お金をつぎ込んで隣国へと向かう。
持っているお金は、限られている。
その状況で私がどういう決断をしたかと言えば、隣国へと旅立つことにした。
元々私の実家であるシンフォイガ公爵家の領地は、隣国との国境沿いに存在している。これは隣国への牽制のためでもあった。
今でこそ、隣国との関係は良好なものであるが過去は違ったのだ。
シンフォイガ公爵家は、魔術師の家系である。魔力量が多く、魔術師として優秀なものが多い。
今代のシンフォイガ家も例にもれずである。
……ただし、私以外は。
魔力量はあっても、魔術を使えない。
それが私だった。
世の中にはそういう人が少なからずいる。だからそれは疎まれる理由には本来ならならない。でも……シンフォイガ公爵家においては違った。
お父様も、お母様も、それにお姉様も、弟も、妹も――。
全員が魔術師だった。当たり前のように魔術を扱うことの出来る家族。そして使えない私。
私は彼らにとって、出来損ないの、目にも入れたくない汚点だった。
血筋だけは良い。
私はずっとそう言われてきた。
夫との結婚も私は魔力だけはあるから、ウェグセンダ公爵家とシンフォイガ公爵家の優秀な血筋を継いだ子供が生まれることを期待されてのことだった。
幸いにも……私の娘は四歳にして魔術が使える天才だった。……いっそのこと、ラウレータが魔術を使えなければ一緒に居られたかもしれないなんて思うけれど、でも魔術が使えたことはラウレータにとって良かった。だって魔術が使えなかったら、ラウレータだって私と同じような扱いを受けていたかもしれないから。
……娘と一緒に居られないことは悲しいけれど、私と違ってラウレータはあの家で大切にされるだろうから。
私のことはきっと……そのうち忘れてしまうだろうけれど。
なんて考えていると、悲しくて……少し泣きそうになる。
「お嬢さん、どうしたんだい?」
乗合馬車に乗っていた私は、目の前に座る老夫婦に声をかけられる。泣き出しそうになっていたことを悟られてしまったのだろう。
「少し悲しいことを思い出してしまって……」
私がそういうと、老夫婦は痛ましそうに私を見た。そして私がその話題に触れてほしくないと思っていることを悟ってくれたからだろう。別の話題を提供してくれる。
「そういえば聞いたかい? ウェグセンダ公爵様がようやくあの悪妻と別れられたんだとか」
……だけどそれは私の話題だった。
私の噂は悪いものばかりだ。
私の夫だった人は、この国にとっての英雄とも呼べる人だった。結婚前、夫は大きな手柄を立てた。それが強大な力を持つ魔物の討伐だった。彼がそれを成し遂げなければ国は危機に瀕していただろう。
……そんな夫に、私のように悪い噂のある女が嫁ぐことになって、色々と周りも煩かった。
英雄と呼ばれる彼は、怖れられる人でもあった。妹が怖がり、私が嫁いだ。
私はそんな英雄に釣り合わない悪妻だと言われていた。そもそも嫁ぐ前から、色んな事情で私の悪い噂はそれはもう出回っていた。
「……はい。知っております」
「やはり本性を隠して大人しくしていただけだったのですなぁ。浮気をして離縁されるなんて……」
「公爵様もあのような女性を六年も妻にしていて、本当に苦労なされたはずです。これから幸せになって欲しいものですね」
……老夫婦の言葉に何とも言えない気持ちになる。
そう、私は浮気をして離縁されたことにはなっている。ただし心当たりはない。
夫の周りにいた夫の信奉者たちは私のことをさぞ気に食わなかったのだろう。私のことを決めつけて好き勝手言っていた彼らは、私を離縁させたかったのだ。
幾ら大人しくしていても本性は変わらないと決めつけて、私自身ではなく噂の“私”だけを見て。
……それではめられて私は浮気をしたことになった。
彼らからしてみれば私は大人しくしているだけであり、いずれ痺れを切らしてそういうことをするはずだからでっち上げても問題がないと思っていたようだ。実際にそんな会話を交わしているのを聞いた。
……そして夫にとっては、私の言葉よりも部下たちの言葉の方が信じられるものだったのだ。
結婚していたとはいえ、私は夫と深く会話を交わしてはいなかった。
そもそも悪い噂の出回っている私と、彼は関わる気はなかったのである。だから最低限の接触しかなかった。
あの家の中で、娘だけは可愛かった。
私にとって唯一、嫁ぎ先で味方だった。
私を慕ってくれた可愛い娘。
私はこれからの自分のためにも、国を出る。平民たちにまで私の噂は出回っていて、この国では生きにくい。それに……ずっと目標にしていたことがある。
こんな状況だからこそ、それを叶えるために隣国に行こうと思っている。
娘とはもう二度と会えないかもしれない。それだけがただ悲しい。どうか、元気で、すこやかに育ってくれますように――。
私はそれを願いながら、隣国へと旅立った。