心の中のセレスティア
東雲商事の企画課で、石井健一は、週刊誌のある写真を眺めていた。「栄光のヒロインたち」という特集記事の一部だ。写真はある女子プロレスの様子をとったもの、黒髪を垂らした白い水着の女子レスラーが、レフリーに片手をあげてもらっている。彼女の横では対戦相手と思しき、いかにもヒールなレスラーが倒れている。白い水着の女子レスラーは、勝利してレフリーに片腕を上げてもらっているにもかかわらず、どこかぼんやりとした表情をしている。
「あ、先輩、それ、セレスティア彩乃とヴィクトリア・クイーンの対戦の写真じゃないですか」
横から見た、新入社員の鈴木翔太君が言った。
「ああ、お前、セレスティア彩乃、知っているのか」
「知っているも何も、僕、学生時代、セレスティア彩乃のファンだったんです」
「へえ、鈴木君が女子プロレスファンだったなんて、初めて知ったなあ~」と、石井健一の隣の席の、横井恵子が、写真を覗き込みながら言った。
「へえ、この人がセレスティア彩乃、って人ですか。プロレスラーなのに、スタイル、いいですね」
「へえ、誰、その美しい人?」と、通りかかった社員の黒川卓也も入り込む。「この人、今は何をしているんですか?」
「セレスティア彩乃は、今はもういない。この写真が彼女の最後の写真さ。この直後、彼女は倒れてそのまま息を引き取ったんだ。24歳での」石井先輩は言った。
「彼女、本当に若かったんですね…」横井恵子はしみじみと呟いた。「セレスティアさん、本当は生きてもっといろいろなことをしたかったでしょうに…」
鈴木君も言った。「僕、セレスティアさんのファンだったんですよ。でも、セレスティアさんが死んじゃうと、もう、プロレスを見るだけで悲しくなって、それで今まで集めたグッズ、全部始末して、ファン、やめたんですよ」
「そんなことがあったのか…」いつもは飄々としている黒川卓也も黙ってしまった。鈴木は深いため息をつき、思い出に浸った。
「セレスティアさんは、いつも笑顔でファンを励ましてくれた。彼女の試合は、ただの戦いじゃなくて、夢を与えてくれる舞台だったんです。」石井は頷くだけだった。
そこへ星野彩乃が戻ってきた。星野さんは、いつもは明るい企画課が、今は妙に暗いことに気が付いた。
「何かあったの?」星野彩乃が不安そうに尋ねた。
「セレスティア彩乃のことを話していたんだ」と石井が雑誌の写真を見せながら説明した。「彼女の最後の写真を見て、皆で思い出に浸ってたんだよ。」
星野彩乃は目を細めて写真を眺める。
「セレスティアさんてどうな人だったのですか?」星野彩乃は尋ねた。
「彼女は本当に魅力的な人だったよ。試合中の迫力もだけど、リング外でもファンを大切にしていて…」と、鈴木は懐かしそうに語った。「彼女の笑顔は、みんなを元気にしてくれたんだ。」星野彩乃はその言葉に胸が締め付けられる思いがした。自分の過去が、こうして他人の心に生き続けているなんて。
横井恵子が言った。「さっきも話していたのよ。鈴木君、彼女のファンだったんだって。でも、彼女が死んでから、プロレスを見るのを一切やめちゃったの。セレスティアさんて、本当に素敵な方だったんですね。それなのに、24歳で亡くなっちゃって、本当にかわいそうで、かわいそうで…」
「私も…」星野彩乃は心の中でつぶやいた。顔には笑顔を浮かべながらも、内心は複雑な感情で満たされていた。「彼女のことを、今でもみんながそんなふうに思ってくれているなんて…」彼女は少しだけ胸が痛んだ。それでも秘めた過去を背負いながら、また新しい一歩を踏み出す決意を固める。
星野彩乃は言った。
「でも、わたしは、彼女は、かわいそうだとは思いませんね。むしろ、彼女は夢を追い続けた勇敢な女性だと思うんです。だから、きっと、後悔はしてないと思いますよ。それに、こうして、今もみんなに思っていただけるのだから、もし、その場にいたら、きっと、感謝の気持ちでいっぱいになると思いますよ」
彼女の言葉に、周りはしんと静まり返った。セレスティア彩乃のファンだったという鈴木君を見ながら、星野彩乃は穏やかに言った。「彼女は、今もあなたの心の中に生きていますよ。その気持ちを大事にしてあげてください」
「星野さん、ありがとう」と鈴木君が言った。彼は感情を込めて続けた。「セレスティアさんのことを思い出すたび、彼女の強さや情熱を忘れたくない。だから、またプロレスを見始めようかな…」
星野彩乃は微笑みながら頷いた。「そうしてあげてください。それが一番の供養になると思いますよ。彼女の夢を、あなたが引き継げてください」
「星野さん、いいこと言うなあ」と石井健一が言った。「なんかさっきの言葉、セレスティアさんが言っているみたい」
「そういえば、星野さんの名前も、セレスティアさんと同じ『彩乃』だったわね」横井恵子がふと思い出して言った。
「そういえば、このセレスティアさんの写真、星野さんに似てないか?」と黒川が雑誌を改めて見入りながら言った。
星野さんは答えた。「こんな素晴らしい方と似ていると言ってくださると光栄ですけど、私はただの普通の人ですから」
鈴木君が言った。「いえいえ、星野さんは普通の人間じゃありませんよ。セレスティアさん以上に僕を勇気づけてくれましたから」
「私が勇気を与えているなんて、そんな大それたことは…」星野さんは微笑みながら言った。「でも、皆さんが笑顔でいてくれるのが、私にとって何よりの励みです」彼女の言葉に、周囲の社員たちは心を温かくされた。星野さんの存在が、セレスティア彩乃の遺した夢を繋いでいることを、誰もが感じていた。
鈴木君は何げなく雑誌の次のページをめくった。そこには、ワインレッドのガウンを着て、リングの上で微笑むセレスティアの写真があった。
「…おや、この写真、ぼく、始めてみたな…」
「ああ、セレスティアさんが亡くなってから公表されたものだね。いつ、誰が撮ったのか不明だそうだ」石井健太が写真の下の説明を見ながら言った。
「本当に穏やかな笑顔ね。なんだか、今も私たちを見守っているみたい…」横井恵子が言った。
「これ、すごく素敵な写真ですね」と星野彩乃が言った。彼女はその笑顔に引き込まれるように、目を細めた。
「セレスティアさんが、私たちに何を伝えたかったのか、少しだけ分かる気がします。」鈴木君も頷き、「彼女は、絶対に諦めない強さを教えてくれたんだと思います。」彼らの心には、セレスティアの思いが息づいていた。
鈴木君は、写真のセレスティア彩乃がつけているのと同じネックレスを、星野さんもつけているのに気付いたが、それは、黙っておくことにした。
星野彩乃は微笑みながら鈴木君の言葉を受け止めた。その瞬間、心の奥底で何かが弾けるように感じる。彼女はセレスティアとしての過去を思い出し、今の自分がどれほど変わったのかを実感する。「ありがとう、鈴木君。あなたの言葉が私の背中を押してくれるわ」と静かに答える。囲周の温かな雰囲気の中、彼女は新たな決意を胸に秘め、未来へと一歩踏み出そうとしていた。