とある商人は反省する。
ロージュン国で悪女や悪妻と呼ばれている女性、クレヴァーナ・シンフォイガがスラファー国に来ている。そして祖国での行いと同じように男を手玉に取ろうとしている。その標的はなんと評判高いスラファー国の王弟、カウディオ殿下である。
――そんな噂が流れた時、私が深く考えずに面白おかしくその噂を広めてしまったのは良い話の種になると思ったからだった。
シンフォイガ公爵家という有名な魔術師の家系に産まれながら、魔力は持ち合わせていても魔術を使うことが出来ない。その一点だけでも周りから噂されるのも仕方がないことだった。
それに加えて、かの女性はあらゆる噂が流されていた。
それらの噂について、意図的であろうことは想像がついた。そもそも流石に何かしらの要因がなければこれだけの噂が流されることなどないのだから。
それが真実であるか、嘘であるかなどどうでも良かった。どちらにしても、関係がないことだったから。
ただ高貴な身分に産まれながら、そういう噂を流され、王弟殿下を狙っているというその事実だけでも客に興味を引いてもらう話としては十分だった。
――だから嘘か本当かは分からないけれどと前置きをしたうえで、その話を面白おかしく話して、広めた。
日常に退屈している者たちは、そういう変わった噂に目がない。
私と同じように感じた商人たちも多かったのだろう。気づけばそのクレヴァーナ・シンフォイガの噂は驚くほどの速度で、様々な場所へと広まっていた。
最初は一部しか知らなかったその噂が、面白がった者達の手によって広められていった。
妻には「真実か分からないことをそんな風に広めるのはどうかと思うわ」と咎められてしまったが、そうはいっても本当かどうかなど確認する術などない。どちらにしてもそういう悪女が居たんだという噂話が一時的に広まり、皆が噂するだけでそのうちそういう存在も居たなと忘れられていくのだろうなと思っていた。
――だけど、そうはならなかった。
それは噂のクレヴァーナ・シンフォイガが普通ではなかったからだ。
それが嘘であれ、高貴な貴族が噂していることであるのならば結局どうしようもなく泣き寝入りするしかないものである。
だけど、クレヴァーナ・シンフォイガは違った。
その噂を跳ねのけていくかのように――活躍をし始めたのである。
「クレヴァーナ様はとても素晴らしい方だわ。彼女の提唱した制度がどんなふうになっていくか楽しみだもの」
とある貴族の夫人はそう言って楽しそうに笑っていた。
「クレヴァーナ様から隣国の言語を学んでいるのだが、とても勉強になる」
とある文官の男性はそう言って、誇らしげに笑っていた。
「魔術が使えない身でありながら、魔術式をあれだけ解読できるとは……素晴らしい才能だ」
とある魔術師の男性はそう言って。興味深そうに笑っていた。
そういう様々な噂が、出回り出した。
それも急速にである。
その噂が出回り出した当初、私はそれも何かしらの意図をもって噂されているものだろうと気にしなかった。
それだけの噂がされるほどにクレヴァーナ・シンフォイガが活躍を突然し始めるというのが現実味がなかったから。何かしらの政治的な要因があって、そういうことが意図的に行われているのだろうと最初はそう思っていた。
けれどクレヴァーナ・シンフォイガは私が思っている以上の存在だった。
その噂はただの噂ではなく、真実で。
私が面白おかしく噂していたような悪女とは、程遠い存在であるというのを彼女自身が証明し始めたのだ。
悪評を打ちのめす勢いで、彼女の良い噂で覆いつくされていく。
「あんた、クレヴァーナ様の悪評をばらまいていただろう! そんなことを笑って広めていたなんて信じられない!」
……いつの間にかクレヴァーナ・シンフォイガの行動で恩恵を得ていた妻にはそんな風に怒られてしまった。
同じ女性であるからこそ、余計にあることない事、噂していたことが許せないと実家に帰ってしまった。
……誰もが口にしているから、ただの話の種だから、周りが面白がっているからというそれだけの理由で広めてしまった。
でも冷静になって考えてみると、真実かどうかも分からないものを――自分よりも年下のまだ二十代前半の女性のことを貶めるようなことを広めてしまったことは……恥じるべきことだったのではないかとはっとした。……まだ小さな娘が、同じような目に合ったら? そう考えるとぞっとしてしまう。
それに気づき、私は妻に謝り倒して戻ってきてもらった。そして反省の意を込めて、きちんと情報収集をした上でクレヴァーナ・シンフォイガの正しい情報を流すことにした。……そして商売の関係で本人に会った際にはその噂を広めたことを謝った。
「今、正しいことを広めてくれているのならば問題ないです」
クレヴァーナ様はそう言って美しく笑って、許してくれた。
……その笑顔を見て、その場の勢いで、周りに流されて真実か分からない噂を流すことはやめようと私は改めて実感するのだった。
お知らせ
『公爵夫人に相応しくないと離縁された私の話。 』ですが、書籍化決定しました。
皆さん、お読みいただきありがとうございます。
レーベルなど告知出来るようになり次第、告知しますのでよろしくお願いします




