第六話(後編)
太陽の光が弱まり、夜の帳が下りる。
黒い空に大きなシミをつけるように太陽は赤い斑点へと変生していた。
ある種、禍々しい光景ともいえようが行き交う人々は空を見上げて歓声を上げている。
これが彼らの日常なのだ。朝日とは太陽が輝き出した瞬間を指し、夕陽とは太陽の輝きが失われる瞬間を指す。
コタロウはよそよそしく石畳の雑踏を歩いていた。
お面、輪投げ、駄菓子や脂っこいツマミ。まぁ、そう凝ってはいないが小さな村にしてはよく並んでいるのではないだろうか。中でも一際目につくのは、上等な反物や生活用品の出店だ。声を上げている店主の容貌はどこか品があり、その区画だけ都の路地のように綺羅びやかだった。
都から定期的に出入りする行商人は流行の呉服や工芸品といった代物を木箱いっぱいに詰め込んで村へやってくる。彼らの狙いはもちろん商いだが、売るだけではなく買いに来る。三日月山にしかない山菜、野生鳥獣の肉、これら山の幸を高級食材として仕入れ、空になった木箱に詰め替えて都へと帰っていくのだ。
「だいぶ安いな……」
定価で売ってもこんな辺境では誰も手が出ないことを理解している価格設定だ。
ハスミが気に入るような服はないものかと、視線をちょろちょろ移しながらアタルを探す。
遊びは結構だがアタルにも御役が拝受されている。そろそろ境内に連れ戻せとご老人方からのお達しだった。
「おんや。服に興味がお有りで?」
「何だお前」
見れば黒ずくめの男が後ろに立っていた。巫山戯いるのか意匠の不明な仮面を被っている。
華奢だが六尺はあろうかというほどに身長は高く、黒衣の端々に金細工が煌めいていた。
「これほど高い場所で日没を見たのは初めてですが……いやはや美しいものですなあ」
「下界は違うのか?」
「ええ、もっと空がどす黒く、なんというかくすんでおりますので。あのようにくっきりと美麗な円形で太陽の変化を見ることはかなわぬのです」
感慨深げに、その他大勢と同じように太陽を見上げる黒ずくめの男はニヤニヤと笑っていた。
「カラスと申します、ちょっと人探しをしておりましてね」
「俺もだ。弟分が迷子になっちまってな」
「それは大変です。良ければご同道願えませんか」
そういうことになった。
といってもコタロウもカラスもまともに探してなどいなかった。コタロウは都の品が珍しくてそちらの方に目がいっていたし、カラスもまた山の民が編んだ独特の織物や彫像品を興味深そうに見ていた。
猟師が手慰みに造った工芸品の数々で、机の上にはコタロウが彫ってみた像もあった。
「不思議なものです。ここの空気は本当に澄んでおります。世辞ではなく質が違う」
「そうかねぇ……俺も山を下りたことはあるけど違いなんざ分からねえや」
「いえいえ、結構大事なことなのですよ。海の魚が淡水に住めぬように、人もまた取り込む『気』に適正を求める。清潔も過ぎれば毒となるのです」
「んー……要するにアンタは息苦しいってこと?」
「然り。言っておきますが高山病などではありませんよ。全身が毒に苛まれているような気分なのです」
そりゃあ大変だねぇ……と適当に相槌を打ちながらコタロウは金魚すくいに興じていた。
ポイと呼ばれる和紙を貼り付けた金魚を掬う道具を用いて、椀に金魚を放り込む。
ただそれだけの単純な遊びだが、単純故にこれまで培った技術が試される
指紋単位で圧を捉え、金魚が薄紙を破く前に鉢へと移す。微細な体重移動と高度な瞬発力を求められる。
発剄が打てて金魚すくいができないなど、武道家の名折れ。
このポイに、総てを賭ける。
「水中で呼吸が出来ねえとかそういう話ならともかく、人間にそんなことある?」
「草花とて根付く土と枯れ落ちる土があるでしょう。あれは地質の問題ですが、要するに生きる糧、吸い込むものの差です」
「分かるけどよ。俺らは人間じゃねえか」
「同じこと。同じことです。魚であれば水から、植物であれば土から、人であれば空」
こいつは大真面目にいっているのだろうか?
言っていることを信じるならカラスという男は同じ科目でありながら別種の生物ということになるが。
だが、例えを聞いていると理に適っているようにも思えてくる。
「まぁ戯言と受け取って下され。ほれ、一献」
「おお、すまん」
徳利と酒坏を両手に持ってカラスが休憩所に腰掛けていた。
屋根を立てて机と椅子を並べただけの質素な休憩所であったが、二十人ほどは座れる大きさで参拝客も漫談しながら麺をすすり肉の串にかぶりついていた。
徳利を傾けて白酒を煽る。
「そういえばハスミがなにか云っていたな。ヒトと自然は照応していると」
「ほお?」
「人体の構造と世界の構造は同じものだとか、なんとか」
瞬間、時が止まったような気がした。
「天人合一思想か」
耳に届いたカラスの声音は丹田に響くほど低いものと変わった。
「人が声を上げるように、世界もまた雷鳴を轟かせ、人が涙するように世界もまた雨を降らす。人が血を巡らせるように世界は水を流し、人が骨で肉を支えるように世界もまた大地と根が植物を支える」
それはまるで真言のようだった。
ただ諳んじられた言に呪力が乗り移っていた。
「へぇ……浪漫士ってのはそういうこと考えるのかね」
「ありえんと思うか?」
一杯煽って酒盃を置くと、コタロウは顎をさすって考えた。
知ったことではないと一笑に付すのは簡単だが、男の言葉を無碍に扱うのも憚られる。
「アンタは真理を知りたいんだな」
問いかけるでもなく所感を口にした。カラスは黙して語らず、コタロウと呼吸を合わせるように一杯飲み干すと席を立った。その瞬間、錯覚ではなく実感として気圧が変化したように思った。
「おやあ、殿下。探しましたよ」
先程とは打って変わってからっとした軟派な声を上げる。
待ち人来る。息苦しいまでの重圧だった空気は羽が舞うほどに回復していた。
人混みから現れたのは女物の浴衣を着付けた少女とぶすっとした表情の弟分。
アタルは目が良い。すぐにこちらを見つけて、不機嫌そうな視線を送ってくる。
「あれま。女装ですか。なんと破廉恥な真似を……お父上も悲しんでおられましょう」
「なに?」
アタルは目を剥いて隣の某を見た。