帰宅(水曜日)
程無く部活が終わって、雄大と一緒に帰宅する事になったけど、……沈黙。
ポケットに手を突っ込んで、私から視線を逸らして黙って歩く雄大に、話しかける事は出来ずにシュンと沈んで、半歩下がって着いて行く。
そんなに迷惑だったのかな。部活観に行ったこと。
それとも、昨日手を繋いで仲良く帰った事は夢だった?
夢じゃないなら、どうして今日はこんなに冷たいの? ううん、朝は優しかった。じゃあ学校で私、何かしちゃった?
何が悪かったのか分からない。直接訊ねる勇気もなく、俯いてきゅっと唇を噛んだ。
「……なんで観に来んだよ」
不意にボソリと呟かれて、堪えきれずに鼻腔がジンと熱くなった。
主語は無いけど、やっぱり部活の話だよね?
観たかったの。そんなにいけない事だったの? だってそれに、
「ユータ、来てもいいって言ってたじゃん……」
「え?」
「藤咲さんは良くても、私はダメなの?」
口に出した途端、遂に決壊した涙腺から雫が溢れた。
ギョッと瞳を見開いた雄大から、くるりと背を向けて全力で駆け出した。
「ちょっ、アキラ!」
慌てて駆け寄って来た雄大にあっさりと手首を掴まれて、反射的に暴れたけれど全くビクともしなくて更に悔しい。
「どこ行くんだよ、家はそっちじゃねーぞ」
「どこでもいいでしょ!」
声を荒げて振り払おうとしたら、雄大の力が益々強くなった。
「良い訳あるか!!!」
物凄い大声で怒鳴り返されて、全身がビクッと撓って硬直した。
固まっている私に、消えそうな声で「ごめん」と呟いた雄大が、泣きそうな顔で俯いた。
その顔にズキンと胸が痛んで、何も言えずに佇んでいると雄大は、私の手首を柔らかく握り直して家路をゆっくりと歩き出した。
掴まれている手首からトクトクと流れる脈を意識していると、雄大がチラリと此方を見てもう一度「ごめん」と呟いた。
一瞬合った視線を下に逸らして、黙って首を横に振ると、手首を握っていた手が少し下がって、遠慮がちに私の手を包んだ。
ドキリと跳ねた心臓を感じつつ、雄大の顔を見上げると彼は、少し眉間を寄せて切なそうに私を見つめていた。
「………バレンタインの日さ、」
大分躊躇しながら口を開いた雄大の顔から瞳を逸らせずに、唾をコクンと呑んで見つめていると、その手に僅かに力が篭った。
「アキラ居なくなって、本気で心臓潰れるかと思った」
「……」
「もう、あんな思いしたくないんだ」
「……」
「どこも行くなよ……頼むから」
絞り出す様に言いながら、わたしを見ていた視線は完全に下がって、語尾が震えている。
同時に、柔らかく包まれていた手は、ぎゅうっと握り締められた。
……痛い。でもきっと、この痛みは、雄大の心の痛みだ。
「……ごめん」
小さな声で謝ると、地面を睨んでいた雄大がそっと顔を上げた。
あの時、必死で探してくれた雄大はとても嬉しかったけど、未だにこんなに傷ついているなんて思ってもみなかった。
「ごめん」ともう一度声に出さずに呟いて、溢れそうな涙を堪えながら雄大を見つめていたら、一瞬顔を赤くした雄大が頭をガシガシと掻いてそっぽを向いた。
……あ、手が離れちゃった。未だぬくもりの残る手を見つめて佇んでいたら、数歩先に居た雄大が振り返って言った。
「帰らねーの?」
「……あの、」
頭の中には「どうして晶から行かないの?」と言った梅香の科白がぐるぐると回って湯気が昇る。
不思議そうに見つめる雄大の顔から、僅かに視線を下に逸らしながら、息を吸い込んで思いきって声を発した。
「……て、手っ……繋いじゃ、ダメ?」
声裏返っちゃった。恥ずかしい!
それよりも、無言で固まっている雄大の反応が怖い。もしも拒否されたら、再び逃走したい気分だ。顔にどんどん集まる熱を感じながら、続く沈黙に涙までもが浮かぶ。
お願いだから、何か言って欲しい……
堪えきれなくて熱い顔をそっと上げたら、口を開けたままの雄大の顔も同じく赤かった。
……え? もしかして、失敗? 私、そんなに変な事言った?
若干血の気が引いた状態で、どうしようかとオロオロしていたら、ふと私に近付いた雄大に、そっと手を握られて体温が上昇した。
「……いいの?」
「え?」
「や、だって、手ぇ握ったらアキラ固まるから」
「え?!」
「……今朝も、早く離したそうだったし」
今朝?! いやまあ確かに、雄大に好意を寄せてる女の子達……雄大に言わせればそれは誤解らしいけど……に睨まれるのが嫌で離れようとした、けど……
「学校で仲良くすんのもやっぱ嫌なんだろ?」
「へ?」
「落ち着かない感じで周りばっか見てた」
そりゃ、周りの視線感じるし、気にならないと言えば嘘になる。
でも、冷たくされるより、恥ずかしい方が何倍もマシなのに。
この気持ちをどうやって伝えようかと考え倦ねていたら、雄大が躊躇しつつボソッと呟いた。
「………おれを観て欲しいのに………」
え?!! 自分の耳を疑う発言に、瞳も口も大きく開いたまま固まって見つめていると、雄大の頬が限界まで火照り始めた。
初めて耳にした雄大の欲求に、心臓がドクドクと暴れておでこまで一気に熱が駆け上がる。
「み、観てるよ」
「え?」
「今日も、ずっと観てた」
でも、知ってる筈だ。なんたって、私が朝から溜息を吐きまくっていたのを知ってるのだから。なのに、どうして。
「どうして、こっち見てくれなかったの……?」
「……だってさ」
言い難そうに口を開いた雄大に、胸がきゅっと締まる。
「……アキラ見てたら傍に行きたくなるし」
へ??
「傍に行ったら、触りたくなるし」
「は……?」
「うっかりベタベタして、アキラに嫌な思いさせたら嫌じゃん」
それでなの? 私が嫌がると思って、あんな素っ気ない態度……
鼻の奥がじんと熱くなった。こんなに大事に想ってくれてたんだ?
「あの、じゃあ、部活見て怒ったのは……?」
「怒ってない」
「でも」
でも、あれは確実に避けられてた。なんで見にくるんだよって目で見てた。
「……恥ずかしいじゃん」
「え?」
「予告なくアキラが見に来て、ヘマしたら格好悪いだろ」
それって……私が見てたら緊張して、って事?
拗ねた様に口を尖らせる横顔を暫く眺めて、微かにふっと笑いを零した私を、雄大は怪訝な顔で見遣った。
「何だよ」
「だって、今更だよ」
「は?」
「格好悪い所なんて、数えきれないぐらい見てる」
「……ッ」
絶句して固まった雄大に、暫く黙った後に「それに」と小さく言った。
「……カッコ良かった」
「……え?」
「だから……格好良かったよ、すごく」
雄大を真っ直ぐ見られなくて、視線を游がせながらも何とか素直な感想を述べると、彼の頬が赤く染まった。
頭をポリポリと掻いてそっぽを向いた雄大に、胸がキュンと締まった。
昼間の落ち込みが嘘の様に、今は嬉しいドキドキで満たされていて、思わず手をきゅっと繋ぎ直したら、一瞬強い力で握り返された後、改めてゆっくりと指を絡めて繋がれた。
相変わらず視線は此方を向いては居ないけれど、照れた横顔が目に入るだけで、鼓動は限界一杯まで速いリズムを奏でている。
「……なあ」
「うん?」
「……今から、ウチ来る?」
「え」
唐突なお誘いに思考回路が停止した。雄大ん家? えっと……夕飯を食べに来いって事?
「うん」
突然行ったらおばさんが困るんじゃないかとも思うけど、まあ、挨拶だけして帰ってもいっか。
そう軽く考えて雄大の家に入ったら、……誰も居なかった。
……え?
静まり返った部屋を見渡して数回瞬きをした私は、後ろから不意に抱き締められた。




