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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第91話 1530年「火事場泥棒」◆◇

 武田信虎は数倍の敵に囲まれても、全く諦めていなかった。

 甲斐北西部に侵入した諏訪勢に対しては一戦して優位に立つと、今井氏を排除し、若神子城では大井氏を寝返らせ、あたりは武川衆・津金衆に守らせている。若神子城に残る敵兵は1800ほど。

 南部から侵入した今川勢1万2000は府中に迫るも、現地調達で賄いきれない分の兵糧を駿河からの補給に頼らねばならず、山道を通って兵糧を運び入れるのには時間がかかって攻勢が鈍っていた。

 その間にも信虎は兵力を増して5000の軍勢を用意した。

 情勢が膠着する中、動きがあったのは東部だった。


 ◇


「おお松尾殿、無事でござったか。」

「うむ、なんとかな。楠浦殿は命を砦とともになされたが、そのおかげで何とか生き延びた。これよりはここ勝沼でなんとしても敵を食い止めねばならぬ。」


 勝沼の曽根縄長のもとに、信虎の叔父・松尾信賢が岩殿山から撤退してきた。

 岩殿山の砦は、武田から離反した小山田氏に加えて、今川からの援軍の北条家当主・氏綱の弟で今川重臣の葛山氏広と、本多忠豊に後見された松平孝定に南方から攻められていたが、小山田勢は配下の小林氏に戦死者が出るなど苦戦していた。

 そこへ相模の津久井を奪った北条勢5000が来襲した。率いるのは葛山の兄・北条氏時。

 攻め手は兵数有利を活かして連日攻め立ていよいよ陥落間近となり、武田方の増援・楠浦昌勝が負傷すると、楠浦は守将・松尾を逃がして自身は砦に火を放ち、北条方の足止めをしながら果てたのだった。


「なあに、この陣城は万の軍勢をも受け止めてみせよう。楠浦殿の死は全く無駄ではなかったと我らで示すのだ。」

「いかにも左様であるな。」松尾はしみじみと言った。


 ◇


「笹子の伏兵を看破されたは痛手であった。」

「そこは敵もさるものと認めねばなるまい。」


 曽根と松尾は敵の進軍路の途中にある笹子峠に伏兵を潜ませていた。

 しかし、北条方の軍師である箱根権現別当・長綱(ちょうこう)(後の北条幻庵)が理を以て、松平方の本多忠豊が武人の勘を以てこれを見破り、兵を損ねることになっていた。

 笹尾峠を越えると甲州街道に沿って駒飼には休憩所があったが、退き際に曽根はこれを焼き払っており、北条方には落ち着いて休める場所がなかった。

 そこから先は30町弱(約3km)にわたって陣城が築かれている。曽根は勝沼の大善寺を本拠に、2ヶ月かけて岩殿山に通じる谷道に防御陣地を築いていたのだ。


「加藤殿のお手柄、荒木何某・依知何某の首級ほか討取は10、討捨の雑兵は60を数えまする。こちらは石坂殿のお手柄、伊東九郎(祐員)なる者の首級のほか討取5、討捨50にござりまする。」


 軍目付・向山虎継が、甲相国境の上野原の若武者・加藤虎景と、甲斐の名族・三枝氏出身の石坂忠次の手柄を報告した。

 この陣城は10倍の敵を押し止めるばかりか、かなり出血を強いていた。


「その伊東は伊勢宗瑞殿に仕えた武者ではないか?また、荒木と言えば宗瑞殿のお仲間衆。その一族ともなれば、敵の動揺はいかばかりか。大手柄にござる。北条を追い返して後には、お屋形様よりたんと褒美を賜ることになるであろう。」


 曽根は満足気に言った。向山も笑顔で頷く。

 しかし、松尾は真剣な顔で曽根たちに話しかける。


「ひとつひとつの戦では、地の利あり、何より武勇を誇る我らにかなう者もなし。されど、すでに三月(みつき)は持ちこたえておるところ、そろそろ兵の疲れが尋常でない。なんとか府中から交代の兵を出してはもらえぬものか。」

「それは……いかにもそうである。すでに鶴瀬の砦も落ちた。柵に堀に落とし穴に、と巡らせてはおるが、やはり寡兵では厳しい。敵にも焦りがあるのであろう、先には日夜休みなく攻め寄せてきよって、柵に張り付いて守る兵は満足に寝ることもできなんだ。」

「それがために一気に2列も陣地を失うことになり申した……。」


 退却の場面に居合わせた向山は呻くように言った。

 鶴瀬とは一連の陣城の最前線で、日川によってコの字に囲われた山際の土地である。そこには土塁・柵・櫓で砦が作られており、10日も持ちこたえたが、最後には守将・小宮山昌友が討ち死にしていた。

 それより後ろには、空堀・土塁・逆茂木・柵でひとまとまりの拠点が点々と続いているが、すでにこの防御拠点は4つが討ち破られ、武田方は10町(約1km)も後退を余儀なくされていた。

 しかしその都度、曽根は谷道を挟む山地に伏兵を隠し、敵兵を攪乱し続けていた。

 北条方はそのせいで士気もなかなか振るわない。そろそろ兵糧も心もとなくなってきたところ、ひとまず戦果も得られたことから、いったん進軍を停止して兵糧の輸送を待っていた。


「敵の動きも鈍っておる今のうちにそれがしが府中に参りて、援軍のこと直談判してこようか。」

「頼めるか、掃部助殿(曽根)。なんとか500も出してもらえれば、さらにひと月はもたせられよう。」


 かくして、曽根縄長は急いで府中に向かう。

 しかしその道中、思いもよらないことが起きた。


「むむ?あれはどこの兵だ?増援か?」


 遠すぎて旗はよく見えないが、人の群れが見えた曽根は、てっきり府中から味方が来たのかと思って、小者を確認に行かせた。

 しかし、彼が途中で慌てて戻ってこようとしているのを見て、己の危機を悟った。


 この軍勢は、諏訪方に合流し損ねて甲斐北東部に潜伏していた栗原信重だった。

 栗原氏は今井・大井・飯富とともに信虎に反乱したが、直後に当主・信友が急死して反乱軍に合流できず、本拠地の甲斐北東部で身を潜める羽目になっていた。

 曽根と楠浦は東部防衛に向かう途中で、道中の栗原の領地を焼き討ちしていたが、そのときには信重はすでに兵を連れて山林に隠れており、北条方の侵攻に呼応して蜂起すべく時期を伺っていたのである。


 小者が途中で矢に射抜かれて倒れると、曽根は松尾のもとに府中への援軍要請を再度出すよう伝える使者を走らせた。己はもはやその任を果たせないからだ。

 彼はここで死んでもこの軍勢を通さないと決めた。彼らを勝沼まで通せば、北条方は挟撃の好機に勢いづくに違いない。敵軍の知らぬところで片を付けねばならない。そう考えたのだ。

 やがて見えてきたのは栗原の旗。曽根は忌々し気に吐き捨てる。


「おのれ、栗原!幾度となくお屋形様の覇道を邪魔しおって!ここでその首、討ち取ってやる!」

「あれなるは信虎に近侍する曽根ぞ!それが寡兵でこんなところにおるとは、我らには運が向いておる!討ち取りて戦の後には大いに分け前をもらってくれよう!者ども、殺せ!」


 栗原勢100を前にする曽根の供回りはわずかに10人ほど。

 いかに勇猛な曽根といえども、これではかなうわけもない。

 しかし、曽根とその郎党は一人一人と死んでいく中で、よく粘って時間を稼いでいた。


「それどうした、縄長!」馬上の栗原は曽根を手勢で囲ませながら、声を荒げた。

「調子に乗るな!うぬは兵に守られておらねば、この掃部ひとりも討ち取れぬのかっ!」

「そのような見え透いた挑発に乗るものかよ!」


 曽根は栗原を煽ったが、栗原は余裕を崩さず手勢に曽根の馬を攻撃させた。

 馬は槍で傷つけられて驚き棹立ちになり、曽根はあえなく落馬した。


「これで勝ったと思うなよ、信重!勝沼からも府中からも討手をかけられよう!この我も、うぬの子々孫々まで祟ってくれよう!」


 呪詛を吐きながらなおも太刀を振るおうとする曽根に栗原兵が取り付いて、その首を掻き切った。


「ふ、他愛もない。おや、あれは?」栗原が視線を東に向けると、兵の一団が駆けてくるのが見えた。

「しまった、時をかけすぎた。勝沼の兵と戦ううちに府中の兵に挟まれてはかなわぬ。ここは退くか。」


 栗原は曽根の首級を大事に抱えて甲斐の山中に姿をくらますのだった。


 ◇


 そろそろ冬の厳しさも和らいでくるころ。

 松尾信賢は、日向是吉・小沢昌光の率いるなけなしの300の増援を得て、なんとか北条軍を甲府盆地に入れないように頑張っていた。向山虎継が戦死し、石坂忠次がけがを負って後送されている。

 そうこうするうちに、北条方は総大将の氏時が病を得て体調を崩し、さらに扇谷上杉朝興が配下の太田資頼を動かして、武蔵国を流れる入間川の北の北条領・蕨城に攻め寄せた。

 北条方は江戸城に詰める軍勢でこれを救援したが、その際に、小田原から増援で来た当主嫡男・氏康が上杉の陣を奇襲して快勝し、華々しい初陣を飾った。

 とはいえ、その後は一進一退。武蔵東部の蕨城と岩付城をめぐって北条氏と扇谷上杉氏は戦を重ね、そのうちに甲斐どころではなくなり、北条方は兵の大部分を退いてしまった。

 小山田・葛山・松平を束ねて、長綱(北条幻庵)が守将として燃えた岩殿山の砦跡を修築しながら甲斐盆地侵入の機を伺うが、いよいよ武田信虎は南の今川だけを考えればよくなった。

 というのも、諏訪方でもさらなる変事があったからである。


 事が起こったのは信濃国伊那郡のこと。


「なにっ、神之峰城に知久が戻ってきただと!?関は何をやっておったのだ!」


 若神子城にせっせと兵糧を送っていた小笠原長高は、突然の報せに驚いた。

 知久頼為はかつて伊那郡から信濃の山中に落ち延び、知久氏旧領の一部は関春仲・盛永の父子に任されていた。

 落ち延びた頼為は甲斐に辿り着き、武田氏の世話になっていたが、今や武田に兵を借りて信濃の山奥から突如として攻めてきたのだった。

 勝手知ったる自城のこと。平時はほとんど守備兵もないところ、山間の隠し道を使って急襲し、頼為はたやすく城主に返り咲いた。


「兄上、ここはそれがしが!」

「うむ、おぬしに任せたぞ、四郎(小笠原長利)!」


 声を上げたのは、長高の弟・長利である。

 彼はもともと次兄で府中小笠原家当主の長棟の養子だったが、永正11 (1514)年に長棟に嫡男が生まれて立場が悪くなり、この嫡男の元服を機に、伊那郡での快進撃で名を上げた長高に仕官してきたのだった。

 しかしこの神之峰城なる山城は、まさに丘の頂上にあって堀や土塁が多少整っておらずとも自然地形だけで十分に堅牢な城であった。

 そのため長利は攻めあぐね、長高はイライラを募らせることとなったが、そうこうするうちに今度は諏訪氏の分家の高遠氏が藤沢氏と連合して蜂起し、これに諏訪家中の守矢頼真が同心した。

 高遠氏は昔から諏訪氏惣領の地位をめぐって本家と争っており、当主・諏訪頼隆の急死を受けて、先代当主・頼満の娘婿である高遠頼継は後継者争いに名乗りを上げたのだった。

 一方の守矢は、若神子城に詰めている禰宜大夫・矢島満清と争って勢力を落としており、現状に不満があったため、力を示して待遇改善を求めたのである。

 もちろん、これらを唆したのは武田信虎だった。手元に残っていた金刺氏残党を使って諏訪周辺のこれらの者と連絡を取り、蜂起を促したのだ。


「ぐぬぬ」思うようにならない現状に下唇をかみしめて怒る長高に対して、伊奈熊蔵は現状を報告する。

「諏訪方は安芸守殿(頼満)が兵を集め、守矢が奪った武居城・干沢城を攻めておるとのこと。甲斐に兵を出しており、しかも高遠が後詰に来ておるところ、なかなか苦戦しておられるとか。」

「知久を放っておいて高遠の居城を攻めてもよいが、しかし我らもそれほど兵に余裕はない。」

「せがれを三河に送り、援軍を頼んでまいりましょうか。」


 熊蔵がそう述べると、長高は「ふんす、ふんす」と鼻息を荒げて思案した後、「致し方あるまい」と熊蔵の提案を受け入れた。

 熊蔵は「では」と言って、息子の伊奈忠基に言い含めてこれを三河に送った。

 長高はそれを見ながら、憤懣やるかたなく言う。


「失敗だ失敗!こたびの甲斐攻めは失敗だ!さっさと若神子の兵を退かせるがよかろう!」

「殿、なにとぞ気をお鎮めくだされ。武田は間違いなく追い詰められておりまする。この策も、苦しいがゆえに仕出かしたこと。逆にこれを片付ければ、いよいよ信虎めにはできることは残ってはおりませぬ。あとは今川勢がその大兵力で以て信虎に負けを認めさせれば終わりにございまする。」


 熊蔵も老成して軍略もわかるようになってきたのか、はたまたこの怒りっぽい主君をなだめるのに知恵が回るようになっただけなのか。

 いずれにせよ、その見立ては間違いではない。すべては武田軍5000と今川軍1万2000の決着次第。両軍は着々と準備を整えつつ、小勢を出し合って互いに様子を伺っている。

 小笠原長高としては、決戦までに伊那と諏訪を平定し、なんとか若神子の軍勢を支援して決戦に一枚噛ませ、己の存在感を示したいところであった。

【注意】松平孝定は史実の松平清定で、本作では鈴木重勝に暗殺された松平信定の嫡男です。駿河松平氏の当主になっています。入間川はだいたい現在の荒川です。

【史実】栗原信重は史実の1531年の反乱でも曽根縄長を討ち取りますが全体としては敗北しています。

【史実】武蔵国・蕨城は史実では1526年に扇谷上杉朝興が占領しますが、本作では今川が1526年以降、北条に肩入れしているため、1530年時点でも北条領です。また、岩付城は史実では1525年に北条の手に落ち1530年に太田資頼が奪還しますが、本作では今のところ両城は北条が守っています。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
[一言] 岩殿山城を力攻めで落とすって信じられないな...と城の地図と外観の写真を見て思うようになりました
[良い点] 諏訪、及び北条戦線は停滞、残るは今川方面での決着ですね。重勝としては援軍に送った兵の損失は痛いですが、ここで素直に今川方に勝たれるとまずいことになるので得意の悪だくみの一つでも企みたいとこ…
[一言] まあストーリーとは全然絡まないのでどうでも良いんですが、文中に「武蔵国を流れる荒川の北の北条領・蕨城に攻め寄せた」とありますが、江戸時代の利根川東遷・荒川西遷以前はざっくり言うと、利根川は古…
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