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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第88話 1529年「鈴木佐大夫」◆◇

 甲斐武田氏への総攻撃が決まって間もなくのこと。

 今川家との決別を覚悟した鈴木重勝は、今さら国力を増すことはできないため、外交上の立ち回りを工夫すると決めて、伊勢・熊野の御師や商人から集めた情報を整理し、各所に手紙を出し続けていた。


「清洲(織田大和守達勝)から返事が来た。」

「さてさて、守護代殿(達勝)は弾正忠(織田信秀)と引き分けて、心変わりなされましたかな?」


 軍師役の宇津忠茂が待ち遠し気に手紙の内容を催促した。

 尾張攻めの準備で手一杯の伊庭貞説と九里浄椿に代わって、宇津が重勝の相談相手となっていた。

 この年、家臣の分を超えて増長する織田信秀を掣肘すべく尾張守護代・織田達勝は兵を起こした。

 獲得したばかりで不安定な桑名に兵を残していた信秀方は、当初は不利だったが、深田城の織田達順を寝返らせて最後の最後に合戦で快勝すると、引き分けでの和平となった。

 清洲方は途中までは優勢に事を運んでいたにもかかわらず、1回の敗北がかえって信秀の武威を高める結果となり、守護・斯波家や北尾張・岩倉織田家は信秀に一目置くようになった。

 逆に言えば、清洲織田家は舐められ始めた。

 ことによると、その感覚は単に清洲方の焦りからくる被害妄想なのかもしれないが、達勝は勢力を盛り返すべく、重勝が催促していた家臣間の通婚を認め、同盟を受け容れたのである。


「うむ。九里入道が送った福富(ふくずみ)なる間者がうまく噂を流したのやもしれぬ。」


 九里は先ごろ福富平太郎なる美濃からの牢人を清洲に送り込んで情報を集めており、清洲織田家や守護・斯波家の者と連絡を取るために潜ませていた。

 続けて重勝が言う。


「鷹見修理の娘を斯波武衛様の臣たる簗田出羽守の嫡男に嫁がせ、織田藤左衛門(寛故)の娘を設楽三郎(清広)に娶せることとなる。」

「あれだけ身を粉にして働いておる鷹見殿には残念なことにおじゃれど、こたびの婚儀は今川に知られては困るゆえあまり派手には祝えぬのう。」


 相談役の吉田兼満が言った。

 この通婚は実質、三河と清洲の同盟であるが、斯波家・清洲織田家は今川家にとっては敵であるため、あからさまにこの同盟を見せつけては今川との開戦が早まることになる。

 いずれ敵対するにしても、できるだけ引き延ばしてその間に尾張を呑み込むのが望ましく、あるいは決裂まで露見しなければ裏をかくこともできるため、この同盟は秘しておく必要があった。

 一方、鷹見は、対尾張戦では下手をすれば兵は数年郷里を離れることになるため、その耕地や家族の面倒を見る仕組みを確認し、予備も含めて兵糧・武具を配備しておくなど多忙を極めていた。

 それなのに娘の結婚を大っぴらに祝うことができない。そのことを吉田は気の毒に思ったのだ。


「事が済めば改めて祝いの場を設けよう。そのときには併せて熊谷次郎左(直安)の嫁も尾張からとって、尾三の仲を大いに知らしめるも良いやもしれぬ。」


 重勝は早くも尾張攻めの後のことを思い浮かべて、大々的に婚儀を執り行うという計画を、いつも持ち歩いている帳面に書き入れた。

 吉田は重勝の気の早さに少し呆れたような風であったが、「尾張を攻め獲りて後には、それもよいでおじゃりましょう」と肯定した。

 他家との婚姻というと、宇津にはもう一つ気がかりがあって重勝に問うた。


「さても、北条の方は返事はあったのでございましょうか?」

「いや」と重勝は眉根を寄せて否定し、「あちらは駄目そうだ。今川と戦になれば東西で挟めぬかと思うたが、両家は深く結びついておるし、手間をかけるだけ損と見た」と言った。


 重勝は、実際は甥だが義兄弟の契りを交わした弟分である足助の鈴木重直の嫁を北条家中から迎えようとしていた。

 北条家と結ぶのは利が大きい。目先のことでは、火薬づくりのために買い込んでいる硫黄を箱根の大涌谷から持ってくることができるといったことがあるだろう。

 しかし、甲斐武田氏・関東上杉氏・房総の諸家に囲まれる北条家は、隣り合い長年にわたって信頼関係を築いてきた今川家との関係を非常に重視しており、仮に鈴木家が何らかの縁を結べたところで、今川家と敵対した途端にその関係は切り捨てられることが目に見えていた。


「では、義弟殿(鈴木重直)の嫁御はいかがされまするか?義弟殿は殿にとって一門衆筆頭。年ごろもよくてござれば、ぜひとも早く嫁を取って子を残してほしいところ。」

「うむ、そうなのだが……。」


 重勝は宇津の問いに悩みながら答えた。


「それがしにとっては大事な弟分。長く縁を結べぬような家から嫁を見繕うのは許せぬ。家格も十分高くなければ、など色々思うとなかなか……。

 近頃、硫黄を北信濃から買い取っておるし、こたび甲斐攻めで合力しておるゆえ、諏訪などどうかと思うのだが、かの地は甲斐の隣なれば、武田が生き残ればそちらに転ぶやもしれぬ。また、甲斐を今川が獲りても当家が今川と敵対すれば、今川に味方するやも。どうしたものか……。」


 重勝は身内のことになると時々過保護になるが、義兄弟の契りを交わした甥・鈴木重直の嫁取りについても、ずっと悩んでいた。


「勝子姫(重勝の娘)を小笠原家に嫁に出すことにしておりますれば、諏訪家から義弟殿に嫁を迎えれば、三家が結ばれまする。さらに小笠原より諏訪に娘を輿入れしてもろうて縁を固めますれば、そうそう寝返るということもございますまい。」

「……ふむ、それならば。」


 宇津は「時と場合によっては嫁の実家と敵対することは仕方がない」と割り切っていたため、主君の悩みに共感はできなかったが、実利を説き、裏切られないような工夫を述べた。

 重勝もその言に納得し、手元の帳面に次にすべきこととして記録を付けた。

 彼は帳面を見ながら己の考えを吉田と宇津に伝える。


「遠江は下手に手を出せぬが、高根の奥山能登守(定之)からは『嫡男の嫁を三河から迎えたい』と返事があったゆえ、これで十分とせねばなるまい。」


 高根奥山氏の勢力は三河・信濃に隣接する遠江の奥地に広がり、彼らは三河一向一揆の鎮定の際には援軍を出してくれていた。そして今回、実質的な三河への従属を約束したのである。


「尾張は伊庭に、美濃は土岐三人衆(大畑定近ら)に任せてある。信濃は盤石。気がかりは伊勢と紀伊なり」と重勝は続けた。

「紀伊はこちらでどうこうするより鳥居殿に任せるのがよいのでは?」

「伊勢の国司殿は今は長野との戦で婚儀どころではおじゃるまい。あるいは神宮の者と縁を結んでもよいでおじゃろうが、いずれにせよ、これも隣の紀伊で手を打つがよいのではないかのう。」

「なるほど、紀伊に任せるか。鳥居伊賀からは『度々社家や修験者の相論あって厄介』と文をもろうておるゆえ、さらに頼むは心苦しかれど、今や三河は戦も待ったなしのところ、長くやり取りするならば三河で取り仕切るは難しい。」

「いかにも。紀伊と伊勢の間柄が直に深まる方が、何くれとなく付き合うにもよいでしょう。時のかかることゆえ、落ち着かなくなるとわかっておる三河が手を出すことではありますまい。」

「うむ。あとは和泉のことであるな。九条家とのやり取りは――」


 ◇


 西紀伊を流れる紀ノ川下流の藤白の地にて。

 すべての鈴木氏の本流にあたる藤白鈴木氏が構える屋敷に来客があった。


(すずき)肥後にござる。三河鈴木の惣領にして国主たる対馬守様の甥にあたり申す。」

「おお、それはそれは。遠路はるばるよう来られましたな。」


 鱸肥後守永重が家臣の梶与吉郎を連れて、藤白王子社神主・鈴木重則に挨拶をしていた。

 永重は足助鈴木重直の重臣で、鈴木重勝にとっては甥である。混乱の続く上方にあって無防備な堺の中条屋敷を守るすべを整えるという任務を帯びて派遣されていた。

 この一行には、鈴木家で中下級家臣の相談役を務める松下長尹の子・長則も加わっている。

 松下家は代々真言宗で、武者修行を望む若武者の長則は、僧兵の武名がよく聞こえる真言宗・根来寺の道場で修業したいと願い出て、重勝が許したのである。


 歓迎するような口ぶりの藤白神主は、しかし、用件に心当たりが全くがなくて内心で訝しんだ。

 鱸も唐突な来訪であることは承知していたため、早速用件を伝えた。


「実は、こたび当家は(さきの)関白・九条様の御為(おんため)に荘園の守衛を司ることになり申した。そのため雑兵を雇い入れたく思い、上方で名の知れた雑賀の者らを訪ねて参り申した。雑賀には我が同族もおりまするゆえ。」

「ふむ。」

「せっかく紀ノ川まで参ったところ、ご本家にご挨拶をと思い、まかり越した次第。」

「左様にございましたか。」

「これは我が主君・鈴木対馬守よりの書状になりまする。」

「拝見しましょう。」


 神主が書状を見ると、年老いた前関白・九条尚経のたっての頼みで「九条家の日根荘を根来衆や商人の手から何とか取り戻そう」ということになり、そのために雑賀の兵を雇うので、ご本家には仲介を頼みたいとあった。また、根来寺とのやり取りに際しても執り成しを頼みたいとのことだった。

 鈴木家は、かつて山本菅助が堺雑掌・中条常隆に助言したのを受けて、堺に住む九条尚経・稙通の父子を経済的に支援してきた。

 九条家は和泉国に日根荘という大荘園を持っている。

 これは彼らの先祖が自ら開発領主として開いたもので大変に思い入れが強く、特に尚経の父は乱世の中でも苦心して経営に尽力した。熱を入れ過ぎて、経営上の問題で家司を成敗するなど度々刃傷沙汰を起こし、朝廷から干されたほどである。

 しかし、すでに九条家の財政は破綻しており、荘園内の多くの土地が新興商人や根来寺に質として渡っていた。尚経は「これをどうにかしたい」と鈴木家に泣きついたのである。


「こちらが御礼の200疋(2貫文)にございまする」鱸は梶与吉郎から木箱を受け取って神主に差し出す。

「あれまあ、そうまでしてもろうて少々の口添えを渋るなどありえませぬな。」

「いやはや心強い。」


 ◇


 藤白神主の先導で、鱸・梶・松下は近くの黒江にある真宗道場を訪れた。


「御免、佐大夫はおるか?」

「これは藤白の神主様。いまは寄合中なのでござるが。」

「ただ酒を飲んでおるだけでおろうに。こたびは仕事の話だ。」

「後ろの御仁が雇い主ですかな?」

「そうだ。我らが鈴木の一族で今や三河の主となっておる対馬守殿の甥御殿だそうだ。」

「おお、お噂は聞こえており申す。なれば、三河で戦働きですかな?」


 ここで鱸が口を開いた。


「いや、和泉での仕事だ。九条様の助太刀なのだが、根来と少々やりあうやもしれぬ。当家としては刃傷沙汰は勘弁なれど、談合するにも武威と伝手がなくばどうにもならぬでな。そのどちらも備えるおぬしら雑賀の者らに助力願いたい。」

「ふむ、なにやらややこしき話のようにて。されど、九条様と言えば門主様(証如)を猶子となさったお方。俺は真言宗のことは知らんで、銭さえ払うてくれれば手下を集めて手伝いましょうぞ。」


 鈴木佐大夫は浄土真宗であり、真言宗の根来寺よりも、本願寺教団の頂点に立つ証如と親しい九条家の肩を持つのはやぶさかではなかった。


「当家は先に本願寺とはいざこざあったが、今はともに和を目指しておる。おぬしもそのための力添えをしてくれるのであれば助かるというものだ。ひとまず500かそこらの兵がほしい。」


 鱸はさらりと言ったが、九条家との大々的な連携と本願寺との和解というのは、鈴木家にとって実のところ外交方針の大転換を意味した。

 尾張を喰らって今川家を押し込めるまで、何を捨てても成し遂げてみせるという鈴木重勝の強い決意の表れだった。


 そもそも九条家を支援することはかなり危険な行いだった。

 九条はしばらく前に朝廷から出仕停止処分を受け、赦免後も他の公卿から嫌われていた。

 その筆頭は、今川家を束ねる寿桂尼の実家・中御門家であり、九条家と結ぶことは、今川家との関係のみならず、鈴木家の公家社会での立場まで損ねる行いだった。


 しかも、本願寺への接近も同じく厄介ごとを招く恐れがあった。

 鈴木家が今川家から離反すれば、当然、今川家を正当な遠駿守護と認める近江幕府との関係は致命的に悪化する。それゆえに鈴木家としては堺公方陣営に加わってこれを後ろ盾にするしかない。

 本願寺は近江幕府から敵視されている関係で、堺公方と友好関係にあり、鈴木家が本願寺と仲良くしようとするのは一見すると情勢にかなっているようである。

 しかし、この堺方の中核を担う三好元長は敬虔な法華信徒で、本願寺とは根本的に相性が悪かった。つまり、本願寺の振る舞い次第では、鈴木家は三好家とも敵対しかねないのである。


 しかし重勝は堺方の深刻な内部分裂を知っており、今のところ堺方は優勢のようだが、あまり期待していない。

 どちらの公方もあてにできぬのならば、鈴木家にとって重要なのは各国と個別に結ぶ同盟と、何よりも己の財力・武力だった。

 そうしてみると、堺は決して手放せない。

 今後は堺から琉球に船団を派遣するし、それで輸入する硝石は武力に直結するからだ。

 この町を自力で守るにはどうするかと言えば、単純な話、近くに自前の兵力を用意すればよい。

 そこで、九条家である。

 日根荘は堺から少し離れているが、和泉国の中部を横断するように広がり、奥地は紀伊国につながる。これを押さえて雑賀の鈴木氏と連携すれば、自力で堺をなんとか保全できるだろう。

 重勝はこのように考えていた。


「いや待ちたまえ。そこなる猪にのみ任せてあっては、勝手に根来に討ち入りかねん。しかもこやつ1人で500も兵を扱えるとは思えぬ。」

「なにを、源兵衛(佐竹允昌)!やる気か!表に出ろ、叩きのめしてやる!」

「またすぐそうなる。だからおぬしは駄目なのだ。俺が手伝ってやると言ってるんだ。」

「いいや、そうは言うておらなんだ。」

「わからぬか、仕方あるまいな。」


 佐竹源兵衛は真言宗で根来衆とも付き合いがあるため、腐れ縁の佐大夫を助けてやろうと口を挟んだのであるが、喧嘩っ早い者たちのこと。佐大夫はやれやれとやっている源兵衛の姿にカチンときて取っ組み合いが始まった。勝った方が今回の派兵の大将なのだとか。


「おい、これで大丈夫なのか?」佐大夫も源兵衛も、数えで22歳の鱸永重と大差ないが、思わず永重は疑問を口にした。

「……ともかく手付は50貫文だ。与吉郎!それがしは堺に戻って九条家の家礼の方々と話を付けてくるゆえ、兵のことは頼んだ。松下の嫡男殿はいかがいたす?」


 梶与吉郎は「ええ!?」と声をあげ、松下長則は「それがしも残りまする」と言った。

 鱸永重は松下に「わかった」と返事をすると、忙しなくも藤白の神主に「ひとまず助かり申した」などと言いながら連れ立って黒江の道場を辞した。


【史実】織田達勝が信秀を攻めたのは史実では1532年です。作中の勝敗や経過の運びは創作です。

【史実】簗田出羽守(政綱?)の子は簗田右衛門太郎(広正?正次?)です。特に子の方は仮名も実名もはっきりわかりません。

【メモ】北畠材親から三条西実隆への大納言昇進の礼が5貫文だったのを参考に、藤白神社神主への謝礼は200疋(2貫文)にしました。

【注意】鱸永重の年齢は創作です。佐竹の源兵衛の名も親族からの創作です。鈴木佐大夫は調べてもわからず、実在を確認できたのは雑賀助大夫という人物でした。前者は「さだゆう」と読むようですが、後者の「すけたゆう」の漢字違いでしょうか。本作では鈴木孫一の父として登場させます。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] ようやく最新話まで読み切りました。 今話で秘密裏に清洲織田家との同盟が成立しましたが、実は私も読んでいて、今川と戦うためには背後の尾張を抑える必要があり、攻め獲れないならば同盟を結ぶしかない…
[気になる点] 物語に細かいツッコミは野暮ですが、鈴木家の財政事情はけっこう気になります。 今川への献金や各種外交工作、朝廷(九条)や神宮への対応、新兵器開発と軍備増強、貧民救済、文化・産業振興、海外…
[一言] 日根荘については、以前読んだことのある「戦国の村を行く」(藤木久志氏著)に記されていて、それなりに興味を持っていました。九条政基が下向した時期からは二十年以上離れていますが、この小説での行方…
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