沈黙
世界は、イツキが画面の向こうに現れた瞬間から、
音を失ったように静まり返った。
アレックス・ローワンの巨大なフォロワー網は、
数十億の視線をリアルタイムで同一点に縫いとめる“世界最大の窓”。
その中心にいま、ひとりの名もなき地質学者が立っている。
ローワンは英語でゆっくりと説明した。
「He has something earth itself wants to say. Not a theory. Not a metaphor.
He carries a proof that cannot be ignored.」
「彼には、大地そのものが言いたがっている何かがある。理論ではない。比喩でもない。
彼は、無視することのできない証明を携えている」
その言葉の重さが世界をざわつかせ、
同時に更なる静寂を落とした。
画面が、イツキへ切り替わる。
白衣ではなく、普通のシャツ。
背景は研究所の廊下。
それだけで、余計な演出も匂わせもないことが伝わる。
イツキは喋らない。
ただ、深く息を吸った。
胸がわずかに上下し、
その呼吸だけが世界の全チャンネルに共有される。
――その沈黙が、
ローワンの説明よりも雄弁だった。
―――
▼アメリカ
軍事的緊張が最高潮。
司令室の兵士たちがスクリーンを見つめ、
武器を握る手が止まる。
一人がつぶやく。
「……何だ、この静かさは」
誰も応じない。
敵の動きすら止まったような錯覚に陥っていた。
―――
▼ドイツ
首相官邸の会議室では、
政治家たちが言い争いをしていたはずだった。
だが、イツキが画面に映った瞬間、
全員の口が自然に閉じた。
「警告を発する顔じゃないな」
誰かがそう呟いた。
怒りでも恐怖でもない、
ただ真剣に“聞こうとしている顔”だった。
―――
▼中国
SNSの炎上が続き、デマも暴走していた地域。
人々の通知音が止んだ。
誰もがスマホを持ち上げ、沈黙の画面をのぞき込む。
喫茶店でも、地下鉄でも、広場でも――
今だけは、誰もが同じ時間の中にいた。
▼イギリス
サラはニューススタジオの椅子に座ったまま、
原稿を持つ手を止めた。
「あの目……さっきよりも深いわ」
カメラマンも頷く。
「アイツ、本当に何か“聞いてる”目だな」
サラはモニターに近づき、
画面の中のイツキの両手に目を止めた。
地面に触れてはいないのに、
“触れているように”見えたのだ。
―――
▼日本
防衛省。
アラタはモニター前に立ち尽くしていた。
「……喋らないのか?」
若手が小声で問う。
「いや……違う」
アラタはゆっくり首を振る。
「彼は、まだ話すべきじゃないとわかってる。
世界が呼吸を整える瞬間を、待ってる」
それを聞いた若手は黙った。
たしかに今、世界は“ひとつの呼吸”を待っている。
―――
▼研究所
イツキ自身は、世界の反応を見ていなかった。
それどころか、モニターの存在にも意識を向けていない。
彼の全神経は、足裏から伝わる振動に集中していた。
地球の脈が、まだ荒い。
怒りと悲しみの中間にあるような、重い波。
(……待ってるのか。
俺の呼吸を……)
ゆっくり息を吸い、
ゆっくり吐く。
地球の脈が一瞬だけ、
イツキの呼吸と重なった。
その重なりは誰の耳にも聞こえないが、
世界の画面に映る沈黙が“意味のある沈黙”へ変化していく。
イツキはまだ話さない。
話す前に、
世界に準備をさせている。
沈黙は恐怖ではなく、
静かで、深く、
どこか優しい重みを帯びていく。
―――
◆そして――
世界は、次の一言を待つ。




