた。

 雄大を独占したいのは、私も一緒だ。もしかしたら、いやきっと、私の方がもっと。

 ドキドキしながら、そっと手を伸ばしてポケットに入っている雄大の袖の裾を摘む。

 驚いた様に此方こちらを振り返った雄大を、揺れる瞳で見上げてコクンとつばきを呑んだ。


「………手、繋いで? も、いい……?」


 一言告げるだけなのに、どうしてこんなに鼓動が踊るのかな。

 しかも噛んだ。思いっきり。手を繋ぎたい旨を告げたところで不安になって聞き直したから、より一層おかしな疑問文になった。穴を掘って埋まりたい気分の私をまじまじと見つめる雄大の視線の所為せいで益々動悸が激しい。


「……アキラさあ」

「な、何?」


 只でさえ逃げ出したい程緊張してるのに、呆れた様に呟かれて、おまけに溜息まで落とされて、物凄く泣きたい。

 潤んだ瞳を見られたくなくて俯いた途端、きゅっと身体が包まれた。

 って、ちょっ……! 路上なのに!

 慌てて暴れる私の耳元に、はーっと溢れた吐息が掛かって、ゾクゾクッと何かが背筋を駆け上がった。


「どんだけ煽るんだよ、お前……」

「へ?!」


 何言ってるのか分からないけど、いいからちょっと放してッ……!!

 願いも虚しく、雄大の手の力が弛む気配は無くて、体内の熱がこれでもかという程に凝縮されて全身を駆け巡る。

 たっぷり数十秒後、深い溜息を放った雄大にようやく解放された私の手は、願い通りそっと絡められて、先程とは違い、2人でゆっくりと家路を辿る。

 火照る頬にそっと反対側の手のひらを添えて、詰めていた息を密かに吐き出した。

 鼓動は未だ恐ろしい程バクバクと高速で主張していて、ちっとも落ち着く気配が無い。

 ちらりと此方こちらに目をった雄大と僅かに視線が絡んだ途端、彼が傍目はためでも分かる程に赤面した。

 慌てて向こう側を向いたけれど、その表情は私の心にしっかりと焼き付いていて、更に動悸を激しくさせた。


***


 あーもう、どうしよう。

 自宅まで残り数分になってしまっていたけれど、雄大と手を繋いで帰宅して、夕飯を食べて、茶碗洗って歯磨きして、2階の自室で課題を拡げつつも、ソワソワして携帯を開いたり閉じたりと落ち着かなく繰り返して、鳴らない電話に溜息を零しながら意味も無く部屋の中をぐるぐると歩いて、諦めてお風呂に入って湯船に浸かってるけど、

 ……ドキドキが治まらない。

 力強く抱き締められた感触が身体中に残っていて、気を抜いた瞬間、おでこまで熱が駆け上ってくる。

 男の子なんだなあ……

 いや、勿論分かってたけど。昨日今日と抱き締められた事で、理屈じゃなく身体がそう思ったっていうか。

 小学校の中学年ぐらいまでは、腕相撲でも鬼ごっこでも私が勝ってた。

 でも、今の雄大は力も強くて、足も速くて、とても勝てる気がしない。

 そんな雄大に、自分とは違う「異性」を感じて、身体中が心臓になってしまったかの様にドキドキとうるさい。

 体内がカーッと熱くなったと思ったら、目の前が僅かにクラリと揺れて、慌ててザバッと湯から上がった。このまま此処に居たら本気で逆上のぼせそうだ。

 濡れた身体を拭いて、どうしようかと迷ったけど、いつも通りにパジャマを着た。

 風呂上がりなのに服を着てるのを母に突っ込まれたら、何て答えれば良いか分からないから。

 一応、買ったばかりの可愛いパジャマで、襟元まできっちりとボタンは止めたけど、やっぱり何だか恥ずかしい。

 ほんの数年前までは、雄大の前でタンクトップ1枚でも特に何とも思わなかったのに、この思考の変化は何だろう。

 苦笑しつつ自室のドアを開けたら、窓がコンコンとノックされているのに気がついて、慌てて駆け寄ってカーテンと窓を開けた。

 私の姿を見た雄大は、一瞬息を呑んだ後「ごめん」と呟いて視線を逸らしつつ頭をポリポリと掻いた。


「風呂……入ってたんだな」

「あ、うん……」


 パジャマ着てるし、頭にタオル乗ってるし、ドライヤーも持ってるし、誰が見ても一目瞭然で風呂上がり。


「ごめん、こんな格好で」

「あ、いや全然!」


 慌てて否定した雄大が、若干視線を揺らしつつ照れ笑いを零した。


「……パジャマとか、久し振りに見た」


 そうだよね。久し振りに見せたと思う。いや、もう昔みたいに互いの家にお泊まりもしないし、わざわざ見せる機会も無いからね。


「髪乾かせば? 風邪引くぞ」

「うん、じゃあちょっと待っててね」

「ごゆっくり」


 そう言うと、雄大の部屋のカーテンが閉められた。気を遣ってくれたのかな。

 その何気ない心配りにもドキドキしつつ、温風を髪に滑らせる。十数分後、ドライヤーを階下へと置いて来て「終わったよ」と声をかけると、再びカーテンが開けられた。

 ずっと其処で待っててくれたのかな。嬉しくて笑みを零したら、雄大もにこっと笑ってくれて、2人して窓越しに微笑み合う格好になってしまった。

 どうにも気恥ずかしくて、弛んだ頬が戻らない。そんな顔をじっと見られるのは堪らなくて、両手で鼻と口元を被いつつ、回らない頭で懸命に口を開いた。


「あ、の……ッ日曜日、なんだけど」

「うん、あ。行きたいとこ思いついた?」

「あの……どっ動物園、とか?」

「動物園?」

「や、あの水族館でも良いんだけど」

「いいね」


 提案した事に対して、満面の笑みを向けられて賛成して貰えると、何だかムズムズして大変こそばゆい。


「ユータはどっちが好き?」

「おれは……水族館かな?」

「そっか。じゃあ水族館で」


 ホッと安堵して笑いかけると、雄大が照れ笑いを零して左手を差し出した。

 キョトンとしていると同じ動作を促されて、疑問符を大量に浮かべながら、左手を雄大の方へと伸ばした。

 頑張れば手は握れそうだけど……?

 何をするのか分からずに、首を傾げて雄大を見つめていたら、軽く握られていた彼の左手の小指が立った。

 あっ。もしかして、指切り? うわっ。懐かしい。嬉しい。恥ずかしい。

 色んな感情が一気に押し寄せて顔が熱くなった。

 怖ず怖ずと小指を立てたけれど、雄大のそれまでは20センチ程の隙間が存在する。

 どうするのかな? と思っていたら、そのまま「指切りげんまん……」と歌が始まって、リズムに合わせて手が揺れたので、雄大に合わせて私も手を揺らした。

 可笑しいけれど、吹き出すよりも何故かジーンとしてしまって胸が熱い。

 実際には指は絡んでいないけど、気持ちは確かに結ばれていたと思う。


「指切った、と……じゃあ、日曜日な」

「うん」

「何時にする?」

「えっと……午前中、ちょっと部活あるから、12時とかでも良い?」

「そっか……じゃあ、12時に駅の時計台前でどう?」

「うん」


 待ち合わせだって! 益々デートっぽい!


「じゃ、おやすみ」

「うん、おやすみ」


 嬉しさのあまり、叫びたい気持ちを懸命に抑えつつ、にこやかに手を振って窓とカーテンを閉めた後も、ワクワクし過ぎて中々眠りにつけなかった。

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