2-4
アルフォンスと会う日時は、次の会議の翌々日に決まった。
セレスティーヌは、今度こそアルフォンスに一矢報いてやろうと作戦を練りに練る。
次の会議でモーリスが地方の実情を報告すれば、王はすぐに動くだろう。地方には粛清の嵐が吹き荒れ、中央でも役人や政府関係者が罰せられることになる。うまくいけば、”企む者”があぶり出せるかもしれない。
だが、それだけでは不十分だ。”企む者”は狡猾な人間に違いない。証拠隠滅を図ったり、誰かに罪を被せて逃れようとする可能性もある。ゆえに、王とは別に、モーリスの手の者を使って疑わしい者を徹底的に調べる必要があった。
その調査には時間が掛かるだろうが、少なくとも、王が動き出せば計画がこれ以上進むことはない。仮に”企む者”が捕まらなかったとしても、地方行政が正常化し、民の不満が鎮まれば計画は頓挫するはずだ。
国内が落ち着いた頃を見計らって自分が地方を訪問し、各地で寄付をしたり病院を建てたりすれば、自分についての悪い噂もいずれ消えていくに違いない。
「完璧な計画ですわ!」
これにはアルフォンスも参ったと言うほかないだろう。
悔しそうなアルフォンスの顔を想像しながら、セレスティーヌは高らかに笑った。
ところが、セレスティーヌのこの計画は、発動前から狂ってしまうことになる。
「姉上!」
会議が終わったその日の午後、モーリスがセレスティーヌの部屋に飛び込んできた。
「モーリス! レディの部屋にノックもなく入るとは失礼極まりない……」
「それどころではないのです!」
真っ青なその顔を見て、セレスティーヌは良くない事が起きたことを知った。
「みな、下がりなさい」
メイドたちを下がらせると、モーリスに椅子を勧める。
「それで、何があったのですか?」
座った途端、モーリスが悲痛な声で話し出した。
「姉上のご指示通り、今日の会議で僕はすべてを話しました。父も二人の兄も驚いておりました。重臣たちは慌てておりました。ですが」
モーリスが悔しそうに言った。
「ファビウス卿が、その件は自分に預からせてほしいと強く言ったことで、対応は保留になってしまったのです」
「何ですって!?」
セレスティーヌが叫んだ。
ファビウス卿とは、今の財務大臣だ。
たっぷり脂肪をため込んだ体はまるで風船のよう。顔が脂ぎっている上に汗っかきなので、常にハンカチで顔を拭いている。
物言いは、回りくどくて分かりにくい。ただの挨拶ですら長ったらしい。
父が即位して以来の側近なのだが、セレスティーヌには、どうしてもファビウス卿が有能な人物だと思えなかった。
「そんな戯言を、なぜ父や兄が許したのですか?」
怒りを抑えてセレスティーヌが聞く。
すると、思い掛けない答えが返ってきた。
「カリエール卿がそれに賛成したのです」
「カリエール卿が?」
セレスティーヌが目を丸くした。
カリエール卿とは、現在の宰相で、父の右腕とも言える人物だ。
中央官吏の登用試験を史上最高得点で合格したカリエール卿は、入省直後からその有能さを発揮し、所属したすべての省庁で素晴らしい実績を残した。それに目をつけた父が側近に取り立て、その後宰相に抜擢したのだ。
落ち着いた物腰と知性溢れる静かな瞳。冷静沈着で、どんな時でも最適な答えを導き出す。時に冷徹とも思える決断を示す反面、相談には親身になって答えるという暖かさも持っていた。
宰相に就任した当初は反発していた重臣たちも、今ではカリエール卿に従順なようで、つまらない権力争いは完全に影をひそめている。
父は娘から見ても凡庸な王だ。それでも国がまとまっているのは、カリエール卿のおかげと言っても過言ではない。
まさに我が国の要。
そのカリエール卿が、ファビウス卿の肩を持つなど考えられなかった。
「どうして」
セレスティーヌが茫然と呟くが、モーリスの嘆きはさらに続く。
「それだけではないのです。二人の兄が、僕に、西の民の不満を鎮めてこいと言ったのです」
想定外の事態に、よく回るはずのセレスティーヌの頭脳も動きを止めた。
言葉を失うセレスティーヌの前でモーリスが訴え続ける。
「それは無理だって断ろうとしたら、ファビウス卿が、”それは名案だ!”と支持をしました。畳み掛けるように、兄上たちが”お前もたまには国のために働け”と言い、それに重臣たちが同調して、ついに僕が西に行くことが決まってしまったのです」
モーリスの顔は泣きそうだ。
「だから僕は言ったのです。西に行くなら、せめて姉上と一緒に行かせてくださいって」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
机を叩いてセレスティーヌが身を乗り出した。
「あなた、何を言っているのですか!?」
大混乱のセレスティーヌに、モーリスが追い打ちを掛ける。
「ダメで元々だったのです。さすがに反対されるだろうなって思っていました。ところが、これにカリエール卿が賛成したのです」
「!」
セレスティーヌが呼吸を止めた。
「さすがに父も顔色を変えました。でも、その場にいたほとんどの者が賛成しました。地方の反乱など、王族が行けばにすぐ収まる。危険なことは何もない。見聞を広めるために、姉上が同行するのも悪くないだろうって」
涙目のモーリスを見て、セレスティーヌも泣きたくなった。
モーリスが西に向かうよう命じられた理由は、何となく想像できる。絵を描いてばかりのふざけた弟に、二人の兄が意地悪を仕掛けたに違いない。重臣たちもおそらく同じ気持ちだ。
だが、それにセレスティーヌが同行するという話はまったく理解できなかった。
セレスティーヌは王女だ。国政に参加する必要などないし、ましてや反乱の兆しのある地方に行くなど考えられない。
激しい目眩を感じて、セレスティーヌがソファにぐったりと身を預ける。
「近いうちに父からお話があると思いますので、その時は……姉上? 姉上!」
モーリスの声を遠くに聞きながら、セレスティーヌの意識は暗い水底へと沈んでいった。
翌日、父から正式に命が下った。当然セレスティーヌは抗議したが、娘には甘い王も、会議の決定を私情で覆すことはしなかった。
「そなたの警護には騎士団の精鋭をつけるつもりだ。安心するがよい」
不満一杯のセレスティーヌの目を見ることなく、なだめるようにそう言って、王はそそくさと部屋を出て行った。
予期しない事態に、さすがのセレスティーヌも何をどうしていいのか分からない。
そんな状況だというのに、無情にもその日はやってきた。
「今回もお一人でよろしいのですか?」
心配そうにアンナが聞いた。
「そうね」
小さな声でセレスティーヌが答えた。
本当ならアルフォンスになど会いたくなかった。一矢報いるどころか、どう考えても笑われるのがオチだ。
それでも、セレスティーヌはアルフォンスに会うことにした。
認めたくはないが、あの男の見識は確かだ。
セレスティーヌにない視点も持っている。
だからこそ。
あの男を利用してやるのよ
この状況を打破する方法を、あの男に考えさせればよいのだわ
セレスティーヌが強気に笑った。
世間では、それを”藁にもすがる”というのだろうが、セレスティーヌにその感覚はない。
「何かあればすぐ駆け付けますので」
「ありがとう」
アンナと、顔を伏せたままのセドリックが隣の部屋に入ったことを見届けると、セレスティーヌは大きく深呼吸をした。
「そう、利用してやるのよ」
小さく呟いて、セレスティーヌは扉を叩いた。
「どうぞ」
「失礼するわ」
背筋を伸ばしてセレスティーヌが扉を開ける。
前回と同じく、アルフォンスは窓際に立っていた。前回と違うのは、その前にテーブルと椅子が二脚用意されていたこと。テーブルの上には、カップとティーポットが載っていた。
「上座は奥になるが、すぐ逃げられるよう用心するなら手前になる。どっちがいい?」
二脚の椅子を示しながらアルフォンスが言う。
相変わらず無礼な物言いだが、前回よりは多少敬意を感じた。
一瞬迷ったものの、セレスティーヌは強気に答える。
「奥に決まっています」
苦笑するアルフォンスを無視して、セレスティーヌがテーブルの脇をすり抜けた。
すると、アルフォンスが素早く奥の椅子を引く。
「どうぞ」
「ありがとう」
あまりの意外さに思わず礼を言ってしまった。最近メイドたちに礼を言うことを心掛けていたので、癖になっていたのかもしれない。
後ろでアルフォンスがどういう顔をしているか気になったが、平静を装って前を見た。
アルフォンスは、すぐ正面には来なかった。
テーブルの横に立って、慣れた手付きでお茶を淹れ始める。
「お前が時間通りに来るやつでよかったよ。お湯が冷めずにすんだ」
「時間を守るのは当然です」
セレスティーヌの返事に微笑んだアルフォンスが、ポットにお茶の葉を入れて、そこに湯を注いでいく。
「ソーサーは用意できなかった。それと、本当はポットやカップも温めておくんだろうが、そこは勘弁してくれ」
そう言いながら、アルフォンスがポットにフタをする。
「茶葉は、近くで買った安物だ。口に合わないかもしれないが」
「そんなことは気にしません。いいから黙ってお茶を淹れなさい」
アルフォンスはまたも苦笑。
「では、しばしお待ちを」
そう言ってアルフォンスは口を閉ざした。
ポットの中で、お茶の葉が開いていくのをじっと待つ。その沈黙が居心地悪くて、セレスティーヌはそっとアルフォンスを見上げた。
アルフォンスは、まるで葉の開く音を聞いているかのように、静かに目を閉じていた。
それをいいことに、セレスティーヌはアルフォンスの観察を始める。
初めてじっくり見るその顔は、意外なほど整っていた。
きれいに通った鼻筋と薄い唇。
力強さを感じる凜々しい眉と、引き締まった顎のライン。
日焼けした肌が男らしさを感じさせるが、髭はきれいに剃られていて清潔感がある。
瞳が赤いことを除けば、その容貌はセレスティーヌの好みに近いかもしれなかった。
この男は、一体何歳なのかしら
長兄が今年で二十三になるが、それよりは上だろう。騎士団長が四十才と聞いたことがあるが、そこまではいかないと思う。
おそらく三十代。もしかすると、ぎりぎり二十代。いずれにしても、十七才のセレスティーヌが異性として意識する対象からは外れていた。
もっとも、セレスティーヌが異性に恋愛感情を抱いたことなど、過去に一度もないのだが。
などと考えていると、突然アルフォンスが目を開けた。慌てて正面を向いたが、顔を見ていたことに気付かれたかもしれない。
動揺を覚られぬよう、身動き一つせずに前を見る。
その横で、アルフォンスがカップにお茶を注いでいった。
「お待たせしました」
おかしさを噛み殺したような声がする。
「ありがとう」
置かれたカップだけを見て、セレスティーヌが礼を言った。
もう一つのカップを正面に置くと、アルフォンスは前に回って椅子に腰掛ける。
目に入った顔は、笑っていた。素知らぬ顔をして、セレスティーヌがカップを手に取る。
安物と言っていたが、香りは悪くなかった。味は、少し尖った印象でセレスティーヌの好みではない。そのことにセレスティーヌはホッとする。
「お気に召しましたか、姫様」
「お気に召しませんわね」
勝ち誇ったようにセレスティーヌが答えた。
アルフォンスはまた苦笑。
その苦笑を微笑みに変えて、アルフォンスが思い掛けないことを言った。
「やっと姫様らしくなったな」
「え?」
セレスティーヌが驚いた。
「部屋に入ってきた時の顔を見て、何かあったんだろうなと思ったんだ」
セレスティーヌが目を丸くする。
「何があったか話してみろ。俺にできることなら力を貸してやる」
相変わらず偉そうな態度だが、その表情は真剣だ。
カップを置いて、セレスティーヌがアルフォンスを睨む。
赤い瞳をじっと見つめたセレスティーヌが、視線を落として、ぽつりと言った。
「じつは、少し想定外の事態が起きました」
セレスティーヌが小さな声で話し始めた。
話をしている間、アルフォンスは一切口を挟まなかった。
すべてを話し終えたセレスティーヌが、沈んだ顔でお茶を飲む。その姿は、困り果てた一人の少女だ。
アルフォンスもお茶を飲んだ。それをテーブルに戻して、アルフォンスが言った。
「お前が西に行くことが決まったのは、絶好の機会だと俺は思う」
セレスティーヌが顔を上げる。
「この遠征を、国を救う第一歩と捉えるべきだ」
「でも、どうやって」
力ない声に、アルフォンスが力強く答える。
「細かいことはこれから考えるが、お前は何も心配しなくていい」
首を傾げるセレスティーヌに、アルフォンスがとんでもないことを言った。
「俺も現地に行ってやる。一緒に反乱を鎮めてみせようじゃないか」
「……はい?」
ポカンと口を開くセレスティーヌの前で、アルフォンスが鮮やかに笑った。




