微かな声
世界は、まだ敵の姿を知らないまま疑心暗鬼だけを膨らませ続けていた。
―――
アメリカ空軍基地
司令室―――
「また誤作動だと? レーダーが全方向からの衝撃波を検出している」
「でも大気の揺れがないんです。爆発も超音速飛行もなし。物理的には何も起きてません」
司令官は机を叩いた。
「じゃあこれは何に反応している! 不可視兵器か? 中国かロシアか!」
誰も答えられない。
しかしひとつだけ事実があった。
観測機器は存在しないはずの脈動に反応し続けている。
まるで地球そのものが心臓を打っているかのように。
―――
中国成都 地震局―――
研究員のリウは震えていた。
「……この波形、1秒のうち100分の1だけ、地盤が浮いています」
同僚が首をひねる。
「重力波じゃないか?」
「そんなものが地球の地盤だけを押し上げるわけがない!」
リウは机にかじりつくようにデータを見続けた。
“地球が自分の形を変えようとしている”
そんな妄想めいた考えが頭に浮かび、すぐに振り払った。
だが胸のざわめきは消えなかった。
―――
日本防衛省―――
アラタが急ぎ足でモニター前に戻る。
「観測衛星7号もノイズ。地磁気の急変が同時多発しています」
若手が青ざめて言った。
「……攻撃ですか?」
アラタは答えられなかった。
攻撃なら、もっと“方向”がある。
しかし今回の揺れは、地球全体から均一に発されているように見える。
そんな攻撃など、存在しないはずだ。
誰も口にしないが、全員が思っていた。
――地球自身が、何かをしている?
それは同時に、“そんなわけがない”という拒否でもあった。
理解したら世界が壊れる。
だから誰も認めようとしなかった。
―――
イツキの研究所―――
机に並べた観測データを見返しながら、イツキは額を押さえた。
昨夜から感じ続けている、説明のつかない違和感。
地面が呼吸した瞬間の、あの湿った圧。
洞窟で巨大生物の寝息を聞いたような空気の震え。
でも今回は違った。
研究所の地下センサーが“何かの低い音”を拾った。
通常の地鳴りではあり得ない、規則的なリズムを持っていた。
「……鼓動?」
喉が乾いた。
馬鹿げている。
地球に鼓動などない。
しかし、規則の周期を数字にして並べると──
1.7秒
1.6秒
1.7秒
1.6秒
かすかに呼吸するように揺れている。
「……聞こえるのか? 俺にだけ?」
耳鳴りのような低音が、地面の奥からかすかに押し寄せる。
それは言葉ではなく、
怒りでもなく、
ただ“存在を主張する音”だった。
イツキは思わず椅子から立ち上がった。
「誰か……この音、聞こえてないのか?」
同僚たちは不思議そうに彼を見るだけだった。
「イツキさん……何も聞こえませんよ」
その瞬間、イツキは気づいた。
これは警告だ。
地球は、何かを伝えようとしている。
しかしその声は、世界の誰にも理解できる形では届いていない。
届いたのは、誤作動。
ノイズ。
異常値。
そして恐怖だけ。
“地球の声”は、文明の機器にはただの異常としてしか記録されない。
イツキは背筋に寒気を感じた。
「……やばい。
このままだと世界が、間違った敵を決めつける」
―――
そして、世界は勝手に動き出す―――
各国が武装を強化し始めた。
ミサイルが移動し、海軍が動き、空軍が警戒飛行を続ける。
敵を探して。
しかも“存在しない敵”を。
次に起きる地球の脈動を、
誰かの攻撃と誤認する準備だけは完璧に整っていく。
イツキは窓の外を見つめながら、かすかに聞こえる地下の脈動に耳を澄ませた。
それはこう言っているように感じた。
「やめろ」
だが人類はまだ、
その声の意味を理解できる段階にいなかった。




