街をぶらつく ③
「クレヴァーナさんが魔術を使えたらよかったのに」
私が魔術に関する知識だけを持ち合わせているのに、魔術が使えない体だと知るとそんな風に言われることもある。そういうことを言われても、どうしようもないものである。
それは私の家族がずっと、切望していたことだろう。
家の恥である私が、魔術を使えたらと。私自身だって、魔術が使えたら良かったと思ったことはある。でも使えないものは使えなくて、それはどうしようもないことである。
「生まれつきなのでしょうがないですよ」
そう答えている私は、そこまで悲観的な感情は抱いていない。
魔術が使えないのが、私なのだとそう思っているから。
後は魔術が使えないのに、知識だけあって口出してくるからと私のことをよく思っていない魔術師の人もいるようだ。
ユーガイさんたちは受け入れてくれているけれど、そういう人もいるのだと驚いた。
それにしても魔術を使えない人は、そもそも魔術のことを学ぼうとしない人ばかりらしい。使えなくても学ぶのは自由だと私は思うけれどそうじゃない人の方がずっと多いのだって。
使えないから、理解が出来ないとそう思い込んでしまうということなのだろうか。
基本的に魔術を他人に教える立場の存在は、自身が魔術を使える人だけみたい。魔術を使えない人だってやろうと思えば教師は出来ると思うのだけど……。
そういう意見を口にした時には、呆れられてしまった。現実味のない話のように思われたみたいだった。
「クレヴァーナだから理解出来ているだけだ」
なんて言われもしたけれど、私はそんなことはないと思う。魔術を使えない知り合いに、魔術のことを教えてみようかな。もちろん、向こうが教わりたいと言ったらだけど。
だってそうやって知らないことを知っていけることになれば、その人の未来だってきっと広がるのではないかとそう思う。
私がただ知識を身に付けていたのが、図書館で働くことにつながったように。使えないのに学んでいた魔術のことで、気になった点を指摘出来るようになったように。――私の今は、読んできた本の中の知識たちによってつくられている。
そういうたらればの話が、もし実現したら――きっと、楽しいだろうななんて思う。
私は自分で色んな選択が出来るようになってから、本当に毎日楽しんでいるように思える。
全て私が決めて、私が選べる。
それを実感する度になんだか胸が高鳴って、少し興奮した気持ちになる。
魔術師たちの下を後にして、次はぶらぶらとまた街を歩く。
気になったお店に入っては、欲しいものがあれば購入していく。後は広場では、大道芸が行われている。体を使ったパフォーマンス。それを見るのも楽しい。
見ていると怪我をしないかとはらはらするけれど、ああいう仕事もその人自身が選んだものなんだなと思う。
私は故郷を飛び出すまで自分で選択というのをしてこなかったけれど、生きていると本当に様々な選択肢が現れる。そしてどれか一つでも違えば今はなくて――そういう選択を皆してきたんだなと思うと、それだけで凄いなと思う。
人と会ったり、話したりというのをしてこなかったから知らない生き方を見るとそれも面白い。
その大道芸をやっている男性と話したこともある。どうしてそれを行って生計を立てているかと聞いたら、「子供の頃に見かけて憧れたから」と言っていた。
そういう、職業に就いている理由を聞くのも興味深い。
そうやって話しかけていけば知り合いもどんどん増えていく。私、こんなに人と喋るのが好きだったのだなと本当に改めて思う。
街を歩いていると旅人から道を聞かれることもある。そういう時は、ついでにおしゃべりもする。
その何気ない会話の中で、知らないことが確かにある。
私は知識では知っていても、実際のことは知らないことが多いから、色んな知識が手に入る。
朝から夕方まで歩き回ることもよくある。
そういうことをよくしているからか、私は以前より体力がついたと思う。屋敷にずっと籠っていた頃に比べると私はとても元気な気がする。
最初の頃は筋肉痛になったりしていたけれど、今ではそんなことはない。
私は短い間で、明確に変化してきているとそう思う。
故郷にいた頃は、こんな私は想像出来なかった。離縁されることがなければ、私はあのまま流されるがままに過ごしていた気がする……。
悪評に曝されながら、恥だからと外に出させてもらえなくて。
……でももし離縁されなかったら、元夫たちはどうするつもりだったのだろう。それこそ私が寿命を終えるまで私を決めつけたままのつもりだったのか。そういう風に長い時間、私を妻にしていくことが嫌だったから、ああいう行動を起こしたのだと思うけれど……。
考えても仕方がないことで頭をいっぱいにしていても仕方がないと私は首を振る。
なんにしても、私は変化している今の私のことが好きだと思う。
昔は自分のことを好きかどうかも考えさえしていなかった。それを考えることなど、頭になかった。
何かを好きとか、あんまりなかった。
でも今はこうやって自分も、他の物も好きだとそう思えるようになった。
街をぶらつくと、食べ物だったり、売られている商品だったり、お店だったり、人だったり――好きな物が増えていくのだ。




