第二話
ひんやりした感触で目が覚めた。
ヨモギの葉をすり潰したような香りが部屋に充満している。
部屋を見ると、八尺はあろうかという大きな薬品棚に硝子瓶が並び、机と床には植物標本が散りばめられていた。
跳ね上がるように上体を起こすと、背筋が震え悪寒がした。
衣服を全て脱がされている。だが裸を晒しているわけではなく、粘り気のある楕円形の葉が体中に貼り付けられていた。
「おや、起きたのかい。それは剥がさないようにね」
「冷てえよ。なんだよこれ」
ひんやりした感触の正体は葉から滲み出ている粘液だった。
全身に纏わり付く粘液をこそぎ落としたくなる気持ちに駆られたが、素直に聞いておくことにする。
眼鏡を掛けた黒衣の女は本から視線を移すと意地悪そうな目で見下ろしてきた。
ハスミと呼ばれている村の薬師だった。
商売柄、よく世話になっている。
「いっとくけど今の君はけっこうな重症患者なんだからね。オミワタリを酷使したせいで入れ替わった体液の制御が全く効いていない。浸透圧が崩れてるんだ。君の体は放っておくと全身の体液が漏出して失血死する。その葉はいわば防波堤なんだよ。だから剥がさないように」
「へぇ。意外と死にかけなんだな」
何事も煙に巻くハスミにしては珍しく丁寧な説明だった。
意外と逼迫した状況だったのかもしれない。
証拠に脳天気な返事に気を悪くしたのか、目を細めてハスミは睨んできた。
「まさか君がここまでやられるとは思わなかった」
「そりゃ強かったもの。でも、ちゃんと全員仕留めたよ」
「それだよ。相手に心当たりは?それだけ手強い敵ならよもや野盗じゃないだろう」
コタロウは首を右に傾けた。自分の持ち物が目の前にある。包みに手を突っ込むと荷物の塊から巾着を取り出した。軽く握って内容物を確認する。この女に限って窃盗はないだろうが、念のために。
巾着から取り出したる貴金属の彫像をハスミの胸元に向けて投げる。
「なにこれ」
「戦利品。おっさんの家のものだと思うが」
「うーん、金箔貼りのかんざしか。中々の値打ちもんだよこりゃ。さては金持ちの御家人かにゃあ。意匠はナカハラ国の職人っぽい、まぁ平民じゃ手が出せない代物だね」
「あげる。治療代ってことでひとつ」
ころころと笑っていた彼女の顔が静止する。
驚いているように見えたが一瞬頬がつり上がったのを見逃さなかった。
なんだ。嬉しそうにしてくれるじゃないか。
「いいの?」
「俺のものだし、おっさんも文句はないでしょ」
彼女は手に油をつけると髪をまとめて、かんざしを差してくれた。
夜のように黒くしなやかな彼女の髪に金色の光沢はよく似合った。
まぁ、古ぼけた麻布のローブには似つかわしくない装飾ではあったが。
「ナカハラ国の密偵?」
「だと思うけど密偵じゃない。連中は装備が良かった。多分、正規兵が山越えをしようとしたんだと思う。戦果でいくと勝ちだがこっちはケンジとイノマルをやられた。最悪だ」
「誰かがが山道を教えているね」
コタロウは寝そべりながら頷いた。
三日月山。ひいては中元山脈と呼ばれる山の民の住処は3つの勢力に狙われている。
テンジ国。ヨモ国。そしてナカハラ国。
いずれも先の大乱を勝ち抜いた列強である。
三国の領土を三分割するように中元山脈は大陸の中央に鎮座しており、必然的に山脈全体が緊要地形となっていた。故に年に数度は重武装の物見が方々から送られてくる。
戦は膠着状態だが終わっていない。
四番目の勢力、すなわち山の民が列強三国の争いを武力で治めているのである。
「催事の前で小競り合いとは縁起が悪いね」
「禊下ろしか……そういえばいつやるんだっけ」
「明後日だよ」
「……真剣で?」
しれっと告げられる事実にコタロウは目を丸くする。
村を挙げての一大行事で、自分にとっても無関係ではない。
「呆れた粗忽さだねぇ……山奥に引きこもって君のそういう無関心なところが嫌われる原因なんだよ」
「俺だって山中駆け回って仕事してんだよ。敵が攻めてきたときどうすんだ?文句を言われる筋合いはねぇ」
「文句を言いにくい人間が周囲に全く無関心で全く気を遣ってこないことほど手に負えないものはないねぇ」
煩わしくなったコタロウは寝返りを打ってハスミから目を背けた。
いじらしい少年のような振る舞いにハスミはつい嗜虐的な眼差しを向けてしまうのだが、コタロウも視線の機微を承知している。どうも上から頭を抑えられているようで居心地が悪いのだ。
「早く明日になれ……」
そう呟いてコタロウは瞼を閉じた。