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戦国の鈴木さん  作者: capellini
第7章 埋み火編「甲斐の虎」
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第84話 1529年「彦五郎」

 享禄2 (1529)年、今川氏輝が家督を相続してから3年が経った。

 この間に今川家は、関東上杉氏に包囲網を構築されて苦しんでいた北条氏綱に助力して、北条家が武蔵に進出するのを後押ししていた。

 一方で、各地で検地を実施し、特に、北条家がその支援の見返りに放棄した駿東の下方の所領の掌握に努めるなど、体制の安定を目指していた。


 ◇


 鈴木重勝の亡き妻・つねの父である朝比奈丹波守俊永は、駿府に構えるのを許されている屋敷において客人と歓談していた。

 やって来ていたのは各和伊予守と孕石又六郎光尚。遠江の監督を任されている掛川の朝比奈泰能から駿河で準備が進む大規模な軍事行動について様子を見てくるよう依頼されてやってきていた。

 駿河衆と遠江衆で共通の話題といえば、近頃は専ら三河鈴木家のことばかり。孕石も()()()として鈴木の尾張侵攻について話し始めた。


「いやはや、鈴木が尾張に攻め入ったは『いよいよ不義理か!』と肝を冷やし申したが、いかなる手妻(てづま)用いたるや知らん、さすがは承菊和尚、見事これを引かせましたな。」

「天野の不穏なる様をいち早く見とがめたも、和尚殿の手の者とか。柴屋軒殿(宗長)も老いさらばえて三河に絆されてしまった今や、かの方をお迎えできたは、ご本家においては誠に喜ばしきかな。」


 今川庶流の各和も承菊和尚の手腕を賞賛した。

 承菊和尚とは九英承菊、後に太原雪斎と名乗る臨済宗の僧で、亡き今川氏親に請われてその三男・芳菊丸(後の今川義元)の養育を任された人物である。

 氏親最晩年には相模北条家との同盟をとりつけ、駿東の北条領を放棄させるという大功をなし、氏親の外交僧・柴屋軒宗長に代わって今や氏輝の外交顧問となっていた。

 彼は信濃に入った小笠原長高の動向を注視していたが、信濃と使者のやり取りをする中で道中の安全を確保すべく、先ごろ奥遠江に住む天野氏を成敗する兵を起こしていた。

 天野氏は従属を誓約した上で中尾生城を没収された。承菊はここに二俣近江守なる部将を配置して奥遠江の監視拠点として整備しているところである。


「柴屋軒殿を悪く言うてはならぬぞ」と、朝比奈は先人に敬意を表して窘めた。

「かの御仁は三河に移ったとはいえ、当家にあだなすようなことは決していたすまい。紹僖様(氏親)とは誠によくお心を通わせておられたゆえな。」

「いや、ちと物言いが悪かった。されど、柴屋軒殿と異なりて和尚殿は軍略にも長けておられるは、頼もしきことよ。この調子で三河もひと叩きして増上慢を懲らしめてくれはしないかのう。」


 各和は宗長を貶めるような発言を詫びたが、九英承菊の軍才に対する強い期待を述べた。孕石もそれには同感で、大きく頷いている。

 朝比奈丹波守からすれば娘婿を庇いたい気持ちもあったが、黙って笑みを浮かべるだけだった。


 各和と孕石は遠江衆の中でも駿府と近い立場の者たちで、駿府重臣団がなにかにつけて三河鈴木家への不満を口にするのを聞いており、すっかりその考え方に同調していた。

 とはいえ、遠江の国衆の中には、長期にわたった甲斐攻めの軍役負担や、勝手をする鈴木家自体よりもその勝手を許してしまったことについて、むしろ駿府に不満を抱く者たちも少なくなかった。

 天野氏が承菊に牽制されたのも、元々不満がある中で、三河の支援で小笠原長高が信濃に勢力を確立したのを間近で見て欲が出て、信濃方に通じようとしたのを気取られたからだった。

 一方の今川家中枢からすれば、鈴木家は文芸や経済活動において自立を強めており、近江幕府に楯突くような行動まで仕出かしていて、主家を蔑ろにしているようにしか見えなかった。

 忠臣たちにとって、世間に今川家が従属国人の統制ができていないと見られるのは主君の品格を損なうことであり、ひいては今川の権威を認めて服する自分たちの地位すらも貶めることだった。

 朝比奈丹波守にはその気持ちが大変よくわかった。それと同時に、多額の上納の代わりに自立の約束を得たのだという娘婿の主張もよくわかっていた。

 地侍でも国人でも大名でも、自家の安全のために他家と縁を結び、隙あらば外に地を得るのは当たり前である。重勝のそうした説明に朝比奈は理解を示していたのだ。

 しかし、彼の擁護はもはや重臣たちの耳には届かなくなっていた。


 ◇


 ひとしきり三河を出しに不満を述べた後、孕石は駿府館のことでも懸念を述べた。


「お屋形様のことでも気がかりあり。我らは遠江に在所があるゆえ致し方ないが、駿府の方々ですらなかなかお目通りがかなわぬと聞く。もしやお体でもお悪いのであろうか?」


 朝比奈は難しい顔をして答えるべきか悩んだが、各和も孕石も遠江では親今川の筆頭格であるから、特別に話すことにした。


「……他ならぬおぬしらゆえに話すのであるが、左様、お屋形様はあまりお体が丈夫でない。人前に出るのもお好きではないようで、岡部殿や、浅井の若侍を側に置いて取り次がせておられる。」


 岡部とは左京進親綱のことで、駿河の海賊衆・岡部氏の惣領で、彼の幼い嫡男・元信は早くも氏輝の側仕えに取り立てられている。

 また、氏輝は瀬名備中守や九英承菊の勧めで、承菊の母方の実家・興津家から弥四郎信綱なる若者も側近に加え、さらには富士大宮司家から幼い富士信忠も召し上げていた。

 この措置は駿河の国衆に対する支配、今川本家直属の軍事力、そしてとりわけ海上戦力を強化するためだった。興津家と岡部家は海賊衆であり、鈴木家の小笠原水軍に対抗する意図があったのだ。

 こうして取り立てられた者たちはいずれも若武者であり、新当主の取り巻きとなっていたが、その中でも出自のはっきりしない浅井小四郎政敏の抜擢は「いかなる理由か」と訝しがられていた。


「尼御台様は……」ためらいがちに各和が寿桂尼のことを口にした。

「かのお方はいかにも素晴らしき女性(にょしょう)なれども、お屋形様をお育てするのに女房連中をかかわらせすぎたのではないか。やはり武人の導き手がつきっきりでなくば――」

「いやどうであろう。お屋形様はまだお若い。これからというところであろう。」


 朝比奈は主家の批判ともとれる各和の言葉を遮って言った。

 しかし、各和はなおも言い募る。


「先ごろお屋形様のご舎弟殿が『彦五郎』を名乗られることとなったのも奇妙と言えば奇妙。お体のこともあるが、くだんの浅井何某のこともある。」

「お屋形様と懇ろなのではないかという噂のことか。」孕石も心当たりがあって、言葉を引き継ぐように差し挟む。

「大宮司の若殿を好んで側に置くのもお稚児趣味だとかいう話を聞いたこともある。よもやとは思うが……。」


 各和と孕石の気がかりは、要するに、氏輝が次の当主を残すことができるかどうかということだった。体が弱ければそもそも危ういが、そこにきて女子に興味がないのではないかと心配しているのである。

 先には、先代・氏親と寿桂尼の間にできた2人目の正嫡男子である四男坊が「彦五郎」を名乗ることになったが、これは次期当主に与えられた先例のある名前だった。

 この名づけは、各和らが抱くような懸念に照らすと、氏輝に万一があっても次の当主を決めておこうという動きに見えたのだった。


 2人はやがて黙り、窺うようにして朝比奈の顔を覗き込んでくる。

 朝比奈は両者の視線を受け止めて困った表情を浮かべていたが、ため息をつき、「いかにも憚りあって、それがしもよもや問うなどということは致しておらぬが」と断りを入れて話し始めた。


「されども、どうもお屋形様は『正室を』という話になると気乗りしない風であった。尼御台様も結納はまだ早いとお考えのようで、しかも『正室は京よりお迎えするようわらわが手配いたします』とまで言っておられた。」

「ううむ……。」各和はどうしたものかと唸った。

「女子を側に送り込むのはすでにやっておられるか?」


 孕石が尋ねると、朝比奈は「まあのう」と煮え切らない感じで答える。


「送り込むというか、女子がそばにいないのではないのだが、奥は尼御台様に仕える女官連中が取り仕切っておるゆえ、その一員ということになる。」

「そう聞くとかえって、源氏の君(光源氏)がごとく雅な語らい(男女の契り)があってもおかしくないように思うが。」

「いやどうであろう。尼御台様の女官ともなればよく教え諭されておろう。それらに囲まれておるは、それはそれで窮屈ではないか。」


 孕石と各和が余計なことを詮索し始めたため、朝比奈は「詮無きことを考えても仕方ない。いずれにせよ、お屋形様はまだ若いのだ。すべてはこれからのこと」と言って話を断ち切った。

 その後、朝比奈は鈴木重勝が律儀に三河から送ってくる酒やら食べ物やらを出して「鈴木家はそんなに悪いものではない」と弁護してやりながらしばらく雑談をしていた。


 するとそこに突然、今川館から朝比奈一族の右衛門尉が急使として訪れた。


「丹波殿、今すぐお屋形様のもとへ!」

「なんぞ悪しき事でもあったか!?」

「さにあらず。慶事というのとも違いまするが……、ともかく変事にございまする!」


 朝比奈は各和と孕石を待たせておこうと思ったが、すでに2人はついていく気満々で、長らくの胡坐座りで凝り固まっていた体を伸ばし、朝比奈の家人から刀を受け取って装いを正していた。


 ◇


 岡部親綱が「殿の御成り!」と怒鳴ると、今川館の広間に集まった諸将が平伏した。

 今川本家は三河からの上納で近頃、富を蓄えており、この評定の間も勢威を示すために畳敷きに改装されている。

 烏帽子に狩衣姿の若き氏輝が側近たちを引き連れて広間に入ってきて、上座に着座した。

 瀬名氏貞・九英承菊が脇に控え、宿老の三浦次郎左衛門尉範高・朝比奈又太郎泰能が今川仮名目録で定められたように家臣最上位の座所を占めている。


「よくぞ集まってくれた。面を上げてくれ。」


 凛と張った声に興奮の色を載せて氏輝が口火を切った。氏輝が自ら進んで話すことは珍しく、諸将もこの召集はよほどの大事かと身構えた。


「こたびの用向きは他でもない。甲斐武田のことである!

 憎き信虎めは先年には諏訪に攻め入って追い返された。いよいよ銭に困ったか、先ごろ小山田殿に棟別銭を求めて不和が生じたとの由、そのご母堂にしてそこなる瀬名陸奥の叔母・中津森の方よりお報せあった。小山田は『当家の後詰あらば蜂起も辞さぬ』とのことである!

 さのみにあらず、なにやら信虎めの嫁取りで揉めておるとも聞こえておる!」


 そして、血が上って頬に赤みのさした氏輝は、タンと軽やかな音を立てて畳を蹴るようにして勢いよく立ち上がり、声を張り上げた。


「負け戦に銭不足、家中の不和!これぞ天運なり!ついに亡き父上の悲願を成就する時が来た!こたびこそかの憎き武田を滅ぼさん!皆の者、戦支度ぞ!」


 即座に応じた諸将の雄たけびが空気を震わせた。


 ◇


 何よりも重要なのは甲斐征討のための軍勢を時宜を逃さずに整えることであり、氏輝の強い意向で詳細を詰めるよりも先に諸将には兵を集めるよう命令があった。

 兵糧はなんだかんだと三河から奪った蓄えもあるため、兵があればすぐにも動くことができる。

 集めた兵をどう配するのか。瀬名と承菊は一切未定の詳細を詰めるべく、一部の重臣を集めて軍議を開いた。


「騒動の詳しいところは未だにわかっておりませぬが、郡内(甲斐東部)の小山田は蜂起を約しておれば、葛山と松平を送れば十分でございましょう。

 河内(甲斐南西部)の穴山の旗色はまだ明らかではございませぬゆえ、こちらに攻勢をかけて脅しをかけるがよろしいかと。ひとまずは大宮司家と井出衆に様子を見させましょう。」

「うむ。」


 承菊の提案に瀬名をはじめ一同が頷く。

 この僧侶は続けて自らが取次を担当している小笠原長高のことを話題に出した。


「ただし、伊那の小笠原殿からはさほど多くの兵は出せぬとの由。」


 瀬名は長高が前年にかなり無理をして信濃での支配領域を拡大したことを思い浮かべて「さもありなん、無茶をしすぎであった」と頷いた。

 しかし、瀬名は続けて甲斐国北西部の状況については楽観的な意見を述べる。


「とはいえ、諏訪勢は間違いなく甲斐に攻め入るであろうし、それに大井ら北巨摩の者らが同心するであろう。」

「いかにもそうでございましょう。ただ、旗頭が定まらぬ中、寄り合いで攻めかかるは安心できませぬ。かの地は信虎の構える城と近く、支度が整わぬうちに逆に攻められては厳しいでしょう。」

「ふむ、大井も信虎に嫁を出しておる。不利となればいかに振る舞うものやら。」


 瀬名に対して、承菊と朝比奈丹波守が気がかりを述べた。瀬名はその懸念を受け容れた上で、小笠原長高にそうした諸国人の抑え役になってもらうべきだと主張した。


「であらば、小笠原に頑張ってもらうしかあるまい。かの者の武威はなかなかに広く聞こゆるところ、いくらか手勢率いて参陣するだけでも信濃勢の落ち着きが変わってこよう。」

「うむ、和尚殿、そのように頼んではいただけぬかな。聞けば、小笠原殿は木曽谷と東濃をも押さえておるとか。三河もお味方ゆえ、そうそう足元の揺らぐことはありますまい。」


 朝比奈もそれに同調し、承菊は「頼んでみましょう」と了承した。そして続けて言う。


「さても、その三河でございまする。」

「うむ、兵を出させようというのであろう。織田への備えが要るとはいえ、1000は命じてもよかろう。兵糧もさらに命じてもよいやもしれぬ。」

「それもそうでございまするが、当家が武田と長く争いくたびれたところでかの家が謀反を起こすのではないかと拙僧は心配しておりまする。」


 承菊の発言に一座の間で緊張が走った。

 承菊は「情より理、形式より実力」という考えの人であり、鈴木家が従属国人という形式に収まらない実力を持っていることを危険視していた。

 そもそも今川家中枢では鈴木家への警戒心が強く、承菊の目から見て、両家が和解して友好を深め直すというのはもはや無理だった。そうなれば、鈴木家の力を削ぐ方向しか道はない。

 一方の重臣連中は、鈴木家を嫌っていながら、これまで彼らが貢納を欠かしたこともなく、織田家との開戦を咎めれば素直に停戦するなど今川家の要請を基本的に受け容れてきたことから、なんだかんだ鈴木家の従属を当たり前と思っていた。

 それゆえ承菊の発言は衝撃的だった。

 しかしこの俊英が言うからにはあるいは。諸将が頭の中で鈴木家への疑念を「謀反」という言葉に置き換えつつある中、朝比奈丹波守はさすがにこれは見過ごせず、口を挟んだ。


「いや和尚殿。それは考え過ぎでござろう。それがしかねがね思うておったが、あまりにそうして敵意をぶつけておっては、火のないところにも煙を立たせかねぬのではないか。

 友誼とは互いに信を置いてこそ。かの家は確かに勝手が過ぎるとはいえ、同じ立場の北条には我らもここまでの扱いをしておらぬでござろう。

 鈴木は約束を違えたことはなく、先の尾張の一件も、管領様と和解したのも、お屋形様の顔を立てたのではござらんや。」

「婿殿を信じておられるのは貴殿のお心の澄やかなるがゆえ。そはいみじきことなれど、見たままをこそを信じるべきなり。鈴木は知多土豪を従わせ、東濃の国人をも恫喝して配下に収めておりまする。」

「勝手に銭を作って配っておるとも聞くぞ。『よく従っておる』とは口が裂けても言えぬ。」


 瀬名が憤慨して言った。朝比奈はなおも抗弁を試みる。


「水野を嫌って知多土豪が頼って来るは、隣ゆえに致し方あるまい。お屋形様との約定は当家の尾張の切り取りの邪魔をせぬというものゆえ、『それまで守るな戦するな』という話ではありますまい。

 東濃は甲斐攻めを前に小笠原殿・木曽殿と組んで背後を固めるためと聞いており申す。土岐のお家騒動が長引いておりますれば、それくらいは目こぼししてやってもよいのではありますまいか。」

「銭は?」


 いらいらと瀬名が問い返すと、朝比奈は「いや、銭は」と口を開いたものの、言葉に困って「ただの私鋳銭にござろう……」と返すのがやっとだった。

 瀬名が馬鹿にしたように鼻を鳴らしたところで、承菊は両者を制して話を先に進める。


「かような疑念を抱かしむることそれ自体がもはや罪にございまする。かような者に果たしてどこまで信が置けるのやら。

 かの家が仕出かしてきたことを並べてみると、拙僧には鈴木重勝なる男、先代様(氏親)への忠節は本物であったやもしれませぬが、今代様(氏輝)においては侮りが見え隠れしておるように思えまする。」

「やはりか。」


 この言葉に敏感に反応したのは瀬名だった。

 瀬名の鈴木家に対する警戒心は、重勝が今川家に従っている理由がもはや家格の上下差と今川家当主との個人的な忠誠関係しかないことへの焦りからきていた。

 上方との独自の伝手を作りつつある鈴木家は、それによって十分な権威を得れば、例えば越後守護代の長尾為景がそうだったように完全に自立するだろう。

 それでも同盟という形で関係を結び直せばいいのだろうが、瀬名にはそれは受け入れがたかった。


「尼御台様と直に文のやり取りをしておったのがよろしくありませぬ。お屋形様までそのようにしておられたゆえ、拙僧からお諫めいたしたところにございまする。かような扱いを受けて、あれは心得違いをしてしまったのでしょう。

 丹波殿(朝比奈)は『北条と同じに扱ってやれ』と言われまするが、亡き宗瑞殿(北条早雲)は先に身罷られた徳願寺様(氏親の母)の弟御。鈴木の一族は北条でも家臣にすぎず、これらを並べて語るは家格の序に合いませぬ。丹波殿も重勝めに毒されておられまするぞ。」


 理知の人、九英承菊は余人に反論を許さず、朝比奈は黙り込んだ。

 鈴木の実力を正当に評価するがゆえに、彼らのこれ以上の拡大を認めない。彼らを抑止するには形式というものが役に立つ。

 鈴木の一族である江梨鈴木家は北条家の家臣に過ぎない。鈴木は今川にとって対等な同盟国にすらなれない従属国人。それゆえに今川家中の問題として鈴木家を成敗する余地が生じる。

 承菊は内心でそのように理屈をつけていた。

 瀬名は満足気に頷き、鈴木家をさらに抑えつける一案を述べた。


「かような増長をそのままにしておいては良からず。先に興津の家で生まれたあれの弟が三河に勝手に移ったというが、人質を引っ込めたとも言えるであろう。どうであろうか、代わりの人質を求めてみるというのは。」

「良きご思案かと。三河からの人質はもともとあれの母のみなれば、この者、三河から移って久しく、それだけではもはや重勝めを押し止めるのに十分とは言えますまい。

 もし人質を断ればかの者の心中に叛意ありと定まり、あるいは、まことに謀反を起こすとても、甲斐は不和を抱えて動けませぬゆえ、先に三河を懲罰すればよいでしょう。断らぬならば当家は安心して甲斐攻めの背をさらすことができまする。」


 仮に鈴木家が甲斐攻め中に謀反を起こしたとしても、国内の不和に苦しむ武田と和睦するのはたやすく、しっかり留守居を置いて遠江で粘れば、呼び戻した全軍で逆に三河を切り取ることができる。

 承菊の言葉で諸将の脳裡にはそのような絵が思い浮び納得する一方で、朝比奈は内心で娘婿に詫びながら憮然とした面持ちで黙っていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 太原雪斎って、母方が興津氏だったのですね。 ということは主人公と縁がないわけでもなかったのですか。 [一言] 人質というと物騒ですが、戦国ではまぁ普通ですし、けっこう丁重に扱われますよ…
[一言] 名門意識からなんだろうけどこれから武田を攻撃するぞという時になんで新しい戦線を作ろうとするんだろうか?むしろ鈴木を味方にするために動くのが正解じゃないのかな?鈴木の敵意をわざわざ煽っているよ…
[良い点] 毎回読み応えのある文章量で満足感が高いです ありがてぇありがてぇ [一言] 人質要求は悪手な気がするなぁ 鈴木が反発して独立したら甲斐攻めどころの話じゃなくなると思う、鈴木家の勢力の離反だ…
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