秋霜烈日な貴女と
「はい。すみません。そういう事なので、遅刻します。
・・・えぇ。・・・それでは、失礼します」
彼女は駅務室のドア付近にいた。携帯を切り、駅員に渡された食品用の冷却剤を頬に当てた。
「・・・いたぁ・・・」
幸い、口の中は切れていなかった。
しかし右頬には大きな青い円がしっかり出来上がっていた。
「・・・大丈夫・・・ですか?」
恐る恐る、椅子に座っていた被害者の女性が尋ねてきた。
「え?あぁ、気にしないで。これ、勲章ってやつじゃない?」
彼女は笑って答えた。
女性は安心したように、小さなため息をついていた。
男は別室で先ほど到着した警察から事情を聞かれている様だった。
彼らは男が連行された後の事情聴取の為、しばらく駅務室で待機することになったのである。
隣を見ると、先ほど男を追いかけた人が、
椅子に座りながらもそわそわした様子で仕切りに腕時計を見ているが、
携帯でどこかに電話した様子はなかった。
「・・・あなた、どこかに向かう途中じゃないのですか?」
もう季節は秋なのに、大きなサングラスをかけている。
髪はぼさぼさしているが、肩より少し短くて、柔らかそうだった。
Tシャツの上にジャケット一枚、ジーパンというラフな格好をしている。
肌は色白く、線の細い感じで、一瞬女性のように見えたが、
背の高さや肩幅から、男性のようだった。
「え?あ、あぁ。そうなんですが、携帯を忘れてしまい・・・」
口からは意外と低めの渋い声が聞こえてきた。
「それじゃ、私の使います?」
「い、いえ。それが、先方の電話番号も携帯に入っているものだから、分からないんですよ」
彼が苦笑いをする・・・ように見えた。
目が見えないため、口で判断するしかないが。
「そう。それじゃ、仕方ないですね」
彼女は携帯を鞄にしまい、隣に座った。
すると、向かいに座っていた女性が、再び恐る恐る、しかし今度は彼に尋ねた。
「あの・・・もしかして・・・花岡輝さんじゃありませんか?」
「え?2人とも知り合いですか?」
彼女が素っ頓狂な声をあげる。
「・・・やっぱり分かりますか。サングラスだけじゃ」
男が参ったな、といわんばかりの表情をした・・・ように見えた。
「似てるな、と思ってたんですが・・・。信じられない!私、ファンなんです」
女性が嬉しそうに言う。
彼はサングラスを取り、鞄からメガネケースを取り出し、そこにしまった。
「・・・あの、知り合いなんですか?」
彼女は女性に聞いた。
彼女は驚いたように応えた。
「知らないんですか?あの花岡さんですよ?」
「・・・『あの』って・・・。私、知り合いに花岡という人は・・・」
彼女は馬鹿にされたような気がして、少しだけム、とした。
「彼は今超人気の俳優ですよ。
今花岡さんが主演されている映画が歴代の興行記録を塗り替えたって、
連日テレビでも報じられているじゃないですか。
花岡さんは二枚目で、高学歴だけど、それを鼻にかけず、性格がとっても優しくて、
それもひょうきんな面もあって、本当に素敵な方なんです!
最近は鈴木派と花岡派で別れていて、私はどっちかといったら花岡派なんです。
でも、色黒でワイルドな鈴木さんも捨てがたいですよねー!」
選挙の街頭演説でもしたいのか、と彼女は突っ込みたくなった。
「・・・テレビはほとんど見ないので、存じ上げません」
彼女はバツが悪そうに、花岡、と呼ばれた男に軽く頭を下げた。
彼は少し驚いたようだったが、微笑んで彼女に言った。
「いえ。お気になさらずに。
他人ですから、知らないで当たり前です。僕は偶然他の人より知られているってだけですから」
「・・・すみません、被害者の女性の方だけ、こちらに来て頂けますか」
部屋のドアが開き、警察官が入ってきた。
女性は急いで鞄を持ち、出入り口へと向かう。
「花岡さん、頑張ってくださいね。
応援してますから!御二人とも、ありがとうございました」
そう言って彼女は部屋を出て行った。
「あの・・・」
「はい?」
少しの沈黙の後、花岡が彼女に話し掛けてきた。
「貴方、勇気ありますね。男性でも怖いのに、女性なら、もっと怖いでしょうに」
「いえ。私は怖くなんかありませんよ。ただ、許せないだけです。
目の前で犯罪が行われているのに、私は怒りを感じた、だから捕まえただけに過ぎません」
「・・・そうですか」
再び、沈黙が落とされる。
そしてまた、花岡がその沈黙を破った。
「その胸のピンバッジ、格好良いですね。会社のか何かですか?」
彼が彼女のピンバッジを見て言った。
特に気にかかった訳でもなかったが、他の話題が見付からなかったからだった。
「これですか?・・・まぁ、そんなものです」
彼女は眼鏡の紺色のフレームをくい、と上げ、自分の胸のピンパッジを見つめた。
「・・・秋霜烈日といいます」
「え?しゅう・・・そう・・・?」
「『しゅうそうれつじつ』です。
秋に降る霜や、夏の激しい日差しのように、仕事に対して厳かであること。
当たり前のようで、難しいです。
私の『会社』は、『社員』にそうあるように、このバッジをつけさせるんです」
彼女は、何かを考え込むかのようにそのバッジを見入っていた。
彼はその様子をただ、黙って見ていた。
「・・・すみません、女性の方、来ていただけますか?」
先ほどの警察官が再び部屋に来た。
彼女は立ち上がり、彼に向かって行った。
「逮捕に協力してくださってありがとうございました。
貴方無しではあの人を捕まえる事は出来なかったと思います。それでは」
彼女は彼に微笑みかけ、颯爽とその場を立ち去って行った。
「あ・・・名前、聞いてない・・・」
彼は一人残された部屋で、ぽつりとそう呟いた。