第六話(前編)
また前後編です
変な話です
後編は明日か明後日に投稿しようと思います
夕暮れ時。
灯籠と提灯の灯りが石畳を照らし、所狭しと露店が設営されている。
飴玉を口に詰め込んだ子供たちが騒がしく走り回ってるのをアタルは道路脇から眺めていた。
同年代の子供達だが、一人として顔見知りは居ない。
兄者やハスミからは友達と遊んでこいと言われるが、自分はもう働いているし空いた時間は修練に回していて時間の余裕はなかった。
子供ながら、あまり遊びたいと思わない。
訳が分からんとよく他人から言われるが、アタルに言わせれば自然な成り行きだと思う。奥地で同年代と交わることもなく、たまの用事で兄者と村に足を運んでみれば修羅場を潜り抜けた戦士たちと顔を合わせていた。友達と遊ぶよりも年上と鍛えることの方が面白くなるのは必然ではないか。
もっとも、彼らが手に持っている綿あめだの鹿肉の串焼きだのには目が離せない。
なにせ、朝も昼もまともなものを食っていない。
理由は単純で手持ちがないからである。
祭りがあるのは承知していたが、祭りを楽しむには金が要るということを失念していた。
親方から給金が貰えるのは月末であり、金は山奥の自宅地下に埋めてあるが走って数刻はかかる。
まぁ、致し方ない。
ほのかに香る甘い匂いを鼻腔に吸い込みつつ、味を想像して楽しもう。
なに、腹なんてその辺の草花でも満たせるさ。
「一人ぼっちなの?」
不意に声をかけられた。
振り返ると自分と同じ、夕闇の側に立っている年端のいかない少女がいた。
背格好で見ると……同じ年頃だろうか?
睡蓮をあしらった柄の浴衣を着て、厚底の草履を心地悪そうにとんとんと履き慣らしている。
「匂いを嗅いでいる」
「………………え、変態さん?声を掛ける相手、間違えたかな」
しまった。
「違う。食い物を買えないので、せめて匂いだけでも楽しもうと……」
何かを取り繕ったつもりだったが、何も取り繕えていない気がする。
恐る恐る顔を合わせてみると、少女は眼をくりっと広げて珍獣でも見るかのような顔をしていた。
肩辺りで切り揃えた黒い光沢のある黒髪に、人形のように端正で大きな目。
アタルは少しゾッとした。
彼女の瞳は何もかもを飲み込む闇のように、黒よりも深い漆黒に染め上がっていた。
「つまり、お金がない……と」
「うむ。何か食べたいと思っている」
「何かを」
「うむ」
「……やめてよ。そんな期待の目で見られても」
「うむ?」
素人目にも彼女の羽織る着物が特上の生地であることは分かる。
髪は全く傷んでいないし、肌は絹のように綺麗だし、近隣住民ではありえない特徴を持っている。
どうみてもさる高貴な御方だろう。
つまり、金満。唐変木かつ粗忽な兄者ですらここまでの情報があれば容易に察せられるはず。
だというのに。
「まさか、お前も手持ちがないのか」
「ないよ」
「……そうか」
がっくりと肩を落としたアタルは石の階段に腰掛けた。
せめて、少女に無礼のないよう仏頂面だけは維持したいところだが、想像以上に己は落胆しているらしく、への字に曲がる口が修正できない。
「仕方ないなぁ……ほら」
紅葉のような手が不意に後ろから差し伸べられる。
ほのかに甘く、桃の香りがした。
「飴玉、丁度二個ある」
「…………良いのか?」
「祭りの最中、君が私の護衛役をやってくれるなら前金としてあげても良い」
「やる。やる」
そういうことになった。
口の中に放り込んでみると、よもぎを練り込んだ特有の渋く甘い味が舌体に浸透する。
「よもぎの味だな。そっちのは」
「私のは桃だね」
ああ、そっちが当たりだったか。
二人並んで口の中でころころと飴玉を転がせていると、少女がふと思い出したように云った。
「君はこの村の警備隊?」
「違うが、遠からずそうなるだろうな。枠が空いたから」
「戦いがあったんだね」
「ナカハラ国の兵士が物見に来た。二人死んだ」
祭り囃子を背に空を見上げながらアタルは応えた。
「聞いたことがあるよ。オミワタリに乗るとすぐ死ぬって」
「それは迷信だ。搭乗中は水の治癒が作用するからむしろ死に難くなる」
「本当に?」
「ああ、兄者なんて一寸ほどの厚みのある太刀でばっさりと腹を抉られたことがあった。でも今は五体満足でぴんぴんしている」
まぁ少女の云っていることは迷信ではあるが間違いではない。
オミワタリに乗る者はそもそも最前線で戦うし、オミワタリ同士の戦闘は完勝するか完敗するかの両極へと偏りがちだ。生身の人間を相手にしている時は蹂躙劇となるので恨みも買う。
陣地で寝込みを襲われれば、凄惨な処刑が待ち受けていることだろう。
そんな身分であれば、それは死にやすい。一度や二度の死線を潜り抜けたとしても三度目、四度目もあるのだから。一年も保てば良い方だ。少なくとも、兄者より年長の者はみな死んだ。
「君は死ぬのが怖くないの?」
「死合を経験したことはないが……不思議と、恐怖を想ったことはない。」
「素晴らしいね。よければ理由を聞かせてもらっても?」
「…………分からない。戦場を知らない無知故だろう」
「ふうん」
鈴を鳴らしたような少女の声が、耳に障った。
「何だ。はっきり言え」
「それは答えになっていないなと。君はどちらかというと、戦うのに前向きじゃないか」
「……確かに、そうかもしれない」
アタルは、少し驚いた。核心を突かれた気がした。
黒く染まり始めた空を見上げながら、アタルは物思いにふけった。
「勘違いするな。俺は人斬りが楽しいわけでも戦闘狂でもない。なるべく酷いものは見たくないし力比べに燃えるほど餓鬼じゃない」
整理して考えると、そう思う。
兄者が人を殺す場面を何度も見てきた。自分も兄者と共に獣を狩ってその生命を貰ってきた。
自然の摂理だが、良心の呵責が一切ないわけではない。
血を吐きながら死物狂いで喘ぐ鹿や熊を見て何も感じていない……ことはない。
「俺より強い奴がいる。そいつのことを知りたいと想っている」
「兄者さん?」
「そうだ。兄者は、強い。ああなれるのか、何を考えているのか」
少女の魔力か、気がつくとそんな言葉を紡いでいた。
黒い瞳がアタルを心根ごと覗き込んでくる。心臓を鷲掴みにされているような気分だ。
「兄者は、話してみるとまぁ普通だ。仕合ってみると、意外と仕合になる。勝てるのでは、と思うときもある。だが、気付けば、するりと勝利を盗み取られている」
考えたこともない自己分析だったが、真理を得たような錯覚もある。
「鍛え抜いた延長があれなのか、元から異常だったのか……」
「好奇心は恐怖に勝る。知りたいんだね。その人のことを」
「そう……だな。そうだと思う」
刀を振り出して十年。そろそろ煮詰まってきた。視野を広げる時が来たのだと思う。
戦場ならひょっとしたら、自分よりも強い何者かに会えるかもしれない。
兄者と肩を並べて戦場に出てみれば、これまで思いつかなかった何かを得られるかもしれない。
そんな期待感で胸がいっぱいなのだ。期待感で恐怖が麻痺しているのだ。
蠱惑的に覗き込んでくる彼女を見ていると、最初からそのように考えていた気がしてくる。
「僕と同じだね。手の届かない人のことを思ってる」
「……あまり詮索するな」
「ごめんね」
ふふっと頬を吊り上げて、少女は笑った。
天人は美男美女揃いというが、あるいはこういうものかもしれない。
「じゃあ、これは御礼」
唇に柔らかいものが当たった。
口内によもぎとは別の、果汁の甘みが広がる。
少し時間が経過しているので小さくなってしまったが、なるほど美味い。
「美味しいでしょ」
「まあな」
口の中で二つの飴玉をコロコロと転がす。
飴玉は随分小さくなっているが、それでも味は十分に楽しめた。
だが、どうにも気に入らない。さっきから調子を崩されっぱなしだ。
アタルは少女の肩を掴んで、力強く抱き寄せた。
「やっぱり返す」
「んむっ」
米粒大に小さくなってしまったが、やられっぱなしは性に合わないので突っ返すことにした。