婚約破棄を破棄します
「アリーヌ。君との婚約は破棄することになった。」
そんな気はしていた。何故なら私の家、ロッド家の状況は芳しくないのだ。
申し訳なさそうに口を開いた彼、ヴァルラの家も他所の家を支援するほど余裕はない。
そのため私とヴァルラの婚約は解消されるというわけだ。リスク管理を考えても、正しい選択だろう。
ただし、それは感情度外視の判断。私の中の乙女心は言っている。婚約破棄なんて嫌だと。
ならば話は早い。婚約破棄を破棄してしまおう。
私達のいる部屋には、メイドと私とヴァルラしかいない。これは好機。
椅子の後ろに隠していた重たいハンマーを取り出して、ひと振り。
素早い作業でヴァルラは座ったまま、意識を手放した。
別に死んではいない。私のハンマーには魔術が施されており、半日の記憶や考えを消し飛ばすことができるのだ。
「よし。うまくいきましたわ!」
「お嬢様、少しは優しくなさったほうが良いかと…」
「それではダメよ。うまく記憶が飛ばないかもしれないわ!彼と共にまだ居たいもの!」
「………愛する男性にハンマーをフルスイングする人の言葉とは思えませんね…。」
「愛しているからこそよ!」
後ろに立っていたメイドの言葉に反論する。そう、愛しているからこそ婚約破棄の記憶を飛ばしたいのだ。
「ですが、このままでは焼け石に水ではありませんか?」
「そうですわね…ロッド家の問題は、父が取り計らってますので、とりあえず解決するまでは記憶を飛ばし続けますわ!」
「左様ですか…」
私の見た所、東奔西走している父の姿からしてロッド家の問題はもうじき解決するはずだ。
その間、私が出来るのはヴァルラから婚約破棄の話をさせないことと、彼に近づく女を警戒することだ。
「ふふふ。やってやりますわよ…」
「お嬢様、お淑やかになさって下さいね。」
メイドの忠言を耳に入れつつ、早速明日ある舞踏会に向けて作戦を練るのだった。
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金色に輝く髪を綺麗にセットアップした私は、ドレスに身を包んでいた。
今日は舞踏会。私にとって、ここは戦場だ。何故なら、ヴァルラを狙う泥棒猫共がやって来ている。
婚約者といえど、周囲もそれが破棄されると予想していた。
「どんな泥棒猫だろうと負けませんわ…かくなる上はこのハンマーで…!」
「お嬢様、それを持ち歩いて踊るつもりですか?」
「くっ。ならば貴方がこれを持っていて頂戴!」
「お断りさせて頂きます。というか、こんなものを持っていたらつまみ出されてしまいます。」
頼みの綱であるメイドもハンマーは所持してくれない。
仕方がないのでハンマーなしで、舞踏会という名の戦場へ向かうことにした。
「アリーヌ、そのドレス似合っているね。」
「まぁ。ありがとうございます。ヴァルラ様が好むと思って選びましたの。」
「そうなのかい?嬉しいな…。」
優しい笑顔を振りまくヴァルラ。それに群がるように、何処の骨かもしらない女が私達の間に入る。
「ヴァルラさまー!アタシのはどうです?」
「君の…?うん、似合ってると思うよ。」
「きゃー!」
喜びの声をあげる女。彼の似合ってるは私だけの物だと思ったのに。
だが、ここで挫ける私ではない。粋がるなよ小娘、と私は先手を打つ。
「そういえばヴァルラ様、覚えていまして?このブローチ、貴方が幼い頃にプレゼントして下さった物ですのよ。」
「あぁ。覚えているよ。でも少し恥ずかしいな。今ならもっと君に似合う物をプレゼント出来るのに。」
「いえいえ。幼い貴方が下さったからこそ、嬉しいのです。」
赤くなるヴァルラへ、押して押して押す。
幼い頃のエピソードトークは私の特権だ。これは勝ったと、横入り女を横目に見る。
するとあろうことか、その女の頬にはクリームが付いていた。
普通の人間なら、はしたないと一蹴するがヴァルラは違う。
「おや?頬にクリームが付いているよ?」
そう言って、横入り女の頬に触れようとする彼を阻止する。
ヴァルラに代わって、少し強めに私は女のクリームを拭き取る。
「よし。これで綺麗になりましたわね?」
「…………これはこれはどうも。」
明らかに私を敵視する女。此方も負けじと瞳を鋭くして相手を威嚇。
「あら、アリーヌ様。肩にゴミが!」
女はドリンクを持っていながら倒れかかるように、私の方へ来る。
だが、私もやられてばかりではない。
「いいえ!貴方の方にもゴミがついていますわよ!」
奇しくも考えは一致したようであり、同様の格好で互いに持っていたワインをかけ合う形になった。
「「…………………」」
「大変だ!2人ともすぐに着替えるといい!」
暖かなヴァルラの気遣いによって、バチバチな私達2人はドレスを着替えたのだった。
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舞踏会も終盤、熱にあてられた私はバルコニーに出ていた。
どうやら先客もいたようで、後ろ姿が見えた。
その姿は、見間違えるはずもない、ヴァルラである。
「ヴァルラ様も、休憩ですの?」
「あぁ。ここは静かだからね。」
「そうですわね。」
人が溢れかえり熱気を感じた室内とは打って変わって、2人だけのバルコニーは涼しかった。
だというのに、私の頬は室内に居た時よりも紅くなっているのを感じた。
「そういえば、君は星を見るのが好きだったね。」
「えぇ。今日は本当に良く星が見えますわね。」
確かに私は星が好きだ。何故なら星を見ている横目で、ヴァルラの横顔を堪能出来るからだ。
「………アリーヌ。実は婚約を破棄することになったんだ…。」
想いに耽っていた私は、冷水を浴びたような感覚に陥った。
ロマンチックな心とは一転、婚約破棄を告げられた頭は必死に動き始める。
ここにはあのハンマーはない。このままでは彼との婚約は破棄される。
そしたら、あっという間に女が群がって新しい婚約を取り付けられる。それは嫌だ。
どうすればいい。どうしよう。焦る私に、救いの手が差し伸ばされた。
「お嬢様!これを!」
「!?」
2人が寄りかかるバルコニーの下から、メイドが突然這い出る。かと思うと、私に例のハンマーを渡した。
「!感謝しますわ!」
「え?これは、どういう、」
慌てるヴァルラに謝罪しつつ、私はハンマーをフルスイング。
倒れかかった彼を支えて、現れたメイドに質問をする。
「貴方、どうやって…?」
「見ての通り、バルコニーをよじ登って参りました。さて私は退散致します。見つかれば不味いこと間違いなしですので。」
「ありがとう。本当に。私、絶対泥棒猫には負けませんわ!」
「………お嬢様、その呼称は止めたほうがよろしいかと…」
それだけ言い残してメイドは、ハンマーを持ってバルコニーから飛び降りていった。
主人としても、淑女としても、私の選択は正しくなんてない。
それでも、どうしても、彼との婚約が破棄されるのは嫌だ。
そんな我儘な想いを胸に、気を失った彼を介抱した。
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「お嬢様、どうやら旦那様の方は一段落したようです。」
「まぁ!本当ですの!」
舞踏会から数日後、メイドからの朗報を聞いた私は喜び跳ねた。
あれから毎日やって来て、婚約破棄を突きつけるヴァルラの記憶を飛ばしてきたのだ。
これからはあんな野蛮なことをする必要はなくなる。
「良かったですね。お嬢様。」
「えぇ!本当に!貴方にも助けられましたわね…ありがとうございます。」
私は目一杯、礼をする。言葉だけでなく、彼女の働きに見合った礼をしなければ。
そう思った私に、メイドは尋ねた。
「そういえば、旦那様は第二夫人をもうけていますがお嬢様は…」
「…………場合によってはコレの出番になりますわ…」
「左様ですか…。」
ハンマーを持ち上げる私にメイドは静かに答える。
何はともあれ、私の婚約破棄は無事に破棄された。
私は幸せ溢れるヴァルラとの新婚生活に胸を弾ませるのだった。