こっちを向いて、お姫様。―(2)
「・・・川上さん?
あのう、大丈夫ですか?
・・・まだ、指痛みます?・・・困ったなぁ」
病室に二人が残されて、早10分が過ぎていた。
その間、彼女は何も言わず、ただ泣きじゃくっているだけだった。
彼は一生懸命彼女を泣き止ますため、変顔や冗談を言って
――冗談はいつも寒いと鈴木に馬鹿にされているのだが――はみたが、
効果は一向に現れなかった。
「・・・あの、聞いても良いですか?」
恐る恐る、彼女の顔を覗き込んだ。
彼女は答えることなく、ただ泣いている。
「どうして、ここに、来られたんですか?」
彼のその問いが終わらぬ間に、余計にわーーーーーっと彼女の泣き声が大きくなった。
「あ、ご、ごめんなさい!へ、変な事、聞いちゃいましたよね!
あはは、やっぱり僕は・・・」
「駄目なんかじゃないから!」
鼻に掛かった大声が、狭い病室にこだまする。
「え?」
真っ赤に腫れた目をしながら、彼女は顔をあげた。
「私は・・・。
まだ謝ってないじゃない。
昨日、あんなに酷い事言っといて、謝ろうと今日電話しようと思っていたのに・・・。
それなのに、傷害事件の調書で、貴方の名前・・・。
傷害致死になる可能性もあるとかって・・・。
私、後悔すると思って、嫌だ・・・。嬉しかったのに・・・。凄く・・・」
彼女の頬を流れる涙がその動きを止め、顔が困惑に包まれていく。
「あの、仰ってる意味が良く・・・」
「だから!本当は待っててくれて嬉しかったんです!」
ピタ、と彼女が泣き止んだ。
それと同時に、彼女の顔が赤くなっていく。
目を皿のように広げた彼が、彼女の朱に染まった顔を見つめた。
「あのぅ、それは、その、つまり、どういう事ですか・・・?」
「え、だ、だから、それは・・・」
彼女は右手で持っていた眼鏡を掛け直そうとしたが、上手く行かない。
「それは・・・?」
「それは・・・」
彼女の顔が、益々赤くなっていく。
彼の顔が、彼女との距離を縮めていく。
「そ、それは・・・。
だから、貴方の、笑顔、とか・・・?」
あと少しで。
「笑顔・・・?」
その吐息が、肌で感じられる。
「・・・す、素敵なような気がするし。
いや、そんな事じゃなくて。
私、心にも無い事を言って、傷つけたから、もう・・・」
あと少しで。
「もう?」
「会えなくなったら、どうしようか、とか思ったらいてもたってもいられなくなって・・・」
頬が持つ熱を、肌で感じられる。
「飛鳥さん」
彼女の名を、その唇に宿す。
「一つだけ、お尋ねします」
包帯が巻かれた手で、短めの彼女の髪を梳いた。
さらり、とそれは指の間を抜けていく。
「ドレスを着て完全に綺麗にしていたシンデレラは、
何故、脆くて脱げ易いガラスの靴を履いていたんだと思いますか?」
「・・・はぁ?」
「いいから、答えてください」
「え?えーっと・・・。魔法使いが、くれたからじゃなくて?」
突拍子で脈絡の無いの質問に、彼女が首を傾げる。
「本当の自分を、残しておく為に。
そして王子は、それを見抜いた上で、シンデレラへの愛を確信したんですよ」
自分でも信じられないくらいのクサイ台詞を吐いたと思ったが、
吐かれた相手はもっと恥ずかしかったらしい、さっきよりも熱い体温を、頬で感じる。
「・・・僕、飛鳥さんの事、好きです。
悪や自らが有する権力に対して秋霜烈日であろうと努める飛鳥さんも。
僕の事が心配で取り乱したりしている、弱い飛鳥さんも。
強がって虚勢張ったりする飛鳥さんも。全部、大好きなんです」
彼女が恥ずかしそうに俯く。
彼は彼女の顎を軽く親指と人差し指でくい、と上げた。
そっと、彼女の瞼が閉じられる。
漆黒の瞳に映るのは、本当の自分をさらけ出す、一人の女性の姿。
いとおしくてたまらないこの感情を、今度がその唇に直接伝えよう。
あと少しで。
その唇をこの唇で感じられる・・・。