リングの外の同志
三か月後、セレスティアは退院した。セレスティアは元気になった姿を見せに、会長のもとに行った。会長はセレスティアが入院している間、彼女が困らないように身の回りの世話をする一方、ファンや世間への対応に走り回ってくれていた。
「ありがとうございます、会長。団体をやめようとする私に、こうまでしてくださって…」
「気にするこたぁ、ないよ。預かっている選手を最後まで面倒を見るのが、私の仕事だからね。それに、私だって、君をここまで追い詰めてしまったという自責の念があるんでね。だから、元気に、これからを生きていってほしいんだ。それよりも、君に会わせたい人がいてね」
柔らかな表情で、優しげな眼差しを湛えた女性が、花柄のワンピースに包まれ立っていた。長い髪が、微風に揺れながら、その優雅な立ち振る舞いを引き立てていた。
「セレスティアさん、退院、おめでとうございます」と言って、彼女は丁寧にお辞儀した。
「あなたは…誰ですか?」
セレスティアはその女性に問いかけた。すると、女性は微笑みながら答える。
「私、高峰美紀と言います。お久しぶりです、セレスティアさん。ずっと待っていましたよ」
「…高峰さん…?」
高峰と名乗った女性は、まるでセレスティアのことをずっと前から知っているかのような口ぶりだったが、セレスティア本人は、高峰美紀と言う名前も、目の前にいる、このワンピースの清楚な女性も覚えがない。いや、顔は見たことがあるような気もするのだが。
「あらあら、覚えてらっしゃらないのですか。あれほど、よく、ご一緒しましたのに。先日の一戦の、渾身のラリアットの感覚、今でも残っていますよ」
「……え、え、もしかして、あなた、クイーン・ヴィクトリア……さん…?!」
セレスティアは思わず、宿敵の名前に「さん」を付けて呼んでしまった。
「はい、そうです。わたし、クイーン・ヴィクトリアとも呼ばれています」
にっこりと女性は微笑んだ。セレスティアの頭の中は、混乱した。言われてみれば、目のあたりは、あの長年、闘い続けたヒール・エンパイアのボス、クイーン・ヴィクトリアのものだ。だが、普段のアイシャドウの塗ったメイクやどぎついメイク、憎しみといってもよいほどの鋭い目つき、口汚い雑言の数々、それらが、今、目の前にいるワンピースの穏やかな装いの女性とはどうしても結びつかないのだ。
「わたし、クイーン・ヴィクトリアとしてリングに上がるときは、ああいうメイクで、ああいう言葉遣いをしてますが、これが普段の高峰美紀としてのわたしなんですよ」
ちょっと、驚かせすぎましたかね、とクイーン・ヴィクトリアこと高峰美紀は、可愛らしく肩をすくめた。
セレスティアの頭の中は混乱していた。長年他闘い続けたヒール・エンパイア。そのボスで、史上凶悪ともいわれたクイーン・ヴィクトリア。自分に対して強い敵意を抱いていた相手が、こんなおしとやかな女性だったなんて。
「リングの上ではかなりひどいことを言ったかもしれませんが、あれは演技として言っただけなので気になさらないくださいね」
「大丈夫ですよ。私たち、対戦するときは敵同士ですけど、それ以前にともにプロレスを志す同志だと思っていますから。ヒール・エンパイアの皆さんのおかげで、私も鍛えられたと感謝しています」
セレスティアが微笑むと、高峰美紀はほっとした表情で、
「そう言ってくださればわたしも嬉しいです。実は、わたし、素顔だと恥ずかしさと怖さが先だって、闘えないんです。技を仕掛けても、痛すぎないかな、とそっちのほうが心配になるんです。だから、クイーン・ヴィクトリアとしてメイクをして、ああいう言い方で自分を勇気づけていたんです」
「そうだったんですね…」
セレスティアは驚きながらも、少し心が軽くなった。
「実は、セレスティアさんはいつも堂々として、リングの上でも、降りても、セレスティアさんのままで、かっこいいなあ、うらやましいなあ、と思っていたのです。だからこそ、こういう方と闘いたい、勝ちたいと思って、ずっと頑張ってきたんです。わたしや、ヒール・エンパイアのみんなも、セレスティアさんのおかげで強くなれました」
「…そんな、私のほうこそ、ヒール・エンパイアの方たちとは毎回、勝つのに必死でしたよ。本当に厳しい試合ばかりでした」
とセレスティアは答えた。
「セレスティアさんの試合は、カサンドラの試合の前から、ずっと、それこそ時間があるときはいつも観客席で見てましたよ。わたしも、あんなふうに堂々と闘えるようになりたいなあ、と持ってみてました」
「え、そうだったんですか、全然気づかなかったなあ…」セレスティアが驚く。
「カサンドラの試合以外は高峰美紀としていたので分からなかったのでしょうね。セレスティアさんに対戦を申し込んだとき、『あなたが必至に闘っていく様子を見るのは、なかなか面白かった』て台詞を入れてみたんですけどね」
クイーン・ヴィクトリアこと高峰美紀はいたずらっ子ぽく笑って見せた。
「セレスティアさんに、最後にフォールをとられたときは、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、本当に、悔しいとかつらい、なんて気持ちは全くなかったんですよ。むしろ、爽快でした。自分が本当に力を尽くして、それを超える技に出会えた時って、本当はすごく気持ちいいんですよ」
「私も、そう思います。」セレスティアは頷きながら語った。
「全力を尽くして、相手に勝たれる瞬間の爽快感、すごくわかります。私もあなたとの闘いには、本当に自分の持っているすべてをぶつけました。だから勝ったとか負けたとか関係なく、とにかくすっきりしましたね」
高峰美紀は微笑み、互いに共感を持つ瞬間を感じた。
「だからこそ、これからももっと強くなりたい。お互いに高め合える存在になれたら、素敵ですね。」
セレスティアの言葉に、高峰は心から頷いた。
高峰さんは本当にプロレスが好きなんだろうなあ、セレスティアはと思う。この前の試合はセレスティアの勝利になったが、本当はここまで真剣にプロレスに取り組み愛しているクイーン・ヴィクトリアこと高峰美紀のほうが、優れていると思った。
「でも、わたしとの試合の後、セレスティアさんが救急車で運ばれたときは、本当に心配でした。本当は追いかけていきたいところだったけれど、観客がいる中でヒールとしては動けないので、つらかったです」
「最初はうちのグループ以外の選手には知らせないつもりだったのだが、彼女だけには、知らせておこうと思ってね」と会長が言った。
「セレスティアが運ばれてからの彼女の落ち込みようは、本当に見ていて胸が痛かったよ。彼女がリングの上では、クイーン・ヴィクトリアとして、気丈にふるまっている分、見ているほうは痛々しくてね」
「わたしが、無茶な試合を挑んだから、セレスティアさん、リングに上がれなくなってしまって…」
高峰美紀は小さな声で言った。
「そんなことは気にしないでください。私が勝手に自分を追い込みすぎたことですから。むしろ、医師の先生からは、よくこの体で今まで闘ってこれたし、意識を失ったものの復活できたのも奇跡だと言ってくれましたが、これも、クイーン・ヴィクトリアさんや、ヒール・エンパイアの皆さんが私を鍛えてくれたおかげだと思っているのです」
高峰美紀の目が輝いた。
「それを聞いて安心しました。私も心からセレスティアさんの復活を願っていましたから。」セレスティアはその言葉に心が温かくなるのを感じた。
「ヴィクトリアさん、私はリングを去りますが、かつて最高の試合をした者として、あなたたちのことをずっと応援しています。私の決断を理解してくれる人たちがいる限り、未来は明るいと信じています」
レスティアは微笑んだ。高峰美紀も優しく頷き、
「私たちはプロレスを愛する仲間ですから、いつでも支え合いましょう。」と返した。二人の絆は、リングの外でも新たに芽生え始めていた。