第83話 1529年「火薬」
時は戻って山本菅助が西国を放浪していた頃のこと。
鈴木重勝は、堺を発った船が西国に向かうにあたって、多くの勢力がひしめく瀬戸内の海を通ることをよしとせず、土佐沖を回る航路を確保しようと土佐の勢力と渡りをつけようとしていたが、難航していた。
そんなとき、大友氏の領国・豊後の府内にある仲屋乾通という豪商の屋敷に滞在していた菅助から手紙が届いた。府内には陳覚明という漆塗り職人がおり、菅助は彼の伝手で通詞を探しているところだった。
「どうやら寧波で変事があってより明は日本の船を受け付けなくなっておるそうだ。代わりに双嶼なる港で海賊どもが密かに商いをしておって、こうした船は大内氏の博多や大友氏の府内にたびたびやって来るという。とはいえこれは九州の大名の紐付きにて、当家の割り込む隙間はないであろう。」
明政府は海禁(外国人との私的交易の禁止)の徹底と倭寇の取り締まりを強化するところであったが、締め付ければ締め付けるほど密貿易の需要が増していた。
双嶼はそうした背景から鄧獠なる海賊の首魁によって開かれた密貿易の拠点である。
「ではいかがなさるので?」
熊谷備中守実長が尋ねた。
「それがしは琉球がよいのではないかと思う。土佐沖から行きやすく、明や他の国々ともやり取りがあるらしい。」
「琉球にござるか……。」
「……それがいかような土地にていかばかり離れたるか、皆目見当もつきませぬな。」
熊谷は腕を組んで目を瞑り遠国に思いを馳せるようにして天を仰いだ。
一方の鳥居伊賀守忠吉(故・忠明の子)はしばらく考えると首を振って言った。
当時すでに鳥居忠吉は紀伊奉行に任じられて紀伊国熊野の監督を行うようになっていたが、あれやこれやと手配をする中で三河と熊野を頻繁に行き来してしており、このときはちょうど三河に滞在していた。
「堺より阿波に渡りて土佐は一条家の宿毛の湊、薩摩島津の坊津より南海に出でて種子島。その果てに琉球はある。さらにかの島々の向こうには北に明、その南に大越、さらに南に確か……占城だったか、そして……。ちと待たれよ。」
重勝は袖の中をごそごそとやって雑記帳を取り出すと何やら調べだし、ふんふんと言って続けた。
「あとは、羅国が占城の西、さらに西に伽羅すなわち天竺があって、合間には真那伽と真南蛮 などがあるそうな。」
「ほお、詳しいですな。」
「これらは香木の産地らしい。諸国の東西の並びにつきては正しいかは知らぬ。」
「ほう、香にござるか。香と言えば、お方様(お久)が嗜まれまするな?」
にやにやと鳥居伊賀守が言うと、重勝は「まあ、左様であるな」と頬をかきながら答えた。
「ともかく、琉球はかような国々とも商いをしておろう。菅助には琉球と伝手を作るよう指示しようと思う。」
「ご随意になさいませ。我らはこのことにつきては殿以上にはわかり申さぬ。」
熊谷が考えることをすっかり諦めて言った。
「うむ、それでな。菅助の用事はこれで終わりではないのだ。かの者には明の武器を探してもろうておったのだが、どうも明の海賊から何やら金筒を買い取ったというのだ。それがし、これに心当たりがあるゆえ、早速三河に送らせようと思う。」
「筒でござるか。」
「うむ、それがしの思う通りならば、これは爆ぜる薬を用いて鉛の玉を飛ばすものだ。」
「ふうむ、聞いただけでは何とも……。しかし明の武器なれば、さぞかし強力なのでしょうな。」
「物を見てみねばわからぬがな。しかし、これを使うにはその薬こそが肝心。それがしにはこれの作り方まではわからぬゆえ、菅助にはなんとか調べてもらわねばならぬ。」
重勝が深刻そうに言うと、熊谷備中守はいまいち理解してはいなかったが、思ったことを口にした。
「さまで大事な物ならば、明もそう容易くは外国の者に教えてくれはしないのでは?」
「ううむ、やはりそうであろうか……。おそらくこの薬は正月を祝って燃やす爆竹なるものに使われておるゆえ、広く知られておるのではないかと思うのだが……。」
それを聞いた鳥居伊賀守が「では、爆竹を買い付ければよいのでは?」と素直に返すと、重勝は「ええ?」と困惑し、やがて「そうか!菅助に爆竹の作り方を聞き出すよう伝えん!」と喜んだ。
◇
それから1年と少々が経って、三河鈴木家では銃筒の試作品が完成していた。
菅助が送ってきたのは青銅製の手銃だった。これは口径・半寸(15mm)、長さ1尺強(約35cm)、重さ4斤弱(約2.3kg)の砲身を持つ携行型の砲である。
重勝が期待した火縄銃ではなく、それよりも命中精度・装填速度の点で大きく劣っていた。とはいえ、ないよりはましである。
菅助が入手できたのはすっかり壊れた物だったが、実物を受け取ってから試作品ができるまでは非常に早く、わずか数ヶ月のことだった。
作ったのは、元は美濃国関の刀鍛冶で今は鈴木家の大工頭である八板金兵衛である。
明政府は外国、特に倭寇と結びついて認識されている日本に火砲や火薬の製法が伝わることを非常に警戒しており、最新の兵器や軍事技術書の扱いは厳しく制限されていた。
しかし、今の明ではポルトガルからもたらされたフランキ砲なる後装砲が大増産されているさなかであり、前装式の砲はいわば型落ちしつつあった。
そのような古い砲はすでに数万丁あるいはそれ以上の規模で流通しているし、しばらく前の大規模な反乱では密造銃が反乱側で製造されており、統制は緩みつつあった。
しかも廃品となれば、沿岸部の豪商や役人と癒着している密貿易商人が入手するのはたやすく、彼らは無知な外国人に廃品を高値で売りつけることに抵抗を覚えることもなかった。
「それでは方々、火をつけまするぞ!離れてくだされ!」
そう言って点火したのは、犬童重安という相良氏の家臣だった男である。
重安は菅助が勧誘した相良長定に仕える犬童一族の1人で、三眼銃と花火の製法を持たされて一足先に三河にやって来て、重勝の求めに応じて仕官し、この兵器の開発奉行となっていた。
油を染み込ませたこよりを伝って火が火薬に接触すると、爆発音がして煙とともに金属の玉が飛び出し、大きな木の的を弾き飛ばした。
とはいえ、的は非常に大きく作ってあり、しかも発射地点と的の距離は5間ほど(10m弱)。よほど玉が見当違いの方向に飛ばない限りは当たるようになっていた。
人々を集めての試射においては絶対の成功が求められることから、重勝は心配して姑息なことをしたのである。
「なんと!やかましきことだ!」
「なんだこれは、臭いぞ!」
「それどころではあるまい!的が吹き飛んだのだぞ!」
集まった人々は口々に思ったことを述べて、あたりは興奮に包まれた。
「火薬なる薬、ひとまずは玉を飛ばすことはできるようになり申したが、どうやら玉を飛ばす力は多くの硝石を使うほど強くなるようにございまする。
さらに相応しい調合を検討いたしまするが、いずれにせよ多くの硝石が必要にございまする。」
重勝に耳打ちしたのは、庭野学校で本草学を学ぶ学僧の一人である。普段は火薬製造のために隠れ家に住んでいて、今は実験結果を確認しに表に出てきたのだった。
重勝は深く頷き学僧の手に砂金粒を握らせると、彼はどこへともなく姿を消した。
火薬の製法そのものも軍事機密だが、それを知る者の身柄も正しく守る必要があるため、開発陣はほとんど表に出てくることはない。
表に出るのは犬童重安のみ。この者ならばある程度は自力で身を守ることができる上に、今後、彼に接近してくる者を警戒していれば他国の間者も見つけやすくなるだろう。
◇
中国では花火は「煙花」、爆竹は「爆仗」として広く使用されており、菅助は言葉の壁にもかかわらず巧みにその作り方を聞き出してくれた。
これも菅助が自ら明まで渡って交渉したからこそであり、金子老なる密貿易商人に取り入っていろいろと世話を焼いてもらったのだった。
もともと重勝は夢で見た未来の知識から「硝石を使う」ということだけは知っていたため、他に硫黄やら炭やら松脂やら瀝青やら様々なものを粉にして混ぜるということが分かれば、あとはそれらをすべて用意して、割合を変えてよりよい組成を研究させるだけだった。
中国で火薬製造に携わる者たちにとって、混ぜ合わせるものの配合比率こそが重大な軍事機密であり、職人自身にとっても秘伝だった。
しかし、何を混ぜるかは兵器製造の拠点に出入りする業者をよく見ていれば存外簡単にわかるだろう。重勝はそのようにして調べて火薬の原材料の候補をいくつか挙げるよう菅助に要請した。
菅助は、しかしそのような活動はどう見ても不審であるし時間もかかるため、やり口を変えて金子老から商人の伝手を頼って工房の取引相手についての情報を直に集めたのだった。
こうして集まった情報はすぐに三河に知らされたが、硫黄や炭はまだしも「硝石」なる物の現物がどのようなものかは、重勝にはわからなかった。
人の語る言葉でも書物でも全部が全部、一様に「硝石」と表現されているわけではないため、特定作業は難航したが、これを解決したのも菅助の機転だった。
琉球に到達した菅助は、交易の約束を取り付けるとともに、その段階で花火の作り方を言葉としては知っていたことから、聞いていた火薬の材料を琉球商人にそのまま伝えて発注したのだ。
商人もよもや注文した本人が何を注文しているかを理解していないとは思わず、すでに火薬兵器が入ってきていた自国の常識に照らして硝石を用意した。
現物を入手したことにより、硝石は炭と燃やすと火力が強くなる白い石であることがわかり、書物にいうところの「地霜」、つまり地にできる霜のようなもので炎色反応で紫青煙を上げるものということもわかった。
さらには、鍛冶師の知恵で、竈に入れると強く燃える便所の近くの土に含まれる「小便塩」が硝石と同じものであることも判明した。
ここまでくれば後は混ぜるだけである。
「だけ」と言ってもこれが一番の関門であり、菅助が買い付けた硝石が三河に届くとすぐさま多くの組み合わせが試されたが、製法の確立には長い時間を要した。
追加の材料の入手に時間がかかる場合もあれば、ときには事故も発生した。なによりも、人目をはばかって作業を行わねばならないことも、時間がかかる理由だった。
そうして1年以上かけて安定して火薬を作ることができるようになり、その過程で、硝石を多く含む組成は爆発力が高く、硝石が少なくても混ぜる素材次第で長く燃えるということが判明した。
重勝は銃筒・砲弾・火薬の備蓄を始めたが、彼は特に燃焼力が強い種類の火薬に興味を持ち、これを小壺に入れたものに点火して投擲する攻城兵器・水上兵器を用意させた。
重勝の夢で得た知識から、村上水軍が使用したという焙烙玉を思い浮かべてのことである。
「焙烙玉というのはこれでよいのであろうか。ふむ、投げるならば把手がほしかろうな。あるいは、矢につけて飛ばせるだろうか。いずれにせよ、これで城攻めは容易くなるというもの。」
壺には取っ手の棒がつけられ、印地(石打ち)に長けた者たちが選抜されて投擲訓練が始められた。壺を小さくして矢につけて飛ばすことも考えられ、そのための訓練も始まった。
弾を打ち出す銃筒を使うにしても、結局は兵のぶつかり合いを想定することになる。
一方、小壺は物を燃やすことが大事なのであって、それを木造の櫓やら何やらに投げつけて早期に崩し、攻城戦を短期間で容易に終わらせるのが重勝の望みだった。
しかも火薬兵器が普及していない今は、城の諸設備は耐火性が十分ではなく、当面の攻城戦は極めて有利に運ぶだろうと重勝は見積もっていた。
ただし、燃焼兵器はただ弾を打ち出すだけよりも多くの火薬を必要とするため、兵器の実用化には大量の火薬の備蓄が必要である。
「されど、買い集めねばならぬものがいやましに増しておる。銅と鉛は三河にもあってよかったが、鉄・錫・硝石は外から集めるほかなし。西国との縁を何としても切らさぬようにせねば。」
青銅の砲身と鉛の砲弾を作るのに銅・錫・鉛がさらに必要になり、領内の再調査で長篠の近くの睦平で鉛鉱脈が発見されたものの、錫は足りなかった。
後に三河の北、美濃東部の遠山氏の勢力範囲で錫石が見つかると、重勝は彼らを直接の支配下に置こうと動くことになる。とはいえ、それは目下の需要とは関係のない話。
鈴木家ではさしあたり便所近くの土から自前で硝石を作るのと並行して、琉球を介して東南アジアから硝石・錫・鉛を輸入し、硫黄は信濃から買い付けることになった。
琉球へ輸出する商品としては鍛造の日本刀くらいしかないため、安芸国・厳島まで商圏が広がった三河屋を通じて、鈴木家は西国から刀の原材料となる鉄を買い集めることになる。
【史実】八板金兵衛は作中では数年前に美濃から移住してきた刀鍛冶で、大工頭として三河中の刀鍛冶を束ねて国内用・輸出用の刀の需要に応えるべく働いています。史実では種子島に移住していて1543年頃に火縄銃が伝来した際にいち早く複製に成功した人物です。
【一言】導入された砲は『もののけ姫』の「石火矢」のイメージです。対施設で射程100-200mはあるでしょうか。把手付焙烙玉は柄付手榴弾のイメージです。主人公は取っ手があれば投げやすいと思っていますが、形も歪で重くなるのであまり飛ばなそうです。ひもで縛って遠心力で投げた方がよく飛びそうですが、スペース・時間が必要ですしまっすぐ飛ばない場合もあるので、戦場でどこまで使いやすいかはわかりません。投擲の射程は10-20m、弓だと普通の矢より重いので短めに30-40mとかでしょうか。




