第三話(後編)
前話で登場した薬師のクオンでしたが、
クオンという名前がしっくりこなかったのでハスミという名前に変えます。
「君たちが文化に興味を持つとは意外だね。せっかくだから、物語を見ていくといい」
嬉しそうに薬師のハスミは声をかけてきた。
コウタロウは顔を曇らせて、階段に腰掛けるとアタルに目をやった。
不器用で無口なアタルが珍しく喋ろうと努力していたから耳を傾けていたのだ。
なんたら昔話に関心があるわけではない。
「せっかくだけど俺は字を読むのが苦手でよ」
「今でも文字を読める人間はそういない。でもね、ここの社はしっかりしてるんだよ」
ハスミは社を周回するように歩を進めると屋台骨を指差した。
見てみると三匹の鬼と思しき彫像がそこに描かれている。
「彫像やすてんどぐらすってのはこのためにあるのさ。字が読めなくても意図を伝えるためにね」
「これがなんだってんだい」
「隣にも彫像があるだろう?壁伝いに物語が進むようになっている」
波打つ枝葉のような装飾に囲まれて3匹の鬼と人間たちが掘られていた。
鬼と人間たちの物語だ。
あるとき3匹の鬼が現れて、人間たちは腰を引きながら鬼たちと対峙していた。
赤鬼は見下し、青鬼は険しい表情に見つめ、黒鬼は面倒そうに目を細めていた。
そして人間たちはある者は怯え、ある者は口をへの字に曲げて……みな膝を折っていた。
剣呑な空気だ。互いに警戒して睨み合っているように見えた。
それが一枚目の作品だ。
「仲良さそうじゃないな」
「最初なんてそんなもんさ。次に行くよ」
歩を進めるとまた別の彫像があった。大体一面に二つの作品がある塩梅のようだ。
色のない木造だったが、コタロウの目には輝いて見えた。
緻密な彫りが、晴天の情景を見る者に投射したのだ。
鬼は鍬を持って田畑を耕し、人間たちと汗水を流しながら握り飯をもらい笑顔で酒を飲んでいる。
一緒に村作りをしているのだろうか。何かを語らい、誰も彼もが笑顔だった。
どうみても平和そのもの。それが二枚目の作品だった。
「平和じゃないか。めでたしめでたし」
「そのようだが……妙だな」
最後尾のアタルが疑問を口にした。
「これのどこが国造りなのだ」
「一緒に村作りをしてるし……そういうことじゃないのか」
単に一緒に共同体を築き上げたという寓話を作品は表している。
あるいは鬼たちが人間に農耕を教えたという歴史を示唆しているのかもしれない。
先進的な文明の技術を伝えたことで人間たちは鬼を尊崇し、それが現代まで続く信仰となった。
順当に考えればそんなところだろう。
コタロウはそう思って一人納得していると、ハスミは曲がり角を進んで次へと促す。
「そうは問屋が卸さないんだなぁ……」
社の裏側にはまた2つの作品が屋台骨の下に掘り出されていた。
見た瞬間に、思考が止まった。
三匹の鬼以外何も描かれていなかったのだ。
背景は全くの虚無。僅かな凹凸もない完全なる平坦だった。
人間たちは何処に消えた?
鬼は見る者にすら背を向け、ただ虚無に立ち尽くすのみ。
その背中に幾らかの寂寥感を漂わせているように見えたのは錯覚ではあるまい。
この世の何処でもない、山でも海でもない何処かにいるのは分かった。
だが、前作との接続が示されていない。故にどこのどんな場面か判断がつかない。
何もない無明の空間に三匹の鬼が立っている……否、漂っている様子だった。何が起こったのか、やはり内容はわからなかった。それが三枚目の作品だ。
「これは、多分解説しないといけないよね」
「ああ、頼む」
ハスミはいつも通り、蠱惑的に微笑んだ。
「まぁつまり、この場面で世界が滅びたんだよね」
さらっとハスミは云った。
平時なら笑い飛ばしているところだが、彫像の魔力に当てられたのかコタロウもアタルも何も笑わなかった。代わりに歩を進める。社の正面には何もなかったから、側背面に二つ作品があるとして計六つ。まだ折り返しだ。
「まだ、世界は滅びたままらしいな」
相変わらず、無明の空間が描かれていた。
鬼たちは何もないところに腰を下ろして輪を作り、話し合いをしていた。
青鬼は涙ながらに何かを訴えていた。赤鬼は煩わしそうに意見を云って、黒鬼は静かに瞑目している。
だが、黒鬼もただ受け身でいるわけはない。口を閉じていないところを見るとやはり何かを喋っているのが見て取れる。
だが、言い争っているようには見えなかった。ただ大きなものを失った悲しみがそこにあった。
それが情景の全てだったが、大きな変化にコタロウは首を傾げる。
「何か、輪っかを持ってるな。三匹とも」
「おおよく気付いたねぇ」
筋肉隆々の肉体に腰布を巻いているだけの風体だったが、輪状の物体をいつの間にやら腰に下げている。そんな持ち物はこれまでの作品では影も形もなかったはずだ。
ともかくも、現状に対して鬼たちが思いの丈をぶつけ合って相談している。
それが四枚目の作品だ。
「行こう。最後の曲がり角だ」
朽ちた床を踏み抜かぬように注意して角を曲がると、ただならぬ熱量を感じ取った。
何もなかった空間はうねる波や炎で荒れ狂っていた。さながら大海原の波濤のように。
青鬼は憤怒の形相で太刀を抜いて津波に乗って素っ首を落とさんと斬り掛かっていた。
黒鬼も両手を上げてたたらを踏み、無数の牙を剥いて迎え撃つ。
赤鬼は両者の狭間で見栄を切り、炎を纏って大立ち回りをする。
像に込められた熱量は三匹の鬼の強大さを如実に表していた。
仮に天地があるのなら、まさに空がうねり大地が抉れる驚天動地の大戦であったことだろう。
「これは、青鬼が乱心したか。それを二者が止めようとしている」
「いや違うと思うぜ。だよな?ハスミ」
ハスミが小さく首肯する。
青鬼の痛ましいまでの怒りは特定の鬼に向けられていない。その怒りの刃は平等に、ともすれば己自身にすら突き立てられている。
赤鬼は一見、青鬼の方を見ているがいるが構えはそうはいっていない。右手は青鬼へ、左手は黒鬼を指して、あらゆる攻撃に備えている。
黒鬼は及び腰で体中に生え揃った牙や爪で身を守っている。護身の構えに見えたが切迫した表情は青鬼と赤鬼を撃滅せんとする決意にも見える。
誰が誰を狙っているわけでもない。この戦絵巻には攻め手も、守り手も、いない。
ほんの少しの揺らぎで勝敗が決する。故に三者は我こそがと抜きん出ようとして、己こそがと謳い、天下に轟かす武力を世界なき世界でぶつけ合っている。
すなわち、これは三つ巴の戦い。
「見たままさ。決裂し、鬼たちは戦った。」
「んで、最後は……っと」
角を曲がったときから、視界の片隅で終点を捉えていた。
なんとも肩透かしだ。
最後の、六つ目の作品は砕かれている。
「とまぁ、これが御伽噺の終わりというわけだよ」
「おいおい、ここに来てそれはないだろう?」
「結末はどうなったんだ」
誰が勝って世界はどうなったのか。
二人で問い詰めるがハスミは煙に巻いたように境内の拝殿へと進む。
正面には作品が置かれておらず、ただ賽銭箱が置かれているだけ。
必然、最後のオチは分からないままで……。
「なんだよ。戻ってきちまったじゃねぇか」
「境内の垂れ幕を見てご覧」
見ろ、と言われても見るべきものは何もない。
垂れ幕に描かれているものはあまりにも簡素なものだった。絵画でも家紋でもない。
ただ傷んだ白布に赤い円が描かれているだけ。
「太陽がどうしたんだ」
「あれは赤鬼だと伝えられている」
「どういうことだ」
「言葉の通りだよ。戦いの結末は分からないけど、あの壮絶な戦いの後に赤鬼は太陽になったんだ。それが今日まで続く太陽信仰になった」
コタロウは釈然としない顔で垂れ幕に触れる。力のかけ方を誤れば簡単に引き裂けてしまえるほどぼろぼろの古布だった。
「で、いつも世を照らしてくれるお日様ありがとうってか」
「そゆこと。禊下ろしがんばってねん」
云うなり手を振って、ハスミは境内の側溝へと顔を近付ける。苔むした石造りの小さな水路だが、その苔がお目当てなのだ。木のヘラで苔をこそぎ落とすと小さな木箱へと入れていく。社には薬の素材収集に来たらしかった。
ハスミは収集作業に頭を切り替えてもはやこちらを一瞥すらしない。
「相変わらず何考えてるかわからねえ女だ……」
「御役をやる気になったか。兄者」
「お前が俺だったら今の話を聞いてやる気になるか?」
「……」
アタルは無言になった。応答を待つが口をきつく結んだままだ。
やがて担いでいた木刀を抜き放つと勢いよくコタロウの喉元に突きつけた。
「よし、兄者。ならば立ち会え」
「何だと?」
「俺が勝ったら大人しく御役に就けといっている」
宣言すると、もう一度木刀を振って今度は鳩尾へ、次は巨闕、神闕へと舐めるように切っ先を流す。いずれも正中線近くの急所にほかならない。
俊敏かつ流麗な太刀筋。
アタルの剣が振り上がった瞬間、左眼に黒い何かに迫ってきた。
電光石火の突きだった。