勇気、グラッシアス!―(1)
ダンスホールに華麗に舞う二人。
煌びやかなシャンデリアの下で、楽しい時間は飛ぶように過ぎていく。
魔法が解けてしまう時間が、もうすぐ来てしまう事にも気が付かずに―。
沈黙の中にやっと投下された、彼の一言。
「・・・あの、おいしいですか・・・?」
しかし、その投下されたものは、沈黙を破るだけの威力は持っていなかったようである。
しばらくして、彼女がぽつりと一言つぶやく。
「・・・えぇ」
間髪いれずに、彼の安堵のため息がこぼれおちた。
「よかった・・・」
「・・・」
二人が入った所は、そう遠くない所にある、小さなカフェ仕様のイタリアンレストランだった。
周りは昼時で賑わっている。
その日も、いつものように賑わっていて、店内は騒がしい。
ただほんの一箇所を除いては。
「・・・あの・・・」
「・・・はい?」
「・・・おいしいですよね?」
「・・・えぇ」
彼がスプーンとフォークを持つ両手の動きを止めた。
「ごめんなさい、僕、無理やり誘っちゃったみたいですね」
彼が済まなさそうな顔をして、俯く。
今更気がついたのか、と突っ込みたくなったが、彼女は何も答えなかった。
ただ、両手の動きを止めただけ。
「・・・はぁ。僕、本当駄目な人間なんです」
大きく溜息をつきながら、水の入ったワイングラスに、彼が手を伸ばす。
しかし、一向にそれに口を付けようとしない。
ただ、右手に持って、その中の水を回している。
「・・・例えば、ある女性が気になったとするじゃないですか。
でも、いつも自分から何も言えなくて。
友人に頼ってばかり。それでも失敗するけど。
大学受験も、就職も、自分の意志を貫く事なんかなかった。
なんとなくやってみて、気がつけばそこにいるって感じで。
それはそれで不満とかはないんです。
でも、やっぱりそれだと空しいし。
しかも、それが恋愛だと、なかなか僕の場合だと通用しないみたいで。
恋愛に関してあ、何となく、が通用しない。
だから、今度こそは自分独りでやってみようと思っても・・・。
でも、やっぱり駄目なんです。
失敗しちゃうんじゃないかって思って自分をセーブしたり、
どこでブレーキ踏むべきなのか、分からなかったり。
本当、ダメな男ですよ、僕は。自分でやろうとすると、上手くいかないんだ。
本当、駄目ですよね・・・」
彼が悲しそうな顔をして笑う。
透き通るような肌に映るその悲哀の色は、見た事の無いような美しい色をしていた。
「・・・何で駄目、とか言うんですか」
「・・・はい?」
彼女がフォークとスプーンを両脇に置いた。
近くにあったグラスにぶつかり、軽い音を立てる。
「ダメとか言って、諦めればそこで終わりなんですよ。
どうして最後まで変わろうと頑張らないんですか?
いつ逆転できるか分からないのに、ちょっとやって駄目だったからって、諦めるなんて。
それはただ、貴方が勇気の無い自分に、言い訳をしているだけじゃないですか?」
彼の顔の悲哀が消えていく。
代わりそこには、驚嘆が映り始める。
「私は、一度こうしたい、と思ったら、実現するまで諦めません。
だから、司法試験だって諦めなかったし、検事になることも諦めなかった」
彼女の真っ直ぐな視線が、彼の胸を貫いた。
「・・・そう、です・・・よね」
彼の顔に笑顔が咲き始めた。
その笑顔に、心ならずも自分の視線が吸い込まれていく事を、彼女は感じていた。
「そうですよね、僕、諦めません。
そっか。
貴女の事好きなんだから、諦める必要なんて、ないんですよね」
「・・・は?」
今度は彼女のほうが驚く番だった。
「僕、川上さんの事を諦めませんから。どうも、僕に勇気をくれて、ありがとうございます」
「・・・あの、おっしゃってる事が?」
何度も何度も彼女の瞼が上下に動く。
「だから・・・。川上さん、僕」
咳払いを2回、彼が姿勢を正した。
「好きなんです、川上さんの事。
だから、僕の事好きになってもらえるよう、頑張りますから」
あまりにもあっさりとした突然の言葉に、耳を疑う。
まるで金縛りにあったように、彼女はしばらくそのままの状態で動かぬまま、
彼の顔を穴の開くぐらいに見つめていた。
「あのー。川上さん?」
彼女の顔の前で右手を振る。
それに気が付いたのか、やっとの事で動き始めた。
しかし、置いたナイフを持ったり置いたりするなど、
あまりにも不自然な動きではあったが。
「え?え、そ、そんな。
わ、私は、あ・・・。
わ、私、よ、用事を思い出しました。
い、行かなきゃ!!これで、し、失礼します!!」
飛鳥は急いで椅子から立ち上がり、出口に向かった。
膝に掛かっていた白いナプキンが床に落ちたが、気がついていないのか、
そのままどんどん振り向く事無く前進していく。
しかし、再びテーブルに戻ってきた。
「2000円ですよね?ランチセット。これ、私の分です!さ、さよなら!」
どん、とお札が2枚、テーブルの上に叩きつけられた。
食器が軽い衝突音を立てた。
「ちょ、ちょっと!川上さん!」
彼女が全速力で店を走り抜ける。
「あ、ありがとうございました~~」
店員の気の抜けた声が聞こえてきた。
「・・・一万円札2枚も・・・」
置かれた諭吉を手に持ち、彼女に手を振る代わりに、それらをひらひらさせていた。