1%の本音と、99%の後悔―(1)
シンデレラは、はにかみながらも、王子の手を取った。
そして、ダンスフロアーへと二人は進む。
美しい音楽が、演奏者によって奏でられ始めた。
「・・・うるさいなぁ」
ルルル、ルルル、ルルル。先ほどから家の固形電話がしきりに鳴いている。
「・・・あぁ、分かったから!」
さすがに2日連続の飲みは拙かったようである。
頭の中で響き渡るのは、切なさではなく、2日酔いの痛み。
途中からではあるが、一人酒は酔いを次の日に持ち込むのはどうも確からしい。
「・・・はい、もしもし」
彼は布団から這い出し、ベッドの近くに置いてある子機を取った。
「・・・」
一瞬の沈黙。
「・・・もしもし?」
不機嫌さが猛スピードで加速される。
「・・・あ、もしもし・・・」
小さな声で、自信の無さげな声は、それ以上語るのを渋っているようにも思われた。
「・・・どなたです?」
後5秒して何も言ってこなければ切ろう、そう思っていた所だった。
「・・・検事の川上です。昨日はありがとうございました・・・」
眠気と酔いが一気に吹っ飛ぶ。
これは夢か、彼は自分自身に問い掛けてみる。
「・・・あ、お、おはようございます。
か、川上さんで、いらっしゃいましたか。あはは・・・」
彼はベッドの上で何時の間にか正座をし、頭をぺこぺこ下げていた。
信じられない出来事が起こっている。
間違いなく、この声は昨日聞いた、彼女の声。
もう2度と会えないと思っていた、あの。
なんで気が付かなかったんだろう。
彼は心の中で先ほどの無礼を侘び続けた。
「あ、あの・・・どうされたんです?」
受話器から彼女の声が聞こえなかった為、自分から話してみた。
しかし、声が緊張の余り裏返ってしまう。
「・・・携帯電話、お忘れになられています」
「え?あ。またやっちゃったか」
「・・・また?」
「いえ、こっちの話です。そこで、どうしましょうか・・・」
「貴方の事務所の方へ送って差し上げましょうか」
「あ、いえいえ!・・・あ、そうだ。
自分で取りに参ります。
僕の不注意なのに、そちらに迷惑を掛けるわけには・・・」
願ってもないチャンスが舞い込んできた。
恋の神様はまだ、彼を見捨ててはいないようである。
「・・・着払いであれば、何も問題は・・・」
「いえいえ!手続きも煩雑ですし、それに、家も近いし、
それに僕、今日は休みなんで取りに行きますよ」
彼は慌てて彼女が言う先を制止した。
お願いだ、どうか、彼女にもう一度・・・。
迷っているようだが、溜息混じりに彼女が返事をした。
「・・・分かりました。
但し、私は今日午前で上がりますので、正午までであれば直接お渡しできると思います。
それ以降は事務官に預からせておきますので」
「は、はい!」
彼が背筋をピン、と伸ばす。
一気に体中に回るアルコールが飛んでいく気がした。
先ほどの小さな溜息は、空耳ということで。
「それでは、失礼します」
「失礼します」
彼は壁に向かって頭を下げた後、相手が切る音が聞こえるまで、受話器を耳に当てていた。
我に帰り、受話器を置く。
そしてベタにもほっぺたをつねってみる。
思ったとおり、痛かった。
「・・・やった!!!あ、早く着替えなきゃ。それにシャワーも浴びて・・・」
彼は急いでパジャマを脱ぎ、一番のお気に入りの服を数枚クローゼットから取り出した。
「どれにしようかな・・・」
「・・・ふぅ」
受話器を置くと同時に、大きなため息が口から零れていた。
何故電話などしてしまったのだろう。
後悔の念が彼女を襲う。
彼女は朝一番で仕事場に来ていた。
今日は本来非番であったが、
昨日の花岡の調書を完成させる必要があった為、午前中だけの勤務となっていた。
誰もいない自分の部屋の机につくと、
昨日彼が座っていた向かいの椅子の下に、携帯電話が落ちていたのを発見した。
「・・・これ、花岡さんの?」
この部屋に最後に来たのは彼だけだった。
彼女はそれを右手に持ち、後で事務官に宅配便を手配させようと思い、
それを机の上におこうとした時だった。
『ただね、今日の花岡さんも27歳で同い年だし、
結構ああいう感じの人ともお似合いだなって思って』
昨日の田邊の言葉が、突然脳裏に蘇ってきたのである。
ありありと、鮮明に。
彼女は頭を横に振り、それを払拭しようとした。
しかし。
何故か、益々その言葉が気になってくるのである。
「・・・別に、私は・・・」
田邊がいる訳でもないのに、言い訳らしきものを口にしていた。
自分の手に握られた携帯電話を見る。
黒いボディーに、ストラップの付いていないシンプルな折り畳み式のもの。
電源を入れると、購入時に映る初期画面が出てきた。
「・・・携帯、忘れちゃって」
よく携帯を忘れると、駅で話した時、そんな事言ってたっけ。
今時そんな人、いない。
痴漢の逮捕に協力出来るほど勇気があるのに、案外おっちょこちょいで、可愛い所もあるんだ。
心の奥に、ふわりと、暖かい何かが湧き上がる。
彼女は、肩につきそうな髪を左手で耳に掛け、携帯のディスプレイを眺めていた。
そして、気がつけば彼女は、彼の自宅の電話番号を探していたのだった。
彼の家の電話の呼び出し音が鳴っている間に、我に帰った。
いつもは慎重で冷静な行動を心がけているのに、なんて私らしくない軽率な事を。
駄目だ、こんな事は。
どうかしてる。
私は一体どうしたいの?
何を期待して、電話なんかするの?
お願い、出ないで。
そう願って電話を切ろうとした瞬間に、相手の声が聞こえた。
どうしよう。
お願い、宅配で送るよう頼んで。
そう仕向けたはずなのに。
しかし、期待は悉く打ち破られ、正午までに彼と会う約束をしてしまった。
ごめんなさい、電話は出来心なの。
ちょっと・・・多分、ただ魔が差しただけ。
だから、正午には遅れてちょうだい。
3つ目の願いが叶う事を願い、彼女は携帯電話を傍に置いて仕事に取り掛かる。
そのとき、がちゃ、とドアノブをつかむ音がした。
「おはようございます、川上検事。今日はお早いですね~」
がたがたがた、と突如した騒がしい音。
「・・・どうされたんですか?」
いつも早めの出勤をする田邉が、きょとんとしてドアの所で立っている。
「な、何でもありませんよ」
「・・・何を今隠されたんです?」
容姿に似合わず、鋭い洞察力を持つ彼女だった。
「・・・き、気のせいです」
動揺を隠せないどもりに田邉は苦笑しながらも、飛鳥の隣の机の上に座った。
「さ、早く調書を作成しましょう」
飛鳥はパソコンの起動音が、心臓の音を消してくれる事を切に祈っていた。