私、いつの間に王子殿下の婚約者になったのでしょう? そして、悪役令嬢って何ですか?
悪役とは……。
「物語の中で主人公と対立する『悪い側の役』のことである。つまり悪役令嬢というのは悪い側の令嬢ってことかしら」
「熱心に辞書を読み出したと思えば、何を調べているのですか? レティシアお嬢様」
午後のアフタヌーンティーを楽しみながら、分厚い辞書を熱心に読んでいたレティシアが突然口にした言葉に、セバスティアンは訝しげに尋ねる。
「悪役の定義についてよ」
「はあ。悪役ですか?」
それはわざわざ辞書で調べることなのかと、内心首を傾げるセバスティアンである。
「昨日、アーパー王子が留学から帰ってきたでしょう?」
「アーティ王子ですね」
アーティ王子とは、この国ナンジャワーレ王国の第一王子の名前である。
「留学先から一人の令嬢を連れ帰ってきたのよね。何ていう名前だったかしら? 頭の中にチューリップが咲いていそうな子だったのだけど……」
「リリアン・オーガスタ嬢ですね」
留学から帰ってきたアーティ王子は、隣国ダルイーナ王国の男爵令嬢リリアン・オーガスタを連れてきた。
「そのリリアンなんちゃらが私のことを悪役令嬢だと抜かしたのよ」
「悪役令嬢……ですか?」
「訳の分からないことを口走っていて、何のことだかさっぱり理解できなかったのだけど……」
レティシアはかいつまんで昨日の出来事をセバスティアンに話す。
昨日、レティシアは王宮で開催された夜会に出席していた。その夜会で、隣国に留学していたアーティ王子が件の令嬢を伴って夜会に現れたのである。
アーティ王子が貴族たちから次々と挨拶を受けている中、レティシアは大好きなスイーツをつまみながら、親友のクロエと歓談をしていた。
『あら? アーパー王子が留学先から帰ってきたのね』
『アーティ王子よ。自国の王子の名前くらい覚えなさいな、レティシア』
『アホなイメージしかないのよ』
『あんなアホでも一応第一王子よ』
アーティ王子は自国の貴族令嬢たちからアホ認定されている。その背景にはこんなことがあったのだ。
話はレティシアとクロエが十歳の頃に遡る。
アーティ王子が十歳の時、彼の婚約者候補を決めるためのお茶会が開催された。王子と近い年頃の貴族令嬢たちが集められ、王子と同じ年のレティシアやクロエも当然そのお茶会に招待されたのだ。
歓談を楽しんでいるところに姿を現したアーティ王子に、令嬢たちは一瞬目を奪われた。何せ柔らかそうなハニーブロンドの髪にきれいな緑の瞳をした可愛い少年だったからだ。
しかし、アーティ王子は開口一番にこう宣言した。しかも少々興奮気味に鼻水を垂らしながら……。
『僕のお嫁さんには世界一可愛くて優しくて、僕の言うことに絶対服従してくれるおとなしい子がいいな』
令嬢たちは皆微笑んだ。もちろん、微笑ましいと思ったわけではない。
あ、この王子ダメだわ。
全員がそう悟ったからである。
アーティ王子はいずれ国王になるかもしれない。彼の妻になるのであれば、王妃になるということである。
王妃は国王とともに国を背負う存在だ。時には夫である国王を諌めることがあるかもしれない。
それなのに、この王子は自分に絶対服従する女性がいいと言う。
しかも、世界一可愛くて優しい女性って……。
「ちょっと夢を見すぎじゃない? おとぎ話の世界にでも行ってこいや」と誰もが心の中で突っ込んだ。
その後、アーティ王子は候補者の令嬢たちに次々と質問した。
『君は僕の言うことを何でも聞いてくれる?』
『わたくしは、殿下のお言葉であっても間違っていれば、意見を申し上げるべきだと考えております』
『ええっ!? 僕に逆らうの!?』
『逆らうのではなく、正しい道へ導くのが王子妃の役目かと存じます』
『そんなのは嫌だ! 君は候補者失格だ!』
最初に候補者から脱落したのはクロエだ。彼女はテーブルの下で「おっしゃ!」と拳を握った。
次々と令嬢たちに尋ねていくアーティ王子だが、返ってくるのはクロエと同じような返事ばかりだった。
最後に半分不貞腐れながら、アーティ王子はレティシアに尋ねる。
『君は……どうなの?』
『王子殿下。世界一可愛くて優しい女性は、きっと世界一忙しいと思いますわ』
『え?』
『だって優しい人には自然と人が集まってきますもの。王子殿下のお世話をしている暇なんてないと思いますわ』
『なっ!』
口達者なレティシアにアーティ王子は口を挟む余裕がない。だが、そんな彼に構うことはなく、レティシアは矢継ぎ早に話をする。
『それに絶対服従というのは少々危険ですわ。おとなしい人だって理不尽に抑えこまれたら、いつかは限界がきます。おとなしい人が怒るとそれは怖いんですのよ』
『お、お前!』
『ですから、王子殿下が間違った時には、きちんと間違っていると教えてくださる方が、よろしいのではありませんか?』
レティシアが言い切った時、「はい、論破!」と令嬢たちはテーブルの下で拍手をしていた。
しかし、アーティ王子は顔を真っ赤にして叫んだ。
『お前なんか絶対! 僕の婚約者にしてやらないからな!』
『まあ! ありがとうございます!』
『な、なんで礼を言うんだ!? おかしいだろう!?』
『だって王子殿下の婚約者にならずに済むのでしょう?』
その場で貴族令嬢らしからぬ大笑いをしたのがクロエだ。彼女はすっかりレティシアを気に入って、親友となったわけである。
そして、お茶会でのアーティ王子の話を娘たちから聞いた貴族の親たちは、「やつだけには娘はやらん!」とばかりにさっさと婚約者を決めるか、聡明だと評判の第二王子コーディに鞍替えしたのである。
レティシアも婚約者候補から外れてめでたし、めでたし……のはずだった。
ところが、アーティ王子は何をどう勘違いしたのか、レティシアが自分の婚約者になる令嬢だと思い込んでしまったのである。
なぜなら、レティシアが自分に遠慮なく意見を述べたことが、王子には新鮮だったからだ。
つまり、自分に特別な感情があるからこそ、レティシアはあえて厳しいことを言ったのだ。
という、実に都合のよい解釈をしたのである。
それを言うのであれば、クロエを始め他の令嬢たちも「誰がお前の言うことなんか聞くか」的なことを述べていたのだが、最後にレティシアにこてんぱんにされたのが効いたらしい。
それ以来、アーティ王子はレティシアを自分の婚約者候補だと思い込んでいた。
もちろん、王家から正式な婚約の打診などはない。
それどころか、レティシアの父親であるエインズワース公爵は憤慨して、国王に抗議をしに行った。
『誰がお前のとこのアホ息子へ大切な娘を嫁にやるか、ボケ!』と言ったかどうかは定かでないが、それくらいの勢いだったということだ。
とにかく、本人の脳内だけで成立している婚約話だった。
息子のあまりのアホさ加減に本気で心配になった国王は、アーティ王子を隣国へ留学させることにしたのである。
それから七年の時を経て故国へ帰ってきたのが昨日というわけだ。
「それでね。昨日もアーパー王子が私に向かって、『相変わらず僕の婚約者は気位が高いな』と言ってきたのよ」
「……は?」
話が急展開すぎて、お茶のお代わりを注ごうとしていたセバスティアンの手が止まった。アーパーではなくアーティ王子ですと訂正するのも忘れるくらいに……。
「私驚いてしまったわ。いつの間に婚約したのかしらって」
「それで、何とお答えになったのですか?」
「婚約した覚えはございません、と申し上げたわ」
「当然ですね」
しかしである。レティシアが否定したにも関わらず、アーティ王子はこう言った。
『久しぶりに会ったからと言って、照れ隠しはよせ』
レティシアは思わず食べていたタルトをポロリと落としてしまった。
『そんな言い方はひどいです! レティシア様は聞きしに勝る悪役令嬢ですのね!』
アーティ王子の隣にいたツインテールのピンク髪の少女がいきなり叫びながら、レティシアに詰め寄ってきた。
『あの……アーパ……殿下。この小動物は何ですの?』
『小動物じゃないわよ! 私はリリアン・オーガスタ! 隣国のオーガスタ男爵家の娘でアーティ王子の恋人です!』
レティシアより頭一つ分小柄なリリアンは頭のてっぺんに生えているアホ毛を揺らしながら、頬を膨らませている。
『殿下の恋人ですか? このピンクのうさちゃんが?』
『誰がうさちゃんよ!』
ジタバタしているリリアンにクロエが「ほ~ら。うさちゃん人参あげるわよ」と言って、目の前にまるごと人参をぶら下げている。
クロエがリリアンをからかって……相手をしているうちに、レティシアはアーティ王子にもう一度尋ねる。
『それで、恋人ができたのですか?』
『ふっ! ショックか? 僕に恋人ができて』
「いえ全然」と言いかけたレティシアを無視して、アーティ王子は続ける。
『僕は真実の愛に出会ってしまったんだ。だが、安心してくれ、レティシア。僕の正妃になるのは君だ』
『いえ、ですから、そもそも殿下と私は婚約しておりません』
レティシアの答えには構わず、アーティ王子は続ける。
『リリアンは側妃とするので許してくれるね』
『許すも何も……』
「殿下とは婚約してない」と言いかけて、白い何かが飛んできて直撃した。アーティ王子の顔面に……。
『ぶっ!』
アーティ王子の顔面に直撃して、白い何かはバサリと床に落下した。
ちらりと床を見ると、白い何かは本だった。そこそこの厚さがあるので、かなり痛かったはずだ。アーティ王子が。
白い装丁の本でタイトルは「私、悪役令嬢。今あなたの後ろにいるの」だった。
本を投げつけたのはリリアンだが、彼女はコントロールが下手でレティシアに投げたつもりがアーティ王子に当たってしまったのだ。
『きゃあ! アーティしっかりして! レティシア様ひどいです。避けるなんて!』
「いや、避けるだろう? 普通」と目撃した人々は心の中で突っ込んだ。
アーティ王子はその場で気を失ったが、原因は本の衝撃ではない。驚いたショックで気を失ったのだ。全く気の小さい男だ。
本を拾ったレティシアは装丁を眺めながら、首を傾げる。
『クロエ。これ手袋ではないけれど、白いから決闘を申し込まれているのかしら?』
『違うんじゃない?』
その後、アーティ王子は王宮内の医務室に運び込まれて、リリアンはアーティ王子についていってしまった。
訳が分からないまま、レティシアとクロエは近衛騎士に事の顛末を説明して、やっと帰れたというわけである。
「とんだ災難だったわ」
「本当に災難でしたね、お嬢様。婚約者でもない王子殿下から婚約者扱いされるとは」
「そうなのよ。私は今日までアーパー王子のことなんてすっかり忘れていたというのに」
「存じております」
またしてもセバスティアンはアーティ王子の名前を訂正し忘れているが、彼にとってはどうでもいい人物なのである。
「それなのに、ピンクうさちゃんには悪役令嬢と呼ばれるなんて、どういうことかしら?」
ピンクうさちゃんではなくリリアンだが、彼女もセバスティアンにとってはどうでもいい人物なのだ。
「悪役令嬢というのは、悪い側の令嬢なのでしょう? 私はピンクうさちゃんに何か悪いことをしたのかしら?」
「しておりませんね。むしろ本を投げつけたリリアン嬢の方が悪役ですね」
「そうよね。この本使いようによっては凶器になるわよね」
リリアンが投げつけた本をレティシアは手に取る。混乱していたので、うっかり持ち帰ってしまったのだ。
パラパラと本をめくりながら、レティシアは「あっ!」と叫ぶ。
「どうされました?」
「これを見て。セバスティアン」
セバスティアンはレティシアから渡された本をパラパラとめくり、目を通した。
「なるほど。この本を読んでリリアン嬢はお嬢様を悪役令嬢だと決めつけたわけですね」
その本に出てくる悪役令嬢の名前がレティシアだったのである。
「それでピンクうさちゃんは私のことを悪役令嬢だと言ったのね」
「とんだ妄想癖のある令嬢ですね」
謎が解けてすっきりしたレティシアはセバスティアンに微笑む。
「……ねえ、セバスティアン」
「何ですか?」
「もしかして、アーパー王子は自分が私の婚約者だと本気で思っているのかしら?」
何度否定しても、しつこく自分の婚約者だと言い張るアーティ王子はたちが悪い。
「その可能性は高いかと」
「まあ! 大変だわ!」
レティシアが頭を抱えるので、セバスティアンは慌てる。
「どうしたのですか!? お嬢様!」
「どうしたらいいのかしら? 王子殿下はきっとご自分が不良物件だということに気づいていないのよ!」
アーティ王子は不良物件だというのは、国内の貴族であれば誰もが知っていることである。本人以外は……。
「教えて差し上げないといけないかしら?」
「お嬢様。それはお嬢様が教える必要はございません」
「どうして?」
「そのうち王子殿下ご自身が自分の立場を知ることになりますから」
「まあ……それはそうね」
レティシアが納得したように頷いたので、セバスティアンは、ほっと胸を撫で下ろした。
「では、私は悪役令嬢の定義について調べることにするわ」
「えっ! なぜですか!?」
「だって悪役令嬢と呼ばれた以上、正しい意味を知っておくべきでしょう?」
レティシアは「私、悪役令嬢。今あなたの後ろにいるの」を手に取ると、にっこりと微笑む。
「まさか、それを読む気ですか?」
「自分と同じ名前の悪役令嬢がどんな風に描かれているか、興味があるもの」
本を開くと真剣に読み始めたレティシアに、セバスティアンは苦笑する。
「全く困ったお嬢様だ。だが、そこが可愛いんだけどな」
セバスティアンの呟きは、午後の穏やかな風に乗って消えていった。
◇◇◇
後日、アーティ王子からレティシアにお茶会の招待状が届いたが、丁重にお断りした。
「レティシアのやつ! 僕の招待を断るとは何事だ! 婚約者であれば招待を受けるべきだろう!」
「アーティ殿下。そもそも殿下とレティシア嬢は婚約なさっておりませんが」
傍に控えていた侍従がおずおずとアーティ王子に進言する。
「何を言うのだ! 僕は彼女を婚約者にすると決めている!」
「……それは、殿下お一人で決められることではございません」
「うるさい! 僕とレティシアは運命で結ばれているんだ。だいたい将来の国王たる僕の伴侶となれるというのに、レティシアが僕との婚約を断るわけないだろう!」
侍従は深くため息を吐くと、近くにいる他の侍従たちにこっそりと囁く。
「おい、誰か教えてやれよ。王太子はコーディ殿下に決まったから、貴方は国王になれませんって」
「教えても無理じゃね?」
「だよな。天性のアホ王子には理解不能だろう」
その場にいた側近たちは、そろって天井を仰いだ。
そして、皆同じことを思った。
――やはり、アーティ王子は不良物件である。
本人だけがそのことを知らないのであった。




