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世間知らずの我が儘姫は、強気を武器に生きていく  作者: まあく
第1章 我が儘姫、悪魔と出会う
2/10

1-2

 これまでセレスティーヌは、相手が誰であろうとも恐れることなどなかった。

 だが。


「我が儘とは聞いていたが、ここまでひどいとはな」


 無礼な言葉を浴びせられても、セレスティーヌは言い返せない。


「子供に手を上げるなんて、お前、頭がおかしいんじゃないか?」


 あり得ない侮辱を受けても、セレスティーヌは動くことすらできなかった。


 この世の終わりに現れるといわれる悪魔。

 世界を滅ぼす深紅の瞳。


 幼い頃の記憶が甦る。

 絵本を投げ捨て、乳母のアンナに泣きながらしがみついたあの夜。


 セレスティーヌは震えていた。生まれて初めて感じる恐怖に、心も体も機能を失っていた。

 そこに、突然大勢の足音が響く。


「殿下を放せ!」


 店の中から、物陰から、路地の奥から一斉に騎士が飛び出してきた。

 その数、およそ三十人。全員が武装をしている。


「やっと出てきたか」


 囲まれた男がまったく動じることなく呟いた。

 騎士たちの登場で、セレスティーヌの思考が動き出す。


「は、早くわたくしを助けなさい!」


 腕を掴まれたままセレスティーヌが叫んだ。

 耳元で叫ばれて男は顔をしかめたが、腕を放す素振りはない。それどころか、馬鹿にしたように笑って言った。


「お前、頭が悪いんだな。この状況で騎士が動けるはずないだろう?」


 男の言う通り、取り囲んだ騎士たちはそこから踏み込んでこない。セレスティーヌが人質に取られている以上、下手なことはできなかった。

 またも屈辱的な言葉を聞いて、セレスティーヌが男を睨む。


 まだ恐怖はあった。

 だが、それを越える怒りがセレスティーヌの心を奮い立たせる。


「無礼者! わたくしが誰かを分かった上で暴言を吐くのか!」


 セレスティーヌは我が儘だ。

 しかしセレスティーヌは、それ以上に勝ち気で負けず嫌いだった。


「お前ごときが触れてよい身ではない。今すぐその手を放して足下にひれ伏すがよい!」


 王国の至宝と謳われるサファイアの瞳が光を放つ。

 悪魔と同じ深紅の瞳を、燃えるブルーの瞳が睨み返した。

 すると。


「ほぉ」


 男が感心したように声を漏らした。

 そして、ますますその顔をセレスティーヌに近付ける。


「な、何をするっ!」


 顔を半分そむけ、だが気丈にも目だけはそらさずにセレスティーヌが声を上げた。

 その耳が、謎の言葉を捉える。


「こりゃあ意外と」


 何かを言い掛けた男の声が、騎士の怒声で遮られた。


「そのお方は、この国の第二王女、セレスティーヌ殿下であらせられるぞ!」


 手の出せない騎士たちは、セレスティーヌの身分を明かすことで男を封じるつもりのようだった。

 しかし、それを男は鼻で笑う。


「そんなこと最初から知ってるさ」

「何だと!」


 動揺する騎士たちを悠然と見渡した後、男は再びセレスティーヌを見た。


「姫さんに、いくつか質問がしたい」

「あなたにそのような権限はありません!」


 セレスティーヌは拒絶するが、構わず男は質問を始めた。


「今日の視察は、あくまで”お忍び”だったはずだ。それなのに、どうしてこんなにたくさんの騎士が隠れていたんだと思う?」


 セレスティーヌは答えなかった。

 だが、心の中では、その問いの意味することを考えた。


「もう一つ質問だ。ここは王都の中でも特に栄えている場所で、店もたくさんある。それなのに、どうして通りに馬車が一台もいないんだ? この国の物流を担っているのは、主に馬車だと思うんだが」


 これにもセレスティーヌは答えなかった。

 しかし、心の中では疑問が渦巻き始めていた。


「さらに質問だ。お前が着ている服と、頭に載っかっている帽子、それとブーツ。店で買ったら一体いくらすると思う?」


 この質問には答えたくても答えられなかった。セレスティーヌは、これまで服の値段など気にしたことがない。


 考え始めたセレスティーヌを男が見つめる。

 見つめられたまま、セレスティーヌが考える。


 セレスティーヌは世間知らずで我が儘だ。

 しかし、セレスティーヌは馬鹿ではない。


 庶民の生活を知るためのお忍び視察。

 そのつもりだったのだが、もしかすると……。


 黙り込んだセレスティーヌに、男が言った。


「お前にした質問に、俺が答えてやる」


 セレスティーヌがピクリと震えた。

 その答えは聞きたくなかった。その答えは、おそらく自分の誇りを傷付ける。

 だが、男は容赦なく答えた。


「お前のお忍びは、この街の全員が知っているんだよ。道を清めよ、馬車は使うな、お前を見ても気付かぬフリをしろって、あらかじめお触れが出ていたのさ」


 セレスティーヌの目が広がった。


「で、お前の着ているチュニックだが、素材はたぶんシルクだろう。おまけに、ベルトのバックルは純金製ときている」


 そう言いながら、男がセレスティーヌの帽子に触れた。


「何をする!」


 空いている左手でそれを払いのけるが、男はまったく気にしない。


「こいつは、東の高地に生息する山羊の毛か何かだな」


 睨むセレスティーヌを無視して男が鑑定を続けた。


「そのブーツは、質感から見て仔牛の皮ってところか。だとすれば、結構な値段になる。貴族か大商人しか履くことのない高級品だな」


 鑑定を終えた男が、セレスティーヌを見下ろした。


「お前が身に付けている一式を買う金で、庶民なら四人家族でも一年は暮らせるだろう。その服も帽子もブーツも、庶民に手が届かないどころか、見ることすらない別世界の品なんだよ」


 セレスティーヌの顔が強張った。

 動揺を隠せないセレスティーヌに、男が追い打ちを掛ける。


「高額な衣装を身に纏い、大勢の騎士に見守られ、街の人間にとんでもない負担を掛けて、お前はお忍びの視察をしていたわけだ。さてお姫様、今のお気持ちを聞かせてもらおうか」


 男の言葉が胸をえぐった。

 真っ青になってしまったセレスティーヌを、男がさらに叩きのめす。


「俺はこの国の民じゃあないが、そんな俺でも噂を聞くくらいお前は有名なんだぜ。第二王女は、とんでもなく世間知らずで、とんでもなく我が儘だってな」


 王族に対してあり得ない暴言だ。不敬罪では話にならない。国家反逆罪の中の最高刑、火あぶりですら生ぬるい。

 それほどの屈辱を受けて、だが、セレスティーヌは男を憎む気持ち以上の強い感情を抱いていた。


 セレスティーヌの体が震える。

 唇を強く結んで歯を食いしばる。


 饒舌だった男が、それを見て黙った。

 深紅の瞳がセレスティーヌを静かに見つめる。


 やがて、男が言った。


「この国の南で反乱が起きたのは知っているな?」


 かすかに残るセレスティーヌの理性が、男の声に耳を傾けさせた。


「小規模な反乱が二回。いずれもすぐ鎮圧されてはいるが、おそらく反乱の動きは国中に広がっていくだろう」

「何を分かったようなことを!」


 怒りの声を無視して男が言った。


「あちこちで反乱が起きるっていうのはな、国が滅びる前兆なんだよ」

「なっ」


 セレスティーヌの息が止まった。


「もう一つ言っておくと、お前みたいに愚かな王族が現れるっていうのも、国が滅びる前兆の一つだ。お前は、典型的な亡国の姫君なのさ」

「!」


 言葉が出なかった。

 驚きと悔しさで頭が混乱を極める。


「で、その亡国の姫君にいちおう言っておこう」


 ふいに男が声を落とす。


「お前が王族としての責務を果たす気があるなら、だが」


 そう言うと、男は急に顔を近付けた。

 思わずセレスティーヌが目を閉じる。

 その耳元で、男は驚くようなことを言った。


 目を閉じたまま、セレスティーヌがそれを聞く。

 聞き終えた途端、セレスティーヌは激しく男に顔を向けた。


「ふざけないで!」


 目をカッと開いてセレスティーヌが叫んだ。


「まあ、お前の好きにすればいいさ」


 にやりと笑うと、男はセレスティーヌの腕を放した。


「じゃあな」


 セレスティーヌに背を向けて、突然男が走り出す。


「貴様!」


 剣と槍が一斉に襲い掛かった。

 それを、男は信じられない身軽さでかわした。そしてあっさり囲みを突破すると、風のように逃げていった。


「逃がすな!」


 騎士たちが男を追う。

 ちょうどそこに、応援の騎士がやってきた。


「殿下、お怪我は!?」


 声を掛けたのは騎士団長だ。

 冷静沈着で知られる男が、見事なまでに慌てている。


「わたくしは大丈夫です」

「それは何よりでした」


 胸を撫で下ろした騎士団長が、ふと足下を見た。

 そこには、あの子供がいた。動くに動けず、逃げるに逃げられず、子供はずっとそこにいたのだ。セレスティーヌも完全にその存在を忘れていた。

 子供は、まだ潰れた食べ物を握り締めていた。それを見て騎士団長が気付いた。


「こやつ、殿下のお召し物を」


 襟首を掴んで騎士団長が子供を立たせようとする。

 それを、セレスティーヌが止めた。


「服が汚れたのは不可抗力です。子供を放しなさい」

「はっ!」


 驚く騎士団長に、セレスティーヌがさらに驚くことを言う。


「その子が持っている物と同じ物を買って与えなさい。もしその子が怪我をしているようなら、手当をするように」


 騎士団長が目を丸くする。


「わたくしは王宮に戻ります。今日の出来事は騎士たちのせいではありませんので、誰も罰する必要はありません。もちろん、あなたもです」

「か、かしこまりました」


 日頃の言動からは考えられないことを告げて、セレスティーヌは乗ってきた馬車へと向かった。

 数人の騎士が素早く付き従う。その騎士たちにすら聞こえないほどの小さな声で、セレスティーヌが呟いた。


「わたくしが亡国の姫ですって!?」


 唇を噛み、地面を睨みながらセレスティーヌは歩く。

 ふと気が付くと、馬車の前まで来ていた。

 顔を上げた途端に扉が開く。扉の前では、御者に扮した騎士が、うつむいたまま手を差し伸べていた。

 それをセレスティーヌが黙って見つめる。

 騎士の手は震えていて、うつむく顔は恐ろしく強張っていた。


 セレスティーヌの嫌いな姿だ。

 感情がまたも暴れ始めた。

 それを、セレスティーヌは必死に押さえ込んだ。


 周囲の者が心配するほど長い時間セレスティーヌは黙っていた。

 やがて、無言のまま、セレスティーヌは騎士の手を取った。そしてゆっくりと馬車に乗り込む。

 扉が閉まる直前、騎士に向かってセレスティーヌが声を掛けた。


「ご苦労様」


 隙間から見えた騎士の顔は驚いていたように思えたが、はっきりとは分からない。

 動き出した馬車の中で、セレスティーヌは拳を握る。


「あの男、絶対に許さない」


 握った拳で膝を叩く。


「許さない。絶対に許さない」


 揺れる馬車の中で、滲み出る涙を溢れさせないよう強く歯を食いしばりながら、セレスティーヌは何度も何度も自分の膝を叩き続けていた。


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