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きみの家まで30秒  作者: 柏原みほ
高校2年『窓辺のやくそく』
17/56

夕食後(火曜日)

 迷惑……かといわれると、そうじゃないけど……


「……恥ずかしかった」

「ごめん」


 苦笑まじりに謝った雄大を見上げてはにかんで言った。


「うん……でも、嬉しかった……かな」

「え」

「ちゃんと彼女扱いしてくれて」


 自分たちは本当に付き合っているのか? と不安に思っていたのは、私だけじゃなかったらしい事が、何よりも嬉しい。

 自然に弛んだ顔で雄大をニコニコと見つめていると、彼の瞳が左右に揺れて頬が赤く染まった。

 どうしよう。すごく、しあわせ。

 初めてと言ってもいい、雄大との甘い空気にドキドキが止まらない。

 そうするうちに、学校からの帰宅時間である20分があっさりと過ぎて、自宅前。

 まだそんなに話せていないのに。正直なところ物足りない。


「じゃあ……」


 そう言われても中々離れがたく。

 繋がれている手を離せずに、うつむき加減でたたずんでいたら、雄大が照れた様にふっと笑った。


「ご近所にも公言したい?」

「え?」

「こんなとこで手繋ぎっぱなしだと、噂の的になるよな。おれは別に構わないけど」


 そう言われて、慌てて手を離したら「また後でな」と、微笑んだ雄大に頭をポンポンと軽く叩かれて、再び胸の奥がキュウッと締まった。


***


「晶ちゃん、どうしたの?」


 帰りの遅い父を待たずに母娘2人での夕飯中、突然母に尋ねられて、食事がすっかり上の空だったわたしは、ビクッと身体を震わせた。


「え……何が?」

「そんなに混ぜなくてもいいんじゃない?」

「え??」


 言われて手元に視線を落とすと、これでもかと混ぜられた生卵。

 泡立ってしまったそれを慌てて茶碗へと注ぐ。


「ボーッとしちゃって、どうしたの?」

「な、何でもないよ。ちょっと、考え事」

「そう? まあ、悩んでる顔じゃないから大丈夫かな」

「……はは」


 いちいち鋭い母に苦笑を返して、出来上がった泡立て卵掛けごはんを口に運ぶ。

 ……本当は、納豆ごはんだったんだけど、「タマゴの気分」だと言って変更してもらったんだ。

 だって、このあと雄大と話すのに。

 もしかして、キスとか……っ、あるかも知れないのに、納豆はマズいよね?

 もちろん、食後に歯磨きはするけど、念には念を入れるのに越した事はない。

 ……って何考えてるんだろう、わたし!!

 勢いよく駆け上がる熱をごまかす様に、ごはんとおかずを目一杯、素早すばやく頬張って席を立った。


「ごちそうさまっ」

「もういいの? おかわりあるわよ?」

「ううん、満足」

「そう?」


 軽く首を傾げた母に苦笑を返しつつ食器を浸けて、そのまま洗い出すと、お茶をすすった母が、心底感心した声を出した。


「あら、珍しい」

「まあ……たまには」


 本当は赤面を沈める為に、何でも良いからやりたかっただけなんだけど、嬉しそうに「ありがとう」と言われると、選択したのが皿洗いで良かったと思う。


「課題やってくるね」

「はいはい」


 そう言って席を立ったのに、向かった先は洗面所。

 普段、夜なんて寝る前にしか歯磨きしないのに、母に何か言われるかと内心ビクビクしながらシャコシャコとブラシを動かしていたら案の定、通りかかった母に突っ込まれた。


「食後すぐに磨いた方が歯の為に良いって、今日学校で言われたから……!」


 早口で言い訳を口にした私に、母が微笑んで言った。


「そうね。わたしも磨こうかな」

「……あ、うん、そうだね……どうぞ」


 洗面スペースを半分譲って口内をすすぎながらも、動悸は激しい。

 何せ、母にはすべて見透かされている様な気がするから。

 ゆったりと歯磨きをしている母に、「お先に」と告げて、その居心地の悪い空間を後にした。

 洗面所からほど近い階段の下から、自室の有る上の階をゆっくりと見上げて、一つ深呼吸をしてから階段を昇り始めた。

 自覚がある程に浮かれているので、うっかり踏み外さない様に、慎重に。

 辿り着いた自室のドアをパタンと閉めて、詰めていた息を静かな空間にふーっと吐き出す。

 そして、先程の感触の残る自らの頭にそうっと手をった。

 頭ポンポンって、初めてかも……

 触れた雄大の手と、照れたような微笑みを思い出して体温が上昇する。

 恥ずかしくて、嬉しくて、ワーッと叫びだしたいような気持ちだ。

 あとで、って何時頃なのかな。先にお風呂に入って来た方が良いのかな。でも、パジャマ姿じゃ恥ずかしいかも。

 今まで散々観られた事は棚に上げておく。過去の失態は消せないし、……それでもわたしが良いって言ってくれたんだから……

 きゃあぁあっ! 遂に溢れる感情を抑えきれなくなって、枕を抱きしめて叫んでしまった。そうっと枕を下ろして頬を両手で包む。熱い。手のひらにトクトクと刻まれる脈の音が耳の直ぐ傍で響いて、全身を速い鼓動が巡っていく。

 もう一度、ハアッと体内の空気を吐き出した時、突然鳴った携帯の音にビクッと身体が浮いた。この音は、着信だ。慌てて駆け寄って、二つ折りの携帯をぱかっと開く。

 其処に記された「ユータ」の文字に、益々バクバクと速く脈打つ鼓動を感じながら、通話ボタンに乗せた指の力を込めた。


「もっ、もしもしっ」


 噛んじゃった。恥ずかしい!

 カーッと頭のてっぺんに昇った熱を処理出来ずに絶句していたら、クスッと笑った雄大が、優しい声で「今、大丈夫?」と訊ねた。


「うっ、うん大丈夫っ」

「何。アキラ、もしかして緊張してる?」

「……ッ」


 図星を突かれて、一瞬で真っ赤になったわたしを、くすくすと笑う雄大。


「もーっ、笑わないでっ」


 恥ずかしさの余り、ついつい荒くなる語気で抗議すると、未だ喉の奥で笑っている雄大がくぐもった声で呟いた。手で口元を被ったのだろうか。


「いや……やべ」

「は?」

「すげー顔がニヤける」

「……!!」


 照れ笑いの止まらない雄大が浮かんで、顔から本気で湯気を噴いた。

 嬉しい。嬉しいけれども、同時に穴を掘ってすっぽり埋まりたい程に恥ずかしい。

 あんなに望んでいた甘い雰囲気は、こんなにも居たたまれないものだったのか。

 カーテンを開けて顔を見るなんて、とても出来そうにない。

 そわそわして、とてもゆったり座ってられなくて、姿勢を落ち着かなく変えてみたり、意味もなく髪をいじってみたり。

 何をしても激しいドキドキは治まるどころか、益々壊れそうな程に体内で主張してる。

 ただ、ちょっと会話しただけなのに。しかも相手は、生まれた時からずーっと一緒にいる、家族みたいな奴だというのに。


「アキラ」

「はっ、ハイ?」


 相変わらずまるで緊張のほぐれない私に向かって、同様に緊張を滲ませた声が耳元で発せられた。


「……日曜、どっか行かない?」

「……は? え?」

「だから、その……2人で」


 え? ええっ?! それはもしかして、もしかしなくても、デートのお誘い?!

 夢にまで見たデートの誘いに頭の中が真っ白になってしまって、開けたままの口が塞がらない。


「……嫌なら、別にいいんだけどさ……」


 段々小さくなる雄大の声に慌てて首を横に振ったけれど、電話なんだから声に出さないと伝わらない。勿論そんな事は分かっているけど、全然声が出てこない。


「行く!!!」


 数秒後にようやく発せた声は、余り有る気持ちのせいで無駄に大きくなってしまって、雄大の苦笑を浴びた。


「耳痛いって」

「ごっごめっ」

「どっか行きたいとこあったら考えといて」

「う……うん」

「じゃ、また明日な」


 切れた電話を握りしめて溢れる鼓動に身を委ねる。再び抑えきれない感情が沸き上がって来て、またしても枕を抱きしめた。



歯磨きの件、本当は食後30分ぐらい置いてからの方が良いらしいです。

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