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世間知らずの我が儘姫は、強気を武器に生きていく  作者: まあく
第2章 我が儘姫、決意する
6/10

2-1

 自分の部屋に戻って着替えを済ませると、アンナもメイドも追い出して、セレスティーヌは一人でドレッサーの前に座った。

 鏡に映る自分を見ながらセレスティーヌは考える。


 アルフォンスから聞いた衝撃的な話の数々。

 その話と同じく、いや、それ以上に胸に刻まれた言葉。


 お前は、悪気なく敵を作る天才だ


 言われた時は腹が立って仕方なかったが、今はそれもない。


「わたくしは」


 小さく呟いて鏡の中の自分を見つめる。


 セレスティーヌは、世間知らずで我が儘だ。

 しかし、その頭脳は家庭教師をも唸らせるほど明晰だった。

 その優秀な頭脳が、生まれて初めて有意義な活動を始めていた。


 鏡に向かってセレスティーヌは考え続けた。心配したアンナが軽食を持ってきた時も、それを食べている間も、無理矢理寝間着に着替えさせらている時も、ベッドに潜った後も、セレスティーヌはずっと考え続けた。

 月が昇り、中天を越え、それが西に大きく傾いた頃、ベッドの中でセレスティーヌの声がする。


「わたくしは、セレスティーヌ・ド・ベルクール」


 寝返りを打って窓に顔を向け、カーテンの隙間から月を睨む。


「この名に懸けて、絶対にあの男を跪かせてみせる!」


 強く宣言をして、セレスティーヌはようやく目を閉じた。

 眠るその顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


 翌日。

 朝食を終えたセレスティーヌは、アンナとセドリックを部屋に呼ぶと、メイドを全員追い出して、二人の前に仁王立ちした。

 アンナが心配そうに眉根を寄せる。

 セドリックが怯えながらうつむく。


「二人に命じることがあります」


 アンナがわずかに頭を垂れた。

 セドリックがますます小さくなった。

 二人をじっと見つめたセレスティーヌは、強い声で、驚くようなことを言った。


「今後、わたくしの言葉や行動が間違っていると思ったり、不快だと感じた時は、それをわたくしに言いなさい」


 二人が同時に顔を上げた。


「どんなに小さなことでも構いません。思ったこと、気付いたことを、必ずわたくしに言うように」


 二人が目を丸くする。


「ただし、この三人以外の者がいる場で言ってはなりません。ほかの者がいない時に言うようにしなさい」


 セドリックが戸惑いながらセレスティーヌを見た。

 その目をしっかり見つめ返して、セレスティーヌが言った。


「二人がわたくしに何を言っても、絶対に二人を罰することはしません。セレスティーヌ・ド・ベルクールの名に懸けて誓います」


 そう言うと、セレスティーヌは右手を真っ直ぐ上に伸ばし、それを左胸に当てて跪いた。

 それは、この国における宣誓時の動作だった。王族が行う時、それは命を懸けた誓いとなる。


「あの、どうして」


 驚きながらセドリックが聞いた。

 立ち上がり、背筋を伸ばしてセレスティーヌが言う。


「それに答える必要はありません」


 セドリックが肩を落とした。

 アンナがため息をついた。


 世間知らずの我が儘姫は、悪気なく敵を作る天才だ。

 しかし、少なくとも、我が儘姫は新たな一歩を踏み出した。

 他人から見れば小さな一歩だったとしても、セレスティーヌにとってそれは大きな一歩に違いなかった。




 困惑したまま二人が下がっていくと、セレスティーヌは第三王子モーリスの部屋へと向かった。

 モーリスは、一つ下の十六才。この国は女王を立てることがないので、王位継承権は第三位となる。

 しかし、王位継承権の順などモーリスが気にしているとは思えない。モーリスは、政治にまったく興味を示さない呑気な王子だった。

 その覇気の無さと、側室の子ということも手伝って、完全に権力争いの外にいる。ゆえにモーリスにすり寄る輩もいない。それがセレスティーヌにとっては好都合だった。

 互いのメイドを下がらせ、二人きりになったところでモーリスが言う。


「姉上が僕に会いに来て下さるなんて珍しいですね」


 嬉しそうにモーリスが笑った。


「しかし、姉上はいつ見てもお美しい」


 モーリスがうっとりとセレスティーヌを眺める。

 この弟は、セレスティーヌのことが大好きだった。正確に言うと、セレスティーヌの容貌が大好きだった。


「姉上、どうかデッサンのモデルになっていただけませんか」


 会う度に、必ずこうしてモデルを頼んでくる。絵画に傾倒しているモーリスは、セレスティーヌを自分の手で描くことを夢見ていた。

 対するセレスティーヌの答えは、いつも決まっている。


「わたくしを描くことの出来る絵師などこの世に存在しません。芸術の女神、ミュゼの祝福を受けることができたなら、その時改めて声を掛けなさい」


 完全なる拒否である。

 どんなに頼んでも引き受けてもらえない。それが分かっているのに、モーリスは今日も懲りることなくセレスティーヌに熱い視線を送った。

 ところが。


「条件次第では、モデルになって差し上げてもよろしくてよ」

「ほ、本当ですか!」


 もの凄い勢いでモーリスが立ち上がった。


「条件とは何ですか!? 僕に出来ることなら何でも致します!」


 興奮状態のモーリスに、セレスティーヌが言った。


「あなたが真摯に政治に取り組むこと。それが条件です」

「……はい?」


 モーリスがポカンと口を開く。そのままストンと腰を落とすと、モーリスはセレスティーヌをじっと見つめた。

 セレスティーヌがゆっくりとお茶を飲む。

 それをテーブルに戻して、セレスティーヌがモーリスを見た。


「モーリス。あなたが望むことは何ですか?」

「望むこと?」


 突然の問いにモーリスは答えられない。

 答えを待つことなくセレスティーヌが続けた。


「あなたは、絵画に囲まれて暮らしていたいのでしょう?」

「そ、そうです」

「あなたは、自分が描きたいものを自由に描きたいのでしょう?」

「その通りです」


 モーリスが頷いた。


「それを実現するためには、あなたが王族であり続ける必要があります。働く必要もなく、余計なことを考える必要もない。今と同じよう生きていくためには、あなたが王族であることが必須条件となるのです」

「それは、そうかもしれませんね」

「そうなのです」


 セレスティーヌが身を乗り出す。


「では、もしあなたの地位を脅かすものが現れたとしたら、どうしますか?」

「それは、大変なことになりますね」

「あなただけではありません。父上や母上、兄様たちやわたくしすべての王族を王宮から追い出して、この国の実権を握ろうとするものが現れたとしたら、あなたはどうしますか?」


 突拍子もない問いにモーリスは目を瞬かせた。

 そんなことは考えたこともない。国内は平和そのものだし、今の宰相が有能なおかげで政治が滞ったこともなかった。


「そんなことはあり得ない、あなたはそう考えているのでしょうね」


 図星を突かれてモーリスが目を伏せる。

 乗り出した体を元に戻し、背筋を伸ばしてセレスティーヌが言った。


「あなたがそう考えるのは、至極もっともだと思います。ですが、わたくしは、この国に危機が迫っている可能性があると思っています」


 モーリスが顔を上げる。


「今からわたくしが得た情報を伝えます。それを聞いてなお考えが変わらないというのであれば、この話はなかったことにしてください」


 驚くモーリスに向かって、セレスティーヌが話し始めた。


 不正な税率と横行する賄賂。

 民の不満と二度の反乱。

 それらの背後で暗躍する”企む者”の存在。


 最初は斜に構えていたモーリスも、徐々に体をセレスティーヌに向けていく。

 話が終わる頃には、眉間にしわを寄せ、真剣にセレスティーヌを見つめていた。


「姉上は、その話を誰から聞いたのですか?」

「それは、今は言えません」


 はっきり答えないセレスティーヌをモーリスが探るように見た。

 それをセレスティーヌが強気に見つめ返す。


「問題は、この情報が正しいのか否かなのです。それをわたくしたちは確かめなければなりません」

「そう、かもしれませんね」


 モーリスが慎重に頷いた。


「情報が誤りだった場合は問題ありません。あなたもわたくしも、これまで通り暮らしていけばよいのです。しかし、情報が正しかった場合は大変ことになります。対応を誤れば、国は滅び、わたくしたちは処刑されることになるでしょう」


 熱を帯びた声を、モーリスは静かに受け止めた。そして黙ったままセレスティーヌを見つめる。

 その反応が、セレスティーヌを不安にさせた。

 計算では、モーリスは自分の話に怯え、自分に縋ってくるはずだった。ところが、怯えも動揺もせずに、じっと自分を見つめている。

 以前のセレスティーヌなら、思い通りにならないことに腹を立てていたか、意地になってより強い言葉で説得を続けたことだろう。

 しかし、今のセレスティーヌは違った。


 自分はモーリスを見誤っていたのかもしれない


 アルフォンスの言う”企む者”に気付かれぬよう調査を進めるためには、モーリスの協力を取り付けることが絶対条件だ。それができなければ計画が根底から崩れてしまう。

 セレスティーヌの頭脳が回転を始めた。


 モーリスを引き込むためのベストな方法は何か。

 どうしたらモーリスに頷いてもらえるか。


 やがて、セレスティーヌは結論に辿り着いた。


「モーリス。今日の話は一旦なかったことにしてください」

「え?」


 モーリスが驚いた。


「わたくしは、少し急ぎ過ぎました。あなたにはあなたの都合があり、あなたの考えがあるのでしょう。あなたの沈黙がそれを示していると、わたくしは気が付きました」

「いや、そういう訳では」


 狼狽えるモーリスにセレスティーヌが言う。


「あなたは、会う度にわたくしを大好きだと言ってくれます。だから、わたくしの話もすべて受け入れてくれるはず。そんな勝手な思い込みをしていました」

「ぼ、僕は」


 慌て出したモーリスの前で、セレスティーヌが目を伏せる。


「わたくしは、あなたを子供扱いしていたのでしょう。わたくしを追って走る姿や、わたくしのスカートを掴んで笑う顔、その印象のまま今日に至ってしまいました」


 セレスティーヌが寂しげに微笑む。


「わたくしが間違っていました。頭を冷やして出直してきます。本当にごめんなさい」


 膝の上で両手を揃え、セレスティーヌが静かに頭を下げた。


「姉上!」


 モーリスから驚愕の声が上がった。

 プライドが高く、相手が誰であろうと一歩も引かない姉が、自分に向かって頭を下げている。


「どうかお顔をお上げください!」


 モーリスが腰を浮かせた。


「僕がすぐ答えなかったのは、ビックリしたからと言うか、現実感がなかったからと言うか」


 セレスティーヌがゆっくりと姿勢を戻す。


「僕は姉上を疑っている訳でも、ましてや子供扱いされているのを怒っている訳でもありません。ただ」


 座り直したモーリスが、上目遣いでセレスティーヌを見た。


「なぜ姉上が僕にこの話をしたのか、それが分からなかったのです」


 その疑問に、セレスティーヌは即答した。


「それは、あなたが一番信用できると思ったからです」


 モーリスの目が広がる。


「あなたは素直な心を持っています。妙な疑いを抱いたり、余計な策略を巡らすとは考えにくい。事は急を要します。わたくしの話を受け入れて即座に動き、わたくしと共にこの国の危機に立ち向かってくれる人でなければ意味がないのです」


 モーリスが膝の上で拳を握った。


「ですが、それはあなたを子供扱いしていることと同義です。あなたにはあなたの考えがある。そんな当たり前のことを、わたくしは考えていませんでした」


 セレスティーヌが恥ずかしそうに笑った。


「ですから、今日の話は一旦なしに……」

「姉上!」


 モーリスが大きな声を上げた。


「僕は姉上を信じます。よって、今回のお話をお引き受けいたします!」


 セレスティーヌが首を傾げる。


「それはありがたいのですが、でもどうして?」


 モーリスが熱く答えた。


「それは、僕が姉上を大好きだからです!」


 分かるような分からないようなことを言ってモーリスが身を乗り出す。


「姉上のため、この国のために、僕はまじめに政治に取り組みます!」


 鼻息荒くモーリスが宣言した。

 目を見開いていたセレスティーヌが、穏やかに微笑む。


「ありがとう。わたくしも、あたなのことが大好きです」

「姉上!」


 モーリスが歓喜の声を上げた。

 顔が鮮やかに紅潮していく。

 心が天へと駆け上がっていく。

 その姿は、まるで舌を出して尻尾を大きく振っている子犬のようだ。


 全身で喜びを表すモーリスを見て、セレスティーヌは、心の中でガッツポーズをした。


「ところで、姉上」


 ふいにモーリスが聞いた。


「先ほどの約束は、まだ有効なのでしょうか?」

「約束?」


 不意を突かれてポカンとするセレスティーヌに、小さな声でモーリスが言う。


「姉上に、デッサンのモデルをしていただけるという」


 ほんの一瞬、セレスティーヌの頬が硬直した。

 それをごまかすように、全力で笑ってセレスティーヌが答えた。


「もちろんです」

「それは、あの、ヌードモデルでも」

「はぁ?」


 一瞬でセレスティーヌの表情が変わる。

 強烈な侮蔑の視線を受けて、モーリスは自分の失敗を知った。


「申し訳ありませんでした!」


 モーリスがテーブルに額をこすりつけた。

 その頭の上から冷たい声が響く。


「顔を上げなさい。そして、わたくしの話を全身全霊で聞きなさい」

「はい!」


 背筋をビシッと伸ばしたモーリスに、セレスティーヌは今後の方針と作戦を伝えていった。


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