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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第85話 1529年「使者」

 今川家から遣わされた使者・矢部将監信定は、甲斐攻めについて説明と質疑をした後、いよいよ「重勝の母・あきに加えてさらなる人質を出せ」という命令を鈴木重勝に伝えた。

 この命令は今川氏輝の軍事外交の顧問となっている九英承菊(後の太原雪斎)と筆頭重臣・瀬名陸奥守が主導して決めたものである。


「人質を、と申すか。」


 年を取っていてあまり覇気のない矢部は、重勝の身体から吹き上がるようにして発せられた激しい怒気にあてられて、思わず平伏しかけた。 


 今川重臣団は主従の関係を再確認するべく「書礼慮外(礼法に適っていないこと)」を理由に、重勝が寿桂尼・氏輝と直接の書状のやり取りをするのを禁じていた。

 代わって今川家からの文を用意するのが、この矢部将監だった。そして、手紙の作成を命じるのはだいたい瀬名陸奥守と九英承菊である。

 近頃のものは「毎年の上納を減ずるゆえ鉄何匁・矢何束云々を支度せよ」という風に、物資の調達を命じるものばかりだった。鈴木家が持つ堺や西国との伝手を利用しようというのだ。

 鈴木家が上方に進出できたのは、前当主・今川氏親が格別の厚意でそれを許したから、というのが今川中枢の理解であり、「だからこそ、その伝手を今川のために役立てよ」というわけである。

 その矢部が使者に選ばれたのは、彼がすでに高齢で、重勝と交流があっても親しすぎず、承菊の指導が届く範囲にあって、最悪怒った鈴木家に討たれても惜しくない人物だったからだ。


 これまで三河の取りまとめは重勝の義父である朝比奈丹波守が担っており、その手の者が使者として行き来するか、鈴木家の在駿府雑掌・神谷喜左衛門が窓口となっていた。

 しかし、今や三河の取りまとめは承菊が掌握するようになり、神谷も間者働きを警戒されて半ば軟禁され、三河との手紙のやり取りも監視されるようになっていた。

 事情を知らされていない重勝は現状に対する疑問を朝比奈の義父にぶつけていたが、朝比奈はそれを今川中枢に伝えるのを避け、また、重勝に今川家の現状を伝えることもしていなかった。

 伝えてしまってかえって両家の不信が強まるのを危惧したのだ。朝比奈は両家の関係改善のためにあちこち宥めて回っており、事情を話すのは状況が好転してから、と思っていた。

 三河と駿河は心の距離が開くにつれて、それを結びつけ綻びを繕うための経路もますます希薄になってきていたのである。


 矢部が返事に迷ってうつむいていると、重勝は苦しげに顔をゆがめながら怒りを押し込め、何度か深呼吸をした後、矢部にいたわりの言葉をかけた。その声は少し震えているように聞こえた。


「……矢部殿もなかなか厄介な仕事を任され申したな。文の書きぶりを見るに、そなたの人柄は決して嫌いではない。そなたを苦しめようとか、そういう心積もりはそれがしにはないのだ。目通りはこれにて終いにして、休まれるとよかろう。ただ、色よい返事は期待してくれるな。」


 矢部はこれまで今川からの命令を伝える際でも十分気を遣った表現を用いていた。

 重勝は損な役回りを命じられた矢部を憐れに思い、重勝にもまして怒りをこらえきれない様子の小姓連中に「くれぐれも悪く扱わぬように」と釘を刺して、食事やら何やら手厚く世話をさせた。

 討たれる覚悟で遺書まで置いてきて矢部は、用意された味噌汁を飲みながら思わず涙を流した。

 それを遠巻きに見ていた鳥居・奥平・青山の小姓3人組は、台所から旬の枇杷(びわ)やら無花果(いちじく)やらを持ってきて、この老人に分けてやるのだった。


 ◇


 重勝は居室に戻り、背高(せいたか)経机(きょうつくえ)に向き合っていた。

 何事か隙間なく書かれた紙が床に散乱し、よく見ると圧し折られた筆がその上に落ちている。

 経机の上には今川の書状が広げられ、そのそばには、書き込みすぎて余人には判読不能となっている地図もいくらか並んでいる。


 そこへ鷹見修理亮を押し出すようにして酒井将監忠尚(彦次郎)がやってきた。


「殿、今川より使者が来たと聞き申したぞ!」

「彦次郎よ、またそなたか」と言って重勝は板座(ろく)(椅子)を引き「おぬしが今川を嫌っておるのはよくわかっておるし、その理由も承知しておる。されど、かの家の言いようが時に理不尽でひどく重荷であっても、ただちに戦とはいかぬのだ」と出迎えた。


 そういう言葉がすぐに出てくるくらいには、すでに重勝も今川家への不信と失望を強めていた。

 重勝からしたら、駿府の重臣団はわけのわからぬ妄想にでも取り付かれているようであり、手紙が来ても一方的な内容ばかりで、もはやまともな意思疎通ができない相手のように見えていた。

 とてもではないが、これから長く付き合っていくことのできる相手とは思えない。状況さえ許せばいつでも武器をとって戦う。そういう心積もりになっていたのだ。

 しかし、酒井のようにそれをそのまま言動に出してしまうような者を見ると、それが著しい短慮のように見えて、かえって理性で感情を強く押し止めるように振る舞っていたのである。


「またそうおっしゃいまするが、毎年数千貫文もくれてやって他にもあれこれ用立てろだなんだ!こたびはいったい何用でござるか!?修理殿も日ごろから『そろそろ終いやも』と言うておられたではありませぬか!用件次第では、こたびこそ縁を切るべき時にございましょう!」


 酒井の物言いは実にすっきりしたもので、そのようにできたらどれほどよいか。そういう思いで重勝と鷹見は互いに顔を見合わせた。

 彼はもともと反骨精神の旺盛な若武者で、今川家に対して弱腰な鈴木家中枢の面々に不満を持っていた。とはいえ今では、鷹見の下で豊川東岸の用水路建設に従事するうちに、すっかり奉行職に誇りを持ち、建物や農作物に対して愛着を持つようになっていた。

 重勝や鷹見ができるだけのことをやっているのがわかってくると、その反抗心は必然、今川家そのものに向かうようになった。

 この者は不満がすぐ表に出てしまう性質だったから、つられて今川に対する悪口をポロリと口にする者が増えてきていた。しかも、なまじ彼の物言いがまっすぐで爽快であることから、妙な求心力を持つようになって、反今川勢力というものが知らず知らずのうちにできてしまっていたのだ。

 その酒井に懐かれている鷹見は、血気盛んな後輩に、言い聞かせるようにして述べる。


「のう、彦次郎や。物事には順序がある。今川と戦うには尾張を先に片付けねばならぬ。きっと今まさに殿がその手配りをしておられよう。

 そして今川の目指すは甲斐なり。今川が甲斐を喰ろうて肥えたところで屠るのだ。急に大きくなれば綻びも広がる。今は尾張・三河・遠駿と横並びにて、当家が東西いずれに動いても残る一国に背を攻められる。動くにも隙がないのだ。わかるであろう?」

「わかっており申す!わかってはおるのでござるよ、それがしも!」


 酒井は今にも泣きだしそうに声を震わせて言った。


「されども、それがしは悔しいのでござる!

 我らが三河の山野で精魂込めて開いた田畑、そこで育った米に果実!船を用意しやっと得た鉄!それらが、どれだけくれてやっても感謝の一つも寄こさぬ畜生どもの手に渡ってしまうのが!

 主従の序!もちろんわかっておりまする!しかし我らは主家を裏切るような真似をしたというのか!礼も信もなき、かような振る舞いは許されてしかるべきなのかッ!!」


 酒井は唾を飛ばし、鼻水を垂らしながら、悔し涙を流して叫んだ。

 彼の瞼の裏には、祖父の死に場所となった三河の明眼寺の赤々と燃える炎が揺らめいていた。彼の祖父・酒井宗誉入道は忠義を尽くした挙句に、主君・松平信定に見殺しにされたのだった。

 彦次郎は主家の理不尽な振る舞いというものを強く恨んでいたのである。

 酒井の純粋な叫びは重勝と鷹見の心をえぐった。


「彦次郎、彦次郎よ……。そなたが我らの代わりにそうして泣いてくれることを、それがしは何よりもうれしく思う。そなたがこの三河のことを、当家のことを心より我が事と思うて泣いてくれるは、まことに――」


 重勝はその先の言葉がうまく見つからなかった。何と言えばよいかわからないというだけではない。これ以上口を開けば、己も感情を律することができなくなると思ったからだ。

 我慢と合理に支配されて未来を生き切ったもう一人の自分が、ここで感情に身を任せてしまうことを許さなかったのだ。心を殺して重勝は言う。


「今川からは人質を出すようにとのことであった。こたびはなんとか受け流すつもりだ。されど、今はまだ立つこと能わず。まだなのだ。」


 どこか空ろな表情でそう言う重勝は、やがて眼を閉じ言葉を続けた。

 その瞼はけいれんし、座彔にかぶさる袴は膝が小刻みに動くのにあわせて揺れ、経机に置かれた拳はきつく握られて経机の板面に強く押し付けられている。


「そして今はまだやり過ごすことができる。今川は強いることはできぬのだ。まだできぬ。なれど次はどうか。次は。おそらく駄目であろう。そのときは屈する他ない。しかしそのときこそ狙い目。そのときこそ。そう、そのときこそ。」


 最後の方はぶつぶつと呟くように言うと、重勝はそれきり歯を食いしばって黙ってしまった。

 目下、鈴木の力は今川に大きく劣らないが、かの家が甲斐を得てしまえば状況は変わる。その時にどうするか。それこそが大事。重勝にはよくわかっていた。独りでさんざん考えてきたのだから。


 酒井は主君の様子のおかしさに狼狽して鷹見を見やったが、その鷹見も困った顔を隠せずにいた。

 鷹見は「少しお休みくだされ」と言って重勝を立たせたが、どうも重勝は自分では動き出せないようであったため、鷹見は肩を貸してひとまず重勝の妻たちがいる「奥」へ連れていった。

 重勝の正室・久は話かけても返事のない夫を扱いあぐねたが、彼を純粋に心配した側室の奥平もとが何くれと世話を焼いたおかげで、重勝は人心地を取り戻した。

 半日も経った頃、彼は紙と筆を要求すると「ああでもないこうでもない」とたくさん書き損じをしながら今川への返書を認めた。

 そして翌日、矢部には「何かあれば当家を頼ってまいれ」と伝え、これを駿府に送り返した。

 重勝にとっては何気ない労いの一言のつもりだったが、それを聞いた矢部は「自らが今川家にいられなくなるほどひどい内容の返書を持たされたのか」と戦々恐々と承菊のもとに戻った。


 ◇


 重勝の書状では鈴木家中と今川家中の間で通婚して仲を深めることが提案されていた。

 鈴木から今川に出される嫁は実質の人質であるから、今川重臣団のうち、ある者はこれを「人質を出すにしろ、体裁を整えてくれ」という意味に解釈し、ある者は重勝が己の子弟を人質として出さない点に不満を覚えた。

 とはいえいずれにせよ「鈴木は人質を出すこと自体は素直に受け入れたのだ」と受け止めた。


 しかし、承菊は違った。

 彼はこれまでの鈴木重勝の振る舞いを詳しく調べて、彼を「奸雄」と位置づけていた。

 野田と長篠の菅沼氏を騙し討ちし、与力先の熊谷家を乗っ取り、本家の兄を滅ぼし、松平氏を謀略で滅ぼした。そのような人物をどうして信用できるというのか。

 応仁の乱では斯波氏の守護代・越前朝倉氏が寝返って守護になりあがった。近頃では越後長尾氏も守護の上杉氏を押し込めているし、目新しいのは先年の上野の出来事で、岩松氏が筆頭家老の横瀬氏に城を乗っ取られた。尾張の織田も、阿波の三好も、主家を頂いてはいるが勝手なものだ。

 どうして鈴木がそれと違うと言えるのか。


「当家の申し付けた人質を断るでもなく婚姻を求むるか。いかにも答えづらい。とはいえ、嫁取りは甲斐攻めが終わってからか?なるほど、それを見越してのこと、と。」


 承菊の中で、重勝の智謀の評価は高い。

 それゆえにこの僧侶は、「遠征中に離反されないように人質を求める」という今川家の目論見を重勝が見透かして躱したのだと断じ、そして、重勝の叛意を確信した。

 矢部の報告では、鈴木家中では人質を出すのに強い忌避感があったというから、離反の後に人質が処刑されるのを惜しんだのだろう。


「甘いことよ。謀反を成し遂げようというならば半端な情は捨てねば。せめて当家の使いに怒りを見せるなんぞ愚かな真似はすべきにあらず。」


 承菊の中では、重勝の奸雄としての側面と、彼が朝比奈の義父を丁重に扱っていたり、今川家からの申し付けに割と素直であったりする側面がなかなか結び付いていない。

 今回の振る舞いもそうした理に徹しきれない部分の表れなのだろうか。


「あちらより婚儀を持ち出しておるところ、あるいは怒りを見せて人質の扱いにつき譲歩を求めたのか?」


 承菊はおのれが下ごしらえをした甲斐攻めが上首尾に終わることに何ら疑いを抱いてはいないが、後始末も含めて必要な時間と手間については甘い見通しは持っていなかった。


「いや、当家が甲斐を得て安んじるには相応の時がかかる。戦中に婚儀などしておられぬゆえ、この申し出はやはり人質を出し渋るということ。当家が甲斐に手を取られておる間に蜂起というのは十分あり得よう。友野も三河は木綿を大いに増やして売り、西から鉄を買っておると伝えよる。」


 友野氏は今川家の御用商人で、駿府に集まる木綿などの売買を司っており、競合相手となる鈴木家三河屋の木綿売買をよく見張っていたのである。

 とはいえ実際は、その鉄は琉球に売る刀の材料なのだが、傍から見れば鉄を買い込むのは明らかな戦支度。承菊にとっては、三河の蜂起という仮定を補強する要素だった。


「いっそ三河が謀反の支度を整える前にこちらから一撃加えるべきか……。いや、それでは本末転倒。とはいえ、足枷となるような策の一つは用意しておかねば。」


 承菊は三河に攻め入る際の進軍路を思い浮かべ「かの地の国人は……」と考えを巡らせた。


 ◇


 今川重臣団は重勝からの婚姻の申し出を従属の姿勢とみなし、ある程度評価した。

 そのため彼らは婚儀の準備を進める方向で動き始めたが、しかし今はひとまず、鈴木家に対して、鉄の供出や小笠原長高の甲斐攻めの支援を命じる通達を送ることにした。

 これは「実際に人質が送られてくるまでは安心すべきでない」と強く主張した承菊の言を受けたもので、三河の力を削ぐ意図があった。

 矢部を再び出迎え、彼の口から話を聞いた重勝は、承諾の返事をした後、「まあせいぜい武田と削りあってくれればよいが」とぼやくのだった。


「背高経机」はお経を読むための机「経机」を高く大きくしたもの、「板座彔」は法要のときにお坊さんが使う椅子「曲彔」の座面を板張りにしてクッションを置いたもので創作物です。要するにデスクとチェアです。

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