私と、魔術の話
噂が少しずつ縮小してきており、比較的穏やかに過ごせている。これからも納得できないことには戦うだけの力をつけようとそう思った。
……いつか、故郷の噂も跳ね返せるぐらいになれたら嬉しいな。
そうしたら娘に会いに行くことが出来るようになるもの。実家の家族の事も、嫁ぎ先のこともそこまで気にかかるものはない。大事なのは娘のことだけだ。
ラウレータは私がいなくなってからどうしているだろうか。ふと、思い出すのはそればかりだ。
ああ、でも私が娘に会いたいと後から望んでも、教育に悪いとかで元夫たちは会わせようとはしてくれないのだろうなとは思う。それに私の悪い噂をラウレータに、真実として聞かせていくのだろうなとも思う。
元夫もその部下たちも、善意で、良かれと思ってそういう行動をしているのだから。
……離縁する時は何を言っても仕方がないと諦めてしまったけれど、よく考えてみると起こってもないことを起こるはずだからと捏造するというのは少し問題かもしれない。
だってもし仕事関係でもそういうことを行っているのならば、私のように冤罪で大変な目に遭っている人はいるかもしれない。私の場合は前々から積み重なっている悪い噂があったわけだけど……。
でも誰かの為にと言う理由があったとしても、偽りで誰かを貶めてしまうことは私はしたくないなと思った。というより、誰かに私のためにと勝手にしてほしくないなとも考える。
「思い込みで冤罪をかけるなんてしょうもない連中ね」
ゼッピアにはそんな風に言われたが、あれでも元夫は故郷でも有名な公爵で、その側近たちも有能と噂なのだけど。でも幾ら有能だったとしてもそういうのはどうかと思う。
仕事が遅いとか、欠点が何かしらあったとしても人に対する思いやりがある人の方がいいなと最近はよく思う。
この図書館では数多くの魔道具も使用されている。魔道具というのは、魔術式の組み込まれた便利な道具だ。私は体内の魔力を魔術に変換することは出来ないけれども、魔道具に魔力を込めることは出来る。あとは勉強をしてきたから、魔術の仕組みや効率的に詠唱する方法とかは知っている。あとは魔道具に組み込まれている術式も、本で読んだ分は覚えている。
職場で魔道具に魔力を込める役割も最近やらせてもらっている。私の魔力量は多い方みたい。
どちらにしても魔術を私は使えないから自分の魔力量なんてあんまり気にしたことはなかった。だけれども、こんなにも自分の魔力が多いのだと驚いた。人と比べたこととかもなかったから、不思議な気持ち。
これで私が魔術を使えればよかったのになとは思う。そしたら家族として認められて、悪評を流されることもなく過ごせたのかもしれない。ただし、そうなればラウレータが産まれることもなかっただろうからその点は私が私で良かったなとは思えるけれど。
「クレヴァーナは魔術の使い方も熟知しているのね」
「学んだことだけですけどね。実際に私は魔術を使えないので」
私はルソアさんと一緒に魔道具に魔力を込めている。
魔道具に魔力を込めるだけの魔力を持ち合わせている人というのは、そんなに多くないらしいと聞いた。職員の中でもそれだけの魔力を持ち合わせている人が魔道具に魔力を込めるようになっているが、私は誰よりも数がこなせた。その分、手当も増えるのでやりがいがある。
故郷では魔術が使えないからと、魔道具に魔力を込めたりはさせてもらえなかったのだ。
こういうこれまでやらせてもらえなかったことを沢山出来るとそれだけでも楽しい。
「使えないのに、私にアドバイスできるぐらいに魔術に対して精通していることが素晴らしいことなのよ」
そう言って微笑むルソアさんは、魔術が使えない私の話に耳を傾けてくれる。
実際に魔術を使えない私の言葉は、聞く価値がないと判断する人もきっといるだろうなと思う。だからこそこうやって素直に受け止めてくれるのが嬉しい。思えばラウレータも私が語る魔術の話をちゃんと聞いていた。まだ子供なのに私の言葉を理解して、魔術を使っていたラウレータは本当に凄い子だと思う。
「私自身が魔術を使えないからこそ、魔術は面白いなと思うんですよね」
私は一生魔術は使えない。魔力を魔術に変換する器官が備わっていないから。魔力を流すだけなら出来るけれど、魔術を形成は出来ない。
だからこそ、魔術というものに少しの憧れを抱く。
魔術とは面白い力で、様々な可能性があるものだ。文献の中では信じられないような功績を残した魔術師というのもいる。
誇張して記載されているとか、実際にこんな魔術があるはずがないとかそういう通説があることも知っている。あとは昔の魔術式が失われただけで、それを復活させることを目標にしている人たちもいたりする。本に載っていない知識は私は知らないけれど――、そういう今はもうない魔術式をいつか解明出来るようになれたら楽しいなとも想像する。
こうやって先のことを想像して楽しみになっているのも不思議な感覚になる。故郷にいた頃はこうやって何かを楽しみに思うことも少なかった。娘のことはともかくとしてそれ以外は特に、そういうものはなかった。
だから、なんだか今が楽しい。




