梅香と雄大(水曜日)
「今日は、ラブラブしないんだね」
不意に梅香が漏らした一言に、危うく手にした弁当箱が床に直撃する所だった。
「は!?」
「気を利かせて休み時間も晶に近付かない様にしてたのに、全然二人とも接近しないし」
「……ッ」
思わず咽せ返った私に「あらら」と呑気な声を発しつつ、お茶の入ったコップを差し出されて、それを煽る様に飲んだ。
突然何を言い出すのかと、やや涙目になりつつ、僅かに睨む様な視線を送ったが、彼女は全く気にする事なく弁当を口に運んでいる。
「梅ちゃん! いきなり何?!」
「いきなりじゃないよ、今日朝からずっと思ってた」
「そっ……」
そうじゃなくてって言うか、そんな事言われてもって言うか、とにかく、好きでこんな状態だった訳じゃないよ!
内心頭を抱えた私に梅香が小首を傾げて言った。
「なんで?」
「……知らないよ、ユータが全然こっち来ないんだもん」
小さな声で愚痴った私に、梅香は溜息と共に呆れ声。
「なんで晶から行かないの?」
「え?」
「折角席だって近いのに、幾らでも話す機会あるでしょ?」
「……」
「それとも学校じゃベタベタしないって決めたの?」
黙って首を横に振った私を見遣った梅香は、お茶をクイッと飲み干した。
「ごちそうさま」
「……」
「そんな泣きそうな顔しないでよ。意地悪言ったんじゃないよ?」
「……うん、分かってる」
梅香の言う通りだ。自分から行くなんて、発想すらも無かった。
思考が完全に受け身になっちゃってるんだなあ……
「今から学食行く?」
「え?」
「ユータくん未だ居るんじゃない?」
「え?!」
い、今?! 学食なんて、いっっぱい人居るのに、其処で話しかけるなんて……!
そもそも、何を言えば?!
思考が溢れ過ぎて言葉にならず、只々口をパクパクさせる私を横目に、平然と2杯目のお茶を口にして鞄からチョコレート菓子を出した。
「まあ、コレでも食べて落ち着いて」
「あ、ありがと……」
個包装のそれを1つ摘んで御礼を述べたものの、頭の中は相変わらず洪水で、激しい動悸も治まらない。
雄大に? 何を言えば良いんだろう。昨日みたいに、もっと構って欲しいとか?
いや、無理。やっぱり無理だ。想像しただけで、顔に熱が集まっていくのが分かる。
「美味そう」
一人で、暴れる鼓動に翻弄されていたら、不意に背後から聞き慣れた声が響いて、ビクッと椅子から身体が浮いた。
そんな私に構わず、梅香がチョコレートの箱を掲げて何気なく訊いた。
「ユータくんも食べる?」
「いいの? サンキュー」
そう言って笑った雄大は、自分の席から椅子を取って斜め後ろに向けた。
位置的に梅香の隣に並ぶ様に座った彼は、早速チョコを頬張って「美味いな、コレ」と梅香に笑顔で言った。
「でしょ? 新製品なんだよ」
「なんで小谷が威張ってんだよ」
「あたしが買ったからに決まってんじゃん」
楽しげに話をする2人に笑って相槌を打っていたけど、実は胸の奥が痛かった。
なんで、私の隣じゃなくて梅香の隣なんだろう。
椅子を後ろに向けただけだからって言うのは分かってる。頭では。
分かってるけど、胸がズキズキ痛む。
私には、笑顔どころか目も向けてくれないのに、何で……
大好きな友達と彼氏にこんな事を思ってしまう自分が嫌で、無意識に机の下で固く拳を握りしめた。
5限目が始まって、そっと手を開いてみたら、掌にくっきりと爪の跡が残っていて、自己嫌悪でまたしても重い溜息を吐く羽目になった。
……なんで私、こうなんだろう……
今までは、可愛い事は言えないものの、まだ色んな話が出来ていたと思うのに。
意識すればする程、何を話せば良いのか分からなくなる。
挙げ句、梅香にまでこんな些細な事でヤキモチなんて、本当に最低だ、私……
暗い。こんなんじゃ嫌われちゃうんじゃないかって思うと益々気持ちが沈んだ。
***
「晶、どしたの?」
完全に上の空だった5限目が終わって私の席に近付いた梅香は、心配そうな表情で私の顔を覗き込んだ。
「……え、何が?」
「あたしの言った事、まだ気にしてた……?」
「……」
落ち込んでたのは、梅香に言われた事じゃなくて、その後っていうか……
言えない。嫉妬したなんて絶対に言えない。
「ごめん。学校で無理しなくても、家に帰ったら会えるもんね?」
「……あ、ううん」
「え? 会えないの?」
まあ確かに、幾ら家が隣だからって、そう毎日会える訳じゃないけど。いや、そうじゃなくて。
吃驚した梅香に慌てて否定した。
「あ、いや、あの。梅ちゃんに言われて沈んでた訳じゃなくて」
「……?」
「ちょっと……自己嫌悪」
「なんで?」
「……うん、まあ」
だから言えないよー……
言葉を濁した私に梅香はそれ以上突っ込まず、「部活行く?」と明るく訊ねてくれた。
それに頷いて、溜息を密かに呑み込みつつ、人の少ない教室を後にした。
***
部活でもやっぱり上の空気味だった私は、顧問の先生にも先輩にも注意された。
悪いのは私なんだけど、益々気分が沈んで深々と溜息が溢れた。
私の所属する吹奏楽部の部室から、昇降口へと重い足取りで向かっていたら、途中に在る体育館からボールをドリブルする音が聞こえた。
バスケ部、まだやってるんだ? 観たいかも。雄大の部活姿。
でも、いきなり覗いたりしたら目立つよね?
どうしようかと思いつつ、少し速くなった鼓動をきゅっと握りしめて、入り口前でウロウロとしていると、「何か用?」と、突然後ろから低い声を掛けられてビクッと身体を撓らせた。
「あ、驚かせた? ごめん」
「いっ、いえ……!」
振り向くとそこには、バスケ部のユニフォームを着た、すごく背の高い、精悍な顔立ちの人。
「あれ? 君……」
「え?」
「そっか。坂井を見に来たのか。どうぞ」
「え?!」
「一緒に帰ってるの見たよ。彼奴の彼女でしょ? もうすぐ終わるけど、見学していいよ」
断る暇も無く、体育館内へと背中を押されて、慌てて靴を脱いで中へと入った。瞬間、バスケ部全員の視線を浴びて身体が硬直する。
注目を浴びたのは一瞬で、再び活動が再開されたけど、一人だけこちらを向いて突っ立ってる人が居る。
口をぽかんと開けて私を見つめているのは、言うまでもなく、生まれた時からのお隣さんである、彼だ。
「坂井、手が止まってるぞ」
「キャ……キャプテン、なんで??」
「入り口で彷徨ってたから連れて来た」
暫く呆然としていた雄大が、やがて私から視線を逸らしてボールをドリブルし始めた。
ああ……やっぱり迷惑だったのかな。はっきり断れば良かった……
ちょっぴり落ち込みつつも、今更どうしようもないので、見学の為に2階へと昇ると、そこには先客が居た。
「あれぇ高橋さん。来たんだぁ?」
「ふ藤咲さん……」
まさか居るとは思わなかった。
軽く目眩を起こしつつ、数メートルの間を取って、柵に両腕を乗せて眼下を眺めていると、彼女の方から直ぐ傍に寄って来た。
「ね、坂井くん観るの初めてー?」
「……そうだけど」
「カッコいーよ? あ、ホラ」
指差されて下に目を向けると、素早くボールを操った雄大が軽く飛んだかと思うと、それは綺麗な弧を描いてシュパッとリングに吸い込まれた。
う、わ…… 本当だ。ものすごく格好良い。
欲目も多分に含まれてるかも知れないけど、目が惹き付けられて離せない。
雄大の一挙一動に、速かった鼓動が益々高鳴っていくのを感じて、ドキドキをぎゅっと握りしめた。




