2-6
アルフォンスと話したその二日後、セドリックはひそかに旅立っていった。
出発の朝、旅の資金にと、セレスティーヌは金貨を数枚手渡した。
すると。
「金貨が使える店は限られます。小さな店では銀貨さえ嫌がるものです。ただ、銀貨であれば、銅貨に両替しても怪しまれることはありません。金額は半分で構いませんので、銀貨を用意していただけないでしょうか」
「そ、そうなのですね」
自分の常識のなさを恥じて、セレスティーヌが目をそらす。
同時に、セレスティーヌは驚いていた。
セドリックが、自分の目を見てはっきり物を言っている。
「分かりました。すぐ用意します」
アンナに銀貨を用意してもらい、改めてセレスティーヌはそれを渡した。
「ありがとうございます」
「気を付けて行ってくるのですよ」
「行ってまいります」
丁寧に頭を下げて、セドリックは王宮を出て行った。
その背中を見送りながら、セレスティーヌは考える。
なぜ急にセドリックの態度が変わったのだろう
その理由を探ることは、非常に重要なことのような気がした。
だが、今のセレスティーヌはそればかりを考えてはいられない。
それより何より、早急に何とかしなければならないことがある。
アルフォンスから突き付けられた無理難題。
どうしたら騎士団長を仲間に引き込むことができるか。
騎士団長の名は、マクシム・ドーヴェルニュという。
名門ドーヴェルニュ家の次男として生まれ、若くして騎士となった彼は、騎士団一筋で生きてきた生粋の武人だ。
戦働きはもちろんのこと、周囲からの人望も厚かったため、前騎士団長引退の際、指名されて騎士団長になっている。
冷静沈着、質実剛健。加えてまじめを絵に描いたような男で、王家への忠誠心は恐ろしく高い。だが、まじめゆえに融通の利かない一面もあって、セレスティーヌは少し苦手だった。
アンナと二人でお茶を飲みながら、セレスティーヌがため息をつく。
「王国の第二王女が、反乱が起きるかもしれない地で、宿営地を離れて得体の知れない男と一緒に行動する。そんなことを、あの騎士団長が許してくれると思う?」
「難しいと思います」
「ですわよねぇ」
セレスティーヌが肩を落とした。
「あの堅物を、一体どうやって説得しろというの?」
珍しく弱気なセレスティーヌを見ながら、アンナがふいに話し出した。
「昨夜、旅支度を手伝っていた時に、セドリックが申しておりました。”僕は、殿下のことをちゃんと見ていなかったのかもしれません”と」
「セドリックが?」
「はい。それ以上は何も言わず、私も問うことはしませんでしたが」
驚くセレスティーヌに向かって、アンナが言った。
「つまるところ、真心をもって接すれば、相手も心を開いてくれるということなのだと思います」
「?」
意味がよく分からない。
首を傾げるセレスティーヌをアンナが見つめる。
「あの男の言っていた”情報の共有”、あるいは”志の共有”とは、相手に敬意を払うこと、相手を大切にすること。それに通じるのではないでしょうか」
今度はアルフォンスの話が出てきた。
アンナの話は脈絡がないように思えるが、その顔は真剣だ。きっと何かを伝えたいに違いない。
「騎士団長は、とても真っ直ぐなお方です。セレスティーヌ様が真っ直ぐにお話をすれば、きっとうまくいきますよ」
結局騎士団長に話が戻ってきた。
アンナの話は、分かるようで分からない。
「真っ直ぐに話をする、ですか?」
「はい」
アンナがにこりと微笑む。
「騎士団長とセレスティーヌ様は、似ているところがございます」
「それはないでしょう」
即座に否定するが、アンナは動じない。
「大丈夫です。私が保証いたします。自信をもってお話をなさってきてください」
「自信をもってと言われても」
「セレスティーヌ様なら大丈夫です」
「本当に?」
「はい、大丈夫です」
「アンナがそう言うなら、頑張ってはみますが」
謎の笑顔を浮かべるアンナに向かって、釈然としないままセレスティーヌは頷いた。
それからもセレスティーヌは考え続けた。食事の時も、家庭教師が講義をしている最中も、ベッドの中でも考え続けた。
けれど、今度ばかりはその優秀な頭脳も答えを導き出すことができない。
アンナに聞いても「大丈夫」としか言わないので、相談することは諦めた。
セレスティーヌは考える。
唸りながら考え続ける。
そんな事が何日か続いたある日、セレスティーヌはついに決断した。
「もうやるしかないのですわ!」
このままでは出発の日がきてしまう。具体的な案のないまま、セレスティーヌは騎士団の宿舎へと向かっていった。
宿舎は王宮の敷地内にあった。国王の直轄部隊である騎士団は、いつでも出動できるよう王宮内に部隊が常駐しているのだ。騎士団長も、日中は宿舎内の事務室で仕事をしている。
メイドも連れず、一人で宿舎にやってきたセレスティーヌは、目を丸くする若い騎士に、騎士団長がどこにいるかを尋ねた。
「騎士団長は修練場におります。すぐお呼びしますので」
駆け出そうとする若い騎士を、セレスティーヌが呼び止めた。
「お待ちなさい。修練場ということは、訓練の最中なのでしょう? そうであれば、訓練が終わるのを待ちます」
「ですが」
「構いません。わたくしはここで……いえ、わたくしが修練場まで参ります」
「殿下がですか!?」
「そうです。修練場まで案内しなさい」
「はっ!」
混乱と緊張でガチガチの騎士に先導されて、セレスティーヌは修練場へと向かった。
建物を出て渡り廊下を歩き、別の建物を抜けたところに修練場はあった。その入り口の門まで来た時、セレスティーヌが言った。
「訓練の邪魔をしたくありません。わたくしはここで待ちますので、訓練が終わったら、騎士団長にわたくしの来訪を伝えてください」
「しかし、さすがにこのようなところでは」
ここは屋外で、屋根もなければ椅子もない。
「わたくしがよいと言っているのです。気にする必要はありません」
気にするなと言われても、それでは騎士が困る。第二王女を屋外に立たせたままにしたとあっては、下手をすると首が飛びかねない。
「で、では、せめて椅子をご用意いたします。少しお待ちを」
そう言うと、若い騎士は全速力で宿舎に戻っていった。
ほどなくして、騎士が戻ってくる。
「こ、こちらにお掛けください」
息も絶え絶えに騎士が椅子を指し示した。
古びた木製の椅子で、こんなもの王宮内では見たことがない。
一瞬躊躇ったものの、セレスティーヌはそれに腰掛けた。
「ありがとう」
騎士を見てきちんと礼を言う。
すると、騎士は一緒に持ってきた黒い傘を開いた。
「高貴な方は、日差しを浴びることを避けると聞いたことがありますので」
どうやら日除けのつもりらしい。男物の雨傘で、よく見ると小さな穴が空いている。
椅子にしても傘にしても、王族にふさわしくない粗末な物だ。少し前のセレスティーヌなら、顔を真っ赤にして怒鳴りつけていたことだろう。
しかし、今のセレスティーヌはそんなことはしない。というより、そういう感情が湧いてくることがなくなっていた。
「助かります」
にこりと微笑んで騎士を見る。
「いえ」
顔を真っ赤にして騎士が前を向いた。
前を向きつつ、しかし、騎士の視線は自然とセレスティーヌに向かう。
絹のように煌めくブロンドの髪。
王国の至宝と呼ばれるサファイアの瞳。
きめ細かく滑らかな肌は、思わず触れたくなるほど魅惑的だ。
ふわりと薫る華やかな香りは、吸い込む度に心が昂ぶる。この香りだけで三日は幸せな気分が続く気がした。
騎士も噂は耳にしていた。
第二王女は、世間知らずの我が儘姫。
けれど。
こんな場所まで一人でやってきて、訓練が終わるのを待つと言い、粗末な椅子に嫌な顔一つせず、自分に向かってありがとうと言ってくれる。
これが、本当のセレスティーヌ様
初めて間近で目にした第二王女は、噂とは真逆の素敵なレディだった。
緩んだ頬を引き締めて、若い騎士が顔を上げる。姿勢を正し、傘の向きに注意しながら周囲を警戒する。
王女の護衛を全うすべく、騎士は人生最高レベルの集中力を発動させた。
騎士に守られながら、セレスティーヌは大人しく待った。
門の外にいるので、修練の様子を見ることはできない。しかし、熱の籠もった騎士団長の声ははっきり聞くことができた。
「気合いが足りん!」
「はっ!」
「そんなことで国を守れると思っているのか!」
「はっ!」
厳しい言葉に部下の返事も引き締まっていく。
初めて聞く騎士団長の激しい口調にセレスティーヌは驚いたが、同時に頼もしさも感じた。
訓練はほどなくして終わった。解散の号令が響いた直後、若い騎士が騎士団長のもとへと走って行く。
しばらくすると、騎士と一緒に騎士団長が走ってやってきた。
「部下が大変失礼を致しました!」
普段は冷静沈着な騎士団長が本気で焦っている。
「このようなところで殿下をお待たせするなど……」
早口で詫びる騎士団長を、セレスティーヌが遮った。
「わたくしがここで待つと言ったのです。その騎士は悪くありません。それどころか、わたくしのために椅子と傘を用意してくれました。褒めることはあっても、叱ることなど一つもありません」
「そ、そうなのですか?」
唖然とする騎士団長の後ろで、若い騎士が頬を紅潮させる。
誇らしげに胸を張る部下をねぎらうと、騎士団長は改めてセレスティーヌに向き直った。
「それで、殿下。本日はどのようなご用件でしょうか」
怪訝な表情の騎士団長に、セレスティーヌが言った。
「じつは、騎士団長と二人だけで話したいことがあるのです」
「二人だけで?」
「そうです。ですが、その前に」
突然、セレスティーヌが恥ずかしそうにうつむいた。
美しい肌が紅色に染まるその様子は、妻子ある騎士団長をもドキリとさせる。
その恥じらいは一体何を意味するのだろうか。
セレスティーヌは一体何を言い出すのだろうか。
騎士団長の脈拍が上がっていく。
その後ろで、若い騎士がゴクリと喉を鳴らす。
二人の男が注目する中、小さな声でセレスティーヌが言った。
「騎士団長。あなた、トイレは大丈夫かしら?」
「……は?」
セレスティーヌは、世間知らずで我が儘だ。
しかし、意外と素直な一面も持っているのだった。




