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割れた御天のオミワタリ  作者: やまやま
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第四話

「いや、君たち。流石にここでやるのはないでしょ。参拝客の迷惑だよ?」


 と、ハスミに釘を刺されると男たちはすごすごと境内から立ち去った。

 コタロウは興が削がれてしまったが、アタルは無言で袖を掴み、鍛冶場から三間ほど離れた道場まで引っ張ってきた。その間に鍛冶場に寄り道するとアタルは得物をどこからか調達してきた。

 今、二人は正面から向き合っている。

 屋台骨に貼り付けられた障子を通って陽光が畳の満遍なく焼いて、道場はイ草の匂いで充満していた。

 体格差で見れば大人と子供の決闘である。なにせ、少年のアタルはコタロウの胸ほどの身長しかない。

 絶対的な体格差であったが、それを埋めるために三尺ほどの木刀を正眼の構えで握っている。

 対するコタロウは徒手空拳であった。

 アタルは静謐に眼を一瞬も揺らさずにコタロウを見据えていた。

 毎度ながらアタルの闘志はおよそ少年が放つそれではない。模擬戦だがその眼は殺人を決意しているように激しく、瞳の奥で炎を滾らせていた。しかし刀は微動だにせず、コタロウの急所を狙っている。

 コタロウは小さく息を吐きだすと開戦の合図を出した。


「いつでもどうぞ」

「参る」


 短く紡がれた言葉とほぼ同時に初太刀が繰り出される。

 あまりに速く、流麗な太刀筋。一度目を離せば風切り音を置き去りにして面を打たれるであろう。

 コタロウは腕を畳んだまま後退する方針を取った。壁際まで後退しないように吹きすさぶ剣風をのらりくらりと躱して、出方を見る。アタルもまた壁際へコタロウを運ぼうと攻め手を変えるがときには強引に転んで体勢を崩してでもその手には乗らない。

 無様な逃げ方だが、アタルの剣はかすりもしていない。


「おお、こわ」


 実のところ、コタロウはアタルに対して最適化した戦法を確立していた。

 防戦一方を続けていれば、どうしても攻め手は単調に堕ちる。あとは失策か、疲弊した瞬間を狙えば良いだけ。それはアタルも分かっている。アタルとしてもこの手口で何度も敗北を喫しているのだから。


「どうした。当たってないぞ」


 余裕を見せて煽ってみるが、アタルの返答はない。

 代わりに木刀が顎の表皮をうっすらと削り取った。居合と見紛う速度の斬り上げであった。

 コタロウは大袈裟に後ろに飛ぶと口を開いた。


「速い。姿勢が安定している。前より背筋を使えている証拠だ。研鑽しているじゃないか」

「兄者は戦場で無駄口を叩くのか」

「すまん。お前からすると鬱陶しいだろうが兄貴分からすると弟分の成長は嬉しいもんなんだよ」


 そう云って畳を蹴るとコタロウは肉薄した。

 大股で三歩踏み出したが、一歩に等しい高速の踏み込み。

 コタロウにして初めての攻勢だったが、アタルの顔に虚を突かれた動揺はなかった。

 電光石火の貫手を繰り出すと、アタルは最も速い手段で迎え撃つ。

 予備動作が零に等しい技。すなわち『突き』。


 コタロウはほくそ笑んだ。

 突きからの払い。アタルの中で最も流麗かつ自信のある剣技だろう。

 あえて、その土俵に乗る。


(いつもなら白刃取りがてら組み付いて、寝技で終わりだが……)


 得物を掴まれてしまえば無二の武器から一転、力づくで首や胸に押し当てられ抵抗ができなくなる。自分より体格の良い男に武器を与えてしまうようなものだ。

 仕合が破綻するし打たれる覚悟で強引に掴み取るほど無粋な真似はしないが、完璧な呼吸で掴めるのならば遠慮なく狙わせてもらう。故にアタルは予想を超える必要があった。

 突きを刹那で躱すとコタロウは払いを待つ。

 だが突き入れられた木刀の残像はもう一度異なる方向(モーメント)から現出し……


(二段突き!?)


 技は二段に留まらない。三段、四段と間断なく連射は続き、コタロウの足が止まる。


「見せてみろ」


 満を持して大上段から袈裟斬りが繰り出される。

 軌道はすっぽりとコタロウの正中線を捉えていた。アタルの斬撃は音を置き去りにしており、跳ねて躱せる速度ではない。


 一本を受けようかと逡巡したコタロウは刹那、アタルの眼を視界に捉えた。

 アタルの眼は一転の曇りもない。敗北を受け入れるなどそれこそ無粋というものだろう。

 ならばこそ、コタロウも一歩を踏み込む。

 斬撃の気道に合わせ、完全な理合を掴む一瞬を見計らい、

 振り下ろされる木刀の側面に左前腕部を押し当てて、残る右腕をアタルの胸部に潜り込ませる。

 一連の動作はさながら流れる水のように。しかし体勢が決した瞬間、岩のように全身を締め込む。

 すると、

 

「ヒェャア!」

「なんだ。猿みたいな声を出して」


 左手で握り込んだ木刀は竹のように縦に割れていた。

 のみならず、割れた木面から煌めく光が見える。

 木刀の中から有り得ざる刃が。

 

「何だこれお前」

「真剣だが」

「ふざけんなお前。練習で仕込み刀を持ち出してんじゃねぇよ!」

「以前、お前の剣には遊びがないだの云ったことを覚えているか。ほれ、遊んでみた」

「道理で木刀を持ち出したと思ったわ……」


 たまたま前腕で受けたのが幸いした。左手で強く握り込んでいたらどうなっていたか。

 悪辣な罠だ。アタルは相も変わらず仏頂面をしていたが、仮面の奥は会心の笑みを浮かべているのではないだろうか。

 

「ふっ。驚いただろう?」

「もういい。俺の負けでいい。一本取られたわ。怖いわお前」

「ほう。俺の勝ちでいいのか」

「一応、こっちの技を見切られたわけだしな」


 コタロウはふっと笑った。

 そう、コタロウの技は左手で木刀を掴むことにはなかった。右手で、より正確には右肘で胸部を打ち込むことにあったのだ。真剣勝負もかくや、再起不能の大怪我を負わせるつもりで踏み込んだ。

 だが、砕けるはずだったアタルの胸骨は何一つ傷付いていない。

 アタルは羽のように軽やかに浅く打ち込んだのだ。だから、剄が伝わらなかった。

 

「いや、待てよ……やっぱりお前見てやがったな?俺とおっさんの一騎打ちをよ」

「無論、あの一戦のあと俺が兄者と兄者のオミワタリを運んだのだからな。草葉の陰から観戦させてもらった」

「ああそう……で、どう見た?」

「端的にいえば発剄で差し返す技。原理は分かっている」


 発剄。零距離打撃。

 打撃というものは威力が分散してしまいがちだ。人間は二足で立っているのだから後方へよろめいた時点で衝撃が逃げる。故にどこまで体内に浸透させるか思考した上で打たなければならない。完璧に決められれば必殺足り得るが実戦だとそうはいかない。ならば、ただ殴って蹴っても同じこと。むしろ通常の打撃の方が速度が出るし効率が良い。


「相手の体幹が繋がっている刹那にこちらの体幹を繋げる。相手の理合とこちらの理合を合わせることで力の逃げ場をなくしているのだな」

「ああ。逃げ場がないってことはその分こっちも衝撃を食らうから、自爆技みたいなもんだ」

「体重圧を利用した打撃は通常の打撃と比べ手数で劣る。ならば一撃必殺の威力であれば実戦に耐えうると……そういう発想だな」


 コタロウは首肯する。

 思い返すとおっさんの袈裟斬りもアタルに劣らず美しいまでの打ち込みだった。

 下半身は水面に根を下ろし、背筋はびっしりと伸びて、脇を締めて余さず体幹を繋ぎ切っていた。

 だから逃げ場がない。背中に壁を付けているも同然だ。正面から打通すればまず肩に伝わる。

 結果としておっさんのオミワタリは上腕骨と肩部が締め切られ胸骨が砕けた。しかし、コタロウのオミワタリもまた右肩と右腕部を複雑骨折した。右腕を失ったが勝利と交換したと思えば悪くない。

 連戦であれば致命的であったが。


「素朴な疑問なんだが……この技、拳、肘打ち、肩当てはどう使い分けているんだ?」

「そりゃ間合いだよ。遠けりゃ殴って、腕を畳むような近距離なら肘。肘すら詰まるようなら肩」

「なるほど……それなら……もう一度試してくれないか」

「その前に、さっきコケたときの検証がしたい。まだ左足に重心が残ってるはずなんだが、あそこからの返し技がなかったか考えたい」


 勝負が終わると流れは断ち切られたように思い思いの感想戦が始まった。コタロウは体勢が崩れた際の巻き返しを検証し、アタルは新技の原理を解するべく指導を受けながら体捌きを模倣する。

 人間これというものが見つかってしまうと、それ以外の物がどうでも良くなってくる。技を極めることにしか興味関心のない少年たちの研鑽は日が暮れるまで終わらなかった。


「それで兄者。約束は覚えているな?」

「分かってるよ。祭りには参加しますよ」


 三鬼子の一柱、赤鬼を慰労する祭事。

 禊下ろしが始まる。

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