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食事の一件以来、セレスティーヌは自分の言動について頻繁にアンナに確認するようになった。アンナも積極的にアドバイスをした。
その甲斐あって、最近はメイドたちの表情が驚くほど明るくなっている。皆がセレスティーヌの目を見て話すようになり、セレスティーヌもメイドたちの顔と名前を覚えるようになった。
「今までのわたくしは、本当にひどい主だったのですね」
セレスティーヌがため息をつく。
それを笑いながら、アンナが言った。
「私にとっては、昔も今も掛け替えのない主でございますよ」
主従が互いに笑い合う。
それは、セレスティーヌにとって心地よい瞬間だった。
こうして数日が過ぎたある日、部屋にモーリスがやってきた。
「姉上、僕は心が挫けそうです」
二人きりになるなりモーリスが愚痴をこぼす。
「会議って、あんなにたくさんの議題を話していたんですね」
「……あなた、これまで会議では何をしていたのですか?」
「資料の余白に絵を描いて時間を潰しておりました」
平然と答えるモーリスを、セレスティーヌが呆れ顔で見た。
政治に興味がないとはいえ、モーリスも王子である。王の参加する会議には、兄たちと共に必ず同席していた。
生まれて初めてまじめに会議に参加したモーリスは、たった一度で疲れ切ってしまったようだ。
「それでモーリス、成果はありまして?」
「会議では、それらしい情報は得られませんでした。ただ」
モーリスが姿勢を正す。
「部下たちが持ち帰った情報には、僕も驚きを隠せませんでした」
王子ともなれば、それなりの数の家臣がいる。普段は飼い殺し状態の彼らに、モーリスは初めてまともな命令を下していた。
「国内あまねくとはいきませんでしたが、東西南北の代表的な地域について調べさせました。まずは税率についての報告です」
モーリスが報告書を取り出して説明を始めた。
この国の税率は、細かいことを除けば年間収入の三割と決まっている。半数以上の地域でそれは守られていた。
だが、地方によっては四割だったり五割だったりと、正規の税率を上回る税を徴収しているところがあった。それをそのまま懐に入れている役人もいたが、中央への賄賂として使っている者も相当数いた。
そういう地域においては、一般の民が地方役人に賄賂を送ることも常態化していて、法律とは掛け離れた自治が行われている。
「概ね姉上の情報通りでした。役人たちに気付かれぬよう秘密裏に調査をさせたので、確たる証拠を掴むのは難しかったのですが、正式に調査をすればいくらでも証拠が出てくるんじゃないでしょうか」
「やはりそうだったのですね」
セレスティーヌが表情を険しくする。
「次に、南で起きた反乱について」
モーリスが別の報告書を取り出した。
二回の反乱は、どちらも農民が起こしたものだった。一つは灌漑事業の遅れへの抗議。もう一つは医療機関未整備への抗議。正規の報告書ではそうなっている。
しかし。
「本当の原因は、高過ぎる税率にあったようです。その不満に火をつけ、クラルモ共和国のような民主主義を実現しようと、農民たちを煽った者がいたそうです」
「それは何者なのですか?」
「分かりません」
モーリスが首を振る。
「正規の報告書にそのような者の記載はありませんし、現地でも、反乱以降その者の姿を見た農民はいません」
セレスティーヌの顔が険しさを増していく。
「南の調査結果は以上です。次は、ほかの地域に反乱の兆しがあるかについて」
考え込んでいたセレスティーヌが顔を上げた。
「各地で民の不満は高まっているようですが、とくに、西の国境近くでその不満を口にする者が多数いたそうです。きっかけさえあれば、西の地でも反乱が起きるかもしれません」
こめかみに指を当ててセレスティーヌが目を閉じる。
アルフォンスの言った通り、反乱の芽はすでに育ちつつあるようだ。
「次は、姉上の噂について」
ピクッと肩を震わせて、セレスティーヌが目を開けた。
「残念ながら、調べさせたすべての地域で、姉上に関する良くない噂が流れておりました」
「それは、どのようなものですか?」
覚悟を決めてセレスティーヌが聞く。
「総合すると、どうやら姉上は、世間知らずの我が儘姫として名が通っているようですね」
遠慮も配慮もなしにモーリスが答えた。
途端にセレスティーヌのこめかみに青筋が浮かぶ。
「あ、姉上、これは決して僕が言っている訳では」
「分かっています」
慌てるモーリスに、怒りを抑えてセレスティーヌが言った。
「で、モーリス。あなたには、もう一つ確かめてもらっていたことがありましたよね」
「はい。我が国の始祖、ファンデール公の再来なる者が現れたかどうか、ですね」
「その通りです」
セレスティーヌが鋭くモーリスを見る。
その視線に少し怯みながら、モーリスが答えた。
「調べた限り、そのような者の存在は確認できませんでした」
「そう、ですか」
セレスティーヌが大きく息を吐き出した。
ファンデール公の再来を名乗る者が現れたとしたら、それは”企む者”の計画が最終段階に入ったことを示している。
そのような者が立ち上がる土壌を作ってはならない。地方における不正をなくし、早急に民の不満を解消しなければならなかった。
「次の会議はいつですか?」
「えっと、来週の月曜日です」
「では、その時に、あなたが調べた地方の実情をすべて国王陛下に報告しなさい」
「会議の場でですか?」
「そうです。その報告を聞いて、不審な動きをした出席者をすべて洗い出すのです」
「不審な動きというと、具体的には」
「あなたの感覚で構いません。怪しいと思った者をすべてわたくしに報告しなさい」
「分かりました」
頷くモーリスの前で、セレスティーヌが真剣な顔をして考え込む。
それをじっと見ていたモーリスが、遠慮がちに声を掛けた。
「あの、姉上。お願いがあるのですが」
「何ですか?」
セレスティーヌが顔を上げた。
「僕は、今回そこそこお役に立てたと思います。次の会議でも、僕は頑張ります。これからもずっと、姉上のために頑張ろうと思います」
「それは、ありがたいと思っておりますわ」
困惑気味にセレスティーヌが答える。
「それでですね、僕が頑張るために、ちょっとしたご褒美が欲しいのです」
「ご褒美?」
「そうです」
首を傾げるセレスティーヌに、モーリスが上目遣いで言った。
「僕が頑張る度に、姉上をデッサンさせていただきたいのです」
セレスティーヌの頬が引き攣った。
「全身とは申しません。例えば顔だけとか、上半身だけとかでも」
期待の籠もった熱い視線に、セレスティーヌが視線を背ける。
「それは、すべて事が済んでから」
「それまで僕の心がもちません!」
モーリスが身を乗り出した。
「僕は頑張ります。絶対に頑張ります。だから姉上も頑張るべきだと思うのです!」
謎理論を繰り出すモーリスを、セレスティーヌが呆れ顔で見る。
「モーリス、あなたは」
どれだけ子供なのかと言おうとして、セレスティーヌはそれを飲み込んだ。
今回のことで、モーリスが非常に役に立つことが分かったのだ。ここでモーリスの気分を害してはならない。
とは言うものの、会議の度にモデルをやらされていては、セレスティーヌの心がもたなかった。
セレスティーヌの頭脳が必死に答えを探す。
うまい逃げ道がないかを全力で考える。
やがて。
「……分かりました」
セレスティーヌは、諦めた。
「本当ですか!」
モーリスが興奮しながら叫んだ。
「では、まずは姉上のお顔から」
「右手だけです」
「え?」
「今回は、わたくしの右手を描くことを許します」
「あの、お顔は」
「右手だけです」
能面のような顔を見て、モーリスも諦めた。
この後セレスティーヌは、モーリスの自室に行ってモデルを務めた。その顔は終始歪んでいたのだが、幸いにもデッサンに夢中のモーリスがそれに気付くことはなかった。
満足げなモーリスに見送られて部屋を出たセレスティーヌは、自室に戻ると、急いでメイドにお茶とお菓子を用意させた。なぜか無性に甘いものが食べたくなったのだ。
用意されたお菓子をすべて平らげ、お茶を三杯飲んで気持ちを落ち着かせたセレスティーヌは、気を取り直してセドリックを呼んだ。
「お呼びでしょうか」
セドリックがやってくると、メイドたちを追い出してセレスティーヌが言う。
「またあの男に会ってきてほしいのです」
「アルフォンスさんにでしょうか?」
確認するセドリックの声は、ぎこちない。
アンナとは頻繁に顔を合わせるのだが、セドリックとは日に一度程度。専属小間使いといっても、そうそう言い付ける用事があるわけではない。それもあって、セドリックとはどこか距離を感じたままだった。
「そうです。わたくしが会いたいと伝えてきなさい。日時はここに書いてあります。難しければ、この日時以降であの男の都合いい日を聞いてきなさい。王室の行事でもない限り、わたくしがそれに合わせます」
「かしこまりました」
セレスティーヌからメモを受け取り、それをポケットにしまうと、セドリックは一礼して部屋を出て行く。
その後ろ姿に、セレスティーヌが声を掛けた。
「セドリック」
「はい」
セドリックが振り向いた。
「わたくしに言いたいことがあるのなら、遠慮なく言いなさい。先日のわたくしの宣誓は、決して嘘ではありません」
強い言葉に、セドリックがうつむいた。
「いえ、特にございません」
小さな声で答えると、セドリックはそのまま部屋を出て行った。
入れ替わりにメイドが入ってこようとしたが、それをセレスティーヌは追い返す。そして、閉じた扉に向かって大きな声を上げた。
「いったい何が不満だというのですか!」
テーブルをバンと叩いてセレスティーヌは目を吊り上げた。
先ほどのやり取りの間、セドリックは、一度もセレスティーヌの目を見なかった。
うつむく姿勢が気に入らなかった。
小さな声が気に入らなかった。
セレスティーヌに笑顔を見せないことが、とにかく何より気に入らなかった。
世間知らずの我が儘姫は、確実に前へと進んでいる。しかし、その歩みは一足飛びとはいかない。
扉をきつく睨みながら、セレスティーヌは強く拳を握り締めていた。




