幸せの鼻歌、衝撃の真実バージョンで。
彼女が会場に到着すると、
皆が彼女に釘付けになった。
「こんな美しいお姫様は、どこから来たのだろうか」
その噂は、王子の耳にも入る事に。
でも、誰もそれが、自分達と世界が違う人だとは気がつかなかった―。
彼はパトカーの後部座席に座っていた。
「あ、あそのこ交差点を右に曲がってください」
「了解しました」
数分の事情聴取の後、彼はパトカーで撮影現場まで送られていた。
「あの・・・。遅刻しておられますが・・・大丈夫ですか?」
助手席の警官が尋ねてきた。
「あぁ。心配しないで。しょうがないことだったんだから」
彼は満面の笑みで答えた。
それを見た警官は安心したように呟いた。
「よかった・・・。
ところで、花岡さん、先ほどから歌われている歌は、何の歌ですか?」
「え?僕、歌なんか歌ってる?」
「えぇ、パトカーに乗った時からずっと鼻歌を・・・」
彼には全くの自覚がなかったようだ。
驚いたように自分の口に手を当てる。
しかし、直ぐにその手を離し、にこり、と笑いかけた。
警察官がその笑顔を見て、同性ではあるがどきりとしてしまったのは言うまでもない。
「僕、どうやら嬉しい事があると、無意識に鼻歌を歌う癖があるそうなんです。
友人によく言われます」
「嬉しい事?」
その警察官が怪訝そうな表情を見せる。
無理も無い。
先ほどまで痴漢の事件で関係者として事情聴取されていたのだから。
「えぇ、本当、素敵だったな・・・」
彼はうっとりしたように、窓の外を眺め、再び鼻歌を歌いだした。
「花岡さん!どうされたんですか?」
パトカーで町の外れにある空き地に着くと、
彼の到着を待ちわびていた数名が駆け寄ってきた。
「花岡さんは、電車内での痴漢の逮捕に協力されたため、遅くなりました。
逮捕の御協力に、警察からも感謝いたします」
一緒にいた警察官が、近くの人にそう釈明した。
「え?そうなんですか。いやぁ。参りましたよ。
花岡さんのマネージャーは道路が混雑しているから
花岡さんは電車で向かってるっていうのに、中々来られないし。携帯は留守電だし」
髭を生やした小太りの男が笑った。
「監督。すみませんでした」
彼は頭を下げた。
その男は、はは、と軽快に笑った。
「何、そういう事なら謝る必要は無い。
さ、君のシーンの撮影に取り掛かろう。
今は鈴木君のシーンを撮影しているから、その間に衣装とメイク、済ませちゃって」
彼らは小走りで自らの持ち場へと戻って行った。
「・・・よう、輝。お前、痴漢捕まえて格好良かったんだって?」
「勇哉か。撮影は?」
「今終わった。やっと休憩だよ、休憩」
台本の最終チェックをしていると、控え場所の簡易テントに鈴木が訪れてきた。
「で?逮捕の協力はどうでしたか?花岡さん」
鈴木が茶化すように彼の肩の上に手を乗せる。
「いや、別に・・・。ただ・・・」
「・・・ただ、何だ?」
「ううん。何でもないよ」
彼は花岡が座っていた椅子の前にあるテーブルに腰掛けた。
「ったく。ちょっと愚痴言わせろよ。
お前が来ないし、おまけに連絡はつかないし、現場は大変だったんだ。
監督は怒鳴るから雰囲気悪くて。今夜おごれよ」
鈴木が隣の椅子に座り、そばにあったコーヒーを勝手に飲み干す。
「あはは。参ったな。でも、連絡つかないのはいつもの事でしょ?
僕、携帯あんまり見ないし」
彼は笑いながら台本を閉じた。
「ったく、それでも持ってるなら出ろよな?」
「あ、実は・・・」
花岡が済まなそうな顔で舌を小さく出す。
「お前まさか・・・」
「忘れちゃったんだ」
がっくりとうな垂れるような姿勢で、鈴木は頭を下げた。
「お前は~~!!携帯電話を不携帯でどうするんだ?!」
「えへへ・・・。だって・・・」
「だってじゃねぇ!今度忘れたら承知しねぇぞ?」
鈴木はポケットからタバコを取り出し、ライターで火を付けた。
そして口にくわえ、思い切り息を吸う。
「・・・ところで、お前、熟語得意だったよな」
くゆる煙に目がかすむ。
同じく俳優の鈴木勇哉は、花岡と高校と大学が同じだった。
高校では挨拶を交わす程度の仲でしかなかったが、
大学で同じ演劇サークルに入り、
更には就職という道を蹴り、奇遇にも同じ世界に挑んだ仲間として、
一番の仲が良い、いわば親友同士であった。
「あ?まぁ、得意というか、人よりは知ってるよ」
鈴木はポケット灰皿を胸ポケットから取り出した。
「・・・『秋霜烈日』って知ってるか?」
「しゅうそう・・・あぁ。知ってるよ」
彼は身を乗り出した。
鈴木が怪訝そうな顔で花岡を見る。
「・・・でも何で突然そんな事を聞くんだ?
・・・大体お前がこういう風に、突然脈絡の無い事を聞くのって・・・。
さてはお前・・・」
「い、いいじゃん、別に」
にやり、と鈴木は整った唇の上に笑いを載せた。
「顔に書いてあるぞ~。好きな女の子がそう言ってました、てな」
「ち、違う!す、好きなんかじゃなくて、気になるだけ・・・」
あ、と彼は慌てて口を両手で抑えたが、時は既に遅し。
こんがりと日焼けした長い腕が、花岡の肩に乗せられた。
「いつも本当に正直で、お兄さんは困るよ、全く。さ、話してご覧なさい」
彼は顔を真っ赤にして、俯いた。
「・・・彼女が胸に付けたピンバッジを見ながら、それの意味だ、て言ってたんだ」
「・・・え?」
鈴木が驚いたような顔をする。
「お前、それがどういう意味か、分かるか?」
「・・・え?秋に降る霜のように、夏の激しい日差しのように、厳かである・・・
とか言ってたけど?」
はぁ、と大きなため息を付いて、鈴木は言った。
「もう1つ、他の意味がある。それはな・・・」
ぼそり、と鈴木が呟いた。
そのテントが崩れるほどに大きな声が撮影現場に響き渡り、
監督が怒鳴り込んで来たのは、間もなくの事であった。