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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第90話 1530年「冬の厠」

 享禄3 (1530)年。

 先年末に武田信虎は、諏訪頼隆を総大将とした3000の信濃勢を寡兵で迎え撃って討ち破り、大いにその武名を轟かせた。

 信虎に反旗を翻した大井信業は戦死し、それに慌てた同輩の今井信是は自らの獅子吼城に逃げ込んだ。守る兵は300。

 残余の信濃勢は兵の逃散で数を2000足らずに減らしたが、若神子城に籠ってよく守っていた。


「菅助殿、今井が別れたは勝手なことなれど、武田が我らを攻めるとなれば兵を二手に分けねばならぬこととなり申したゆえ、数の少ない相手方は迂闊に動けぬとみてよいでしょうな。」

「ふむ、五郎右衛門殿(宇津)のお見立てはもっともと、それがし思い申す。」

「たとい武田が両城に攻めかかろうとも、この柘植總左衛門、外に出でて山中に伏せれば、たちまちかの者らの後背を脅かして見せましょう。」

「頼りにしておりまするぞ」と言って、山本菅助は柘植に笑みを向けた。


 伊那小笠原長高の陣代・山本菅助、三河鈴木重勝の陣代・柘植宗家、その軍師役の宇津五郎右衛門忠俊は意見を交換して、それを諸将に見せることで城内を落ち着けようとしていた。

 柘植はつい先ごろ三河にやってきた新参者で、先の武田信虎との合戦では武功に逸って兵を損じていた。宇津忠俊は重勝の軍師・宇津忠茂の後継者である。

 総大将の諏訪頼隆はどうも体調がよくないようで疲れた様子で声を発する。


「なんといっても、我らの方がいまだ兵数においては優っておるし、やがては駿河より援軍もあるであろう。さても、大井殿はまことに無念なことであった。ご舎弟殿、我らは手伝いを惜しまぬゆえ、なんとか軍勢を整え直してほしい。」


 大井信業は子を残さずに没したため、落ち着いたら弟の信常が家督を継ぐことになるだろう。


「……ええ、兄亡き今、それがしが大井の家をまとめねばなりませぬが……。されど、それがしとしては、西郡の地が気がかりにござる。ここが当面は安泰となれば、我らはいったん――」


 西郡とは大井氏の本拠である。

 大井信常の言葉を遮り、諏訪頼隆は翻意を求める。


「気持ちはわかるが、西郡に籠ったとて、我らはたやすく後詰に出るわけにはいかぬし、その方、兵糧は用意しておるのか?ここならば三河や信濃から運び込むこともできよう。ここにおるのが一番ぞ。」

「……。」


 信常は頼隆の言に理を認めて退去を思いとどまったものの、なんとも納得しがたいといった複雑な表情であった。

 その様子を、大井氏に父を殺されている飯富虎昌はじっと見ていた。


 ◇


 新年明けて、厳冬のある朝。

 諏訪頼隆はよく暖められた寝室を出て「うう、寒い寒い」と言いながら厠へと急いでいた。

 側仕えは、厠の外で極寒の冬の冷気に吹かれながら手をこすり合わせて主君が出てくるのを待つ。

 しかし、頼隆はなかなか出てこない。いくら便の通りが悪いとしても、さすがにこれは。

 側仕えが主君に呼びかけるが返事はない。さっきまでは踏ん張るような唸り声がしていたが、今は静かなもの。

 嫌な予感に襲われた彼は厠の戸を叩き、反応がないとなって、いよいよこれを破った。

 彼がそこで見たものは、苦悶の表情を浮かべて横たわる主君の姿だった。

 卒中であった。


 「金刺氏をむごくも殺した罰が当たったのだ」などと口さがない声も聞こえる中、対武田征討軍の諸将にとって重要なのは、次の総大将と諏訪党引き締めの任を誰に任せるか、ということだった。

 不穏な空気が流れるようになった城内で、宇津忠俊は自らの下で兵糧や使番の管理を任せている鳥居忠宗と話していた。忠宗は鈴木重勝の元小姓である。


「まずいことになった。諏訪党では次の大将に禰宜大夫の矢島殿(満清)が名乗りを上げ、これを認めぬ者らが刑部大輔殿(頼隆)の妹婿たる逸見殿(信親)を推して割れておるようだ。」

「全軍を取りまとめる者もなかなか『誰がよい』とすんなりいかぬようでございまするな。刑部大輔殿は得難いお方でございました。」

「うむ。かの方は自然と長として認めらるるだけの器をお持ちであった。

 ともかく、誰が諏訪党を引き継ぐとて、我らはその下につくわけにはいかぬ。我らは刑部大輔殿と同輩であり、その配下の風下に立つは名折れであるからな。」

「柘植殿にお立ちいただければよいですが、先の戦での振る舞いもございまするし、そもそもかの方を三河勢の長と認めるのも、何と申すか――」

「いかぬぞ、それ以上は言うてはならぬ。柘植殿も慣れぬ地で慣れぬ将兵を率いて何とか頑張っておられる。我らがそれを認めて支えねば、なるものもならず。」

「……とはいえ、それがしは総大将として担ぐならば山本殿が一番と思いまする。」

「うむ、それは……いかにもなり。なれど、小笠原勢は兵が少ない。やはりまとめ役には多くの兵を出す三河か諏訪からとなろう。」

「五郎右衛門殿(宇津忠俊)が立つというわけには――」

「それでは柘植殿の面目がなかろうに。」


 宇津と鳥居はため息をついて話を終えた。

 結局、諸将は話し合って「やはり諏訪家の者が総大将になるべき」という合意に至り、頼隆の弟の派遣と兵糧の追加輸送を要請する使者を信濃に送った。

 増援が来るまでは矢島が諏訪党を率い、軍勢が若神子城にいる間は城主である逸見が仮の総大将になることとなった。

 小笠原勢と三河勢は、しかし独立した指揮権を持つことになり、大井勢は諏訪頼隆の死でなおさら自領に帰りたいという思いを強めている。

 すっかりばらばらの征討軍を見て、宇津忠俊は鳥居忠宗に対し、不心得者がでないよう城内の見回りを強化するよう命じた。


 ◇


 武田信虎が韮崎で諏訪勢を打ち破ったことで、甲斐の民や国衆は彼の勝利に期待を持つようになり、信虎の呼びかけに応えて甲府には4000を超える兵が集まっていた。


「お屋形様、ご舎弟殿(勝沼信友)の命を賭した奮戦によりて、我らは十分な時を稼ぐことができ申した。北条は相模より甲斐へ入り込もうとしておるとのことなれど、岩殿山・勝沼にてよく粘って押し返せば、やがて諦めましょう。」


 下曽根出羽守が口火を切った。彼は、信虎の軍師・荻原昌勝から後事を託された老将である。

 その荻原は今は今川氏に備えて甲斐南西部を守っている。


 北条氏は、今川家の九英承菊の要請で、信虎に占領されていた相模国津久井の地を奪還すべく軍を起こし、信虎が甲府で兵を集めて諏訪勢を打ち破っている間に、彼の弟・信友を滅ぼしていた。

 しかし信友の尽力で、信虎は東部国境を守る岩殿山の防備を固める時間を稼ぐことができ、なおかつ諏訪勢にはしばらく動けないだけの打撃を与えることができた。

 相模から甲斐中心部へ向かうには山間の狭い道を進軍せねばならない。途中の堅牢な岩殿の砦と、隘路の出口つまり甲府盆地の入口の勝沼、この2ヶ所をしっかり守れば、そう簡単に北条軍が信虎の本拠地に辿り着くことはない。

 この立地は、兵数が劣っていたとしても、武田側が耐え抜くことを可能としてくれるだろう。


「うむ。五郎(勝沼信友)の死を無駄にしてはならぬ。岩殿山の叔父御(松尾信賢)にはさらに兵を送る。そして、勝沼には陣城を急ぎ構えるのだ。刑部(楠浦昌勝)、掃部(曽根縄長)、頼むぞ。」


 信虎の信任厚い楠浦と曽根が、それぞれ岩殿山への増援と勝沼での守備陣地の構築の任に当たることになる。彼らはただちに兵300ずつを連れて東に向けて進発した。


 各所の防備と軍勢の編成を進める中で、信虎は同盟する扇谷上杉朝興からの書状を受け取った。

 それを読むうちに彼の表情は苦々し気なものに変わり、腹立たし気に唸った。


「ううむ、上杉は直ちに援軍を送るのは難しいと返してきよった。関東管領殿(山内上杉憲寛)の家中で不和あり、北条の手も及んでおるとかで『しばし待たれたし』だと。使えぬ者らよ。」


 信虎は彼らとの同盟の強化のために、つまりは彼らの兵力を当てにして、家中の反対を押し切って前関東管領の未亡人を側室に迎えた。

 そのせいで今のこの苦境が生じているとすら言えるのであるが、享禄2 (1529)年には当の関東管領・上杉憲寛も家中の統制に失敗してしまっていた。


 この上杉氏においては、永正年間から重臣の白井と総社の長尾氏が北条氏に通じて反抗しており、先ごろ憲寛が古河公方家から嫡養子に入ったことでさらに不和が生じていた。

 家中掌握を目指す憲寛は、上杉氏に代々忠実な長野氏と協力して、白井長尾景誠を暗殺させ、長野氏と争っていた安中氏の討伐を始めた。

 この性急な行動は、扇谷上杉朝興の制止を無視したものだった。

 結局、上野では安中氏に続いて小幡氏・西氏・藤田氏らが前管領の遺児・上杉憲政を擁立して謀反を起こした。反乱勢力の背後には北条氏の影もちらついている。


「まあよい。西では、武川の青山や、津金の者らが今さら帰参を申し出てきおった。これらを使えば諏訪勢はしばらく放っておいてよかろう。金刺の残党もまだ使いようがあろうか。」


 甲斐北西部には釜無川沿いに武川衆という武士団があり、青木氏・山高氏・馬場氏などが含まれた。彼らは当初は諏訪方の勢いを見て信虎に従わなかったが、今や武田方についていた。

 他に信濃国佐久郡へ通ずる道沿いの津金のあたりにも国境を守備する佐竹氏からなる武士団があり、これが合力を約束していたのである。

 信虎は出陣の準備が整うと、将兵を集めて簡潔に告げた。


「東の備えは万全なり!かの地でよく守って時間を得、その間に我は荻原を援けて今川に一撃喰らわせてくれよう!者ども、我に続け!」


 ◇


 今川家は甲斐攻めのために1万2000の兵を用意した。

 さらに三河の謀反に備えて1000の兵を遠江に置き、筆頭重臣・朝比奈泰能に守らせている。

 駿府には九英承菊がとどまり、甲斐と遠江の双方に対する補給と指令の任を務める。

 当主の今川氏輝は自らも出馬したがったが、体調が思わしくなかったことと、愛息の安全を願う母・寿桂尼が駿府に留まるよう頼んだことで、断念せざるを得なかった。


 甲斐侵攻軍の総大将は福島助春。

 彼は大永年間中の出兵時も総大将を務めており、今度こそ甲斐を切り取ろうと意気込んでいる。

 福島氏は先代当主・今川氏親に側室を送り込むなど勢力を強めていた。そのため、今川重臣団は今回の勝ち戦で彼らがさらに増長するのを嫌っていた。

 そこで、朝比奈に並ぶ筆頭重臣の三浦範時が副将として派遣された。彼は遠征を機に隠居した父・範高の跡を継いだばかりである。

 福島助春は内心で三浦を鬱陶しく思っていたが、当主・氏輝を囲い込むように派閥を作っている瀬名氏貞と九英承菊に対抗するために、三浦と協力関係を築こうと考えていた。


「諏訪勢もふがいない。半分の相手に手ひどく負けたと聞く。それのみならず、富士の大宮司と井出の者らも荻原の老人相手にいいようにあしらわれておるとか。」


 富士大宮司家と井出家は甲駿国境を守る今川従属国衆であり、遠征軍を集めるにあたって甲斐攻めの道となる河内路を確保すべく先に送り出されていたが、思うように成果を出せていない。

 福島が不満そうに三浦に言うと、三浦は今後を見据えて答える。


「武田はやはり強兵か。とはいえ、諏訪と三河もそれぞれ1000の兵を出してこれではな。甲斐を獲った後には、この由を以てかの者らに勝手を言わせぬよう当家が強く出る口実になろう。」


「ふむ」と福島は少し考える風だったが、

「いずれにせよ、三方より攻めらるる甲斐はいかにあがこうとも滅びるほかなし。こたびこそ奴ばらめの息の根、止めてくれよう!」と続けた。

 福島がいったん考えたのは、自派閥の強化のために重臣団の中で孤立する朝比奈俊永に接近しており、三河との関係について思うところがあったからだった。


「うむ!亡きお屋形様、若様の御悲願をかなえて進ぜようぞ!」

 福島の内心を知らない三浦は、代替わりしたばかりのところ、功をなそうと張り切っていた。


 今川軍は甲府盆地に向けて、富士川に沿って進軍する。

 しかし山間の隘路を進む伸びきった隊列に、守将・荻原昌勝の命を受けた初鹿根伝右衛門と才間河内守の隊が山から飛び出してきて攻めかった。彼らは味を占めて何度も奇襲を繰り出してくる。


「ええい、ちまちまと煩わしい!ここはそれがしがなんとか山道を抜けよう。こうも狭くては多くの兵は動かせぬゆえ、左衛門尉殿(福島助春)にはいったん下山城に入って兵と食糧をまとめてほしい。」


 下山城は穴山氏の居城である。彼らは当初こそ今川につくか武田につくか迷うそぶりを見せたが、1万を超える今川軍が近づくと開城して合流を願い出ていた。

 三浦の発言に福島が険しい顔で食って掛かる。


「いや上野介殿(三浦範時)、儂はかつての甲斐攻めで勝手を知っておる。儂が先に立つがよかろう。」


 軍議の場は一気に緊張感を増したが、結局、先に折れたのは三浦だった。

 甲府盆地に入れてすらいない現状では、味方内で争っている暇などないのだ。三浦はより大きな戦功を求めていた。


「仕方ない。ここは先駆けをお譲りいたし申すが、次はそれがしの番でござるぞ。」

「うむ、かたじけない。ひとまずは関口殿に本間と安西を付けて出さん。」


 今川一門の関口氏縁に福島麾下の本間親季・安西三郎兵衛らが加わり兵1000で北上する。

 一方の荻原は、甲府盆地の南端の鰍沢にある蓮華寺を接収し、陣城をあたり一帯に築いて寡兵でよく守っていた。

 しかも山に潜伏する武田兵は神出鬼没に現れて今川方を翻弄しており、さほどの被害があるわけではなくとも、狭い山道に滞留を余儀なくされるというのは今川方の士気を大いに損なった。


 そうは言っても多勢に無勢。

 今川勢1万2000を受け止めるには荻原勢700ではとても足りず、奇襲を待ち構えていた福島勢に初鹿根と才間が討たれると、力尽きた老将は蓮華寺に火を放って自害した。

 とはいえ、荻原が稼いだふた月近くの時間は、武田信虎が4000の兵をまとめて大井氏の富田城で防備を整えるのに十分であった。

 富田城から討って出た信虎は、3倍の今川勢を相手に一歩も引かず、初戦は両者痛み分けに終わった。

 武田は富士川西岸の富田城に戻り、今川は川を渡って東岸の一宮浅間神社を占拠した。

 今川勢はこの地で武田勢を足止めしながら、笛吹川を遡って勝山城を落とし、これを拠点と定めた。


 ◇


「今井殿はどうなったのだ!?」

「わかりませぬ!未明にはすでに獅子吼は落城し、今井ご家中は散り散りとなりて候!」

「むう……。」


 物見の答えを聞いて、今井と同族の若神子城主・逸見信親は気が遠くなった。

 自分は担がれて一応の総大将となっているが、こんな状況で諸将をまとめられるはずもないのだ。


 今井信是・信元父子が籠城していた獅子吼城が落城した。

 地元の津金衆のひとり、小尾周防守なる者が深夜の内に山中の間道から城に潜入し、一夜にしてこれを手中に収めたのである。

 小尾氏は永正年間中にも獅子吼城を夜襲で奪っており、かつてを知る者から「なぜまたもや」と今井の不手際を詰る声も出るなど、城中の雰囲気は一段と悪くなった。

 しかし今井氏としては、籠城生活が続いてずっと緊張していたところで信虎が大軍を率いて南進したのを見れば、「しばらく自城は攻められまい」と少々気が緩むのは仕方のないことだった。


 そこへさらに別の見張りが駆け込んでくる。


「ご注進!諏訪の援軍が来られましたところ、武川の者どもがこれを襲っておりまする!」

「なに!?彼我の兵数はいかばかりか!」

「諏訪・小笠原の兵が500足らず、武川衆もそれと同じほどかと思われまするが、諏訪よりは兵糧を運んでおりますれば――」

「兵糧を奪われてはかなわぬ!」


 逸見が叫ぶと、柘植宗家が「ここはそれがしが」と迎撃に名乗りをあげた。

 思わず宇津忠俊が柘植を鋭く一瞥すると、柘植は苦笑して言う。


「心配御無用にござるぞ、五郎右衛門殿(宇津)。こたびは遅れは取り申さぬ。信じてくだされ。」


 柘植は先の敗戦後、三河勢の視線を感じて肩身が狭かった。しかし、それなりに信頼関係を築いていた山本菅助が気を配ってくれたおかげで、三河勢との不和で激昂することもなく平静でいられたのだった。


 かくして、柘植は伊藤貞久・阿知波定基・深津重次を連れて諏訪からの援軍の救援に向かった。

 諏訪勢は、死んだ頼隆の代わりにその弟・満隆に有賀氏らを付けて300。その多くは輜重のための兵である。これに小笠原長高の家中から平岩張元の150が加わっていた。

 対する甲斐国人は、先に馬場氏を介して諏訪勢と不戦を約していた武川衆から、青木信種、山高信之・親之の父子、教来石信保、折居次久、米倉丹後守らが攻め寄せていた。

 柘植はよく戦い、平岩隊との挟み撃ちにも成功して武川衆を追い散らすことができたが、糧秣は戦の混乱の中で大地にぶちまけられるなどして多くが台無しになっていた。

 北巨摩郡に留まる諏訪勢2000は、周囲の武川衆・津金衆が武田方となり、孤立している。


 ◇


「これは厳しい戦いになるぞ。」


 今回が初陣の鳥居忠宗はそう独り言ち、帳面に何やら数を書き込んだ。

 自軍は独力で状況を打開できそうになく、今川が武田を追い詰めるまで籠城することになりそうだ。そうなれば、どれほど時がかかるかわからない。

 三河勢の兵糧の管理や見張りの報告のとりまとめを担う忠宗は、食糧の節約を考え始めていた。


「もし、源七郎殿(忠宗)。」

「おや、なんでございましょう、牧野殿。」


 帳面とにらめっこしていた忠宗のもとに僚将の牧野平三郎が訪ねてきた。

 牧野は深刻そうな表情で声を潜めて言う。


「それがな、手の者が、夜中に大井の者が城のはずれをうろついておるのを見かけたと言うのだ。」

「大井殿の……。」

「やはり()()()()()であろうな。」

「……うむ、そうでございましょうな。牧野殿の他にもこのこと気づいておる者は?」

「どうであろう。見張りは我らが主にしておるところなれば、なかなかおらぬのでは。」

「非常のときゆえ、裏を取っておる余裕も同心を募る余裕もありますまい。今すぐ討ち取らねば。」


 牧野は頷き、「弟も呼んでくる。四半刻もかからぬ」と言い残して去った。

 忠宗も鎧を身にまとう。槍を持つか悩んだが、さすがにそれでは警戒されると思って、腰に刀を差すだけにしておいた。

 やがて牧野平三郎・平四郎兄弟と落ちあい、忠宗は20人ほどで大井信常の小屋に近づいていく。

 周りには大井の手勢がゴロゴロと寝ていたり、サイコロをしていたりする。彼らに成敗を気取られて逆に討たれては困るため、忠宗は牧野兄弟と雑談をしてみせて怪しまれぬように努めた。

 するとさすがに不審に思ったのか、大井家の侍に呼び止められた。


「御免、三河の方々と思いまするが。ここは大井の陣地、何用でござろうか。」

「いやなに、兵糧のことで大井殿と少し話をと思うてな。」

「ふむ……。承知いたした。主君をお呼びいたすゆえ、しばしお待ちくだされ。」


 侍は訝しみながらも、三河方の重要人物として度々人前に出てくる忠宗の顔を見知っていたため、取次を買って出てくれた。

 忠宗は背筋を冷や汗が伝うのを感じた。

 大井信常が出てきた。

 彼もわざわざ鎧を身にまとっている。

 やましいところがあって、警戒しているのだろう。


「鳥居殿、兵糧の話とは?」

「……。」


 忠宗は当人を前にすると迷いが出てきていた。

 問答無用で殺してしまっていいのか。改心を促して再び味方とすることはできぬのか。

 若武者ゆえの経験不足が響いていた。


 信常は、忠宗のこわばった顔、冬なのに汗ばんでいる様を見て取り、内通がばれたのを悟った。

 信常は手の内に隠してあった寸鉄(小さな刃物)をいきなり投げつけると、「出陣!出陣!」と大声でがなり立てて走り出した。

 主君の内通を知る大井家の重臣はすぐに何が起きたかを理解して、「出陣!出陣!」と声をそろえて主君の後に続いた。

 大井家の足軽や農民兵は何が何だかわからなかったが、とにかく主君の周りに集まる旗を目印に一群となって駆けていく。その数300足らず。


 しかし、忠宗がこれを追いかけることはなかった。顔面に寸鉄が刺さり大けがを負っていたのだ。

 唯一、大井氏に不信を覚えていた飯富虎昌だけが即応して城門に立ち塞がったが、集まった兵が足らず、彼らの突破を許してしまう。

 飯富はわずかな手勢でさらに大井氏を追ったが、いくらか兵を討ち取るのみで、大井信常は取り逃がしてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは良作。 地図や部将の適時紹介もあり、この細かい気配りが良い。 歴史モノにトンデモなチートを入れるのは、個人的には長期連載では、よっぽどじゃないとキツく感じる派なので、適度な知識チー…
[良い点] 諏訪方は敗戦で崩れかけ。負け戦における連合軍の脆さがよく表現されていると思います。
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