第二章 こいこいのチュートリアル
各国の富裕層が惜しみなく私財を投資しているので、夢園学園は目玉が飛び出てしまうくらい贅沢に作られ、また設備も充実しているのだが、教室という場所は対照的に『教室』という言葉から連想出来る平凡な作りをしている。備品に至っても高級な木材や鉄材が使われているわけではなく、平均的な学校で使用されているこれまた平凡な規格の代物である。
「ひ、酷い目に遭いました……」
教室にたどり着いた時、ディヴィヤは深い吐息混じりにそう言った。
「ご、ごめんね……。私、花札の事になると暴走する時があってさ……」
キキコは平謝りする。花札を知ってもらえるという嬉しさのあまり、ディヴィヤの事を悪く言えないほどの強硬手段を迂闊にも取ってしまった自分が恥ずかしい。基本的には平気なのだが、先のように不意打ちのように話題を出されると駄目なのだ。内心で猛省する。
息を整え終えたディヴィヤが顔を上げる。
「謝罪は不要です。私も迂闊でしたから」
そう言い置いて人がまばらに揃っている教室の中を歩き始めた。キキコもその後に続く。披露会の後、自由解散となったものの、何せ一学年十二クラス、一クラスの生徒数三十六人、一学年の生徒総数四百三十二人という大所帯なため、全ての生徒が教室に戻るのにはかなりの時間を必要とする。二人のクラスにおいても数えるほどしかいないので揃うのはまだまだ先だろう。
「時に、品物が無くても平気でしょうか?」
自分の席から椅子を持ってきて、キキコの席の横に着席したディヴィヤが聞いてきた。二人は隣同士なので移動にそこまでの苦は無い。
「無いときついけど、私が持ち歩いているから平気だよ」
答えつつ、キキコはバッグの中からケースに入った花札を取って着席する。教える都合上、机に対して平行になるように座った。
一度咳払いしてキキコはレクチャーを始める。
「それじゃ、時間も惜しいから早速始めていこうと思うけど、歴史から始めるか、遊び方から入るか、どっちがいい?」
「歴史からお願いします」
「じゃ、歴史からね。――時は安土桃山時代。オランダからキリスト教やカステラの伝来と共にトランプが伝わったのが花札の始まりなの」
「花札はトランプが派生したものだったのですか」
「そうみたい。で、天正時代には国産のトランプことかるたが登場したの。ちなみにカルタはポルトガル語の「carta」が由来で、手紙や紙を材質としている板状のもの、トランプなどを意味しているよ」
「的を射ていますね。で、登場した後は?」
「登場したのはいいけど、時代が時代。そういう物は貴族の遊びとされていて、その用途が賭博だったから禁止されてしまい、禁止令から逃れるためにデザインを変えたり、地下に潜ったりとかるたの形態はどんどん流動していったの」
「そういうのは今も昔も変わらないのですね」
「だね。それでまあ、流動の過程で色んなデザインが生まれ、その中でも田中意次という人が出した禁止令によって生まれたのが花札って話だよ。それまではトランプと同じく十二枚×四種類だったのを数字や種類を隠すために四枚×十二種類にしたの。で、種類分けの際には十二ヵ月折々の花や植物といった教育用の和歌かるたを応用された図案が描かれたみたいだよ」
「四季を重視したデザインとは……日本人は粋な事を考えますね」
「四季があり、和という独自の文化を持つ日本人だからこそ、って感じだよね」
「ですね。……しかし、今でこそこの国の古城総理やキキコさんのお父様を始め、愛好家達の功労により、今ではかなり多くの人に愛され、そんな人達によって愛好家が増え続けている花札にはそんな過去があったのですね」
感慨深げに言うディヴィヤ。キキコは頷く。
「そうみたい。古城総理も噂では花札を広めるために日本を改革したのでは、なんて噂が流れるくらいだし、パパもパパで花札を題材に作曲しちゃうくらいだから、好きな人にとっては中々にきつい話だったのかもしれないね……」
現在の日本の総理である古城好夫もキキコの父であるフェリクス・フランクールも花札が好きというのはとても有名な話であり、古城好夫が花札の地位を向上させるために日本の世情改革に乗り出したというのは豪放磊落にして深慮遠謀で知られる彼ならば有り得る話で、フェリクス・フランクールに至っては「花札の悪いイメージを払拭したかった」と堂々と公言している。
「ところで、古城総理やフェリクス氏を初めとした愛好家が動き出すまでは、花札は他の娯楽とは雲泥の認知度でしたが、その辺に関しては?」
先を促され、キキコは説明を再開する。
「一応明治時代に花札は解禁したけど、その代わり骨牌税――分かり易く言うとギャンブル税なのだけど、それが出来たせいで地方のかるた屋は軒並み倒産してしまって廃れていったの。後は覚え難かった事も関係していると思う。何せトランプの三倍である十二種類を覚えないといけないわけだからね」
「三倍……まるで某赤い人みたいですね」
「三倍だからってそれと結びつけるのはどうだい?」
「まあいいではありませんか。それより遊び方やルールはまだでしょうか?」
サラッと流して話題を戻すディヴィヤ。キキコはため息をつき、
「じゃ、まずは遊び方ね。まあもっとも、こいこい以外の遊び方は愛好家でないと限りしないと思うから、遊び方については割愛するね」
「知らなくても平気でしょうか?」
「平気だよ。トランプでババ抜きは出来ても大富豪ないし大貧民が出来ないみたいなものだからね。日本でもこいこいくらいしか教えていないって話だし」
「大富豪ないし大貧民……? トランプにはそんな遊び方もあるのですか?」
「あるよ。ちなみに呼び方やローカルルールが違うってだけで大富豪も大貧民も同じ遊びだよ。ま、何であれ知らなくても平気だからばっさりと割愛するね」
「分かりました」
「じゃ、まずは札を覚えるよ。これを覚えない事には始まらないからね」
言いつつ、キキコはケースの中から花札を取り出し、ディヴィヤが見やすいように迅速かつ丁寧に計四十八枚の札を種類別に並べていく。
二分弱で並べ終えるとキキコは説明を再開する。
「この通り四十八枚あるわけだけど、見ての通り札にはそれぞれ特徴があるからそこまで難しくは無いと思うし、この手の遊びはやって覚えるものだからあまり意気込んで覚えようと思わなくてもいいからね。ちなみに十二ヵ月の花や植物×四枚って感じで覚えると覚え易いかも」
「この手の遊びの常ですね」
「うん。で、花札には絵柄ごとに種類というか役割があるよ」
言い終えた後、キキコは並べた札の一番上を指差し、
「この五枚は光の札と書いて【光札】って言うよ。別名二十点札。と、これから先○○点札って言うけど、こいこいをやる上では必要無いから気にしないで」
「分かりました」
「で、唐突だけどディヴィヤさんはポーカーか麻雀分かる?」
「ポーカーなら分かります」
「じゃ、役ってあるよね? フルハウスとかスリーカードとか」
「その前置きから察するに、花札にも役というのがあるのですか?」
「話が早くて助かるよ。こいこいには予め役に得点がついているのだけれど、その中にある高得点の役を狙うのにこの光札は必須なの」
「ならば、しっかりと覚えないといけませんね」
「それは微妙なところかな。ま、その辺は役の説明の時に教えるね」
キキコはそう言って手を下に動かし、
「で、この九枚の札は植物の種に札と書いて【種札】って言うよ。別名十点札」
「十点という事は光札より扱いは低いわけですね」
「そういう事」
キキコは肯定して手を更に下に動かし、
「で、この十枚の札は短冊に札と書いて【短冊札】。別名五点札」
「名称は見たままですね。でも、文字が書かれているものとそうでないもの、そして紫色のものとありますが、これはどう違うのでしょうか?」
「個別の名称と役を作る際の扱いかな。ま、そういうわけで役を説明する時に分かるから一先ず気にしないでおいて」
「分かりました。さて、残りの二十四枚の札は何と言うのでしょうか?」
「それは一点札の【カス札】。呼び方が酷いけど目を瞑ってね」
「無視出来ません。何故一つだけここまで扱いが酷いのです?」
強い語調で言うディヴィヤ。
キキコとしてもその考えには激しく同意するが、自分達がどうこう言ったところで名称が変わるわけではないので、冷静に話を進める。
「こいこいをする上で役を作るためには必要だけど、作るまでが主な役割で役そのものにはそこまで関わってこないからだと思う。よく知らないけど」
「切ない話ですね……」
ディヴィヤはため息混じりに言った。
「そうだけど、仕方ないよ。この名称で根付いちゃっているし」
キキコは言いつつ、札を各月ごとに並べ直し、
「じゃ、次は月ごとに一つずつ説明していくね。ま、ぶっちゃけた話、月数を覚えなくても遊ぶ上では何ら問題無いけど、風情とかを考えたら覚えるべきだと思うから月数も交えて教えていくね」
「その配慮に感謝します」
ディヴィヤが軽く会釈した。
「どういたしまして。というわけで、まずは一月から」
キキコは返礼した後、四枚全てに松が描かれている札を指差し、
「花は松。左から順に【松に鶴】【松に赤短】【松のカス】×二だよ」
「赤短……なるほど。それが先ほど言っていた個別の名称というわけですか。……ん? キキコさん、この月には種札でしたか? それがありませんが?」
「鋭いね。そ。一つの月に必ず四種類全部あるってわけじゃないの」
「ふむ……。……確かにそのようですね」
ディヴィヤは全ての札をしみじみと見ながら言う。
キキコは先に進んで良いかどうか聞く。
「続けて良いかな?」
「あ、はい。お願いします」
キキコは首肯し、一月の札を差している指を下に動かし、
「次は二月。花は梅だよ。次に紹介する三月の札と混同するかもしれないけど、この後紹介する事になる四月と七月に比べれば楽勝だね」
「三月に四月、そして七月ですか……」
ディヴィヤはキキコが挙げた札の絵柄を順々に見て『あっ』と声を上げる。
「本当ですね。四月と七月に比べれば楽勝です」
「でしょ? 分かってもらえたところで説明に戻るよ。それぞれの名称は左から【梅にウグイス】【梅に赤短】【梅のカス】×二だよ」
「ふむ……。名称は割と見たままなのですね」
「他も似たり寄ったりだよ。というわけで、三月」
キキコは更に指を下に動かし、
「三月の花は桜で、左から【桜に幕】【桜に赤短】【桜のカス】×二だよ」
「桜は花札でも美しいのですね……」
うっとりとした風情で呟くディヴィヤ。
「そう言えば、キキコさんは花見をした事があるのですか?」
「日本にいた頃はしていたよ」
キキコは窓の外を見やる。視線の遥か先、校庭の周囲にはいくつもの桜の木が見事に花を咲かせていた。時折吹く風に花弁が舞い、桜吹雪が静かに積もる。
「ディヴィヤさんは? した事ある?」
そして窓から教室、ディヴィヤに視線を戻しながら尋ねる。
「日本に旅行に来た時に何度かあります」
「そっか。で、今年は?」
「今年はまだです。留学の手続きなどでで慌しかったものですから……」
しゅんとするディヴィヤ。
それを受け、キキコは提案する。
「じゃ、近い内にお花見しない?」
すると、ディヴィヤは手を叩き、
「良いですね! 枯れない内にしましょう!」
嬉々と叫んだ。
この学園にいる生徒達は総じて親の影響で日本が大好きになっており、この手の日本的な行事ともなるとテンションがあがるのは極々自然的な事だったりする。
そしてディヴィヤの嬉々とした大声は教室中に伝わり、また先の二言だけで大凡の事情を察した生徒達がぞろぞろと雑談を止めて二人の席に歩み寄ってくる。
一人のバングラディッシュ人の男子が言う。
「何? お前ら、花見でもするのか?」
一人のアルゼンチン人の女子も言う。
「ふっふっふ。そんなイベントを二人だけで楽しもうとは問屋が卸さないよ?」
そんな調子で会話はどんどん伝播していき、一人、また一人と二人の席に一年七組の生徒が騒ぎを、或いは話を聞きつけて接近してくる。
「何々、何の話?」
「花見しようって話だってさ」
「花見と聞いて飛んできたぜ!」
「いいねー、花見! やろうよ、やろうよ!」
「場所は学区内で探すとして問題は食い物と飲み物だな」
「いや、学校側に許可もらう方が先でしょうよ」
「その辺は平気でしょう」
「むしろノリノリで混ざってきたりしてね」
「あー、それは超有り得るなー」
あれ、とキキコは思った。
気がつけば、クラス総出で花見をする事になってしまっている。元々留学という手段を講じてまで日本にやってくる行動派な者ばかりなので当然と言えば当然なのかもしれないが、だからと言って皆ノリが良過ぎで気が早過ぎである。
「(参りましたね……)」
ディヴィヤが小声で話しかけてきた。
キキコは頷き、内心で弱った。事の発端として場を収めなければならない責任感が芽生えたものの、突発的な事にも関わらず凄まじく乗り気でもうやる事が実質決定事項となって浮かれているクラスメイト達はそう簡単に静まりそうにない。
その時、手拍子が二度鳴り、よく通る凛とした声が室内に響いた。
「――皆、しっかりと煮詰めるために黒板の前に集まってくれ」
全員がそちらを見る。声の主はクラス委員長であるドイツ人の男子のものだ。
それを受け、一年七組の生徒達は黒板の前に移動を始める。
一方、クラス委員長は人が引いた二人の席に接近する。
キキコは相手が言葉を作るより早く言葉を作った。
「ありがとう、委員長。助かったよ」
ついでディヴィヤも礼を述べる。
「私からもお礼を言います。助かりました」
「どういたしまして。――さて。二人とも、先ほど言ったようにこの場は自分が預からせてもらうが何か問題はあるか?」
「私達は参加出来ないけどそれでも良い?」
キキコは机を一瞥して言う。委員長はその視線を追い、合点した声をあげる。
「察するにフランクール君がラジクマリ君に花札を教授していると見るが?」
「うん。教えてって頼まれてね」
「そうか。特に問題は無い――と言いたいところだが、とんでもない規模になる事が予想されるから覚悟しておくように、という事がまず一つ」
委員長が黒板の前を一瞥する。二人も視線をそちらに向ける。黒板の前では集まったクラスメイト達が黒板に必要事項を書き込んでは消しを繰り返しながら、ああだこうだと熱い討論を交し合っている。
委員長は視線を二人に戻して続ける。
「で、二つ目。拒否権が無いという事だ」
「そっちは平気」
「むしろ拒否するという選択肢がありません」
二人は即答した。委員長は口元を綻ばせ、
「そうか。では、行ってくる。二人は二人の時間を過ごしてくれ」
そう言い置いて騒がしさが増すばかりの黒板の前に駆け寄っていく。
それをBGMにキキコは説明に戻る。
「じゃ、説明に戻るよ?」
「ええ。お願いします」
それを受け、キキコは四月の札を指差す。
「四月の花は藤。で、さっきも少し触れたし、見れば分かるだろうけど四月の札は七月の札とそっくりだから注意してね。それでもってそれぞれの札は【藤にホトトギス】【藤に短冊】【藤のカス】×二だよ」
「本当にそっくりですね……。何か良い方法は無いでしょうか?」
ディヴィヤは四月と七月の札を交互に見比べながら聞いてくる。
「遊びまくって覚える」
キキコは即答した。それが一番の近道なのだからどうしようもない。
「なら、さっと覚えて遊びまくらなければなりませんね。というわけで、次を」
「ほいほい」
キキコは手を動かし、五月の札を指差す。
「五月の花はアヤメ。で、左から【アヤメに八つ橋】【アヤメに短冊】【アヤメのカス】×二だよ。見分け易いけど役との関わりは薄いのが何とも言えない」
「それは切ないですね……」
「だねー。とまあ、切なくなったところで六月」
キキコは手を動かし、六月の札を指差す。
「花は牡丹。で、左から【牡丹に蝶】【牡丹に青短】【牡丹のカス】×2だよ」
「残り半分ですね。続きを」
「ん。お次はこれまた問題の七月だね」
キキコは列を変え、二列目の最上段を指差す。
「花は萩。で、【萩に猪】【萩に短冊】【萩のカス】×二だよ」
「ふと気づいたのですが、藤は上から下へ、萩は下から上へ花を咲かせているのですね。よくよく見ないと分かりませんけど」
「故に初心者殺し。実際問題、やり始めたばかりだと間違えまくるよ」
「キキコさんもそうだったのですか?」
「黙秘権を行使します」
キキコは即答し、察したディヴィヤは言及せずに先を促す。
「次は八月ですね」
それを受け、キキコは八月の札を指差す。
「そ。花はススキ。札は【ススキに月】【ススキに雁】【ススキのカス】×二」
「八月は特に分かり易くて助かりますね」
「私も一番に覚えたよ。とまあ、小話を挟んだところで九月に行くよ」
キキコは手を動かし、九月の札を示す。
「九月の花は菊。で、【菊に盃】【菊に青短】【菊のカス】×2だよ。それでもってこの菊に盃は現在における花札では最重要だからしっかり覚えて」
「種札なのにですか?」
「うん。その理由は覚えていけば分かるからとりあえず覚えて」
キキコは念押しした。
それを受け、ディヴィヤはしっかりと頷く。
「分かりました。次をお願いします」
「了解。というわけで十月」
キキコは手を動かし、十月の札を示す。
「花は紅葉。札は【紅葉に鹿】【紅葉に青短】【紅葉のカス】×二だよ」
「つくづくそのままですね」
「ほとんどはね。でも、十一月は何かと特殊だよ」
言いつつ、キキコは十一月の札を示す。
「というわけで十一月。花は柳。札は【柳に小野道風】【柳に燕】【柳に短冊】【柳のカス】。唯一四種類全てを有している月で、光札の一つである柳に小野道風は光札の中でも特殊な扱いがあるけど、それは後でね。さらにカス札は他のカス札と違うから覚え難いからね。最後に余談になるけど、小野道風さんが描かれているのには後世の創作とも言われているけど柳に関する逸話があるからなの」
「と言うと?」
「書道家である小野道風さんは、一時期書道家を辞めてしまおうかと思ったほどのスランプに陥っていたの。だけど、そんなある雨の日の事、ふと散歩に出かけた時に柳の下に蛙がいたのを見つけたの」
「札にも描かれていますね」
「そうだね。で、その蛙は惨めにも柳に捕まろうと跳んでは落ちを繰り返していて、それを見た小野道風は「捕まれるはず無いのにバカだな」と思ったの」
「蛙を嘲るとは……相当まずい感じだったのですね……」
心配げに言うディヴィヤ。キキコは苦笑して続ける。
「ま、仕事を辞めようと思っていたって話だからね。でも、その蛙の健気さが天に届いたのか、はたまた天が同情したのか。偶然にも強い風が吹いて柳がしなり、蛙は幸運にも柳に捕まる事が出来たの」
「まあ! 蛙さんの懸命さに拍手!」
嬉々と言いながらディヴィヤは拍手した。
「私なんか聞いた時、小野道風、ざまぁ! なんて思っちゃったよ」
キキコは昔を思い出しながら苦笑する。
すると、ディヴィヤも苦笑し、
「私も少し思いました。――それで? その後はどうなったのですか?」
やんわりと言いながら先を促してくる。
「それを見た小野道風さんは「バカは自分だ。蛙は努力して偶然をものにした。しかし、自分はそこまでの努力をしていない」と思い直し、血の滲むような努力をした結果、書道の神と祀られるまでの人物になったって話だよ」
「……創作だとしても軽んじた自分が恥ずかしくなる話ですね……」
肩を落として自嘲するディヴィヤ。
キキコも昔を思い出してため息をつく。
「誰もが通る道だと思うよ。少なくとも私は通った」
気まずい雰囲気が二人の間に訪れる。
黒板の前で騒ぐ一団との落差と言ったら天界から地獄に落ちるほどだ。
「――続けていいかな?」「――続けてもらえますか?」
一分ほど間を置き、二人は全く同時に言う。二人はきょとんとした後、何だか可笑しくなって微笑した。それで二人の間にあった気まずい雰囲気は無くなる。
キキコは咳払いして最後となる十二月の札の説明に入る。
「最後の十二月。花は桐。札は【桐に鳳凰】【桐のカス】×三。で、三枚ある桐のカスの内、色違いが一つあるけど、扱いはカス札だから気にしないで」
札の説明を終え、キキコは一息つく。
「これで札の説明は終わりだよ。で、最後にもう一回言うけどすぐに覚えなくていいよ。菊に盃も含めてね。やっていれば自然と覚えてくるものだからさ」
「把握しました」
それを受け、キキコは次のステップに進む。
「それじゃ、いよいよこいこいの一連の流れを説明に入るよ。札の説明で長くなったからさっと行くけど勘弁ね。特に言う事も無いし」
「分かりました」
「どうも。じゃ、早速――まずは親を決めるよ。要は先攻後攻決め。ジャンケンで決めてもいいけど、基本的には対戦する二人で札を引き、早い月を引いた方が親になるよ。でね、こいこいでは親になった方がかなり有利だから子になった方は速攻が求められるよ。何故なら子が上がると親子が逆転するからだよ」
キキコは言いながら机に広げている花札を集め、競技の準備を始める。
「で、親を決めたら競技の準備。手札としてそれぞれに裏返しで八枚ずつ、場として表にして八枚、残った札は山札として場札の横に。配布の仕方は親の手札、子の手札、場札に四枚ずつ。それを二回――」
キキコはシャッフルし終えた花札を自分が言ったように並べていく。お互いの手札、そして場にそれぞれ四枚ずつ、八枚になるまで。残った札を場の横に。
「――とまあ、こんな感じでね。これで競技を始められるよ」
「手馴れていますね」
「ま、相当数こなしているからね。じゃ、次は自分の番でやる事の説明ね。説明の都合上、私が親という前提で始めるね」
「分かりました」
了解をもらい、キキコは自分の方に置いた手札を表に返した。
「……こういう時に愛してくれなくてもいいのに」
そして困った顔をした。当然だ。手札の状態がある意味で酷過ぎる。
ディヴィヤが不思議そうに首を傾げる。
「? どうかしたのですか?」
「問題発生。よくシャッフルしたつもりだけど、特殊な役が揃っちゃってさ」
キキコは手に持った手札をディヴィヤに見せた。
手札を見て、ディヴィヤが呟くように言う。
「十一月の札が綺麗に全部揃っていますね」
「これは手に漢数字の四と書いて【手四】という役なの。見ての通り、同月の札が全て手中にあった場合に役が成立するというもの。で、ちょっと失礼」
キキコは右手に自分用の手札を持ったまま、左手で相手用として配った手札を持ち、表に返す。そしてため息。致し方ない。こちらもこちらで酷い。
「案の定か……。こういう時は空気読んで欲しかったものだね……」
「そちらも、ですか?」
確認に、キキコは首肯して左手の手札をディヴィヤに見せた。
ディヴィヤは手札を見たが、今度は首を傾げる。
「これは何が特殊なのですか?」
「これは【くっつき】という役だよ。見ての通り、それぞれ同月の札が二枚ずつくっついて手札を構成しているよね? だからくっつきっていうの」
相手用の手札は一月、三月、八月、十二月の札が、キキコが言った通りに一枚ずつくっつき、計八枚の手札を構成している。
「あっ、なるほど。そう言われて見れば確かにその通りですね」
「でしょ? で、この二つは――ごめん、やっぱり後にするね。とりあえず、こういう役が存在するって頭の片隅に止めといて。後、色々疑問には思うだろうけど、仕様上一度精算して次のゲームを始めないといけないから一回片付けるね」
言いつつ、キキコは札を集め、先と同じように競技の準備を手早く行う。
キキコが手四とくっつきの説明をしなかった理由は二つ。一つはこうして説明しない方が記憶に残ると思ったから。二つに競技の一通りの流れを説明してからではないと、何故仕切り直す必要性があるのかという事を理解し難いから。
よく札をシャッフルした後、準備を終えたキキコは二人分の手札を確認し、安堵の息をつく。今度はどちらの手札にも手四ないしくっつきは揃っていなかった。
「今度は平気でしたか?」
「うん。ごめんね。私がちゃんとシャッフルしていなかったばっかりに」
「構いません。こういう事も起こり得るのですよね?」
「滅多に無いけどね。――じゃ、改めましてお互いの番にする事の説明ね。時にディヴィヤさんは神経衰弱知っている?」
「トランプの遊び方の一種ですよね?」
「そ。こいこいでお互いの番でする事は形の違う神経衰弱なの。ま、由来というか起源がトランプだからね。じゃ、ちょっと実演するね」
キキコは自分用の手札からアヤメに八つ橋を抜き、ディヴィヤに一度見せてから場にあるアヤメに短冊の札の上に重ねる。
「――とまあ、こんな感じでこの二枚は私が取得したものとなって自分側に置くの。置く時は一応自分から見て右手側の端。この机で言えばこの辺かな」
キキコは取得した二枚の札を言った通りの場所に置く。
「それで番は終わりですか?」
「まだだよ。手札が終わったら次は山札の一番上から一枚引くの。あ、ちなみに手札から札を出す事も山札から引く事も必ずする事だから注意してね」
「パスは出来ない、というわけですね」
「そういう事。じゃ、続けるね。ちなみに動きは手札の時と一緒。山札から引いた札と同じ月の札が場にあれば一緒に取得可能。でも、無かった場合は場の一枚に加わるよ。この動きは手札の時も一緒ね」
キキコは言った通りに実演する。山札から引いたのは紅葉に青短。場に十月の札は無かったのでその札は場の一枚に加わる。
「――とまあ、こんな感じね。と、ここで一つ注意。手札から出した札も山札から引いた札も取れるのは場の札のみ。間違っても山札から引いた札と同じ月の札が手札にあるからって取得する事はもちろん、手札にも加わらず、強制的に場に残る事になるから気をつけてね」
「ふむ……。そうなりますと――」
ディヴィヤは顎に手を当て、目を伏せて沈黙した。
キキコはディヴィヤが口を開くまで静かに時を待ちつつ、黒板の方に視線を向けた。そして少なからず驚いた。何時の間にか相談会は終わっていて、クラスメイト達は各々仲良くなった友達と歓談していた。委員長も同上である。
「番でやる事は、①手札出し、②場札取得か場札追加、③山札引き、④②の繰り返し、相手に番を譲る――というわけですか。ちなみに何となく察しはついているのですが、子もやる事は同じなのですよね?」
「そ。で、役を完成させて勝負になるか、手札が尽きるまでこの動作を繰り返し、役の成立または役の追加が無かった場合にはノーゲームとなるよ。それでももって相手の持ち点を減らし切った方が勝者となるよ」
「役の成立に役の追加、ですか……」
再び黙り込むディヴィヤ。
キキコも再び黙り込み、ディヴィヤの思考がまとまるのを待つ。
その最中、時計に目をやった。時刻は十時になろうかというところだった。そろそろ部活動見学会が始まるかもしれない。
「役の成立は何となく分かりますが、役の追加というのは?」
「それこそこのゲームが【こいこい】と呼ばれている所以だよ」
問われたのでキキコは答えた。
「というわけで、役が完成した時の行動について説明するね。取得した札によって役が出来た場合、そのプレイヤーは「こいこい」か「勝負」を選択出来るの。宣言するタイミングは自分の番が終わった時。勝負の方はそのままね。その時点で成立した役の合計得点を相手の持ち点から減らす事が出来るよ。ちなみにその単位は文章の文と書いて【文】だよ」
「ならば、こいこいの方は?」
「こいこいの方は役が成立しても上がらず、別の役を作るためにゲームを続行する事。このゲームの楽しみはこの駆け引きにあるよ。何せ別の役を作れる可能性はあるけど、相手に先に上がられたら折角成立させた役は全て台無しになってし、別の役を成立させる事――つまりは追加する事が出来ずに手札が尽きたら市金利直されてしまうというリスクが伴うわけだからね」
「あっ、役の追加というのはそういう事でしたか。それに先に相手に上がられたら元も子も無い。……こいこいを宣言するのは中々にリスキーですね」
「いわゆるハイリスクハイリターンってやつだよ。ま、だからこそ、こいこいのタイミングを相手の取得札、自分の手札、場札の状況といった情報から考えて図るのが醍醐味なわけだからね」
キキコは一息入れ、役の説明に入ろうとした。
しかし、そこで刻限が来た。各教室に設置されているスピーカーの電源が入り、
『――一年生の皆さん、準備が整いましたのでこれより部活動見学会を始めます。各人、事前に配布されている一覧表に従い、自分が入りたいと思う部活動が行われている場所に赴いてください。繰り返します。一年生の皆さん、準備が整いましたのでこれより部活動見学会を始めます。各人、事前に配布されている一覧表に従い、自分が入りたいと思う部活動が行われている場所に赴いてください』
聞き取り易い少女の放送が校内に響いた。
それを受け、一年七組の生徒達は行動を開始する。鞄を持ち、一覧表を片手に個人、或いは友達と一緒になって教室を後にしていく。
「ごめんね、ディヴィヤさん。始まるまでに教え切れなかったよ」
そんな中、キキコは謝罪しつつ、話が逸れ過ぎたと内心で深く反省する。
対し、ディヴィヤは首を左右に振った。
「謝罪は不要です。私が迂闊でしたから」
「それを言ったら、私だって横道逸れた事もあったからおあいこだよ」
「……では、お互い様、という事で水に流しませんか?」
「いいね。それ採用」
「決まりですね。というわけで、続きをお願いします」
「続きって――」
見学会に行かなくてもいいのか、とキキコは続けようとしたが、ディヴィヤの魂胆を思い出して言うのを止める。嗜み程度に出来れば良い、と割り切っている以上、部活動でより学ぶ時間を割く必要性は無いのだろう。またスケジュールをある程度固定するという事だから部活も同じにするつもりで「花札を教えて」と頼んできたと考えれば、最初に花札を挙げた事にも説明がつけられる。
ちなみに見学会そのものは、決断力と自主性を養うという意味で自由参加型であり、今現在は実質的に放課後となっているので訪問する時間帯が多少遅くなったとしても、先輩達にとっては通った道なので特に問題は無い。強いて問題点を挙げるならば、遅れるもしくは諸事情で部活をしている暇が無い一年生の心に用意してくれた先輩達に対する罪悪感が生まれるくらいである。
逡巡を経て、キキコは役の説明に入るべく、机に広げた札を回収し、その後札の中から光札五枚を全て取り出し、机の上に横一列に並べる。
「じゃ、役の説明を始めるよ。花札における役は手四とくっつきを除いてポーカーとは違って取得した札の組み合わせのみだから注意してね」
「そう言えば、その二つが揃った場合、次のゲームに移らないといけない、との事ですがまずそれについて教えてもらっても構いませんか?」
指摘を受け、キキコは『あっ』と声を上げ、空拳の左手で頭を軽く小突く。
「ごめんごめん。すっかり失念していたよ」
ディヴィヤは首を左右に振る。
「構いません。説明しっ放しですから」
「ありがとう。じゃ、手四とくっつきが成立した場合、次のゲームに移る理由について。と言っても、これは私の想像でしかないけど、それでもいい?」
「正確には分からないのですか?」
「ルールでそうなっているから詳しく知らなくても平気だし、やっていると何で次のゲームに移る必要性があるのか自然と分かってくるものだからさ」
「そういうものなのですか」
「そういうものだよ。ちなみに私はそのままゲームを始めてしまうと、不利を強いられるし、何より折角綺麗に揃ったのに勿体無いからって考えているよ」
「綺麗なのは分かりますが、不利を強いられるというのは?」
「こいこいの仕様上、手札からは絶対に札を一枚出さなければならない。くっつきの場合はまだマシだけど、手四に至っては一枚ずつ出していく必要性があるよね。そうしないと取得する事が出来ないから」
「ふむ……。…………あっ、確かにそうですね」
逡巡を経て納得するディヴィヤ。
「ですが、くっつきの場合は平気なのでは?」
「くっつきの場合は双方不利だからだよ。結局のところこいこいは札を取得していかないと始まらない。相手の場合、くっつきが揃っている状態のまま始められたらその月の札は逆立ちしたって取れないからきつい。自分にしてもくっつきが成立している状態で始めても札を取っていかないといけないわけで、一枚ずつ回収していく必要性があるのは一緒。その場合、どうしたって動きは遅くなるわけだからやっぱりきつい。故に手四とくっつきは成立したら精算して次のゲームに移るって私は思ったよ。ま、実際やってみれば分かると思うけど」
「ふむ……」
ディヴィヤは頷き、目を伏せると沈黙した。
キキコも口を閉じる。
「――確かにそうかもしれませんね」
「シミュレート出来た?」
「何とか。お待たせしました。次の説明をお願い出来ますか?」
「じゃ、まずは光札を用いた役からいくね。総じて高得点――ポーカーで言えばロイヤルストレートフラッシュやストレートフラッシュのような強い役だよ。でも、五枚しか無く、相手も積極的に取りに来るから成立はし辛いよ」
「揃ったらラッキーという感じでしょうか?」
「そ。じゃ、詳しく紹介していくね」
キキコは五枚の札を指し示す。
「まずは漢数字の五に光と書いて【五光】だよ。ま、見たままだね。得点は十五文。現在のこいこいは持ち点十二文だから唯一他の役と複合させずに勝利する事が出来る役だよ。成立条件は五枚の光札を全て取得する事。これから説明していくけど、一つでも相手に取られたら位が下がるから注意してね」
ディヴィヤが『ふむ』と言い、呟く。
「確かに厳しいですね。ロイヤルのようなものと言った理由も頷けます」
「ロイヤルよりは揃うけどね。ま、確率的にも四八分の五と五四分の五なわけだから当然と言えば当然だけどさ」
キキコは柳に小野道風を五枚の中から引き抜く。
「で、柳に小野道風を抜いたこの形が漢数字の四に光と書いて【四光】。得点は十文。こっちは狙っていけるけど基本的には厳しいよ」
「あ、狙えるのですか?」
「割とね」
キキコは柳に小野道風と桐に鳳凰を入れ替える。
「で、これが気候の雨に漢数字の四、そして光と書いて【雨四光】。得点は八文。成立条件は柳に小野道風+光札三枚。これが札の説明の時、柳に小野道風は光札の中でも特殊な扱いがあると言った第一の理由だよ。何で雨なのかというと、柳の札には雨が描かれているから「雨入り」の四光って事で雨四光って名称なの」
「なるほど。……それにしても柳に小野道風だけ格下扱いとか酷いですね」
「まだまだ序の口。これから差別は酷くなるよ」
キキコは柳に小野道風を抜き、光札は三枚となる。
「これはさしずめ、漢数字の三に光と書いて【三光】といったところですか?」
「正解。得点は六文。成立条件は柳に小野道風以外の光札を三枚取得する事」
「これは酷い……」
物悲しそうに呟くディヴィヤ。キキコは共感し、
「私もそう思う。でも、次はもっと酷いよ」
「まだ酷くなるのですか……」
陰鬱に呟くディヴィヤに、キキコは首肯し、残った三枚の内、桜に幕とススキに月を残して残りの光札三枚は回収し、その代わりに札束の中から菊に盃を取り出して机に残ったままの二枚の内、桜に幕の下に置く。
「これが問題の役の一つ。【花見酒】だよ。得点は三文。成立条件は桜に幕+菊に盃。この通り、二枚で役が成立するのでこいこいをしてもリスクが少なく、かつ他の役と複合し易いからリターンは大きいというとんでもない役だよ」
「それで菊に盃は最重要と言ったのですね」
「そ。で――」
キキコは菊に盃をススキに月の下へと移動させる。
「――こっちが問題の役その二の【月見酒】。得点は花見酒と同じく三文。で、何となく分かると思うけど、花見と月見は非常に複合し易い役だし、成立に関わってくる札の一方がどちらも光札だから取り合いは必至」
「ま、当然でしょうね。初心者でもその凶悪さが分かるほどですし」
「でしょ?」
「で、先ほど言っていたより酷い差別というのは?」
キキコは神妙な面持ちになり、声のトーンを落として答える。
「……ディヴィヤさん、もしもだよ? もし花見に行く時に雨が降ったらどうする? もし月見をする時に雨が降ったらどうなる?」
「え? そんなの――」
ディヴィヤは言いかけた言葉を途中で止め、口元を手で押さえ、
「――ま、まさか、それはつまり、そういう事なのですか……っ!?」
愕然と叫んだ。キキコは静かに頷いて正解だと肯定する。
「その想像通りだよ。どちらかのプレイヤーが花見もしくは月見、或いは両方を成立させていても柳に小野道風を取得した時点で不成立となってしまうの」
「そ、んな……」
ディヴィヤは愕然を露わにする。
「ぜ、絶望しました! この差別に絶望しました!」
そして声高に悲痛な思いを叫んだ。教室にその声が響き渡る。
「絶望しているところ悪いけど、先に進むよー」
一方、小さい時に今のディヴィヤよりも酷いくらいに騒ぎ喚いてその悲しみを経験済みのキキコは、次の役を紹介するための準備をそそくさと始める。
「キキコさんって意外と冷たい人なのですね……」
ディヴィヤがジト目で睨んできた。
「そう言われても私は経験済みだからねー」
キキコはため息混じりに言った。すると、ディヴィヤはケロッとして、
「すると、同じような感じだったのですか?」
「ブチ切れしてパパとママンに当たりまくったよ」
「それはそれで酷い話ですね……」
「ま、そのくらいって事で話を戻すよ?」
「ええ。お騒がせしました」
それを受け、キキコは机を示す。
「じゃ、次ね。これは猪、鹿、そして蝶と書いて【猪鹿蝶】というよ。得点は五文。成立条件は見ての通り、萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶を取得する事」
「そのままで覚え易いですね」
「総じてそういうのばっかりだけどね」
キキコは札束の中から猪鹿蝶を仕舞い、赤短三種と青短三種を取り出す。
「これもそうだしね。赤い方は【赤短】、紫の方は【青短】というよ。得点は各五文。成立条件は見ての通り、赤短は赤短三種を、青短は青短三種を取得する事。ちなみに青短は牡丹、菊、紅葉にあるから○○酒や猪鹿蝶と複合し易いよ」
「分かり易くて覚える身としては助かります」
「そう思ったところで次からは少し毛色が違ってくるよ」
言いつつ、キキコは赤短三種と青短三種を回収し、札束の中から早い月順に種札を五枚取り出して横一列に並べる。
「これはタネ。種札を種類問わずに五枚取得すれば成立。得点は一文」
「五枚揃えているのに一文だけなのですか?」
「その分、役を成立させてこいこいした場合、種札が一枚追加される度に得点は一文増えるし、そうなったら勝負かこいこいかを選択出来るし、種札が絡んでくる役とも複合させ易いと魅力的なメリットがあるからその得点なの」
「つまりは適正というわけですか」
「そういう事。で――」
キキコは机に広げた種札を回収し、早い月順に短冊札を五枚取り出して並べる。
「――こっちはタン。短冊札を種類問わずに五枚取得すれば成立。得点と扱いに関してはタネと同じだから割愛するね」
「把握しました」
「ありがとう。じゃ、いよいよ最後」
そう前置きし、キキコは並べた短冊札を回収し、早い月順にカス札を十枚取り出して並べる。
「これはカス。得点と扱いはタネやタンと同じ。違いは成立するのに必要な枚数が倍の十枚である事。やれば分かるけど、この役を含め、タネやタンは自然と揃っていくから成立を狙おうとは思わなくて平気だよ」
「まあこいこいの仕様上、そうなるでしょうね」
「……少し前から思っていたけど、覚えが早いね?」
キキコは舌を巻く。子供の頃という事を差し引いたとしても花札の札やこいこいのやり方は覚え難いと思うのだが、ディヴィヤの様子を見る限り、時折考えたりしたものの、しっかりと理解しているようである。覚えるのに中々時間がかかったキキコとしてはただただ感心するばかりだった。
「何事も情熱あればこそ、ですよ」
言いつつ、ディヴィヤは椅子を自分の席に戻し、バッグを持って立ち上がり、
「では、参りましょうか」
はて、とキキコは思った。何処に参るというのだろうか。
「参るってどちらに?」
「……ここでマジボケかましますか」
「え? 分からないとまずい?」
ますます分からないキキコは尚も尋ねる。
ディヴィヤはため息をつき、
「キキコさん、自分で「私のスケジュールを把握した方がより確実だよね」という解にたどり着いておきながら、私が何処に参ると言っているのかまさかとは思いますが、本当に分からないと言いますか?」
と、至極呆れた風情で言ってきた。
それでキキコは合点した。その上で質問を重ねる。
「……止めないけど、そこまでする?」
「花札は元々日本に長期滞在する際に覚えようと思っていましたし、キキコさんのスケジュールを把握する上では部活も同じの方が都合良いですし、そして何より貴女の演奏にはこれだけの事をさせるだけの魅力がありましたから」
凛然と言い、ディヴィヤは右手を差し伸べてくる。
「さあ、キキコさん。花札部へと共に参りましょう」
キキコはディヴィヤの本気さを感じ取り、故に何も言わず、机に広げたままの花札を手早く片付けてからディヴィヤの手を握り返した。
「お待たせ。行こうか」
そして二人は花札部へと向かった。