すれ違い(火曜日)
「……痛……」
昨夜は泣き疲れてうっかり「伏せ」の格好で意識を飛ばしてしまったらしく、夜中に身体の痛みで目が覚めた。
「……ッくしゅん!」
派手なくしゃみを放って壁の時計に目を遣ると、午前3時過ぎ。
「うー……」
ボーッと霧が掛かった様な頭を数回振って携帯を開く。ほんの少しだけ期待したけれど、やっぱりと言うか、雄大からの着信もメールも無くて重い溜息を吐き出した。
でも、散々泣いたおかげか、少し冷静になった。鏡を覗いて酷い顔だと客観的に見られる程には。
昨日は終わりを告げられたかと思ったけど、よくよく考えたら「もう無理?」って言われたんだった。
だったら、まだチャンスは在るよね? ちゃんと雄大への気持ちを伝えられたら。ちゃんと……笑えたら。
……その前に取り敢えず、目蓋の腫れを何とかしないとね……
しかし、流石にこんな時間に階下に降りて蒸しタオルを作成する訳にもいかず、仕方無くもぞもぞと冷たいベッドに潜り込んだ。
***
それから約2時間程経って、窓の外がほんの僅かばかり薄明かりに包まれた頃、身体を引き摺る様にのっそりとベッドから降りた。
今日、朝逢ったら何と言おうか考えていたら、結局寝直す事は出来ずに時間が過ぎてしまって……頭も身体も重い。
はー……と、何度目か判らない深い溜息を吐き出して、シャワーを浴びに階下へと降りた。
点灯した脱衣室で見た自分の顔には、大泣きの跡がくっきり刻まれていて。
自室で見たそれよりも、更に酷い状態に慌てて服を脱いで浴室に飛び込んだ。
(……ママが起きる前で良かった。)
流石にこの顔では誤魔化し様が無い。
頭から少し熱い目のシャワーを浴びて……念入りにシャンプーとトリートメント。
そして、上がって目元を中心にコットンでポテポテと保水をした。肌に触れるローションがひんやりして気持ちがいい。腫れまくっていた目元もほんの少しマシになった気がする。
ホッと安堵の溜息を吐いていつもより念入りに髪をブローした。
「わ、ビックリした。晶ちゃん早いわねぇ、お早う」
「……おはよ」
脱衣場を出た所で出会した母と挨拶を交わす。
私の顔に視線が定まって、一瞬無言になったのは気のせいじゃないと思うけど、何も言わずににっこりと微笑んでくれた事にホッとした。
「直ぐ朝ごはん用意するからね~」
「いいよ、そんなに焦らなくて」
いつもより1時間半は早い起床の為、お風呂に費やした時間を引いても大分余裕がある。それに、寝不足のせいか身体がダルくてあまり食欲が無い。
洗顔に行った母を見送って、レンジで温めた濡れタオルを1枚、2階の自室へと持って上がった。
携帯のアラームをいつもの起床時間にセットしてベッドにコロンと寝転がる。目蓋の上に乗せた蒸しタオルが気持ちよくて、いつの間にか意識がふっと遠退いた。
***
「……んー……」
アラームが鳴る前にふと現実に引き戻されて、気だるい声を溢しながらゴロンと寝返りを打った。随分眠ったかと思ったけど、長針が4分の1程回っているだけだった。やっぱり眠りが浅い。
まだ身体は重いけど、これ以上寝ると遅刻しそうだし……それに、雄大が出てくるのを待ちたいし。
諦めて身体を起こすと、頭の中に「アキラ、おはよ」と、愛想は少な目だけど声を掛けてくれる、いつもの雄大が浮かんで体温が上がると同時に、きゅうっと締まった胸の上で右手をギュッと握り締めて、はあーっと体内の空気を吐き出した。
***
「……行ってきます」
「ハイ、気をつけてね」
朝食はイマイチ味が判らなかったけれど、折角作って貰ったので形だけ何とか詰め込んで席を立った。
微笑んでは居るものの心配そうな母が気になるけど、親にぶっちゃけられる悩みでもなく、頑張って笑顔を浮かべるのが精一杯だ。
気合いを込める様に、もう一度「行ってきます」と口の中で呟いて、重い鞄を手にして外へ出た。
そして、速い鼓動を抱えていつもより5分程早い時間に隣家の前に立つ。
ほんの少し時間が早いだけでいつもと同じ行動なのに、どうにもそわそわして落ち着かない。
膨らむドキドキを静めようと深呼吸をしてみたけど効果は無かった。
それどころか、バクンバクンと耳の直ぐ傍に心臓が在るかの様に益々激しく高鳴っている。
早く出てきて欲しい様な、欲しくない様な、複雑な気持ちが溜息となって地面に落ちた。
***
……もう何回目だろうか。時計の文字盤に視線を遣るのは。
此処に立ってから十数分が経過しようとしてるけど、雄大が出てくる気配は全く無い。落ち着かない状態での待ち時間は平常時の何倍も長く感じる。
「ちょっと……」
それにしても遅くない? 刻々と進む秒針に比例して焦りが募る。普段より10分は遅い。このままでは遅刻してしまう。
流石にじっと立っていられなくて、暫くウロウロと垣根の中を窺ってから思い切ってインターホンを押した。
程無くして出てきた雄大のお母さんにペコリと会釈をすると、キョトンとした彼女に数回の瞬きを返された。
「お早う、晶ちゃん」
「おはようございます……あの、ユータは……?」
「何か、朝練が有るって言って大分前に出たわよ? 聞いてない?」
「そ……ですか……すみません」
もう一度ペコリと頭を下げて、トボトボとその場を後にした。
朝練だなんて、そんなこと聞いてない。そりゃ、もうすぐ大会が在るらしいし、時間を惜しんで練習するかも知れないけど、せめて一言ぐらい……
「高校も一緒に登校しような」
不意に雄大の声が脳裏に浮かんだ。中学の終わり頃、お互いに想いを告げてから初めて手を繋いだ事が鮮明に思い返される。
デートらしいデートすらしなくても、恋人らしい事は何も無くても、「一緒に登校」だけはずっと続けて来てたのに……!
じわっと熱くなった目頭を右手の甲でグイッと拭って、拳を握り締めたまま学校に向かって全力で走り出した。
折角整えた髪がぐしゃぐしゃだけど気にしてる余裕は最早無かった。
立ち止まったら泣き崩れてしまいそうだったから……