2-5
「遠征の出発日が決まったらまた会いに来い。それまでに俺もいろいろ考えておくから」
アルフォンスに言われて、セレスティーヌはとりあえず王宮に戻った。
それから数日後、出発が二週間後になったことをモーリスが知らせに来た。
モーリスの手勢がおよそ一千。
セレスティーヌの護衛として、騎士団長率いる精鋭五十。
さらに、セレスティーヌの世話係としてメイドが二人と、セレスティーヌたっての願いでアンナも同行することになった。
荷駄も含めて総勢千二百を越える遠征軍である。
日程が決まったので、セレスティーヌはアルフォンスに会いに行くことにした。
ただ、会いに行くには王宮を出る口実が必要となる。初回はアンナの母のお見舞い、前回はその快気祝いにしたのだが、今回は、アンナの母の病気が再発したので再度のお見舞いということにした。
しかし、この理由にしたのは少し軽率だったようだ。
「アンナの母は、それほど悪いのか?」
外出理由を伝えると、父が心配そうに聞いてきた。
アンナの父レギオン卿は、東部地域の有力貴族だ。その正室が重い病気に罹っていて、しかも王都にいるとなれば、王としても見舞いの使者を送るなど気遣いを見せておかなければならない。
内心焦りを感じつつ、それを笑顔でごまかしてセレスティーヌが答えた。
「じつは、お母様の病気は大したことないのです」
「そうなのか?」
「はい。本当の目的は、アンナのお母様から地方の実情を聞くため。わたくしは王都から出たことがございませんので、遠征に出る前に、地方の暮らしについて知っておきたいと思ったのです」
完全に苦し紛れの思い付きである。
しかし、それを王は見事に真に受けたようだ。
「なるほど、そういうことだったのか」
王が嬉しそうに頷いた。
遠征の件を伝えて以来、娘とは気まずくてまともに顔を合わせることができなかった。娘の心は不満で一杯に違いない。もしかすると、父のことを嫌いになってしまったかもしれない。
そう思っていたのだが、それは杞憂だったようだ。
娘は、遠征をこんなにも前向きに捉えてくれていた。
それが、父としても王としても嬉しかった。
と、王は勝手に考えたらしい。
「西と東の違いはあれど、民の暮らしにそう大きな違いはない。いろいろ聞いてくるがよい」
「はい、ありがとうございます」
満足そうな父にとびきりの笑顔を見せると、セレスティーヌは王の部屋を出た。
娘に甘い父でよかったと胸を撫で下ろすと同時に、どこか罪悪感も感じてしまう。
王宮の廊下を歩きながら、セレスティーヌは、帰りに父へのお土産を買ってこようと思った。
アンナの実家で着替えを済ませると、セレスティーヌはアンナとセドリックと三人で宿へと向かう。
いつもの宿のいつもの部屋。いつもはその部屋にセレスティーヌ一人で入るのだが、今日はアルフォンスの意向で三人揃って部屋に入った。
アンナはアルフォンスとまともに話したことがない。互いに自己紹介を済ませた後は、緊張した様子でアルフォンスを睨んでいた。
小さなテーブルを四人で囲み、それぞれがお茶を一口飲み終えた時、アルフォンスが聞いた。
「いちおう確認だが、アンナさんとセドリックは、今回の話を全部知っているってことでいいんだよな?」
「今回の話?」
セレスティーヌが首を傾げる。
「この国の現状とか、お前さんに関する噂とかだよ」
聞かれたセレスティーヌが、平然と答えた。
「いいえ、話していませんわ」
「は?」
アルフォンスが呆気にとられる。
「お前、馬鹿なのか?」
呆れたようにアルフォンスが言った。
その途端。
「無礼者! この国の王女であらせられるお方に何という口をきくのですか!」
アンナが顔を真っ赤にして叫んだ。
「セレスティーヌ様が何もおっしゃらないので我慢しておりましたが、先ほどからのあなたの態度は不遜が過ぎます!」
普段は物静かなアンナが凄い剣幕でまくしたてる。
「だいたいあなたは何者なのですか!? 素性も明かさず、礼儀もわきまえないような男が、セレスティーヌ様を何度も呼び出すなど」
「ちょっと待ちなさい」
セレスティーヌが慌てて口を挟んだ。
「この男に会いに来るのはわたしくの意思です。決して呼び出されたからではありません」
「ですが」
勢いを落としたアンナにセレスティーヌが言う。
「この男は信用できます。今はこの男の力が必要なのです」
その言葉でアンナは黙った。
「まあ、俺の態度が悪いのは認めるが」
やり取りを眺めていたアルフォンスが、真面目な顔でセレスティーヌを見る。
「あらかじめお前が説明していれば、妙な誤解はなかったはずだ」
「わたくしが悪いのですか!?」
「そうだ」
アルフォンスがきっぱり言う。
「どうして二人にちゃんと話をしなかったんだ?」
「それは」
「自分が分かっていればそれでいい。周りの人間は自分に従っていればそれでいい。お前、そう思っているだろう」
セレスティーヌが反抗的に睨むが、それをアルフォンスが強く睨み返した。
「お前が命令すれば、たしかに人は動く。だがな、その命令を下す理由や背景を知っているかどうかで、命令を受けた側の動きはまるで違ってくるんだ」
険しい顔がセレスティーヌを見つめる。
「お前は、根本的に他人を馬鹿にしている。自分だって大した人間じゃないくせに、何の根拠もなく他人を見下している。そういう人間こそが、実は本物の馬鹿なんだよ」
「何ですって!」
セレスティーヌの顔が真っ赤に染まった。
怒りの声を無視してアルフォンスが畳み掛ける。
「お前が二人にきちんと話をしていれば、今日は最初から本題に入れたんだ。それが、こんなにも無駄な時間を使っている。この国の命運とお前の命が掛かってるっていうのに、当事者であるお前が足を引っ張ってどうするんだ」
「なっ!」
セレスティーヌが絶句した。
その隣で、二人が目を見開いていた。とくにセドリックは、あり得ない光景を目の当たりにしたように目をまん丸くしている。
二人の目の前で説教は続く。
「情報を共有することの大切さを知れ。目標や目的、志を共有することの重要さを知れ。相手によって共有内容を考える必要はあるが、これと思った相手には、必要な情報をすべて渡すようにしろ」
教官が一兵卒を叱るが如く、アルフォンスはセレスティーヌを叱り付ける。
「お前は、世間知らずで我が儘で未熟だ。もっと謙虚になれ。もっと人に敬意を払え。自分の考えだけが正しいなどという思い上がりは今すぐ捨てろ」
親にも言われたことのない強烈な言葉の数々を、セレスティーヌは目を見開いたまま聞いていた。
悔しさと怒りと恥ずかしさ。
その一方で感じる、不思議と新鮮な感覚。
錯綜する感情にセレスティーヌは戸惑う。
黙り込んだセレスティーヌに向かって、強い言葉を続けていたアルフォンスが、ふと言った。
「お前には多くの短所がある。だがな、それを補って余りあるほどの長所があると、俺は思っている」
セレスティーヌが驚いた。
「俺は、お前に期待しているんだ」
険しかったアルフォンスの顔が解けた。
「お前は頭がいいし、何より王族としての矜持を持っている。国を救いたいと本気で思い、それを実現するべく行動している。その姿勢は尊敬に値すると俺は思う」
セレスティーヌが慌てて顔を伏せる。
その頬は、先ほどとは違う意味で真っ赤だ。
「だからこそ、お前は成長しなければならない。立ち止まってはいけない。人を知り、己を知らなければならない」
諭すように言って、アルフォンスがセレスティーヌを見つめる。
そして、力強い声で、こう言った。
「セレスティーヌ・ド・ベルクール。お前が、この国を救うんだ」
セレスティーヌが顔を上げた。
自分を見つめる深紅の瞳を、目を大きく見開いて見つめる。
セレスティーヌの体温が上がっていった。
体の中心が熱かった。
胸の奥が熱かった。
初めて感じる不思議な熱が、セレスティーヌの全身を駆け巡った。
アルフォンスが穏やかに言う。
「この二人は必ずお前を助けてくれる。今、この場で二人にきちんと話をするんだ」
言われたセレスティーヌが、頷いた。
「分かりました」
セレスティーヌが二人に体を向ける。
「二人に話をしていなかったことを謝罪します。ごめんなさい」
両手を膝の上で揃え、腰をきっちり折って、セレスティーヌが詫びた。
「セレスティーヌ様!」
アンナが声を上げた。
セドリックが息を呑んだ。
「わたくしは、あなた方に協力してほしいのです。どうかわたくしの話を聞いて下さい」
驚く二人に向かって、セレスティーヌはこれまでのことをすべて話した。
話を聞き終えた二人は、黙ったままセレスティーヌを見つめていた。
国内の不穏な動きと、政権内にいるであろう”企む者”の存在。
驚きや恐れを感じる一方で、最近のセレスティーヌの変化の理由を知って、二人とも納得したという顔をしている。
「二人も分かったと思うが、この国は非常に危険な状態にある」
アルフォンスの声で二人が背筋を伸ばした。
「だが、今ならまだ間に合う。今回の遠征を、国を救う第一歩としたい」
二人が頷いた。
「で、俺は先行して現地の様子を探っておこうと思う。それに、セドリックを連れて行きたい」
「僕ですか!?」
これまで聞いたことのない大きな声をセドリックが上げた。
「そうだ。姫様、いいか?」
「構いません。セドリック、頼みます」
さすがのセドリックもこれはすぐに頷けない。
とは言え、これは主命だ。不安な事この上ないが、主命とあらば従うしかない。
「かしこまりました」
うなだれるセドリックの肩を、アルフォンスがポンと叩いた。
「心配するな。お前の面倒は俺が見る」
快活に笑って、アルフォンスがセレスティーヌに顔を向けた。
「それと、姫様には出発までに絶対やってほしいことがある」
「わたくしに?」
首を傾げるセレスティーヌに、アルフォンスが言った。
「現地では、宿営地を離れて姫様に動いてもらうことなる」
「そ、そうなのですか?」
セレスティーヌが不安そうに言うが、アルフォンスは構わず続けた。
「宿営地を離れるためには、護衛の騎士の目をごまかす必要がある。だが、それは難しいだろう」
「待ちなさい!」
セレスティーヌが慌てて口を挟んだ。
「それは、わたくしが護衛なしで宿営地を離れるということですか?」
「そうだ」
あっさり言われて、セレスティーヌは言葉を失った。
「安心しろ。お前の護衛は俺がする」
返す言葉がないとはこのことか。
大混乱のセレスティーヌに、アルフォンスが冷たく言った。
「まさか、何の危険も犯さずに国が救えるとでも思っていたのか?」
「そ、そんなことは」
「ないよな」
にやりと笑うアルフォンスを見て、セレスティーヌが咄嗟に答えた。
「当然です!」
世間知らずの我が儘姫は、相変わらず強気だった。
「じゃあ話を戻そう。騎士の目をごまかすことはできない。ならば、お前が宿営地を離れることを、騎士たちに認めてもらうしかない」
「それは、どうやって?」
困惑するセレスティーヌに、アルフォンスが言った。
「騎士団長に話を通しておくのさ」
「は?」
セレスティーヌの口がポカンと開いた。
「この二人や第三王子と同じように、騎士団長を仲間に引き込むんだ」
「そんなこと」
「できないとは言わせない。できなければ、お前は国を救えない」
セレスティーヌが目を丸くした。
「騎士団長を引き込むためにはどうすればいいかを考えろ。お前の知識と経験をすべて動員しろ」
反論の余地を与えることなくアルフォンスが命じる。
「ただし、話をするタイミングや場所はよく考えるんだぞ」
「タ、タイミング?」
「第二王女のお前が話をしたいと言えば、騎士団長は断れない。だからこそ、互いが冷静に、落ち着いて話せるようにする必要がある」
セレスティーヌは明らかにピンときていない。
それを見たアルフォンスが、唐突にとんでもないことを言った。
「たとえば、お前がトイレを我慢していたとする」
「なっ!?」
セレスティーヌが顔を赤らめた。
「そんな時、王が、”今から重要な話がある。すぐ自分の部屋に来るように”と言われたら、お前はどうする?」
「……」
恥ずかしいやら憎たらしいやらで、セレスティーヌはアルフォンスを睨んだ。
「今のは例え話だが、つまりはそういうことだ」
笑いもせずにアルフォンスが言った。
「第二王女の言葉だからと、表面上だけ仕方なく頷かれても困るんだ。どういうタイミングで、どういう場所で、どういう言葉を使って話せば相手に分かってもらえるのか。どうしたら本当に協力してもらえるのか、それを考えろ。そして、出発までに騎士団長を仲間にするんだ」
「それはいくらなんでも」
「できなければ国は救えない。いいからやれ」
「……分かりました」
強い言葉に、セレスティーヌは頷くほかなかった。
遠征決定に続く大きな試練。
さすがのセレスティーヌも、背筋を伸ばして椅子に座っているのが精一杯だった。




