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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『窓辺のやくそく』
25/56

告白(水曜日)

「……お父さん、おかえり」


 リビングのドアを開けた人物に挨拶をすると、彼はにこやかに応えた。


「ああ、ただいま。雄大くん来てたのか。いらっしゃい」

「お邪魔してます」


 ペコリと頭を下げた雄大に改めて微笑んで、ネクタイを弛めながら奥の部屋へと引っ込んだ父の背中を見つめて、知らず息を止めていた。

 そして、パタンと閉まったドアに向かって、2人で大溜息を吐き出した。

 ちゃんと笑えていたかどうか、心配だ。


「……さすがに」

「うん?」


 ハーッと息を吐きながらボソリと呟いた雄大に小首を傾げると、軽く頭を掻いた彼は、閉まったドアと私を交互に見遣って口を開いた。


「親父さんに見つかったら、ヤバいよな……?」

「………多分」

「だよな」


 再び深い溜息を吐いて項垂うなだれた雄大に掛ける言葉は見当たらず、黙ってコーヒーを啜っていたら、父母ちちはは揃ってリビングに戻って来た。


「今日はカレーか」

「ええ、直ぐ温めますね」


 キッチンに立つ母と、ソファーに向かって来る父を見て身体が固くなった。

 一人掛けソファーは私が占領しているので、父が座る場所は雄大の隣しか無い。

 息子同然の扱いだろうとは思うけど、わざわざ間を割って座る事になるのも、ちょっとどうだろうと暫し考えて、思い切って雄大の隣に移動したら、腕が少し触れてしまった彼が、やや硬直したのが分かった。

 そんなに引き攣らなくても、移動したのも身体が触れたのも、これと言って特別な意図なんて無いよっ。

 父の目の前でベタベタするなんて論外だし、そもそもそういう関係だという事すら言ってないんだから。

 いずれ言わなければならない事は分かっているけど、今この場でどんな顔して雄大との関係を紹介すればいいのか分からない。

『——お父さん、私、実は雄大と……』

 あー……無理。無理だ。気恥ずかしいなんてモノじゃない。

 これがもし初対面なら、『お父さん、同じクラスの坂井くん。お付き合いしてるの』とか紹介する所だけど、雄大だよ?

 父に取ってはそれこそ、ミルク飲んでる頃から知ってる訳で、その彼と娘が付き合っているというのは……如何どうなんだろう。

 考え込んで自分の膝を見つめていたら、一人掛けのソファーに腰を降ろした父が私たちを眺めて口を開いた。


「久し振りだね、雄大くん」

「あ、はい。今日はご馳走様でした」

「ああ、家で夕飯食べたのか」

「はい、今日お袋が同窓会に行っちゃって」


 「千円札1枚置いて行かれちゃって」と言った雄大に、笑って「あの人らしいな」と返した父を見て密かに安堵の溜息を吐いた。

 『いつもの空気』だ。良かった……

 そう思ったのも束の間、次に父が発した科白せりふにピキッと身体が固まった。


「しかし、相変わらず君らは仲が良いな」


 その言葉をどうとって良いか分からず、何とか笑顔を浮かべて顔を上げたけど、自覚が有る程に引き攣った。まさに苦笑と呼ぶに相応しい表情だったと思う。

 隣に居る雄大が俯いて口をつぐんでいたけど、やがて父を真っ直ぐ見て口を開いた。


小父おじさん」

「うん?」

「おれ……アキラと付き合ってます」


 言っちゃった……! まさか、雄大が口火を切るとは思わなかった。

 目を丸くした父の視線が痛い。暫く私と雄大を交互に眺めた父がゆっくりと言葉を発した。


「それは……恋人として?」

「……はい」


 コクリと頷いた雄大を無言で眺めた父は、やがて静かに「………そうか」と言った。

 ……え? それだけ?

 息を呑んで父を見つめたけれど、それ以上の言葉が出る気配は無い。

 重い沈黙を破った母の「カレー温まりましたよー」という呼び声に、父がゆっくりと立ち上がった。


「雄大くん」

「はい」

「信頼してるよ」

「……はい」


 ダイニングテーブルへと歩いて行った父の背を見て詰めていた息を、代わりにやって来た母の前で静かに吐き出した。


「あの……おれ帰ります。ご馳走様でした」

「はいはい、また来てね」


 いつもの様ににこやかに笑った母と、振り向いた父にペコリと頭を下げてリビングを出て行く雄大の後をパタパタと追い掛けた。


「ユータ」


 リビングのドアが閉まった所で控えめに呼び掛けると、振り向いた雄大にポンポンと頭を軽く叩かれた。反射的にキュンとした私に彼が苦笑を漏らした。


「あれで良かった?」

「え?」


 キョトンと見上げると、大きく溜息を吐いた雄大が頭を軽く掻いて言った。


「親父さんに言えって事だろ? 隣に座ったの」

「え?!」


 全くそんなつもり無かったけど!

 頓狂な声を発した私に、暫しの無言が落ちる。


「違うの?」

「う……うん」

「何だ、勘違いか……すげー緊張したのに」


 ハーッと息を吐き出した雄大に謝ろうかと思ったら、彼が「まあ良いか」と呟いた。


「後でバレたら心証悪いしな」


 そっか……確かに。何も言ってなくて、母みたいにキスシーンでも目撃されようものなら、目も当てられない。


「でも、いきなり怒鳴られたらどうしようかと思ったよ」

「うん。良かった、何も言われなくて」

「……しっかり釘は刺されたけどな」

「へ?」


 釘? どこに? 疑問符の飛んだ私の耳元で溜息と共に呟いた。


「手ぇ出すなって事だろ、あの『信頼』は」

「えっ」


 そうなの? じゃあこの先、雄大とは何も無し? ……って、そうじゃなくて、そのッ……!

 頭を掠めた考えに、勢い良く熱が昇って湯気を噴いた。

 おそらく大分顔が赤いであろう私の頭を再度ポンポンした雄大が苦笑を漏らして言った。


「心配しなくても、元から何もする気無いから」

「あ……そう……うん、そうだよね……」


 若干引き攣った笑みを浮かべた私を知ってか知らずか、「じゃあな」と軽く手を振って扉の向こうに消えた。

 閉まったドアに向かって溜息が溢れる。

 そりゃ、いきなりキスより先に進まれるのは正直怖いけど、ああもはっきり『何もする気は無い』と言われると、ちょっと沈む。

 魅力無いかな、私。オムツの頃から知ってる相手じゃ、そんな気になれない?

 答えの出ない考えに再び溜息を拡げつつ、リビングに戻らずに2階の自室へと重い足を引きった。

 机に教科書等を出してみたものの、どうにも課題をやる気にはなれず、クッションを抱えてベッドにごろんと転がる。

 夢にまで見た雄大との甘い空気。頭ポンポンしてくれて、抱き締めてくれて、キスだって。幸せの絶頂の筈なのに、胸のモヤモヤが晴れない。

 欲張りなのかな、私。近付けば近付く程、もっと雄大が欲しくなる。

 ついさっき別れたばっかりなのに、また顔が見たくなってる。手とか、繋ぎたくなってる。雄大はそうでもないのかな。先刻もさっさと帰っちゃったしな……

 止まらない溜息を零してクッションをぎゅうっと抱き締めた。


「……ユータ」


 無意識に呼んだ名前に体温が上昇していく。

 直ぐ其処に居るんだから、カーテンを開ければ逢えるかも知れないんだけど、実際に彼を目の前にすると、今度は何を話せば良いのか分からない。

 もしも手なんて握られてしまったら、心臓が壊れそうにバクバクしてしまう。

 勿論、自分から握る勇気なんて無くて……


 考えて、益々深い溜息を吐き出した。気持ちはすごく雄大に近付きたいのに、身体が全然さっぱり着いて来ない。

 ああ……ダメだ。こんなのだから何もする気が起きないの?

 や、かといって何かされたら心臓爆発しちゃう……!


 再び戻ってしまった出口の無い思考に、手にしたクッションで頭を抱え込んで、重い溜息ばかりが重なった。

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