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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『窓辺のやくそく』
24/56

母、目撃(水曜日)

「ただいまー」


 玄関を開けて中へと声を掛けると、リビングのドアが開いて母がひょこっと顔を出した。


「お帰り、晶ちゃん。あらユータくん、いらっしゃい」

「ママ、ユータの分のご飯ある?」

「え?」

「おばさん同窓会で居ないんだって」

「あらあら」


 少し目を丸くした母は、次の瞬間にっこりと笑って「どうぞあがって」と促した。


「すみません、突然」

「やあね、そんな水臭い事言わないで。いつでも来ていいのよ?」


 そう言って歌までも口遊くちずさみつつ、軽い足取りで再びリビングへと消えた母から雄大へと視線を移す。


「……ご機嫌だな、アキラの母ちゃん」

「うん、ユータが来ると嬉しいみたい」

「そうなの?」


 何だか照れ臭そうに頭を軽く掻いた雄大は、「お邪魔します」と靴を脱いだ。

 雄大が家に来るのはそう珍しい事ではないけれど、一緒に上がる事はあまりないので、何だか気恥ずかしい。先程までの甘い空気の余韻が残っているので尚更だ。

 ちらっと雄大に視線を送ると、同じ事を考えていたのか、微妙な顔つきで私を見た後、向こうを向いて再度頭を掻いた。

 表情は窺えないけれど、耳が僅かに赤くなっているのが見えて、私の頬も熱くなる。

 そのまま見つめていると、暫くして振り向いた雄大が一瞬で頬も染めて、慌てた様に手で口元を被った。


「だから……見んなって……」

「もう見ちゃった」


 おかげで脈拍が5割増し速くなってしまった。

 顔を完全に隠した雄大が何とも言えず可愛く思えて、胸もキューンと締められる。


「もー……」


 何が「もう」なんだか分からない事を呟いて、ふと立ち止まった雄大の顔が近付いてくる。

 えっ。え、ここで?

 慌てる間もなく、チュッと微かな音を立てて、雄大の唇が私のそれに触れ……


「晶ちゃん、ごはん出来たわよ? ってあらあら、ごめんなさい」

「〜〜〜ッッ!!!」


 大慌てで後退ったものの、時既に遅し。

 カチャッと軽い音を立てて予告なく開けられたドアは、パタンと閉められた後だった。

 見られた。母親に。しかもバッチリ、思いっきり。

 見える所総てを真っ赤に染めて頭から湯気を噴いた私は、恥ずかしさの余り、雄大の肩に目一杯平手打ち。


っ」

「馬鹿あ!!」

「あー……悪ぃ」

「悪いで済まないよ!」

「じゃあ避けろよ」

「私のせい?!」


 恥ずかしさがリミットを振り切って、大声で言い合いをしていると、再びリビングのドアが開いて母が顔を出した。


「戯れてないで、冷めるからご飯にしましょ?」

「じゃれてないよ!」

「ハイハイ」


 軽くなして引っ込んだ母の背中を見送って唇を噛んでいると、横から雄大が遠慮がちに訊いた。


「……言ったんだ? おれらの事」

「ううん」

「え? じゃあ何で?」


 リビングの方を指差して瞬きをした雄大から察するに、母が平然としている理由を訊いているのだろう。

 答えようとしたら、中から再度呼ばれたので、「後でね」と告げてダイニングへと向かった。

 ご飯を食べている最中、母はさっきのキスの事には一言も触れず、終始違う話題をにこやかに振っていた。


「ごちそうさまでした」


 若干気まずさの漂う食事を終えて皆で手を合わせた後、「ゆっくりしていってね」と母がお茶を容れてくれた。


「晶ちゃんの部屋で飲む?」

「えっ。い、いや此処でいいです」

「そう? じゃあ、ごゆっくり」


 並んで座ったソファーの前のリビングテーブルに2人分のコーヒーを置いて、ニコニコと去った母の後ろ姿を見つめていて、ドアが閉まると同時に2人でハアーッと詰めていた息を吐き出した。


「何にも言われないのも怖いな……」

「……ごめんね」

「や、怒られるよか全然いいんだけどさ……」


 そのまま暫く沈黙を噛み締めつつ時々溜息を吐いていて、やがて雄大が此方こちらを向いて問い掛けた。


「……で、言った訳? おれと付き合ってるって」


 うーん。言ったと言えば、言ったけど、自ら進んで報告した訳じゃない。

 取り敢えず順を追って説明しようと口を開いた。


「バレンタインの時、私チョコ作ってたんだけど」

「ああ、あれ……」


 口篭もった雄大が、彼の鼻の頭を指で軽く掻いた。


「すげー嬉しかった。サンキュな」


 突然告げられた御礼に、目を丸くして見つめると、頬を赤くして口元を被った。


「……や、あん時バタバタしてちゃんと言わなかった様な気がするから」

「ユータ……」


 何だか感動してじーっと見つめていたら、雄大が慌てて両手で頭を抱え込んだ。


「あんま見るな」


 ごめん、と言い掛けたら、雄大がボソリと呟いた。


「……またしたくなる」

「……ッ」


 何を? って、この会話の流れからして、キス、だよね? やっぱり……

 先程の不意打ちキスと、それを目撃された事を思い出して身体がカーッと熱くなった。

 膝の上で両手をきゅっと握り締めて俯いていたら、視界に大きな手が入って、私の手にそっと触れた。


「あっ、あの、それでっ、チョコ作ってた時なんだけど……!」

「……うん」


 慌てて話題を変えようとしたら、雄大の手が、ゆっくりと私の手を撫でて包み込んだ。

 彼の指で柔らかくスリスリされる手の甲から、ゾクゾクッと背中を駆け上がる何かにって動悸が加速していて、物凄く落ち着かない。

 どうにもじっと座っていられなくて、もぞもぞと座り直していたら、ふと後ろへと回ったその手に腰を抱かれて、ビクッと身体がしなった。


「ちょっ……ま、またいきなりドア開けられるかも……!」


 小声で抗議すると、雄大がクスリと笑った。


背凭せもたれ有るから見えないって」

「でっでも……」

「これ以上何もしないし」


 それにしたって、いきなりこんな大接近……!

 私の心の内を読んだのか、再びふっと笑いを零して耳元で囁く様に言った。


「昨日、保健室の帰りに宣言しただろ?」

「え……?」


 何? 何だっけ?

 回らない頭を精一杯回転させて、浮かんだのは一つの科白せりふ

『今まで我慢してた分、目一杯させて貰うから』

 雄大の声が鮮明に浮かんで、またしても頭から湯気を噴いた。


「思い出した?」

「うっ……あの、でもっ」

「嫌?」


 嫌かと言われると……


「……嫌じゃない……」


 消えそうな声で告げると、間近で雄大が嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔、反則だって……

 全身に響き渡っているドキドキに流されない様に身体を固くしていたら、更に抱き寄せられて顔から火を噴いた。

 クスッと笑われて益々硬直している私に、雄大は頬を弛めながら「それで?」と訊いた。


「は?」

「だから、おれの為にチョコ作ってて、何だって?」


 質問の内容よりも、耳に掛かる雄大の吐息に身体が翻弄されている。本当に心臓に悪い。

 時間が経っても治まるどころか、どんどん速度を増す脈拍の中、震えそうな声を叱咤して絞り出す。


「……あんまり巧く出来なくて凹んでて」

「うん」

「そしたら、その時ママに『雄大くん喜んでくれるわよ』とか言われて……」


 そう言うと、雄大が数回瞬きをして聞き直した。


「じゃあ、それ以前にバレてたって事?」

「……そうみたい」

「アキラ、分かり易いもんな」

「えっ」


 私ってそんなに顔に出てる?!


「今、そんなに分かり易い? とか思ったろ」

「〜〜ッ」


 見事に言い当てられて、何も言い返せない。


「やっぱね」

「悪かったわね、単純で!」


 笑われてちょっと悔しくて、軽く握った拳で雄大をポコポコ叩いていたら、その手を握られて容易く動きを止められた。

 腰を抱かれたまま手を掴まれたものだから、必然的に迫る雄大の顔。

 間近でじっと見つめられて、壊れそうに踊る心臓のせいで息も出来ない。

 あまりの緊張に瞳が潤む私との距離が音も無く詰められた時、玄関を解錠する音が響いて、ビクッとして慌てて飛び退いた。

 あっあと5センチだったのに……! ってそうじゃない!

 急いで一人掛けのソファーに移動してマグカップを持った。

 ほぼ同時に開いたドアの方を見て何とか笑顔を浮かべたが、きっと引き攣っていただろうと思う。

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