誤解
防衛省情報分析官のアラタの元に嫌な報告が続く。
午前10時。
世界中の衛星データに残る地表の呼吸の謎は何ひとつ解けないまま、
「アメリカ海軍、第七艦隊が南シナ海で警戒態勢入り。
中国側も艦隊を展開。両軍が実弾演習を開始したとのことです」
報告した若手の顔色は青かった。
アラタはモニターを睨みつける。
今の世界情勢で、双方が本気で撃ち合うなんてありえない。
だが――今日は『ありえない』が連発している。
「演習じゃない。これは牽制だ……
原因不明の地震騒ぎの裏で、互いが相手を疑い始めてる」
彼の声は低く沈んだ。
モニターには、
相手国の動きを牽制しあう艦隊の影が映っていた。
ただの誤作動が、ここまで空気を悪化させるとは。
アラタは小さくつぶやいた。
「……誰が仕掛けてなくても、もう戦争は始まるんだな」
―――
ロンドン。
サラは映像を確認しながら頭を抱えていた。
南シナ海の緊張、
SNS上の「第三次世界大戦」と揶揄するタグの拡散。
石油先物は跳ね上がり、株式市場は荒れ、
世界はまるで敵がいる前提で動き始めていた。
「地震誤作動で……ここまで?」
カメラマンが笑い飛ばそうとしたが、
サラは笑えなかった。
その瞬間、別のニュースが飛び込む。
「ロシアのミサイル施設が、誤作動で自動防衛システム作動。
周辺国が緊張状態に――?」
サラの背筋が凍る。
「誤作動……? 今日だけで何件よ……!」
モニターには各国の偶然の誤作動が並んでいた。
誰かが攻撃しているようにも、
誰も攻撃していないようにも見える。
だからこそ、最悪だ。
人類は、「見えない敵」が一番怖い。
―――
軍事国の首脳会談では、
「先に撃たれたら負ける」
「いや、撃ったのは向こうだ」
「証拠は?」
「わからん」
議論になっていない。
ある将軍が机を叩いた。
「誰かが我々の監視網をハッキングしている。
地震も誤作動も全部第三国の攻撃と考えるべきだ!」
しかし別の国の代表は首を振った。
「いいえ……何かが地表側から起きているんです。
人工では説明できない現象が多すぎる」
沈黙が流れた。
正解はどこにもない。
ただ、恐怖だけが場を支配していた。
―――
研究室。
イツキは必死に昨夜の現象を解析していた。
地面の膨張、呼吸のような上下動――
それは単なる振動ではなく、
明確な意思のある波にさえ見える。
だが証明はできない。
(そんなバカな。意思って……俺は何を考えてるんだ)
そこへ上司が駆け込んできた。
「イツキ! お前の観測地点近くで、再び地盤データの乱れが出た!」
「えっ……!」
上司は言った。
「しかも……今回は[沈む]方向だ」
イツキの喉がひゅっと鳴る。
昨夜は[息を吸うように膨らんだ]。
今度は――[吐くように沈んだ]。
(吸って、吐いて……?)
データを見てイツキはポツリと呟く……
「周期が……揃いすぎてる。こんな波形、自然界に存在しない」
まるで、呼吸。
イツキの手が震える。
だが彼はこの時まだ知らない。
その[二度目の呼吸]が、
世界にとんでもない誤解を生むことを。
―――
その地盤の沈みは、
別の国では爆発の衝撃波として誤認され、
さらに別の国では新型兵器の地表実験として検出され、
別の国では地下核実験として扱われた。
誰かが攻撃した。
いや、攻撃された。
では反撃は?
世界中の通信室が同時に叫び声に包まれた。
―――
緊急アラートが鳴り響いた。
「中国沿岸で爆発反応!アメリカ軍、緊急態勢へ移行!」
「アメリカ側の反応衛星が自動迎撃モードに入っています!」
「誤作動か!? 本物か!?」
指令室が騒然となる。
アラタは叫んだ。
「待て!誰も撃つな!これは、まだ――」
しかし次の瞬間。
モニターの一角が真っ赤に染まった。
[自動迎撃システムが敵影を検出]
[対抗ミサイル発射]
誤作動で発射されたのか、
本物の敵を誤認したのか、
もはや誰にもわからない。
アラタは頭を抱え叫んだ。
「……最悪だ……[敵]なんてまだ確定もしてないはずだ!」
ミサイルは空へ飛び立った。
世界中の空に轟音が響いたのは同じ瞬間だった。
どの国も相手国が撃ったと思った。
どの国も自分は撃っていないと主張した。
そして、誰一人として
「迎撃システムが勝手に反応しただけ」
という真実に辿りつけない。
——敵はいない。
だが、撃った国はそれぞれの国の中で別々に存在していた。
ドイツではSNSの速報が
「アメリカが先に撃った」
と100万回拡散され、
中国では政府系サイトが
「ロシアが実験兵器を暴発させた」
と報じ、
アメリカでは民間の監視アプリが
「中国沿岸から発射された影」
を勝手に合成し、
中東では宗教指導者が壇上で叫んだ。
「これは神の警告だ。悪しき者が先に剣を抜いたのだ!」
日本では人気YouTuberが
「撃ったのは隣国だと専門筋が言っています」
とライブで流し、
数百万人がそれを事実として受け取った。
——誰も撃っていない。
だが、世界は撃った国を勝手に想像し始めた。
そしてその混乱の中心には、
前回から続く[青い脈動]の観測データが静かに転がっていた。
「これ……もしかして、地球が反応している……?」
学者たちの囁きは、
混乱の渦には届かない。
世界の耳は、怒号と恐怖で塞がっていた。
世界初の[誰も撃っていない戦争]が、
静かに幕を開けた。




